アレルギーと依存症と抗体と
森本 晃次
第1話 友達以上恋人未満
今年二十三歳になった井上あすなは、旅行会社で受け付けをしていた。昔から旅行が好きで、人と話すことも好きだったので、今の仕事には満足していたはずだった。しかしどうしても気になることとして、カップルでの旅行の対応が多く、シーズンにはそのほとんどが新婚旅行だったりするのは、ストレスを溜めてしまうことになった。
二十三歳というと、そこまで結婚を焦る必要はない。あすな自身も、
――別に結婚を焦っているわけじゃないわ――
と感じていた。
それでも幸せそうなカップルを見ると、どうしても自分が乗り遅れてしまったように思えてくるのが辛かったのだ。人のことをまるで自分のことのように、悩みなどを分かち合うことのできるあすなには、仕事において損な性格以外の何物でもなかった。
――このままでは、ノイローゼになってしまう――
同僚に話をしてみると、
「そんなの他人事じゃない。いちいち気にしていたら、身体がもたないわ」
と言われた。
そんなことは百も承知で、だからこそ悩んでいるんじゃないか。まわりの人に聞いてもらっても、らちが明くわけがない。しかも、皆の言うように本当に他人事だと感じてしまうと、今度は肝心の自分のこととなると、これも他人事に思えてしまっては意味がないというものだ。
一つのことを思い立つと、立場が変わっても一貫して考えてしまうのもあすなの悪いところである。それでもなるべく余計なことを考えないようにして、いや、考えないようにしなければいけないという意味でも、誰かにそばにいてほしいと思うようになった。
それは、結婚を意識するような人である必要はない。逆に仕事に関しては他人事で、それでいて、あすなのことをよく分かってくれている人、そんな人がいれば、余計な悩みによる労力を消耗することもなくなるだろう。
「都合よく、そんな相手なんているのかしら?」
と呟いてみたが、よく考えてみると、お誂え向きの人がいるではないか。
今までは、お互いに仕事が大変だろうから、あまり連絡を取っては悪いと思っていたが、こんな時こそ連絡してもいいだろう。
その人は大学時代からの親友のような人である。
――親友のような人――
という表現をしたのは、相手が男性だからである。
「男女間で友情というのは存在しない」
という考えを聞いたことがあり、その時からその言葉を信じていたあすなには、その人のことを「親友」だとは言えなかった。
その理由は、
「もし付き合っていた彼氏と別れたとして、彼氏と別れた後で、別れた人とそれ以降も友達でいることができる?」
と友達から聞かれた時、皆二つ返事で、
「無理に決まってるじゃない」
「そんなのありえないわ」
という言葉で一蹴するほどの愚問にしてしまったのである。
さすがに二つ返事とまでは行かなかったが、その場が質問者と二人きりであったら、あすなも、後者の「ありえない」と答えていたに違いない。
だから、あすなの頭の中で、
「友達以上恋人未満」
というのは、付き合い始めでしか考えられない。
つまりは、この言葉には、親友という発想はまったく含まれていないのだった。
――相談してもいいかな?
と思っている相手は、
「友達以上恋人未満であるが、親友ではない」
と言える相手だった。
相手がどう思っているかは分からないが、自分の中で彼のことを友達以上には思えないと感じると、相談するのも気が楽だった。相手がもし相談に乗ってくれるのであれば、それはあすなからの押し付けではないということを示しているからだ。
大学を卒業してから三年が経っていたが、その間に会ったのは二、三度くらいだっただろうか。そのすべてが卒業してから一年以内、ほぼ二年以上はご無沙汰ということになる。お互いに相手が忙しいのではないかと思っていたからだ。
一度そう思って連絡を渋ってしまうと、その後思い立ったとしても、自分から連絡を取ることはない。自分の殻の中に閉じこもってしまうからだろう。
子供の頃からの仲だが、ずっとお互いに異性として意識していないつもりでいた。友達としては、会話も弾むし、自分の期待している答えをキチンと返してくれる相手は、同性であってもなかなかいないだろう。
彼の名前は上杉昭雄、年はあすなと同じ二十三歳である。
そんな上杉があすなのことが気になって仕方がない時期が大学時代にあった。それは三年生の時で、それまで見たことがないような思い詰めた表情であすなを見つめると、彼はおもむろに口を開いた。
「あすなは俺とのことをどう思っているんだい?」
親友でも恋人でもない相手と名前を呼び捨てで呼び合える。そんな思いを二人はくすぐったく感じ、まんざらでもない気持ちになっていた。
「どうって、友達以上恋人未満でしょう?」
元々最初にこの言葉を口にしたのは上杉の方だった。お互いに名前で呼ぶようになる前のことでまだ一年生の頃のことだった。そしてその時の会話はこうだった。
「私たちって、まわりから見ると、どんな関係なのかしらね?」
「恋人同士に見えるんじゃないか?」
あすなとすれば意を決して、思い切って聞いたつもりだったのに、彼の回答はどこか他人事に感じられ、少し癪だった。
「そうかしら? あなたはどうなの?」
「そうだなぁ、恋人同士ってハッキリと口に出して言われると、きっとその気になった態度を取るんじゃないかな?」
「じゃあ、今は恋人同士という感覚ではないと?」
「そうだね。妹という感じでもないし、ただの友達でもない。そうだ『友達以上恋人未満』なんていう都合のいい言葉があるじゃないか」
上杉は頭がいい。あすながどんなに相手を苛めようとする質問をぶつけても、ちゃんと言葉で返してくる。投げたボールは返ってくることを予想せずに投げているので、返ってくると、どうしていいのか分からない。
ただ、あすなは上杉のことをほとんど何も知らない。あすなの前で見せている態度を他の人は分かっているのだろうか? もし、上杉のような男性と恋愛感情から先に浮かんでくれば、きっと違った雰囲気になっているに違いない。あすなと上杉の最初の感情に、恋愛感情は本当になかったのだろう。
だが、他の女性は今あすなに応対しているような上杉を好きになったりするだろうか?
