第2話 母親の再婚
上杉昭雄の二十三歳になるまでの人生も、波乱に満ちたものだった。いつもそばにあすながいてくれたことが、あすなにとってよかったと思っていたが、上杉にとってもあすながそばにいてくれたことはありがたかった。いつの間にか、腐れ縁だと思うようにもなっていたのは、自分になかなか彼女ができなかったのは、あすながそばにいたからだと思ったからだった。
確かにそのことに間違いはない。
中学時代、高校時代とあすながそばにいたことで、
「あの二人、いつも一緒にいるじゃない。きっと付き合っているのよ」
と思われても仕方がなかった。
もちろん、
「あなたたち、付き合っているんでしょう?」
と聞かれることも多かったが、二人はいつも曖昧にしか答えていなかった。完全否定をしなかったのは、相手がどう思っているか分からないという思いがあったからで、口では「友達以上恋人未満」と言いながらも、相手の真意を掴みかねていた。
何しろ、人の心は変わるものである。絶対に変わらないと思っている自分の気持ちだって、何かのきっかけで変わるかも知れない。それは誰にも分からないことで、分からないことを完全否定などできないという思いが二人にはあった。
そのせいもあって、二人は付き合っているという認識が、公然の秘密のように思われるようになった。あすなは別にそれでもいいと思っていたが、上杉の方は、どうにも承服できないところがあった。
「物事は、ハッキリさせなければいけない」
という思いも上杉の中にあったからだ。
人の気持ちは流動的で、どう変わるか分からないという気持ちと矛盾しているかも知れないと思ったが、現実的な考えと、理想主義的な考えが同居している上杉は、子供の頃からいろいろ思い知らされることが多かったからだった。
上杉は子供の頃に親が離婚。母親に育てられた。離婚の原因は父親のギャンブルと不倫だったという。子供の上杉にそんな大人の理由など分かるはずはなかったが、親が大変なことになっているということは、分かっていた。
――なるべく、自分が関わってはいけない――
子供心にそう思うようになったのは、毎日のように家に誰かが来ていて、その場にいるのは両親が揃っている時もあったが、ほとんどは、母親だけの時だった。父親だけという時もあったが、ほとんど稀だった。
誰がお客さんとして家に来ても、
「昭雄、悪いけど自分のお部屋に入っていてくれないかな」
と言われて、すごすごと自分の部屋に入り込む。
最初の頃は、テレビを見ていてもゲームをしていても、表で何を話しているのかが気になって仕方がなかった。今まで家族しかいなかった家に、急に他の人が入り込んできて、いつも笑顔だった母親から笑顔は消え、皆神妙な面持ちになっているのを見ると、子供であっても、それが一大事であることは容易に想像がつくというものだ。
時々、大きな声が聞こえてきて、ビックリさせられた。恐る恐る部屋の扉を開けると、
「子供に聞こえるじゃないか。そんなに興奮しちゃだめだよ」
という戒めの言葉が聞こえてきた。
どうやら、母親が奇声を発したようだ。
ここまでくれば、尋常ではないことも分かってくる。
「じゃあ、また来るよ」
と言って、その日の客は帰って行ったが、その時の母親の疲れは尋常ではない。すでに家事をする気力もなければ、グッタリとして、リビングのソファーに寝転んでいた。そのまま朝まで眠ってしまっていることもあるくらいで、上杉はそんな母親に何と声を掛けていいのか、分かるはずもなかった。
しかも、その日の夜も来客があった。
母親は、昼間パートに出ていて、昼過ぎに帰ってきて、家事をこなしていた。グッタリとして寝てしまっても、朝起きてしまうと、いつもの母に戻っていて、夕方の家事を済ませるまでは、普段と変わりはなかった。
しかし、家事も終盤に差し掛かり、西日が傾き始める頃に、母の表情が一変する。上杉にご飯を食べさせた後、後片付けを始める頃から、顔が真っ青になっていった。それを見ると、その日も来客があることは間違いないと確信する上杉だった。
その日の来客は、前の日と違っていた。
前の日は男性だったが、今回は女性である。その女性の顔は見たことがなかった。ママ友だったらある程度は分かっているし、こんなに顔が真っ青になるほどではない。昨日の男の人とは明らかに違った対応を余儀なくさせられるのだと、上杉にも分かった。
昨日の男性は少し年配の人だった。
後から聞いた話では、普段から母親の相談に乗ってくれていた人で、何か問題が起こった時は、親身になって相談に乗ってくれたとのことだった。どうやら、その日は翌日に会うことになっている人との対策を話し合ったということだった。
昨日の奇声は、きっと母親にとって承服できないことを言われて、ヒステリックになったのだろう。大人の会話の詳細など分かるはずもなく、興味があるわけではない上杉でも、さすがにあの時の奇声だけは気になっていた。
さて、本日やってきた女性、彼女は母よりもかなり若い女性で、上杉から見ると、
「お姉さん」
と言わなければ怒られそうな雰囲気だった。
間違って、
「おばさん」
なんてことを口にすると、
「おばさんじゃないわよ」
と、即刻否定されそうだった。
今風の恰好は、まるでファッションモデルを思わせ、子供から見ても、身体の線が綺麗なのは分かった。
――もし、この人が母親を苦しめる相手ではなかったら、自分にとっての憧れの女性として頭の中に残ったかも知れない――
と感じたくらいだ。
そのせいもあってか、少ししてから、その女性の雰囲気を思い出そうとしても思い出すことはできない。思った通り、その人は母親を苦しめる相手であった。しかし、身体の線の美しさや綺麗な顔にドキドキしたのは事実であり、その二つの矛盾が子供の上杉にはジレンマとして抱え込むことができず、結局相互打ち消しのような形になり、その女性の雰囲気を自分の中で封印してしまう結果になってしまったのだ。
上杉の母親は、ソワソワしながらその女性を待っていたが、やってきた女性を迎え入れた時の表情は、何かを覚悟したかのようだった。そして、またしても、
「昭雄、悪いけど自分のお部屋に入っていてくれないかな」
と、昨日とまったく同じ言葉を言われて、引き下がるしかない自分を情けなく思う上杉だった。
上杉の予想では、すぐにでも修羅場が展開されるような気がしていた。引きこもったはいいが、いつものようにテレビをつける気も、ゲームをする気にもならない。かすかに扉を開けて、リビングの方に聞き耳を立てていた。
かすかに声が聞こえてくる気がする。もちろん、会話の内容も、どっちが喋っているのかも分からない。相手が男性であったとしても、ここまで小声で話されると、どちらが話しているのか分からないだろうと思うほどの小さな声だった。
ボソボソという声はひっきりなしに聞こえていた。会話は繋がっていたのだ。お互いに言いたいことはいっぱいあるのだろう。しばらく聞いていたが、会話が途絶えることはなかった。
――会話が続いている間は安心だな――
と上杉は思っていた。
会話が途切れた時が怖いと思ったのは、何を話していいのか片方が分からなくなると、相手も何をしていいのか分からずに、二人して途方に暮れてしまうからだ。一度会話が途切れてしまうと、そこから先を続けるのは困難だろう。そのままお開きになってくれればいいのだが、そのまま会話が続いてしまうと、そこから先、何が起こるか分からない。
いや、何が起こっても不思議のない状態に突入するということだろう。
最悪の場合を母親は前もって想像していたのかも知れない。それが家事をしている時に感じた、あの時の真っ青な表情である。女がやってくる時には意を決したように構えていたが、その決した決意が、どこまで通用するか、それが問題であることを上杉は感じていた。
――大丈夫なんだろうか?
まだ続いている会話にドキドキしながら、余計なことを考えてしまう自分が怖かった。
――きっと大丈夫さ――
そう言い切れる自分でありたいと思うようになったのはその時だったのかも知れない。
「あなたには、分からないのよ」
どちらの声だろう? 大きな声が聞こえた。
最初から聞こえないように静かに話していたのを、何とか盗み聞こうとして耳を澄ましていたところに、急に大きな声が聞こえたのだ。それだけでも、相手が誰なのか瞬時に判断できるはずはない。
しかも、その声がヒステリックであり、同じ女性ということもあり、子供の上杉であっても判断するのは難しい。
相手の声を少しでも聞いていれば、判断材料になっただろうが、上杉を見ても、一切口を開かなかった。平静を装い、氷のような冷たさがあった。
――やっぱり、お母さんなのかも知れないな――
息子に聞かせたくないという思いと、相手に負けたくないという思いとが交錯しているのだろう。
もし母親の声だとすると、相手が何者なのか、上杉にも分かる。今まで一度もこのお話に登場していないその人、父親が絡んでくることとして、今日現れた女性は、その父親の不倫相手なのだ。
大人になってから思い出す上杉には、その時の情景が手に取るように分かるようだ。
母親の心境としては、息子の上杉に対して、父親が不倫をしているということを知られたくないという思い、ただ、その時上杉は、父親が不倫をしていることを知っていた。以前父親が表で女性と親しくしているのを遠くから垣間見たことがあった。ちょうど父親はその日、彼女との別れの時間だったようで、名残惜しそうに手を握り合いながら、短い時間の中で何度か繰り返された抱擁を見てしまうと、いくら子供でも、違うと考えるには、材料がまったくなかった。
二人は別々の方向へ離れていった。
何度も別れを確かめ合って、その場から立ち去った二人は、未練がましく振り返ることをしない。
――さすが大人なんだ――
とまるで他人事のように感心していた上杉だったが、その感心がすぐに打ち消されてしまった。
男性の方がこちらに近づいてくる。最初に気づいたのは上杉だった。
「お父さん」
思わず声に出そうとしたが、やっとのことで思いとどまった。
男性はそれでも気づかずにこちらに歩いて来ようとするが、その様子を見て、
――今、隠れれば気づかれずに済む――
と思った上杉は、そそくさと物陰に隠れようとした。
その時の不自然さに、父親は気づいてしまった。
ひょっとすると、隠れようなどとしなければ、見つからずに済んだのかも知れないが、なまじ下手な行動を取ってしまったために、まるで、
「下手な考え休むに似たり」
ということわざが示すように、不自然な行動が目についてしまったのだ。
「昭雄?」
「お父さん」
お父さんの顔が、あまりにも自然だったので、思わずさっき見たことは夢だったのではないかと思うほどになっていた。
しかし、それは自分の願望であり、一度焼き付いた光景は、そう簡単に消えてしまうものではない。父親もそんな上杉のやりきれないような表情に、今までの光景が見られていたことを悟ったのだ。
「見ていたんだな?」
「うん、さっきの女の人は誰なんだい?」
ここまで言うと、父親も観念しなければいけないと感じたのだろう。
「ああ、あれは、お父さんが好きになった人なんだ」
「お母さんは?」
と聞くと、少し黙った後で、
「お母さんも好きだよ。お前を生んでくれたんだし、何と言っても家族だからね。でも、子供のお前にはまだ分からないかも知れないけど、お父さんは男なんだ。男というのは、いくつになっても女の人に惹かれたり、好きになってもらった人に冷たくできないものなんだよ」
と話していた。
大人になれば、その気持ちは痛いほど分かる。
しかし、子供の上杉には理解するのは無理だった。ただ、何となく父親が子供にも分かりやすく話してくれているというのは分かった。分かった上で、お父さんにはお母さん以外に好きな人が現れたことを知ったのだ。
ショックではあったが、それはそれで仕方のないことだと思った。子供であっても、男なのだ。まだ異性に興味を持ってもいないのに、父親の気持ちが何となくだが分かった気がした。親子の絆のようなものも影響していたのかも知れない。
――お母さんが知ったら、どうなるだろう?
という思いも頭をもたげた。
すると、父親は、
「このことはお母さんには黙っていてほしい。お父さんのわがままなんだけど、お母さんに言えば、お母さんをとても傷つけることになるからね」
子供であっても、これにはあまりにも都合のいい言い分だということは分かっていた。それでも、言っていることは間違っていない。確かに、まともにお母さんに話してしまうと、息子の一言で、家庭が崩壊の危機に直面してしまうのだ。その引き金を引く息子になることは、死んでも嫌だった。
だからと言って、知らないふりをしながら、状況が推移していくのも嫌だった。
「僕もお母さんには言わないので、お父さんもお母さんに知られないようにしてもらわまいと困るよ」
というと、
「そうか、ありがとう。お前が物分かりのいい息子で助かったよ」
と、少し興奮気味だった。
それを見て、少し不安に感じたが、実際にはその不安が的中したわけであるが、その時の上杉には、予期できるものでもなかった。
後から思うと、
――あの時のお父さんは、聞いているふりだけをしていたんだ――
真剣に聞いていたわけではない。真剣に聞いていれば、あんなに興奮したような様子ではなかっただろう。
――息子が認めてくれた――
そんな風に思っていたとすれば、実にめでたい人である。
父親は頭のいい人には違いないが、相手が子供だと、とたんに普通以下の父親に格下げされてしまう。そんな父親を、好きになんかなれるはずもなかった。
父親に対して、
「黙っている」
と言ったのは、あくまでも、自分の手で家庭を崩壊させたくなかったからだ。
「お父さんも知られないように」
と言ったのは、
――別れられるものなら別れてほしい――
という思いを込めたつもりだったのに、それをまさか嬉々として返してくるなど、まったくの想定外だった。
想定していた最低ラインよりもさらに下だったことで、もうこれ以上父に話しても同じだと思った。
――離婚してもしょうがないよな――
と、上杉は思った。
もし、離婚にならないとすれば、母が許す時だが、母の性格からして許すことは考えられない。どう着地するか分からないが、離婚は避けられないだろう。
後は、母親の挙動だけだった。
それを思うと、余計に父親を見たことを自分の口から話すことはできない。下手に話してしまって、母親に違った先入観を与えてしまうのが怖かったからだ。
それに、
――知らなかったのは自分だけ――
という状況を母親に作りたくなかった。
本当は、見たことを素直に話すのが、自分では一番楽なのだが、そうなると、同じ離婚するにしても、修羅場が修羅場を呼び、収拾がつかなくなってしまうのが怖かったのだ。
途中までは上杉の思惑通りに進んでいた。
しかし、その計算が狂ってきたのは、相手の女性の正体が分かってからのことだった。
相手の女性はヒステリックでわがままだった。
本当に父を愛していたのかどうかも分からない。父の何かを奪いたくて近づいたようだった。
子供の上杉にはそれが何か分からなかった。
当事者である父にも、
――まさか、彼女がそんなことをするはずなどない――
と思っているからなのか、まったく気づいていないようだ。
子供でも、何か奪おうとしていることくらいは気が付いたのに、当事者になって、本当に相手を好きになってしまうとここまで盲目になってしまうのか、子供から見れば、
「ただのバカ」
にしか見えなかった。
後から事実を知った母親は、激怒した。プライドを傷つけられたのか、泥棒猫に引っかかった父親に対しての憎しみから、本人も訳が分からなくなっているのか、ヒステリックは最高潮だった。
それでも、さすがに母親が一番大人で、激怒した状態でも、根本的には冷静だった。
もうその頃には父に対しての愛情など、欠片も残っていなかったのかも知れない。女というのは、冷めてきてしまうと早いもので、切り替えも早くできるようになると、相手の思惑も見えてきたのだろう。
この時の言い争いは、まさしく相手の女との最初のバトルだった。
いくらなんでも、一度だけで終わるとは思えない。最初のバトルの一番気になるところは。どちらが冷静なのかということだ。
普通に考えれば、冷静なのは乗り込んできた方だろう。
乗り込んでくる方と、乗り込まれる方、負けたことによって失うものの大きさはどちらが大きいかということは、誰が見ても明らかだった。
――お母さんには勝ち目はないか――
そういう意味では、最初のバトルは相手の女が勝つことになるだろう。
子供の頃にそこまで分かっていたわけもないので、大人になって思い出した時、自分が分かっていたつもりで思い出すと、もっとたくさんのことが思い出せそうに思うから不思議だった。
下手をすれば、あることないこと、着色して思い出してしまうかも知れない。しかし、思い出しても何かが変わるわけではないので、それはそれ、悪くはないと思えた。
「あなたには分からないのよ」
――どういう意味だろう?