彼が口にした、
「友達以上恋人未満」
という関係の相手を、上杉が本当にそんなにたくさんほしいと思っているとも思えない。上杉は、男性女性を含めて、友達の少ない人だ。他の人と一緒にいるところを見たことがない。実際に大学二年生の途中くらいまでは、ほとんど二人は一緒にいて、大学の中で他の人と一緒にいるところなど、あり得るはずなどなかった。
それなのに、上杉のことを何も知らないと思ったのは、最初に、
「友達以上恋人未満」
という言葉を言われたからに違いない。
「どんなに近づこうとしても、ある程度から先は、彼が近づけようとしないんだ」
という思いに至らせる。
そのうちに、彼の気持ちに近づいてはいけないという思いが浮かんできた。あすなも、どうしても彼氏がほしいという意識もない。もし、彼氏がほしいと思うようになれば、きっと上杉も、自分を一人の女として見てくれると思った。それだけ今のあすなには、女性としてのオーラが足りないのではないかと思っていた。やはり女性としてのオーラを発散させるには、自分から異性への気持ちを高ぶらせて、フェロモンを発生させなければならないと思っている。あすなには、
――自分は、そんなフェロモンを発生させることができる女なんだ――
という意識があった。
だから焦りもなかったし、上杉に恋愛感情を抱かなくとも、友達以上恋人未満でやっていけると確信していたのだ。
――気持ちが変わったら、その時はその時――
と思っていたが、気持ちが変わった時のことを考えていなかったわけではなかった。
実際に気持ちが変わることは大学時代にはなかった。卒業した時も、
――昭雄さんには、恋愛感情を抱くことってないんだろうな――
と思っていたくらいだ。
それにしても、あすなに対して自分のことをどう思っているのか聞いた時、上杉の気持ちがかなり高ぶっていたことを知っている人は本人だけだろう。しかも、そのことを口にしたが最後、自分の中で勝手に気持ちが冷めていったのだ。彼のような男性が男として珍しいのかどうか、あすなには分からなかった。ただ、上杉本人は、
――珍しい人種に入るんだろうな――
と感じていた。
少数派ではありながら、どれほどの少なさなのか、想像もつかなかった。
あすなは、子供の頃から、
「余計なことは言わないようにしなさい」
と言われていた。
母親から厳しく躾けられたというよりも、母親のいうことは絶対で、従わなければ何をされるか分からないところがあった。さすがに虐待とまではいかなかったが、家で一番力があったのが母だったのだ。
父も母には逆らえない。そんな状態なので、子供が逆らうなど、できるはずもなかった。
「まわりに余計なことを言うと、自分の評価が落ちてしまうわよ。そうなったら、誰も助けてくれない。まずは第一印象で、相手との優劣をハッキリさせるくらいの方がいいの」
母親は、あすなと同じ一人っ子だった。母親が育った環境は、あすなの両親、つまり自分たちとは立場がまったく逆で、父親が亭主関白だった。そのため、母親がどれほど恥辱に塗れた人生を歩んできたのか、子供の目から見ても、それは明らかだった。
お母さんは、自分の母親しか見ていなかった。どんなに威厳があっても、父親はただの、「井の中の蛙」
でしかないのだ。
お母さんは物心ついた頃から、ずっと父親の威厳には変わりはなかった。お母さんはそんな両親を見て、
「自分の子供にだけは、自分と同じ思いをさせたくない」
と思った。
ただ、お母さんは自分が結婚する時には、夫婦間での優劣は外せないと思っていた。そのためには、自分に従順な男を探すところから始めた。大人しめで、あまり自分の意見を相手に押し付けない、むしろ自分の意見をお母さんに合わせてしまうようなそんな男性を探した。
父親が、そんな理想の男性に限りなく近かったのだろう。今でも父親は、母親の意見に合わせている。
しかし、あすなはある時気が付いた。
――お父さんは、お母さんの意見に従順なのではなく、お母さんの意見を取り入れるふりをして、うまく自分の考えに同調させていることがあるんだ――
と感じた。
大っぴらにお母さんの考えと変わってしまうようなことであれば無理があるが、お母さんにいかに悟られないようにお父さんの意見を組み込むかという一番難しいことをお父さんはやってのけていた。
そのことを悟ったのは、高校時代だっただろうか。それまでの父親のイメージが一変した。
お父さんは、そのことを誰にも悟られないようにした。母親に気づかれないようにするには、まわりにも気づかれてはいけない。父親は他の人が考えている以上に、母親は勘が鋭いところがあることを知っていた。
母親の勘が鋭いという意見は、あすなも同じだった。
「お母さんには、隠し事は難しいな」
と思っていたからだ。
「お父さんも、まわりに気づかれないようにしている。でも、それは私の思いとは少し違っているようだ」
お父さんの考えはもっと深いところにあった。
家族全員のために相手に気持ちを悟られないようにしているという意味で、
――まわりに気を遣っている――
と言えるのではないだろうか?
ただ、あすなはそんな父親を見ていて、人に気を遣うということが嫌いになった。
父親が嫌いだというわけではない。お父さんは子供の頃のイメージから比べて、格段に好きになっていた。お父さんがしている気の遣い方は、他の人がしている気の遣い方とは別格だった。だから、あすなは他の人がする気の遣い方が皆薄っぺらいものに見えて、中には偽善が混じっているように思えて、溜まらなく嫌に感じられることもあった。
高校時代から、あすなは秘密主義になっていた。
気持ちの中ではお父さんを敬愛し、お母さんを軽視するところがあったのに、表に出すわけにはいかない。
「余計なことは言わないようにしなさい」
という子供の頃からは母親に言われていたことが皮肉にしか聞こえない。
だが、あすなの頭の中には、この言葉がこびりついて離れなかった。上杉と知り合ってからも彼のことを意識しなかったのは、頭の中にこの言葉があったからだ。
――もし、誰かを好きになったとしても、自分からは告白してはいけないんだ――
その思いは、自分が告白してしまうと、最終的に破局を迎えた時、自分から告白したという事実を思い出した時、破局の原因が自分にあるわけではなくとも、自分の責任だと思ってしまいそうで、それが怖かったからだ。
少なくとも相手に告白させることで、自分のリスクを少なくしようという気持ちが、意識の奥にいつもあったのだ。
さらにあすなが秘密主義になってしまったのは、両親を表面から見る場合と、心の目で見る場合とで正反対の意識があったからだ。
――私って二重人格なのかしら?