今でも、上杉にはその時の言葉は謎だった。
十中八九その時の声は母親の声だった。相手の女の声ではない。
普通に考えれば、
「家庭を持ったこともないようなあなたに、私たちの気持なんか分かるはずはない」
という意味なのだと思ったが、今の上杉には、その時の母の心境がこれであれば、明らかに矛盾していると思えた。
この言葉は、自分にとって、「最終兵器」であり、「奥義」のようなものではないか、ここぞという時に使ってこその「伝家の宝刀」、それをあっけなく口にしてしまうのだ。
もし、相手に引導を渡すつもりで口にするのであれば、もっと冷静に、いや、これ以上ないというほど冷静でなければ、効果のない言葉である。
そのためには相手を追い詰めて、追い詰められた相手に対して、
「これでもか」
という追撃がダメ押しにならなければいけない。
それをまるで取り乱したように、ヒステリックに口にするというのは、せっかくのミサイルを、燃料も積まずに、発射したようなものだ。不発弾となってしまうだろう。
だが、ただ不発弾として終わるだけでは済まない。最初は、
「しまった」
という程度の後悔が、次第に大きくなってくると、トラウマになって残ってしまうほどの大きなものになる。
――お母さんが、そんな初歩的なミスを犯すなど考えられない――
その証拠に、奇声が聞かれたのは、その時が最初で、結局、別れることになって、その女性を見ることがなくなるまでに、一度も母親から奇声が聞かれたことはなかったのである。
いまだにその時の奇声は謎であるが、そのために、上杉の方で、その謎がトラウマとして残ってしまった。
ただ、あの時に母親が奇声を発したのは、わざとではないかと思っている。何か最初に相手に対して自分のイメージをミスリードするために計算された出来事だと思えば、それ以降の母親の行動に、矛盾点は見つからない。一度の矛盾が相手に植え付けた印象を、息子には聞かれていないと思ったことで、成功させてしまったのだとすれば、母親は息子が感じているよりも、かなりしたたかな性格なのだろう。
「俺にもあの血が流れているんだ」
そう思うと、背筋に悪寒が走り、ゾクゾクしたものを今でも思い出すことができる。
近い過去に同じような思いをしたような気がしたが、それがいつだったのか思い出せないほど、この気持ちは時々起こっているものであり、自分の中で自然な感覚を有していたのだ。
父と母が離婚したのは、それから少ししてのことだった。
円満離婚とはいかなかったのは、子供のことと、金銭面での揉め事だった。お母さんはすでにお父さんに対して愛情をなくしているようだったし、お父さんも最初から覚悟をしていたようだ。
お父さんを見ると、神妙な面持ちだが、ショックを受けている様子ではない。最初から覚悟でもしていたかのような雰囲気に、
――それなら、あの時の顔は何だったんだ?
息子が黙っているということを言った時に興奮していた意味が分からなくなった。
あれは、不倫を息子が認めたことへの安心感ではなかったのか?
いや、安心感というのであれば、興奮するというのもおかしい。ドキドキしていた気持ちがホッと胸を撫でおろす時が、安心感と言えるのではないだろうか?
あの時の父親の心境は今だったら少し分かるような気がする。
「お前もやっぱり俺の息子だったんだな」
と言いたかったのだろう。
つまりは、一人でも分かってくれる人がほしかった。それだけ寂しさを募らせていたということなのだろうが、どうしてそのことに気づかなかったのかというと、好きな女性と一緒にいるにも関わらず、分かってくれる人が他にもほしいという感覚が分からなかったからである。
不倫相手は女であり、奥さんであるお母さんも女である。当事者は皆女、しょせん男の立場で考えてくれる人はいない。
こんなこと誰に相談できるというものではない。相談したとしても、
「やめておけ。最後は泥沼だぞ」
と言われるのがオチだった。
そんなことは分かっているのだ。分かっているが、味方になってくれる人が一人でもほしかった。
それが、いくら子供だとはいえ、自分の血を分けた息子。同士のような気持ちになったのだろう。不倫の何たるかなど知る由もない息子に同士だなんて、バカげた考えを持った父親は、本当にどうかしているのだ。
やはり案の定、泥沼の離婚劇、父に残されたのは、慰謝料と月々の養育費だった。円満離婚とは行かなかったのは、その金額と息子への面会権で揉めたからだった。
母親は、断固として面会権を認めたくないようだったが、離婚調停で最終的には、制限付きで認めざる負えなかった。さすがに慰謝料と養育費は折れなければいけなかったが、調停で最終的に決まったことなので、あとは、離婚届を提出するだけだった。
息子の上杉は、そんな泥沼の状態を目の当たりにしたわけではないが、
「離婚は結婚の何倍も体力がいる」
と言われている通りの体力の消耗は、母親を見ていればよく分かった。
住んでいたマンションは、慰謝料としてそのまま住むこととなり、父親だけが家から出て行った形になった。
母親は精神的に立ち直ると、さっそく仕事を見つけてきて、二人だけの生活に入ったのだ。
そんなことが小学生の頃にあった上杉は、中学に入ると、あまり母親と話をしなくなった。
誰にでもある思春期や反抗期、母親は生活を支えることに必死になっていたこともあって、さほど息子を心配することもなかった。
上杉も、子供の頃に感じた理不尽をずっとトラウマとして持っていたこともあって、思春期には、自分なりに悩んだりしていたようだが、トラウマが却って一人で考える時間に役立たせたようだ。
上杉にとって、母親だけしかいないという思いは、寂しさを感じさせたが、不倫相手と最初に面会した時、一人孤立していたことを思わせた。
――あの時、お母さんは、息子に自分の孤独な姿、つまりは、表から見た時の孤立無援を知られたくなかったんだ――
と感じた。
自分の部屋に引きこもらせたのも、息子の視線を感じることで、少しでも自分の弱みを見せたくないという思いもあったに違いない。
相手の女には失うものは何もない。女の様子を見ている限り、本当にお父さんを愛していたのか、疑問だったからだ。
実際に、お父さんは離婚して少しの間、その女と同居していたようだが、二年も経たない間に、お父さんは女のところを出て行った。完全に孤立無援になってしまった。
上杉はそんな父親を情けないと思う。しかし、可愛そうだとは思わない。自業自得だと思っている。しかし、そこまで考えると、最初に不倫相手を見つけたあの時、、
「お母さんには言わないで」
と言った時に、上杉が了承したのを見て、興奮した様子が思い出され、その理由が分からないことを上杉自身に、
「どうしてなんだ?」
と語り掛けた。
思春期における上杉の感じていたトラウマというのは、まさしくその時の父親の取った興奮していた態度だった。孤立無援になることを嫌ったはずなのに、結果的に孤立無援になった父は、本当に愚かなだけなのだろうか?
――そんなお父さんと、血が繋がっているんだ――
と思うと、トラウマは自分も孤立無援であることを教えてくれる。
後にも先にも、そんな興奮した顔をしたお父さんは初めて見たと思った。気が付けば自分も興奮していたような気がする。それだけに孤立無援を怖がっていると思ったのだが、その思いが間違いだったのだろうか?
お父さんにとって、お母さんの存在、そして息子の存在、そして不倫相手の女性の存在、今から思えば、誰一人として、同じレベルで考えることがお父さんにはできなかったのだろう。
それができていれば、不倫なんかしなかったかも知れない。少なくとも、母親と子供のレベルが違っていたことが問題だったのか、それとも、母親に対して、
「息子の母親としての存在、それとも自分の妻としての存在」
男にとって、この思いは避けて通ることのできないものなのではないだろうか。
思春期の頃の上杉が、異性に興味を持ったのは、他の人に比べて遅かった。中学時代には、ほとんど異性に対して、男としての興味は持っていなかった。女性というものは、
――汚らわしいもの――
という意識が強く、母一人子一人で育ててくれている母親まで、汚いものを見ているような気がしたのだ。
汚らわしいというイメージは、父親の興奮した表情が思い出されたからだ。不倫相手に対してデレデレしたイメージで接していたように見えた父親が、息子に対して見せた興奮したような表情は、それこそ汚いものを見ているようなイメージを抱かせたのだ。
しかも、その不倫相手が厚かましくも、母親を訪ねてきた。その顔には憎らしいくらいの余裕が感じられ、子供の上杉にまで女のオーラを感じさせていたようで、憎らしさがその時から汚らわしいものに変わったのだ。
母親は、そんな不倫相手と二人きりで話をしていたようだが、その内容は子供の頃では想像もできなかった。高校生になる頃には、少しは分かるようになってきた。
――なるほど、これなら息子には見せたくないよな――
と感じさせるものだった。
修羅場とはまさしくこういう時のことを言うのだろう。お互いに相手の頬をひっぱたくくらいの攻防はあったかも知れない。聞こえてきた奇声はその時のものだったのかも知れない。
それでも、それ以上に発展しなかったのは、お互いに大人だったということなのか、それとも、百戦錬磨の不倫相手に対して、母親が冷静に対応したということなのか、後者だと思いたい上杉だった。
――大人って、どこからが大人なんだろう?