と感じたことも、秘密主義となる一つのきっかけになったのではないだろうか。
秘密主義というのは、反抗期にはよくあることかも知れないが、成人してから秘密主義を取るという人は、まわりの環境以外にも、何かきっかけになることがあったりする。あすなの場合もきっかけは確かにあった。それまでほとんど喧嘩したことのなかった上杉と、喧嘩になった時のことだった。
喧嘩の理由というのは、えてして他愛もないことだ。二人の場合も何が原因だったのか思い出せないほど、最初は些細なもののはずだった。
しかし、今まで喧嘩したことのない二人というのは、どこで矛を収めるかということを知らない。いわゆる
「不器用」
なのだ。
特にあすなの場合は、普段から表面上と心の目で見た相手が正反対に見えるということを自覚しているところがあるので、いざ喧嘩となると、相手のどちらを信じていいのか分からなくなってしまう。
それは自分の気持ちにも言えることだった。
上杉のことを好きになっている自分もいれば、好きになったという思いを錯覚だと自分に悟らせようとしている自分もいた。喧嘩になったことで、
「ほら、言わんこっちゃない。最初から好きだなんて錯覚を抱くから、錯覚が妄想になって、勝手に相手を自分像に当て嵌めてしまったんじゃないの? だから、仲直りの仕方も知らないくせに意地ばかり張って、結局喧嘩になって、どう収拾をつけるつもりでいるの?」
と心の声があすなを責める。しかし、もう一方では、
「いい機会じゃない。喧嘩するほど仲がいいっていうし、きちんと収拾つけることができれば、これまで以上の仲になることができるわよ。恋人未満が、恋人以上になるかも知れないじゃない」
と、こちらはあすなを擁護する。
自分の中のネガティブな部分とポジティブば部分が錯綜しているのだが、当のあすなの中では、
「二つの考えは、どちらも分かるんだけど、どちらも分からない。それぞれのいいところをうまくくっつければ、すべてがうまくいくんだろうけど、逆に悪い部分ばかりをくっつけてしまうことにもなりかねない。そうなってしまうと、本当に収拾がつかないわ」
と感じていた。
「でも、収拾をつけるってどういうことなのかしら?」
あすなはそのことばかりをずっと考えていたが、堂々巡りを繰り返してしまい、結局結論に至ることはなかった。どうしていいのか分からなくなるまで、上杉からは連絡もなく、実際に頭の中で堂々巡りを繰り返している間、まわりのことを意識できる余裕などなかったのである。
さすがに、
「もうこれ以上悩んでいてはヤバいことになるわ」
と感じたちょうどその時、上杉の方から連絡してきた。
学校の帰りにちょくちょく立ち寄った公園で、二人並んで座ったベンチ。その場所に呼び出されたのだ。
「ごめん。俺が悪かった」
上杉は、恐縮して謝ってくれた。
あすなは、そんな上杉に感謝した。それは謝ってくれたことにというよりも、さすがにヤバいと思ったそのタイミングだったのが、嬉しかったからだ。上杉はいろいろと今まで話せなかった分、その間の気持ちを話してくれたが、結構いろいろありすぎて、整理できそうにもなかったが、一つ気になる言葉があったので、それだけは印象に残った。
「お互いに喧嘩が初めてだったこともあって、仲直りに時間が掛かったのは、やっぱり落としどころが分からなかったからなのかも知れない。これは人から聞いた話なんだけど戦争にしても何にしても、争いごとは始めることは簡単なんだけど、どこで終わらせるかというのが難しいんだって。だから戦争を始める場合、ある程度シミュレーションを行って、それで、どこで終わらせるかというところまで青写真を作っておかないと、取り返しのつかないことになってしまうらしい。俺もそう思ったし、あすなも似たような思いをしたんじゃないかな?」
それは、あすなが堂々巡りを繰り返しながら考えていたことだったのだ。
あすなと上杉の関係で、最初に痺れを切らしたのは、あすなだった。自分の気持ちを絶えず考えていて、自問自答を繰り返していたが、結論が出ないまま時間ばかり費やしていると、
――時間がもったいない――
と考えるようになった。
今から思えば、一番無駄に過ごした期間は大学時代だったのではないかと思っているが、逆に一番時間について真剣に考えていたのも、大学時代だった。
大学時代、本当なら何かを学ばなければいけない時期だったのに、思い返してみると、何も自分のためになっていることは一つとしてなかった。趣味に勤しむわけでもなければ、勉強にまい進したわけでもない。恋愛も中途半端だった。絶えず、何かをしようとしても、どこかで行き詰ってしまい、またしても、堂々巡りを繰り返していた。
大学三年生のことで、喧嘩をしていたのが、つい最近のことだった。
ただ、自分から告白してはいけないという思いが強かったこともあって、結局、告白はしなかった。ついには、自分の気持ちを内に籠める性格になってしまったのだ。
元々、内に籠める性格だったが、秘密主義も手伝ってか、何かがあって気持ちが収まらない場合、自分発信ではないことで、責任を相手に押し付ける気持ちになってしまうことが多かった。
あすなは、その頃から、依存症が激しくなった。上杉に対しての依存症が一番強いのだが、上杉以外の人に対しては、依存するというよりも、何かを待っているという意識が強くなっていた。
前から意識としてはあったのかも知れないが、表に出ることはなかった。いつも一人で妄想するのは、あすなに限らず、他の女の子も同じであろう。
「夢見る少女」
という言葉が当て嵌まるのだろうが、それよりも、もっと適切な言葉が世の中には存在しているのを教えてくれたのは、上杉だった。
「夢見る少女って言葉があるけど、これはいわゆる『シンデレラコンプレックス』というものなのかも知れないな」
「夢見る少女と同じなの?」
「いや、その発展形と言ってもいいんじゃないかな?」
「どういうことなの?」
「夢見る少女というのは、自分の目指しているものが分かっていて、それに向かって努力する姿が見え隠れしているんじゃないかって思うんだ。でも、シンデレラコンプレックスの場合は、明らかに他力本願で、自分の前に白馬に乗った王子様が現れるという思いをいつも抱いているんだって思うんだ。コンプレックスを感じている女の子は、ガラスの靴を履いたことがあるんだろうか?」
上杉の話を聞くと、シンデレラコンプレックスというのは、あまりいい意味ではないことはよく分かった。
あすなは、自分が子供の頃、確かに「夢見る少女」だったというのは否定できない。しかし、それがシンデレラコンプレックスに発展するということは、ありえないと思っていた。シンデレラコンプレックスという言葉は知らなかったが、依存症に発展型があることは分かっていた。
あすなは、ある時を境に、それまでとそれからと、明らかに違ってしまったことに気づいていた。
まわりの人にも分かっていたが、それがいつからなのか、ハッキリとした時は分からない。しかし、明らかに何かがあったというのは分かるくらいの豹変ぶりだったからだ。それでも根本的なことは変わっていないのに、明らかに変わったと感じられるのは、変わったというよりも、彼女の元々の性格が極端になったからではないかということに気づいた人は誰もいなかった。
あれは、大学三年生の時にキャンプに行った時のことだった。毎年夏になると恒例のキャンプを行っていたが、あすなは毎年参加していた。
「四年生になったら、なかなか開催できないかも知れないので、これが最後になるかも知れないな」
と、少しネガティブに考える人もいたが、あすなも、その意見には賛成だった。
そんなこともあって、三年生の時のキャンプには、参加者の規制はかなり緩和された。元々は普段から一緒にいる連中だけでの開催だったが、その時は、
「中学時代、高校時代の友達も参加可能」
ということになり、仲良しグループだけで開催していた時よりも、三倍くらいの人数になった。
「これじゃあ、合コンのようなものだな」
と主催者は半分困惑していたが、それでも参加者が多いことに越したことはなく、
「いい思い出をたくさん作ろう」
というのが、コンセプトになった。
参加者には、もちろん上杉も入っていたが、上杉は毎年参加していなかった。二年生の時は、
「家庭の事情」
ということで、辞退していた。そのため、参加メンバーから外れていたのだ。
さすがにあすなは寂しかった。
普段から、意識しなくても、いつもそばにいてくれていた相手が、団体の中にいないというのは寂しいというよりも、少し怖い気もした。二年生の時のキャンプでのあすなは、まるで借りてきた猫のようだったとまわりからは言われていて、本人も、キャンプの期間中の記憶はほとんどなかったのだ。
三年生の夏のキャンプの時、
「今年は、上杉君はもちろん参加するわよね?」
と聞いたが、
「大丈夫、今年は参加できるよ」
とあすなに答えると、あすなは満面の笑みを浮かべて、
「一緒に参加しましょうね」
と言った。
一年生の時のキャンプでは、上杉がいないということを想像もできなかったので、
「いて当たり前」
という意識から、上杉を必要以上に意識しないようにしていた。
そういう意味で三年生の時のキャンプは、一年生の時とも二年生の時とも違った大きな意味を持ったキャンプだと思っている。
「本当の意味での初めてのキャンプになるかも知れない」
と、あすなは感じていた。
キャンプ前のあすなの心情は、最高潮だったに違いない。
小学生の子供が、遠足の前の日に、気持ちが高ぶって眠れないという状況によく似ている。
あすなは自分でもその気持ちは分かっている上で、子供のような気持ちを純情な思いだと感じることで、最高潮になっている自分の気持ちを納得させようとしていた。だが、なかなか納得できるものではなかった。納得することでせっかくの有頂天になっている気持ちが冷めてしまうことを嫌ったのだ。
キャンプは二日間だったが、例年に比べて長く感じられた。特に最初の一日は皆夜遅くまで起きていて、翌日の行動は少し遅めから始まった。
その日、あすなは他の人よりも少し早く目が覚めた。早く目が覚めたと言っても、普段と同じ時間に目覚めたということで、体内時計が作動したのだろう。
ただ、頭は正直回っていたわけではなく、半分夢遊病のような感じで、フラフラと表に出た。気が付けば、森の奥まで入り込んでしまい、
「ここ、どこなんだろう?」
と、自分が迷ってしまったということを自覚した時、やっと目が覚めたような状態だった。
迷ってはいたが、戻れないことはないとも思った。それは林を掻き分けて歩いてきたのが分かったので、掻き分けられているところを逆に辿れば元の場所に戻れるのが分かったからだ。寝ぼけてはいてもそのあたりの発想には長けていた。
「あすなは、どこに行っても生きていけるよ」
と、口の悪い人に言われたことがあったが、
「それもそうね」
と、軽く返したあすなも、まんざらでもないと思っていた。
あすなは、寝ぼけてはいたが、それほど遠くまで来たという意識はなかった。
――少し歩けば、元の場所に戻れる――
と感じていたが、思っていたよりも結構奥まで入ってしまっていたようで、なかなか元の場所に戻ってくることはなかった。
――まっすぐに歩いていたつもりだったのに、結構曲がって歩いてきたようだわ――
掻き分けられた林の先がなかなか見えてこない。それだけカーブを描いている証拠であり、決まった方向にばかりカーブを描いているわけではないのは、何か目標があって歩いてきたのかも知れない。
「夢遊病の人というのは、本当の夢と一緒で、潜在意識で動いているので、何か気になっているものがあったら、そっちに向かって正確に歩くらしいよ」
という話を聞いたことがあったが、自分が無意識に歩いてきたのを見ていると、どこを目指していたのか、よく分かっていなかった。
――でも、もうそろそろ戻ってもいいんだけどな――
と思いながら歩いていたのは、見たことのある光景が見えてきたからだった。
普段はそんなに遠くまで行くことはない。見たことがある光景だと思ったのは、本当に昨日のことだったのかも怪しいものだ。ひょっとすると、去年のことだったのかも知れないし、まさかの一昨年だったのかも知れない。
急に目の前に、
「見たことがある光景だ」
という思いを抱かせる景色を見た時、その記憶がいつのことだったのか、分からなくなることは往々にしてある。一年に一度しか来ないとしても、それは昨日のことなのか、去年のことなのか、さらには一昨年のことなのか分からないという思いは、今に始まったことではないが、この思いを抱いた時というのは、
――何かが起こる前兆ではないか?