大学生になってから、そのことを分かるようになってきた。
相手に対して、どれほど気を遣っているかというのは、大人としてのバロメーターだとは思うが、
「相手に合わせているように見えて、巧みに自分のテリトリーに相手を引き込み、最後は納得させることができる頭を持った人を少なくとも大人というのだろう」
と、思うようになっていた。
実直な性格が悪いというわけではないが、少なくとも大人にはなりきっていないと思う。人によっては、
「自分が信じたことができないようなら、大人になんかなりたくない」
と言っている人がいるが、上杉には、その気持ちは分かる気がする。
あすなのようなシンデレラコンプレックスと言われる「男性依存症」の女性は、大人になりきれていない。上杉が思うに、大人にはなれないということなのだろう。
異性に興味を持ち始めた時、ちょうど目の前にいたのがあすなだった。
上杉は、大人の女性に対しては、まだ汚らわしさを感じていた。自分の私利私欲だけのために動いているように思えたからだ。ただ自分の母親だけは違うと感じ始めたのは、
――女性は子供を産めば変わるのだ――
ということが分かったからだ。
上杉は、一人公園のベンチで佇んでいることが多かった。何かを考える時、公園のベンチから見える光景は目の保養だけではなく、子供を遊ばせる親の姿、ペットを散歩させる飼い主など、ほのぼのした光景が癒しになると思ったからだ。
最初はそのつもりで公園のベンチに佇んでいることが多かったのだが、そのうちにマンネリ化してしまったようだ。公園のベンチを見かけると、条件反射のように、身体に疲れを感じ、ベンチに座ることを欲していると感じると、気が付けば、座って目の前に広かる光景を見ていた。
そのうちに、身体のだるさを感じることもなく、ベンチに座っていたと思うことも多くなり、それだけ歩きながら何かを考えていた証拠なのだろうが、普段から何も考えていないようで、結構考えていることに気づいたのは、公園のベンチで佇むようになってからのことだった。
公園で子供を遊ばせているお母さんたちは、今まで自分が知っている「異性」とは違うものだった。
別に汚らわしいとは思わない。だからといって、異性を意識させない「おばさんたち」とも違っている。
――ほのぼのとした光景を見たい――
と思っていた光景が目の前に広がっているだけだった。
無邪気に遊ぶことも相手に、母親も無邪気だった。
「お父さんが不倫に走った気持ち、分からなくもないかも知れない」
本当は、そんなことを感じてはいけないはずなのに、どうして感じてしまったのだろう?
これも、絶えず何かを考えているために、先読みしてしまった自分が発想したことなのだろうか。
上杉は、目の前で子供と無邪気に遊んでいる母親をほのぼのした気分で見ていたはずだったが、いつしか、その顔に母親を見た気がした。
――あの無邪気に走り回っている子供はこの俺で、それを温かい目で見守っているのがお母さん……
そう思って見ていると、女としてではなく、違うフェロモンが出ていることに気が付いた。
――これが母性本能というものか――
そんなお母さんが、お父さんの不倫相手と二人きりでバトルをした時、息子の自分にその姿を見せたくないと思った気持ちも分かる気がした。
――子供にとって、親の温かい目が忘れられないように、母親にとっても、昔公園で感じた無邪気で自分を慕っている子供の目を忘れられないんだ――
と感じた。
だからこそ、子供に自分の豹変ぶりを見せたくないというのと、そんな自分を見て、子供がどんな目をするか、それが一番怖かったのかも知れない。
公園のベンチは、高校時代の上杉にいろいろなことを教えてくれた。
毎日同じ光景が繰り返されているだけなのに、毎日少しずつ何かが違っている。それはまわりの変化を感じているのではなく、自分の成長が、微妙に違う高さに見せているのだ。
普通なら、そんなことには気づかないだろう。毎日のように繰り返していると、マンネリ化することで、
――何かが違う――
という意識を持たない限り、永遠に分かることはないに違いない。
そのことを知ったからと言って、それがどう影響してくるのか分からなかったが、知らないよりも知っていた方がいいに決まっている。
そのことが、絶えず何かを考えている自分を裏付けているようで、上杉は公園のベンチで佇むことをやめることができなくなった。
「あの子、また来ているわ」
と、ママさんたちの間で噂になっているのも分かっていたが、それは自分だけではなく、いくつかあるベンチの反対側に、やはりいつも来ている人がいるのに気が付いた。
しかし、その人は年配の男性で、定年後であることは分かっていた。本当であれば、
――寂しい人生を歩んできたんだろうな――
と感じるか、あるいは、
――ずっと仕事人間で通してきて、退職した後、気が抜けたようになってしまったのかも知れないな――
と感じることだろう。
「俺はあんな老人にはならないぞ」
と、その人に対して敵対意識を持った目でいつの間にか見つめていたことに気が付いたのは、公園で佇むようになって三か月くらい経ってのことだった。
その老人を気にするようになってから、大きく変わったことがある。それは、
「今までの三か月はボーっとしていたことが結構長かったと思ったのに、あの寂しい老人に気が付いてからの三か月はあっという間だったような気がする」
と感じたことだ。
「まるであの老人に、若さを吸い取られそうだ」
それはその老人に時間を吸い取られているように感じたからだが、どう考えてもあんなにくたびれた老人に、そんな力があるとは思えない。要は、自分の気の持ちようということではないだろうか。
しかし、その発想は逆だった。
その老人に気が付いたから、時間があっという間に進んでいるように感じたのだ。
もし、あのまま老人に気づかなければ、毎日少しずつ変わっていたことも、時間の流れという感覚も感じることがなかっただろう。
つまりは、その老人は上杉にとっての「反面教師」であった。
――あんな老人にはなりたくない――
という思いが、自分の成長を顧みさせて、最初は成長をどのようにして感じればいいのか分からなかったが、考えていくうちに、毎日の目線が少しずつ違っていることに気が付いた。
単純に、気が付いたことと、自分が意識したことを並べて考えればよかったのに、それをすぐに並べて考えることができなかったのは、老人の存在を今まで意識することができなかったことと、時間の長さの違いに違和感を必要以上に感じなかったことから結びつかなかったのだ。やはり、公園でじっとしていた間、考えているようで、何も考えていなかったのかも知れない。
――すべては、結果から後付けで自分が納得したこと――
それが、自分の考えなのだ。
時系列はあっていても、ピンポイントの時間にはずれが生じている。何とも不思議な感覚だった。
当時、上杉の母親は昼間、近所のスーパーでパートをしていた。
勤め始めて三年くらいは経っているパートだったので、店長や後輩からの信頼も厚かった。パートではあるが、フロアサブマネージャーのような肩書があるらしい。副主任と言ってもいいだろう。
フロアマネージャーはさすがに社員が賄わなければいけないので、そこまではいかないが、店長ですら一目置くほどの立ち位置と、母親の言葉には説得力があったようだ。
その大きな理由は、離婚したことによって、子育てママの視線でものを見ることができたことだった。実際に、子育てのためにパートに出ている人もいたが、彼女たちはあまりにも立場と立ち位置が同じなので、どうしても同じ目線からしか見ることができない。
その点、家族がいる中で小さい頃の上杉を育ててきた経験、さらには、離婚してからの子供への配慮など、いろいろな目線を持っている母親は、他の人と比べて、若干柔軟な目線を持っていたことが、いろいろなアドバイスを行える元になっていたのだ。
「上杉さん、正社員にならないか?」
という話も出てきていた。
母親は、夜も毎日ではないが、週に二度ほど、スナックでお手伝いのようなこともしていた。
店長はもちろん、スーパーでの同僚は誰も知らなかったことである。
スナックではお手伝いと言いながらも、母親を目当てにやってくる常連客も少なくはなく、
「あなたに今辞められでもしたら、うちは困ってしまうわね」
と、常連客の多さに満足しているかのように、ママさんは言った。
もちろん、大げさではあるが、それだけやりがいもあるし、嫌々やっているわけではないと思えることが長続きの秘訣でもあった。
実際には、スーパーのパートの仕事よりもスナック勤めの方が長かった。ママさんは結婚している時からの知り合いで、離婚後相談すると、
「しばらく、ここを手伝ってくれればいいわ」
と言ってくれていたが、そのしばらくが、すでに三年以上経っていたのである。
スーパーのパートも、嫌々やっているわけではない。その礎になったのは、明らかにスナックでのお手伝いだったのだ。
――私って、働くことが好きなのかも知れないわ――
離婚して、とたんにお金に困ることになり、思春期の息子を抱えることになってしまったというネガティブな考えは、最初からなかった。
あったのは、