と感じることが多かったのを意識している。
それがいいことなのか、悪いことなのか、自分でもよく分からなかった。
その時も確かに何かが起こるという前兆はあった。胸騒ぎからの背筋に寒気を感じたのだったが、場所が場所だけに、そのままその場から急いで立ち去りたいという思いと、その場を動くことの危険性を感じさせるものとが両立していた。
どちらの気持ちが強かったのかは分からないが、あすなは恐怖を感じた時、
――その場から早く立ち去りたい――
と強く感じる方だった。
本当は動いてはいけないのに、動いてしまって何かがあっても、それは仕方のないこととまで感じていたほどだったのだ。その場にいて何かがあって後悔するよりも、立ち去ったことで何かを被るのであれば、立ち去った方がマシだと考えていた。
あすなは、恐怖を感じたことで、足早になった。
「おや?」
何かに触れたような気がした。
恐怖が走ったことで、急いでその場から立ち去ろうとしたその時、足に痛烈な痛みを感じた。
その痛みは突き刺すような痛みと、抓まれたような痛みが同時に襲ってきた。その後徐々に、足が腫れあがってくるのを感じた、すでにその時には歩くことはできないほどであった。
「誰か、誰か助けて」
何とか、大声を出して助けを呼んだ。
「おーい、誰かいるのか?」
と聞き覚えのある男性の声、それはキャンプを企画している人の声だった。
――ということは、事務局はすぐそこだったんだ――
と、本当に近くまで帰ってきていたことを自覚した。
気が遠くなるのも時間の問題だと思いながら、人が寄ってくるのを感じた。
最初は三人ほどだったのだが、どんどん増えていき、人の覗き込む顔で、空が見えなくなったその時、スーッと意識が消えていき、そのまま気絶してしまったようだった。
「おーい、大丈夫か?」
という声が聞こえる。
その時に身体を揺らしたということを後から聞いたが、揺らされたという意識はすでになかった。
あすなはそのまま気絶し、救急車で病院に運ばれた。気が付けば病院の処置室だったが、
「もう大丈夫だ。どうやら、スズメバチに刺されたらしい」
あすなは、ゾッとした。
そうかも知れないという予感はあったが、ハチに刺されるということは今までになかったので刺されるとどうなるか分からなかった。ただ、スズメバチに刺されると死ぬこともあると聞かされていたので、自分が生きていることが不思議なくらいに感じられた。
「大丈夫だよ。応急治療もよかったし、病院でも薬を投与したので、問題ないという話だ。でも、後で先生から話があるらしいので、それはキチンと聞いておけばいいよ」
「ありがとうございます」
キャンプに参加するのだから、ハチに刺された時の対処や状況くらい勉強しておくべきだったのだろうが、あすなは、怠っていたのだ。
「スズメバチに刺された時は、一度目はまだいいんだけど、二回目以降は気を付けなければいけないよ」
と医者から言われた。
「一度目は、ハチの毒が身体に入っても、小さなハチの毒で、人間が死ぬということはあまりない。人間の身体には抗体を作るという作用があるんだけど、この場合もハチの毒に対しての抗体が作られるんだ」
「免疫のようなものですね?」
「そんな感じかな? 普通なら二度目に刺されると、その抗体が働いて、ハチの毒を退治してくれて事なきを得るんだけど、この場合には、ハチの毒と、身体にできた抗体が反応して、一種のショック状態を引き起こす。つまりはアレルギー性のショック状態というわけだね」
「それで?」
「実は、ハチに刺されて人間が死ぬというのは、ハチの毒そのもので死ぬわけではなく、この時のショック状態が人間を死に至らしめるんだ。これを専門用語では、アナフィラキシーショックというんだけどね。だから、今身体の中に抗体ができている状態の井上さんは、次ハチに刺されないようにしなければいけない。ハチが飛んでいるようなところだったり、ハチの巣のありそうなところにはいかないようにしないといけないよ」
「分かりました」
かなりショッキングな話ではあったが、気を付けていれば大丈夫という思いもあり、自分でも少しだけアナフィラキシーショックについて勉強もしてみた。
キャンプから帰ってきてからのあすなの様子は、明らかに違っていた。ハチに刺されたという事実はあっても、まるで別人のように人と話さなくなり、内に籠ってしまったかのようだった。
しかも、時々何かに思い詰めたような雰囲気も感じられ、
「人が変わってしまったかのようだ」
と、まわりの人は気にしていた。
しかし、それも一か月もすれば、誰もあすなのことを気にしなくなった。いくら自分たちが気を病んでも、本人に何ら変わろうという意志がないのであれば、どんなにアクションを起こしても同じだった。
毎日のようにあすなに話しかけてくれる友達もいたが、まったく反応のないあすなに愛想を尽かすのも時間の問題だと思われていたが、一か月が限界だった。
「よく一か月も話しかけられたわね」
と他の人から言われると、
「いいのよ、もう私には関係のないことよ」
と彼女も豹変していた。
その人は、ギリギリまで相手に歩み寄ろうとしたが、結果としてまったく反応のない相手であれば、こっちも後腐れなく離れることができる。
「最初から、友達なんかじゃなかったんだって思えば済むことよ」
一か月が彼女にとって長かったのか短かったのか分からないが、限界まで達すると、後はスッキリしたものだった。
せっかく話をしてくれる人がいたのに、完全無視であれば、他の人も歩み寄る気は失せていた。
こんな時こそ、上杉の出番なのかも知れないが、上杉の出鼻をくじいた彼女の接近は、一か月も経って何も変化が見られないのであれば、上杉の出る幕もなくなってしまった。上杉としては、少しでも変わってくれるのを待って、話しかけるしかないと思うようになっていた。完全な他力本願である。
そして、ハチに刺されて三か月が経った頃、あすなが少しずつまわりに反応するようになった。それまでは完全な引きこもり状態だったが、次第に部屋を出て散歩したり、公園のベンチに座って、まるで誰かを待っているかのような態度を示すようになっていた。
その時を逃さず、上杉はあすなに話しかけた。あすなは話しかけてもらうのを待っていたかのように笑顔で答える。
「やっと、以前のあすなに戻ったんだね?」
というと、
「私一体どうしていたのかしら?」
どうやら、引き籠っていた時の記憶が曖昧なようである。
あすなの中にシンデレラコンプレックスと、秘密主義的な考えがあからさまに表に出てきたのは、それからすぐのことだった。
――こんなに極端に変わるものなんだろうか?
上杉は、今まである程度分かっていると思っていたあすなが分からなくなり、自分から遠くに行ってしまったように思えてきたことから、あすなに対しての自分の本当の気持ちを模索するようになっていた。
明るくなったのはいいのだが、シンデレラコンプレックスには困ったものだった。
最初にあすなの変化に気が付いたのは、上杉ではなかった。逆に一番気が付きにくかった人がいるとすれば、上杉だろう。
上杉は、他の人よりも、あすなのことをよく分かっていた。それは絶えずあすなのことを見てきたからで、他の人が表面しか見ていなかったとすれば、上杉は彼女の内面も見ていたのだ。
今まで表に出さなかっただけで、明るい部分も、依存症なところがあるのも、上杉には分かっていた。だから、いずれはあすなの変化に気づくのだろうが、一番ではない。上杉にとって、あすなの変化は、元々あった性格が表に出てきただけなのだ。つまりは、いずれはありうることとして、自分の中の許容範囲であったのだ。
ただ、それはあくまでも自然に推移した場合のことであり、誰かにいきなり指摘されてしまうと、上杉は自分の中で、整理がつかなくなる。
――あすなのことは、一番俺が分かっているはずなのに――
という思いから、変化に気づかなかったことであすなに対して、自信喪失にもなるし、また、あすな以外のことでも、自分で分かっていると思っていることが音を立てて崩れ去っているように思えてきたのだ。
――俺はこのまま崩れてしまうのではないだろうか?
そう思えてしまうほど、ショックでもあった。
それにあすなの様子が普段自覚していた雰囲気から、両極端になっていることが気になっていた。
明るい部分は、いい性格なのに、シンデレラコンプレックスは、決していい性格だとは言えない。
あすなの変化に気づいた人も、普通なら「依存症」という言葉を遣えばいいものを。シンデレラコンプレックスという言葉を使っている。何か思うところがあったのかも知れない。
シンデレラコンプレックスというのは、男性に高い理想を求め続ける、女性の潜在意識にある「依存的願望」のシンドローム(症候群)だという。
元々は子供の頃から、そのような意識を持っていなければ、大人になってから急になるというのは考えにくい。ただ、依存症と思えるところはあった。しかし、それも相手が男性に限ったわけではない。シンデレラコンプレックスというには、相手は男性でなければいけないはずだ。それでは一体彼女がシンデレラコンプレックスだと言った人は、彼女の中に何を見たというのだろう。
あすなの様子が変わってきたことで、気持ち悪がっている人も多かった。
それは女性の方に多く、男性はそれほどでもなかった。
女性の中には、嫉妬心のようなものがあったのかも知れない。自分がなかなか男性にアプローチできないと思っている人にとっては、あすなのような依存症的な態度に出られると、苦労もしていないのに、男からちやほやされるイメージを持ってしまうからだった。
確かにシンデレラのお話は、王子様から求婚される場面など、女性なら一度は夢見るシチュエーションであり、しかも、今まで自分を虐げてきた恨み重なる人たちをやり込めての幸せなので、これほど感無量なことはない。想像しただけで、幸せな気分になれるというものだ。
――私にもそんな幸運が待っているんだ――
と、自分の美しさに磨きをかけられる時期であれば、そう思っても仕方がない。
幸運を待ちわびるのは、決して悪いことではない。ただ、そこに自分の努力がどれほど含まれているかということである。
シンデレラコンプレックスには、自分の努力は明記されていない。むしろ、全面的に依存しているのだから、努力などしているわけもない。
努力もせずに、ただ「白馬の王子」の出現を待ちわびている。そんな女性を見て、同性とすれば、気持ち悪いという気持ちと、
――自分にはできない――
と、シンデレラコンプレックスを抱く女性の美しさは、自分で思うだけのものを持っているのだ。
ただ、それは持って生まれたものであって、自分が磨きをかけたものではない。それが余計に嫉妬と憎しみを呼ぶのだ。
今まであすなを目立たない存在だと思っていた女性も、彼女がシンデレラコンプレックスだと思うと、その時点から、あすなの美しさを感じさせられてしまう。それは女性に限ったことではなく男性にも同じ感覚を持たせた。
男性は女性のように嫉妬心も憎しみもないので、表面上の美しさだけで相手を見る。あすなに心を奪われる男性も現れるのではないだろうか。客観的に見ると、何ともやりきれない気持ちである。
あすなは、自分でシンデレラコンプレックスだという意識はないが、男性依存症だとは感じていた。ただ、信じられる男性がいるかいないかというのは別問題で、まずは依存できる相手がいるかどうか、考えていた。
そういう意味では、上杉には依存できなかった。依存するには、上杉が真っすぐな人間過ぎた。だからこそ、
「友達以上恋人未満」
などという発想が生まれてくるわけで、どちらかというと、恋人や友達というよりも、
「お兄さん」
という雰囲気なのかも知れない。
――お兄さんじゃあ、恋愛感情なんて持ってはいけないわね――
と感じていたが、恋愛感情と男性依存症という意識とは別物であることをあすなは理解していなかった。
あすなが好きになる男性の第一条件は、
「依存することができる相手かどうか」
であった。
子供の頃や思春期であれば、
「甘えさせてくれる人」
というのが定義になるのだろうが、大人になってくると、もう少し切実な思いが込み上げてくるものだと思っていた。
しかし、大学生になっても、甘えさせてくれる人というイメージが頭から離れない。それ以外の依存症のイメージが湧いてこないのだ。
それはきっと本当に好きになった人が現れていないからに違いない。
実際にあすなには、今まで本当に好きになったという思いを抱いた人は誰もいなかった。しいていえば上杉なのだろうが、最初から自分で線を引いてしまっているので、甘えることはおろか、好きになるなど、考えてはいけないことだと思い込んでいたのだった。
そんな感情は相手にも伝わるもので、特に相手は上杉だ。絶えずあすなを見続けている上杉にあすなのそんな気持ちが分からないはずはない。どうしても二人の間はぎこちなくなり、必要以上に教理が狭まることはないのだ。
上杉は、時々あすなを見ていると怖いと思うことがあった。
――俺の知らないところであすなが行動し始めたら、俺はどうすればいいんだ?