「とにかくまずは動くことから始めよう。初めてみると、案外動けるもので、動きながらいろいろ先が見えてくるようになった」
という思いだった。
スナックのママさんは、母の味方だった。いや、正確にいうと、いい相談相手だった。的確なアドバイスが母を何度も救ってきたのが、その証拠だと言えるだろう。
「母の味方」
という見解は、外部から見たもので、母の立場からすると、
「いい相談相手」
だった。
意味合いは似ているが、感じる印象はかなり違っていたことだろう。
母はスナックでもスーパーでも献身的に働いた。スナックというところは、いろいろな人が働いているが、やってくる客もいろいろいる。スーパーの場合は、働いている人には様々な事情はあっても、スーパーで働く人は、スナックで働く人よりも、考え方の面で限られた人が多いと言えるのではないだろうか。
したがって、母のように献身的な女性は、スナックではそれほど目立たなくても、スーパーでは目立つ場合がある。特に雇い主から見れば、献身的な人にはどうしても好意的な目で見てしまうのは仕方のないことだろう。
どうしても、パートというと、自分の生活が切実な問題になってくるので、人のことや細かいことに構ってられない場合がある。雇い主としても、それは仕方のないことだと思っているに違いない。
「普通に、そしてこちらの期待している程度の仕事さえしてくれればそれでいい」
というのが、雇い主の本音であろう。
そんな中で上杉の母親の献身的な態度は目を見張っていた。
やはり、スナック勤めで培った感覚は、生きているのだろう。
何と言っても、対面式のカウンターを挟んでの一対一の会話が多い場所。相手は仕事仲間には言えないような愚痴のような話を聞いてほしいと思ってやってきている人が多い中、相手に合わせながら、相手に癒しの思いを抱いたまま帰ってもらうことをモットーに働いてきたので、少々の仕事に対してん献身的な態度は、苦にならない。
むしろ、母親本人は献身的だと思っていないかも知れない。
「これが当たり前」
と思っているからこそ、見ている方には、余計に健気に見えているのではないだろうか。
スーパーの店長も、人に仕事を与えることはもちろんのこと、自分から率先して動くことも少なくなかった。他の人もそんな店長の背中を見て自分から動くようにはなっていたが、それが店長の人格から来るものだということを、母親には最初から分かっていた。
――こんな店長のいるところってそんなにないわ――
と思っていたこともあって、長く続けていけるパートを見つけられたと思ったのは嬉しいことだった。
店長には、奥さんと子供がいた。いわゆる既婚者である。
母親は最初からそれを知っていたので、店長を男性として見ることはなかった。
――自分は夫に不倫されて離婚に追い込まれた女なんだ――
という意識があったからだ。
どんなに魅力的な男性であっても、その人に奥さんがいれば、自分がその男性に手を出してしまうと、まだ見ぬその人を自分と同じ立場にしてしまう。そんなことは許されることではなかった。
母親は分相応という言葉を自分はわきまえていると思っている。
この場合の分相応というには、
――自分は夫に不倫されて離婚に追い込まれた女なんだ――
という言葉そのものである。
そんな母親だったが、ある日突然、豹変した。
店長のことが好きになってしまったのである。
「俺、上杉さんのことが最初から気になっていたんだ」
「でも、店長には奥さんと子供が」
「実は、もう何年も妻とは夫婦のような関係ではないんだ」
ということは、自分が勤め始める前からということではないか。
「でも、お子さんは?」
「妻になついてしまっているので、俺は孤立してしまったんだ」
母親の胸に、店長の言った、
「孤立」
という言葉が響いた。
もしそれが孤独や寂しさという言葉であれば、女心はくすぐられるかも知れないが、母親には通用しないだろう。しかし、それが孤立という言葉を聞くと、その下に、無縁という言葉を感じた。
無縁ということは、籍には入っていても、離婚状態も同様だと解釈できたからだ。しかも孤立という言葉、母親にとっては感慨深いものがあった。
母親は自分が子供の頃、一人の男の子と仲が良かった。まだ異性に興味を持つ以前の小学生の頃のことで、その子は、いつも学校の帰り、河川敷で絵を描いていた。
当時は、高度成長時代。オリンピックも終わり、大阪で万博が開かれて少ししたくらいの頃で、河川敷の向こう側には絶えず黒い煙を吐いているいくつもの煙突を見ることができた。
いわゆる光化学スモッグなどの公害問題が深刻化していた頃で、表では高度成長時代と言いながら、貧富の差は激しかった。
中小の工場は、いつ倒産するか分からない状態のまま、綱渡りのような操業を続け、工場から少し離れたところでも、油や化学製品の嫌な臭いが立ち込めていた。その少年は、そんな工場を、河原の向こうの河川敷から描いていたのだ。
母親は、
「お花とか、もっと綺麗なものを描けばいいのに」
と、彼が描いている横に座って、そう話しかけたことがあった。
前から気になっていたが、なかなか話しかける気分にならなかったのに、その時どうして話しかける気になったのかというと、ちょうど彼が描いている目の前の光景は、工場の煙突の間に真っ赤に燃える夕日が沈んでいるところだった。
綺麗だとは思わなかったが、今までの印象を覆されてしまいそうな雰囲気は感じることができたその光景を見た時、
「話しかけるなら今だ」
と感じたのだった。
――もっと、他に気の利いた言い方があっただろうに――
と、声を掛けた瞬間思ったが、声に出してしまった以上、後の祭りだった。
「うん、そうだよね。でも、俺はこの光景を描きたいんだ」
「どうしてなの?」
と聞くと、
「花とかは確かに綺麗だけど、変わってしまうものでしょう? 今は綺麗でも、綺麗なままではいられない」
彼はそこで一旦言葉を切った。
母親は、少し考えてから、
「だからこそ、綺麗な時期を描いてあげると思えばいいんじゃない?」
すると彼は、
「そうだよね。でも、それは他の人がやってくれる。ちゃんとそれをする人がいるんだよ。でも、この目の前の光景を描こうという人はそんなにいないだろう。俺は、『ちゃんとそれをする人というのが、この俺なんだ』と思っているんだよ。だから、ここで絵を描いている」
「それが何になるというの?」
「いいえ、何にもならないですよ。俺がこの絵を描いたからと言って、公害問題が解決するわけでもないし、貧富の差がなくなるわけでもない。だから、逆に描かなくても同じことなのさ」
「どういうこと?」
「要するに、俺は描きたいから描いているのさ。それ以上でもそれ以下でもないということさ。理屈なんてくそ食らえだ」
と、最後はゲスとも思える言葉を投げつけるように言った。
後で聞いた話だったが、少年は施設に住んでいて、学校の帰りの自由な時間だけを使って、絵を描いているという。どうして彼が施設に住むようになったのかというと、それは少年の父親は、工場からの下請けの小さな町工場を営んでいたが、親工場の業務縮小によって、煽りを食った。そんな時の下請けの小さな町工場などひとたまりもない。結局工場は閉鎖。両親は首を括って心中したのだった。
少年は一時期、親戚をたらい回しにされたらしいが、最終的にはどこも面倒見切れなくなっての施設送り。要するに、親戚皆、両親ほどひどくはなかったが、どこもいっぱいいっぱいで生活していた。とても、扶養家族をもう一人抱え込むなど、できるはずもなかったのだ。
結局、たらい回しにされた末、その後どこにも頼る当てがなくなってしまったことで、施設に連絡を取ったのだ。
親戚の経済状態も調査した上で、少年の施設送りは決まった。いわゆる
「転落人生の典型」
と言えるのではないだろうか。
いや、転落というのはまだ早すぎる。絵を描いていう少年の後姿には、鬼気迫るものもあったが、純粋に絵が好きだというのも垣間見えたからだ。
だが、最初に出会った時の母親には彼のそんな事情など分かるわけもない。ただ、少年が描いている絵を後ろから見ていたが、さらに見ていたくなったのも事実で、河川敷に彼と隣り合わせで座ったのだ。
少年の描いている絵と、目の前で稼働しているリアルな光景を見ていると、どこかが違っている気がした。それは彼が絵が下手だからだというわけではない。むしろ、細部を確認しながら見れば、忠実に描かれているように思えたのだ。
――どうしてなんだろう?
母親はそう思いながら目の前に広がった光景と、スケッチブックに描かれた絵を見比べた。
――なんだ――
自分はその絵を横から見ている。実際の光景は正面からしか見ることができない。目線の違いが、絵とリアルな光景の違いを感じさせたのだと思うと、こんな簡単な錯覚に気づかなかった自分が恥ずかしかった。
そう思って今度は後ろから見てみた。思ったとおり、間違い探しのクイズのように、ほとんど違いはない。
――本当に上手だわ――
と思った。
しかし、上手だと思ってみると、次第にやはり何かが違っているような気がしてきた。それまで目の前でリアルに絵を描いている人を見るのは初めてだったこともあったが、それを差し引いても、彼の絵は上手にしか思えなかった。それなのに何かが違うと思うのはなぜなのだろう?