という思いだった。
あすなだって、一人の女性であり、一人の人間である。いくら大切に思っているからと言って、自分がずっと独占することはできない。それも分かっている。
――相手があすなでなければ、俺はこんな理不尽な関係は最初から結ばない――
どんなに尽くしても、相手のことを考えても、恋人未満なのだ。こんな関係は男女間としては、不健全と言えるのではないだろうか。恋愛するしないという意味では中途半端なくせに、まだ恋愛にまで至っていないという矛盾した感情は、上杉をぎこちなくさせているのだ。
「それなのに」
上杉は独り言ちた。
あすなが男性依存症だということは、大学生の今となっては、他の人から見ても一目瞭然かも知れない。しかし、子供の頃から思春期にかけて、あすなのような女の子の存在は、まわりから見ると奇妙であり、理解の範囲を超えていたに違いない。
子供や思春期の考え方では理解できない相手に、いつまでもかまっているほど、人間がっできていない。すぐに自分の友達や気になる異性としての対象から外れてしまっていただろう。
そういえば、あすなは小学生時代には、よく友達から苛められていた。苛めている連中にも、
「どうしてあすなを苛めるのか分からない」
という思いがあったのかも知れない。
「とにかく、苛めたいから苛める」
という理不尽な理由だったのだろうが、子供の苛めには、理由のない本能から来る感情が苛めに繋がることも往々にしてあったりする。あすなは、そんな連中の標的だったのだろう。
苛められているあすなを助けようとするのは、上杉だけだった。他の人は、苛められているのをただじっと見ているだけで、その視線は実に冷たいものだった。その冷たさは、苛めている人たちの目よりもさらに冷酷な視線であり、苛められているあすなは、いじめっ子たち以外にも自分を見ているその目も敵であったに違いない。まさしく「四面楚歌」とはこのことであろう。
あすなは、そんな過去を持っていたが、大学時代の友達の中に、あすなを見ていてその頃のことを想像できる人は誰もいない。ただ、あすなが男性依存症になったのは、その苛めが影響で、
「誰か自分を守ってくれる強い男性が現れる」
と思っていたからだ。
上杉は、高校生の頃まではそれが自分だと思っていた。高校生になるまでは、あすなのことを分かってあげられるのは自分だけだということを自覚していたが、本当に守ってあげられる自信がなかった。
大学に進学してもそれは同じことで、
「きっとこれからも同じ思いを抱いたまま生きていくことになるんだろうな」
と感じていた。
それは、あすなか自分のどちらかが結婚した時にどうなるかということを考えるようになったからだ。どちらかが結婚するまでというよりも、どちらかに彼氏、彼女ができた場合でも、訪れる関門である。
上杉は、あすなに彼氏ができたとすれば、二人から距離を置くことになると思っている。もし、その相手が本当にあすなを守ってあげられる相手かどうか、見極めたいのは山々だったが、あすなが選んだ相手だったら、自分がそれ以上踏み込んではいけないと思ったのだ。
あすなも、上杉に彼女ができたら、きっと祝福してくれて、同じように距離を置くことになるだろうと思っていた。それが「友達以上恋人未満」のお約束であり、決まりごとのように思えたからだ。
だが、今少しその関係が崩れかけている。力のバランスが崩れていると言ってもいいかも知れない。
それは、あすなの「男性依存症」というものが、シンデレラコンプレックスによるもので、さらに、秘密主義があらわになったからだった。
秘密主義というのは、あすなには、子供のことから潜在的なものがあった。それは、シンデレラコンプレックスの潜在が「男性依存症」であったことを示すかのようなものだった。
あすなが子供の頃に苛められていたのはさっき述べたが、あすなはそのことを関係者以外には知られたくないと思っていた。
自分の親をはじめとして、先生や他の父兄も同じである。つまりは、大人には知られたくないと思っていたのだ。
子供の間ではあすなは完全に一人浮いてしまっているので、全員が敵みたいなものである。大人まで敵に回してしまうと、あすなはどこにも自分の身の置き場を失ってしまう。もし、苛められていることが大人に露呈すると、そこで騒ぎになるはずだ。
あすなを擁護する人もいるだろうが、大多数は子供の言うことに耳を傾けるであろう。そうなると、まわり全員のこともが敵になっているあすなのことが、まともな目で捉えた話が伝わるはずもない。あすな一人が悪者になってしまい、孤立無援となるだろう。
あすなは、その頃から、
「白馬に乗った王子様」
が現れて、自分を助けてくれるものだと思い込んでいた。
それが「男性依存症」だと思っていた上杉だったが、一歩進んで、シンデレラコンプレックスだとは思いもしなかった。もちろん、そんな言葉は知らないが、「男性依存症」を苛められているあすなの心のよりどころだとすれば、それを悪いことだとして、誰も責めることはできないに違いない。
しかし、シンデレラコンプレックスというのは、相手に対しての完全な依存である。そこに自分の意志は存在しない。下手をすると、相手が自分を蹂躙しても、気づかないほど苛められたことでの傷が深ければ、相手がどんな相手であっても、
「白馬に乗った王子様」
にしか見えないだろう。
それほどあすなへの苛めは過酷なもので、
――あすなの気持ちになって考えよう――
と思ったとしても、その心の傷の深さまでは分かるはずもなかった。
そのことは上杉も重々承知しているはずなのに、それ以上のことができない自分に歯がゆさを感じ、何よりも、ある一定の線から先に進むことができないもどかしさが襲ってくるのが溜まらなかったのだ。