最初は横から眺めていた彼女が、急に後ろに回って眺めている。そしてその表情には、怪訝な様子が含まれていて、そこまでくれば、少年も自分の絵に対して、何かおかしな雰囲気を感じていることくらい分かるというものだった。
「何か気になることでもあるのかい?」
先に声を掛けてきたのは、少年の方だった。
「あ、いえ、正面の光景と見比べてみて、どこかが違うって思ったんです」
うろたえながら正直に答えた母親は、その時点から、少年に「呑まれていた」のかも知れない。
「やっぱり気づきましたか? それはそうでしょうね」
と少年の方も、悪びれる様子もなく、むしろ照れ隠しの様子で、苦笑いをしていた。
「どういうことなんですか?」
「実はこの絵、目の前の光景を描いているんだけど、俺はそのつもりで描いてはいないんだ」
「えっ?」
ますます言っている意味が分からない。
「確かに題材は目の前の光景なんだけど、それはあくまでもベースという意味で、目の前に写っている光景をそのまま描いているわけではないんだよ。自分の中には妄想するものがあって、妄想した世界のものを描いているのさ。だから、よく見ると、煙突の数も違っているし、ここに描いたものだって、実際にはないだろう?」
彼の言われたところを見ると、確かにいう通りだった。煙突の数は、二本も少ないし、彼の描いているものは、実際の光景のどこにもないものだった。
「どうして、そんな描き方をするんですか?」
「絵を描くことに対して、何かルールでもあるんですかね? 僕は別に絵画の勉強をしたわけではないので分からないけど、思ったものを描いてもいいんじゃないかな? 有名な画家だって、話だけを聞いて、ショックに感じた感情から、発想、いや妄想を巡らせて描くことだってある。ピカソのゲルニカなんて、その典型なんじゃないかな?」
母親もピカソのゲルニカくらいは知っていた。ただ、その絵のエピソードに関してはウワサのような感じで少し聞いただけなので詳しくは知らない。
「天才肌の人ってそういう才能があるんでしょうね」
というと、
「いやいや、確かに生まれつきの才能を持った人は確かにいるけど、中にはそれに気づかずに才能が開花されずに一生を終わる人もいるんじゃないかな? そう思うと、本当の天才はもっとたくさんいるのかも知れない。その人が才能に開花できるかということが、本当に本人次第なのか、それとも何か見えない力に委ねられるところがあるのか分からないけどね」
「あなたは自分を天才だと思いますか?」
「そんなことは思わない。むしろ天才というよりも、天才でないところから、天才と言われる人を追い越してみたいと思う方ですね。だから、持って生まれたものなんかないことを祈っていますよ」
「ということは、今は目の前の絵をアレンジして描くことをしているようだけど、今後は、本当のオリジナルを描いてみたいと思っているということなの?」
「そういうことだ。分かってくれて嬉しいよ」
そう言って、二人はしばし見つめ合った。母親にとって、異性に興味を持つ前に感じた不思議な感覚ではあったが、ずっと心の奥にあって、根本的な考えの元になってしまったのを感じていた。
その少年とは、それからちょくちょく河川敷で出会っていた。ここに来れば彼がいることは分かっていたし、時間も夕方の夕暮れ時、風が止まっている夕凪の時間が一番果然時期から見た光景が美しく見える時間帯でもあった。
母親も次第にこの時間のこの場所が好きになってしまった。
少年がいようがいまいが河川敷を訪れるようになった。少年が来るのは三日に一度くらいだっただろうか。パターンが分かってくると、待っているのも楽しみになるというものだった。
母親は彼の絵を見るのが好きだった。出会ってから一年くらいは、三日に一度の枯野を見ていると、どこか安心している自分がいた。
しかし、一年くらいして、彼が河川敷に来ることはなくなった。最初は、
――どうしたんだろう?
と心配していたが、考えてみれば無理もないことだった。
元々彼は風景をそのまま忠実に描いていたわけではない。ベースがあってアレンジを描いていたのだ。そして、いずれはオリジナルを描きたいと言っていた。やっとオリジナルを描けるだけの自信がついたのかも知れない。
そうなると、この場所にくる必要性は何もない。むしろ、ここで工場の光景を見ていると、せっかくのオリジナルの発想の邪魔になるというものだ。
そう思った母親だったが、すぐにはその場所を見切る気がしなかった。
彼が来なくなってからも半年ほどは毎日ここに来ていた。
そして半年経ってある日、急に思い立つことがあって、その場所に来ることは二度となかった。
その思い立ったというのは、
――一番最初にここに来た時に比べて、かなり光景が違ってきた――
という思いである。
煙突は二つほどなくなっていて、しかも、以前はなかったところに何か施設ができている。
――この光景――
何と、少年が最初に描いていたものではなかったか。
一年半の年月を経過して、あの時の絵がリアルに復活したのだ。目の前にあの絵がないのでハッキリ同じとは言えないが、明らかに母親が意識したとおりの光景だった。
――あの子、まさか予知能力者?
そう思うと、母親はゾッとした気持ちになった。
すると今度は、
――本当にそんな少年はいたんだろうか?
と考えてしまった。
突飛すぎる発想であるが、目の前の光景を見て、自分が思い込みで彼の作品を見ていたこと自体、すべてが幻だったと思うことは、一連の流れを自然に受け入れるよりも難しいことになるのであろうか。
――いや、あの子は孤立無援だったんだ――
母親がそう思うようになったのは、母親が中学生になってからのことだった。会わなくなってからかなりの時間が経っていた。
母親は、その時から、
「孤立無援」
という言葉に敏感になっていた。
ただ、今まで自分の周りに本当の意味での孤立無援の人はいなかった。それがいいことだったのかどうか分からないが、そのおかげで、その時の少年のことを思い出すことはほとんどなかった。
どうして子供の頃のことなど思い出したのか、母親には分からなかったが、もし店長と結婚するのを考えたとすれば、背中を押してくれたのは、その時の少年だということになるのだろうと、母親は思っていた。
母親が店長と再婚を決めたのは、その時の「孤立」という言葉で、少女の頃に出会った少年を思い出したからだろう。
上杉としては、母親が再婚することに対して別に反対も賛成もしていなかった。
「そうか、よかったじゃないか。母さんも今まで俺を育てるのに苦労したわけだし、そろそろ自分の幸せを考えてもいいんじゃないか?」
上杉は自分でいいながら、
――まるで教科書のような返答だな――
と思い、思わず苦笑いをした。
その様子を見て母親がどう感じたのか、上杉には分からなかった。
「まるで他人事なのね」
それが母親の本音だった。
その言葉を聞いて上杉は一瞬ハッとしたが、
――ああそうか。他人事なんだ――
と、別に悪びれた気分にもならなかった。
むしろ、その時初めて、
――親子でも他人事に思えることってあるんだな――
と感じた。
別に本当に他人になるわけではない。ただ、そう感じたというだけのことである。きっと他の人がこの会話を聞いていると、親子の会話に見えないかも知れない。二人とも、心ここにあらずといった雰囲気だったからだ。
「俺、一人暮らししようかと思っていたので、ちょうどいいかも知れないな」
少しの沈黙の後、思い出したように上杉は言った。その沈黙というのも、上杉はそれほど時間が経っていたような気がしてはいなかったのに対し、母親の方は、まるで一時間くらいの沈黙を感じていて、息苦しさを感じるほどだった。
なぜ、これほどの沈黙の時間に差を感じたのかというと、二人の見えている時間軸に違いがあったからだ。
上杉は最後に話した時間からの沈黙を感じていたのに対し、母親は沈黙に対して前しか見ていなかった。つまり、
――この沈黙、果てしなく続くような気がする――
と、先しか見ていないことで、果てしない闇が見えていたのだろう。
元々先を見ていたわけではない。上杉のように沈黙からの時間を見ていたのだが、そのうちに、沈黙からの時間に対して距離感を計っているつもりで、途中から、前が気になってきた。軽い気持ちで前を見たために、前にあるものが果てしないものであることに気が付いた。再度後ろを振り向くと、今まで捉えられていたはずの沈黙からの距離感がマヒしてしまっていた。その時初めて自分が孤立してしまい、前を向いても後ろを見ても、どちらに進んでいいのか前後不覚の状態に陥ったと言ってもいいだろう。
その感覚は、渓谷に架かった簡易な梯子でできたような橋を渡っている時のような感覚に似ていた。
「前だけを見て渡るんだ。決して下を向いてはいけない」
と言われて、渡っている時、どうしても足元が気になり下を向いてしまった時、自分ならどう感じるだろう。
――今自分がどこまで来たのか、気になってしまう――
と感じることだろう。
すると、思わず後ろを振り向いてしまう。そして愕然とするに違いない。何に愕然とするのかというと、だいぶ歩いてきたはずなのに、前を向いても後ろを見ても、どちらも同じくらいの距離にしか見えなくなる。そして、何度も前を向いたり後ろを見たりしているうちに、どちらが自分の進むべき道なのか分からなくなるだろう。そうなると、一歩も足を動かせなくなってしまい、その場で立ち尽くしてしまう。いや、本当は座り込んでしまいたいのだが、それもままならないほど、頭の中はパニックに陥り、座り込むことで、下の光景を再度見なければいけないと思い、恐ろしくなるのだ。
もし、もう少し冷静になれれば、もう一度、下を見たかも知れない。それはショック療法のようなもので、
「一度見たことで陥った恐怖を取り除くには、再度同じ状況を作り出すという方法もある」
大学で心理学の講義を受けた時、そんな言葉が印象的だった。
まさか、妄想の中でそんな言葉を思い出すことになるとは思ってもいなかった。これも妄想の中で思い出したのではなくて、その言葉が根底にあったことから、こんな妄想をしてしまったのかも知れないとも感じられた。
上杉は大学に入り、深層心理について考え深いものを持つようになっていた。子供の頃から妄想癖があるのを感じていたことで、心理学の講義などは、特に興味を持って聞くようになった。
図書館で本を借りて読んだこともあったが、さすがに専門書を読破できるほどの知識はなかった。それだけに講義を受けて感じることはすべてが新鮮だったのだ。
あすなが白馬の王子様の出現を待っているようなシンデレラコンプレックスを持っていると感じるようになったことも、上杉に深層心理について考え深いものを持つようにさせたのかも知れない。
本当なら、あすなのことを好きになってもいいと思っていたが、どうしても好きになる気がしなかったのは、あすなの中にあるシンデレラコンプレックスを感じたからだった。
どうしてあすなにシンデレラコンプレックスが宿るようになったのか、それを考えた時、一番最初に浮かんできたのが、自分の母親のイメージだった。
――母親とあすなは似たところがある――
と感じたのだが、それがどこにあるのか、具体的には分からない。
あくまでも漠然とした考えだったが、心理学を独学であるが、研究すればするほど、その奥が深いことを感じさせられた。
だからと言って、こんな中途半端で考えるのをやめようとは思わなかった。なぜなら、ここで研究をやめるということは、渓谷に架かった梯子のような簡易な橋の途中まで来ていて、足元を見てしまったために、行くことも戻ることもできず、途方に暮れてしまった自分を想像することになるからだった。
母親とあすなの似たところを考えた時、まず浮かんできたのはシンデレラコンプレックスのイメージだった。母親にも同じようなシンデレラコンプレックスがあるようにはどうしても思えない。息子としての贔屓目もあるからなのかも知れないが、それよりも、母親の中にあるシンデレラコンプレックスを認めるということは、再婚しようとしている人に白馬の王子様を見たということになる。
――そんなバカな――
という思いがあった。
母親が感じたのが、彼に孤立を感じたからだという具体的なところまでは分からなかったが、母親が店長を見る目に妄想が浮かんでいたのは確かだった。それをシンデレラコンプレックスと見間違えたのだとすれば、上杉の考えも浅はかである。
確かに、あの時の母親の目は、
「心ここにあらず」
というイメージで、何かを妄想していたのだが、それがまったくの架空への想像なのか、母親が本当に感じていたような過去の思い出と現実を重ね合わせたために抱いた妄想なのかの違いは分かりずらいだろう。
しかし、妄想というものに、過去に遡る記憶に本当に制限はないのかと上杉は考えていた。
母親がどうして店長を好きになったのか、その理由が小学生の頃に感じた河川敷の少年と頭の中で重なってしまったことが一つの引き金になったということを、母親自身が話してくれた。
「お母さんは、お前に分かってほしいとまでは思っていないけど、お母さんのような発想をしたり、妄想を抱いて、そこから誰かを好きになるということだってありうるということをお前に理解してほしいと思っているんだよ」
と言っていた。
店長との仲については、どうしても許すという心境にはなれない。別に反対だというわけではないのだが、手放しに喜んでみたり、笑顔で賛成することはできないということだった。
それは母親にも分かっていることだろう。
「お母さん、気持ちは分かります。僕もお母さんの気持ちを分かりたいという気持ちが強いこともあって、大学では心理学を研究したりしている。学問と本当の心理が一致するとか思えないけど、参考にはなるだろう。人それぞれ、人の数だけ心理の幅は存在する。そう思うと、気持ちを理解し合えるというのは、分かり合うための第一歩なのかも知れないと思うんだ」
――まずは、理解することで、そのあと分かり合う――
言葉は似ていても、段階を踏む中で順序がある。母親との話の中で上杉はこのことを理解した気がした。それからしばらく心理学の本を読んでいるうちに上杉は、自分の考えていた理論にピッタリ嵌るような、そんな本を見つけた。
「本当に、俺の発想と似た学説があるんだ」
学説としては弱いもので、この本を描いた研究者の著書はこれだけだった。
だが、上杉はこの先生に興味を持った。大学の心理学の先生に話を聞いてみたが、この作者のことを知っている人は誰もいなかった。
本も莫大な数の中の一冊というだけで、完全に埋もれているものだった。
しかし、その学説は比較的最近に書かれたもので、埋もれるには少し早い気もした。
――一体どんな先生なんだろう?
上杉は考えていた。
その作家の名前は忽那哲司という名前だった。その人の著した本は、奇妙な本だった。心理学の本なのに、まるで絵画や芸術の本を読んでいるような錯覚を覚えた。学説の発想も絵を描いているかのようなイメージで、引き込まれるのはどうしてなのか、分からなかった。
絵を描いている場面はいつも同じ場所で同じ時間、場所は河川敷で、時間は夕方だった。ハッキリとは明記されていないが、夕凪を意識させる。目の前には工場の煙突が絶えず黒鉛を吐いていて、目の前がキャンバスである時もあれば、スケッチブックであることもある。
キャンバスの時は手に持たれているのは筆であったり、こてであったり、スケッチブックの時は鉛筆だった。
油絵の時と、デッサン画の時があるということである。
教授の顔は裏に写真入りで載っていた。白髪に髭を蓄えていて、白衣を着て笑っている様子は、明らかに老人であった。
上杉の母親が河川敷で絵を描いている少年と出会っていたなど、上杉は知る由もなかった。教授が老人であるのが分かると、その時の少年ではないのは明らかであるが、教授が老人であることに何となく違和感があった上杉だった。
母親が出会った少年は、実は亡くなっていたのだ。母親もそのことは知っていた。少年の命が短いということを本人が知っていたのかも知れないという思いは、そのままずっと母親の気持ちの中にあった。
もちろん、ウワサで聞いただけのことだったので、必要以上に気にしてはいけないと思ってはいたが、それよりも気になったのは、少年がもうこの世にはいないという話を聞かされた時が、母親が訪れた河川敷で見た光景が、知っている光景とは違っていたのを意識したすぐあとだったことだ。
――私がここに来たのは、何かの虫の知らせだったのかも知れないわ――
と感じた。
その時から、母親は自分がシンデレラコンプレックスに掛かってしまっていたことを気にし始めていた。もちろん、シンデレラコンプレックスなどという言葉を知っているはずもなかったが、絶えず妄想していて、その妄想の先に誰か自分を救いに来てくれる思いがどんどん膨らんでくるのだった。
父親と結婚した時の母親は、その時、それまでずっと感じていたシンデレラコンプレックスを忘れてしまっていた。別に結婚を焦っていたわけではないのだが、結婚したいから結婚を決めたのか、相手がいい人だから結婚を決めたのか、その時は分かっていたくせに、今では分からなくなっていた。
――それが分からないくらいなんだから、離婚もしょうがないわね――
離婚の表向きの理由は、夫の不倫だったのだが、もし夫が不倫していなくても、いずれは離婚していたかも知れない。子供がいるので、すぐにとは行かないとしても、息子が高校を卒業した頃には離婚を再度考えていたはずだ。
今思えば、離婚していた方が可能性が高いような気がする。その方が自分らしいと思うからだ。
――自分らしいってどういうことなんだろう?
それまでの自分の人生は子供のために頑張ってきた。それは母子家庭の母親なら十人のうち十人がそういうに違いない。
それを母親は、
――なんかわざとらしい気がするわ――
と思っていた。
わざとらしさがそのまま言い訳に繋がるような気がして、ではどう言えばいいのかということが分かるほど、自分の人生を分かっていないような気がした。
そんな時に思い出すのが、子供の頃に河川敷で出会った少年だった。
自分は年を取っているのに、少年は子供の頃のままだ。それは記憶の中のことなので当たり前なのだが、記憶の中に出てくるはずの少女は、想像している時の年齢の母親だったのだ。
「まるで夢を見ているようだ」
それはまさしくの「夢」であり、潜在意識が見せるものだという思いに、信憑性を感じさせる。
母親は高校を卒業して、すぐに就職したのだが、その時よく夢に見たのは、就職してからかなり経つのに、高校時代の夢を見ることだった。
その夢には二つのパターンがあり、まわりの友達は就職していたり、大学生だったりするのに、自分だけがまだ高校生だという思い出だ。この時は、高校を卒業して就職すると決めた後に、働くことに対しての不安から見せた夢なのだと思っていた。
逆にまわりの友達は皆高校生のままなのに、自分だけが就職しているのだ。母親は高校を卒業してからの進路を決める時、就職するか進学するか、最後まで迷っていた。その時のイメージが頭の中に残っていて見る夢だった。
どちらの夢が多いかというと、自分だけが就職している夢が多かった。そんな時、夢の中で急に場面が変わって、河川敷に座って絵を描いている少年と、その後ろから覗き込んでいる一人のお姉さんがいるのを感じた。その後ろ姿がまさか自分だとは思えないことから、
――あの子の絵のファンは、私だけではなかったんだ――
と思った。
だが、二人を見ていて、
――絵を描いている少年が自分の息子で、後ろから見ているのが母親になった自分だったら素敵だな――
と思ったのを覚えている。
この時の夢だけは、なぜか詳細に覚えている時が多い。自分の気持ちの移り変わりまで覚えているのだからすごいものだ。そのうちに自分が妄想しているのが、この時の夢の続きではないかと思ったことがあったが、
――この夢には、本当は続きがあったのかも知れない――
と感じるようになっていた。
夢に続きがあったのではないかと思ったことは今までに何度もあった。覚えている夢というのはそんなにたくさんあるわけではなく、その中でほとんどの夢が、
「ちょうどのところで目が覚める」
という思いが強くあった。
楽しい夢というよりも、怖い夢の方を覚えている方が圧倒的に多い。怖い夢を見ることの方が楽しい夢を見るよりもたくさんあるということなのかも知れないが、見ている夢の比率に変わりはないとすれば、怖い夢というのはそれだけ印象に残ってしまうものだと言えるのではないだろうか。逆に楽しい夢は、
「忘れたくない」
という思いが働いて、逆にそう思う方が余計に忘れさせてしまうという反対の作用を及ぼすのかも知れない。
そう思っていると、怖い夢の続きがどんなものだったのか、勝手な妄想をすることもあった。妄想はホラーであり、
「恐ろしいものに追いかけられ、自分が逃げている」
という場面が思い浮かぶ。真夜中ではなく、時間帯は夕方だった。
普段なら黄色く染まっている西日が、その時は真っ赤に夕焼けを映し出している。雨が降ってきそうに感じたが、その雨は血の雨だった。
最後に後ろを振り向くと、追いかけてきた恐ろしいものの正体を見ることになるのだろうが、結局は見ることができないように思えてならなかった。
夢の続きを見ることができるのは、過去の夢であり、その時に出てくるまわりの人たちはその当時のままで、自分だけが年を取っているのだ。
その時に考えることとして、
「この中の誰か、大人になり切れていないのではないか?」
という思いが頭を掠める。
大人になり切れていないというのは、
「子供のままでいる」
というわけではなく、
「永遠に大人になることができない。つまりは、この年齢で死んでしまったのではないだろうか?」
と感じるのだ。
だから、死んでしまった子供がゾンビになって、自分の夢の中に出てくる。夢を見ることを拒否はできないが、最後の瞬間まで見なくて済むように仕組まれている。
「それが私の中の夢の構造なのかも知れないわ」
と感じていた。
離婚してから、覚えている怖い夢を見ることが多くなってきた。離婚してすぐくらいは、ほとんど毎日だった。離婚してしまって襲ってくる脱力感のために、気持ちが折れていたこともあり、それが理由かと思っていた。離婚には強気だったが、離婚してしまうと、自分がどこにいるのか分からなくなり、まさに渓谷の梯子のような橋の上にいるようなイメージが頭から離れていない証拠なのかも知れない。
見るようになった怖い夢だが、渓谷の橋の上にいる感覚を味わうようになってから、前と後ろにいるのは、同じ恐ろしいものでも、恐怖映画に出てくるようなものではなくなっていた。
そこにいるのは、
「二人の人間」
だった。
前を見ると、自分がいる。しかもそれは小学生の頃の自分だった。後ろを見ると、そこにいるのは、河川敷で絵を描いていたあの少年だったのだ。
「前にも後ろにもいくことができない」
と思っていたが、進むとすればどっちがいいと思うだろう?
橋の上にいる人は、小学生の自分なので、身動きするのが恐ろしいのだろうが、客観的に見ている自分は夢を見ている現代の自分なので、少しは違って見えている。夢の中で小学生の自分に、語り掛けている、
「踵を返して、後ろに下がりなさい」
と言っているだろう。
前に進むということは、もう一人の自分に向かっていくということだ。夢であっても、同じ世界に同じ人間が存在していることを、無意識のうちに恐ろしいと感じている。
もし自分が後ろに向かって進んでいても、前に向かって進んだとしても、目の前にいる人は、自分が辿り着いた時点で消えてしまうような気がした。
後ろに下がって少年が消えてしまう分には問題ないが、前に進んで小学生時代の自分が消えてしまうと、橋を渡ってきた自分まで消滅してしまうような気がした。だから、後ろに下がることを客観的に見ている今の自分は判断したのだ。
そう思って夢を見ていると、今度は夢に出てきている人たちはすべて何を考えているか分からない。
いや、何も考えていないのだ。ただ、夢を創造している自分の感情に操られているだけ。辻褄の合わないことがあっても、それはそれで仕方のないことだ。
夢の中は真空状態のように、何も聞こえない。空間が音を吸収し、聞こえているのは、耳を通り抜けていく風の音だった。真空状態なのに風が吹いているというのもおかしなものだが、そもそも真空で意識があるというのがおかしいのだ。
しょせんは自分という一人の人間が創造した世界。どうにでもなるというもので、考え就かないことは、何も起こらないことにすれば、それで事足りる。
そんな夢を見るようになったことを知っているのは自分だけだと母親は思っていたが、なぜかもう一人知っている人がいた。それが上杉だったのだ。
離婚してしばらく毎日のように見るようになった渓谷を渡る橋の上の夢。前に見えているのが子供の頃の自分、そして後ろが絵を描いていた少年だと思っていたが、実はそこに写っていたのは、小学生時代の上杉だった。
上杉が思春期の頃に両親は離婚した。
上杉はその時思い出していたのは、家族三人の仲が良かった頃のことだった。
それが上杉の小学生時代の頃であって、思春期の傷つきやすい時に、小学生時代のことを思い出していると、安心することができる気がしたのだ。
いくら昔のことを思い出しても、両親の離婚が収まるわけではない。上杉が好きだったのは、母親の後姿だった。
ちょっとおどおどしたような自信なさげな様子だったが、子供の上杉には、逆に頼もしく見えた。不安に思っている自分の前にいつも立ってくれて、防波堤の役目をはたしてくれている。
「お母さん、いつもありがとう」
心の中でいつもそう呟いていた。
声に出すことはなかったのが、そんな時に見せる笑顔が母親にとっても癒しであり、安心感を与えられた。
橋の上から後ろを見た時に感じた少年、それは絵を描いていた少年ではなかった。自分が小学生に戻ってしまったことで、そこにいるのは少年だと思い込んだのだが、もし自分が今の自分であることを夢の中で理解していれば、後ろに立っているのが上杉であることは容易に分かるはずだった。
上杉は、時々母親と同じ夢を見ていた。もちろん、お互いにそんなことは分からない。あくまでも自分の夢に出てきている一人のキャラクターとしてしか思っていない。だが、上杉の見ている夢は自分が小学生になっているのに、目の前で立ち往生しているのが、まさか自分の母親だとは思えなかった。何しろ、相手も小学生の女の子であり、上杉はむしろ目の前にいる女の子を、あすなだと思っていたようだ。
夢を見ながら漠然と、
――あすなも同じ夢を見ているんだろうな――
と思ったが、それを確かめることはできなかった。
なぜなら、上杉は目が覚めた時には見ていた夢も、感じたこともすっかり忘れてしまっていたからだ。
ただ、夢の内容を覚えていることも稀にあった。しかし、何を思ったかまでは思い出すことはできなかった。
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