しかし、子供の頃の苛めは、ある日突然終わってしまうことがある。
苛める相手がいつも同じで飽きてしまったのか、それとも別のターゲットが見つかったのか、いじめっ子というのは、実にいい加減なものだ。何しろ苛められる側の気持ちなど、これっぽちも考えていないのだから。
苛めが終わると、今度は自分を苛めていた人たちの方から話しかけてくるようになる。本来なら、
――何様のつもりで話しかけてくるのよ――
と言いたかったが、相手が恐縮しながら話しかけてきて、
「今までごめんなさい」
と、ハッキリ言葉で詫びを入れられると、何も言えなくなってしまう。
「いえ、いいのよ。これからは仲良くしていきましょうね」
というしかないではないか。
本当であれば、
――先手を打たれた――
と言ってもいいのだろうが、表の顔は、詫びを入れ、許しを乞うてきた相手をむげにすることを許さない。あすなの中に、
――できれば和解できればいいんだけど――
という思いも少しはあったのだろう。
それよりもあすなは、苛めに加わっていなかった連中の方が憎らしい。ハッキリと何かをしたというわけではないのだから、謝る必要もない。逆に自分を苛めていた人たちと和解し、仲良くなることで、傍観していた他の連中を孤立化させてやりたいという気持ちもあった。
傍観していた連中は、連中自体に繋がりは一切ない。一人一人が独立していることは、自分が苛められていた時に感じた視線を思い出せば分かることだった。
苛められている時は、そんなことは分からない。ただ、
――どうしてそんな冷たい目で見ることができるの?
と感じ、さらに腹が立ったのは、その目が完全に上から目線だったことだ。
「あなたは、私と違って、苛められる運命にあるのよ」
と言わんばかりの視線を浴びせているくせに、自分たちは蚊帳の外にいて、苛めには関係ないと感じているのが、悔しかったのだ。
中学時代には、いくつかの集団があって、それに属していない人が、いつも冷めた目をしていた。普段は目立つこともなく、気配を消しているようだったが、自分よりも惨めな人を見つけた時には、待ってましたとばかりに、上から目線の冷めた目を浴びせることで、一体何をしたいというのだろう?
そんなことで自分を納得させられるわけでもないし、できるとすれば、自分に被害が及ばないようにするにはどうすればいいかということを考えるだけだ。
あすなは、もし自分が彼女たちのようなその他大勢だったらどうなっていただろうかと考えたが、結果は同じだった。結局、誰か苛められている人がいれば、その人を上から目線で見ることで、
――自分はその人よりも上なんだ――
という思いを抱いて、優越感に浸りたいと思うに違いないと感じていた。
その時、目の前で苛められている人の視線は気にはならない。なぜなら、相手を同じ人間だとは思っていないからだ。
まるで虫けらのような目で見ることで、自分の感情の移入をシャットアウトして、余計な考えや先入観を植え付けないことで、優越感に浸るのだ。
今から思えば、
――冷静に考えれば、そんなことはできないはずだ――
と思うに違いないが、思ったよりも冷静である。
いや、これ以上ないというほど冷静なのかも知れない。冷静で見つめることで、冷酷な自分が目を覚ます。傍観するには、自分の中の冷酷な部分を呼び起こさない限りできないことなのだ。
もし、自分が彼女たちの立場なら、同じことをしたに違いないと思っているにも関わらず、苛められていた時期のことを思い出すと、一番憎いのは苛めていた連中ではなく、冷徹な視線を、上から目線で浴びせたその他大勢の傍観者たちに他ならない。
苛められていた時期があったのは、自分にとっての汚点であることには違いない。小学生の頃の一定期間、自分の意志を持てなかったのは事実だからだ。
いつも、
「この角を曲がって、いじめっ子がいたらどうしよう?」
という思いであったり、そばに近づくと何をされるか分からないという思いを常に抱いていたことで、何かされた時のその後どうしようかということを考えることで頭がいっぱいだった。
――もっと他に考えることがあっただろうに――
と思うと、貴重な時間を無駄にしたという意識が強く残ってしまった。
あすながどうして男性依存に近づいたのかというと、自分を苛めていた数人の女の子が謝ってきた時、その中の一人の女の子と仲良くなった。
彼女は、いじめっ子の中では「下っ端」の部類だった。
表に出るというよりも、後ろで見ていたり、場合によっては、苛めに参加せずに、見張り役をさせられたりしていた。いじめっ子の中にも、そんな差別的な立場が存在するなど、想像もしていなかったあすなは、その女の子のことが気になってしまった。
他のいじめっ子たちは、あすなに謝ってきて、距離は近づいてはいたが、ある一線を越えることはできなかった。やはり、一度はいじめっ子といじめられっ子というそれぞれの立場にいた関係である。和解したと言っても、これ以上は近づいてはいけないという結界のようなものが存在しているのだった。
だが、彼女だけはあすなとの間に結界は存在しなかった。
――この人も、私と立ち位置は違っても、立場は同じなんだわ――
と感じた。
彼女は名前を沙織と言った。
沙織が彼女たちのグループに参加したのは、沙織が小さい頃から、いつも後ろをついて歩いていた相手がいじめっ子のドンだったのだ。彼女の言うことに逆らうと何をされるか分からないというよりも、言うことを聞かないことで無視されて、自分の前からいなくなってしまうことが何よりも不安だったのだ。
悪いことだと知りながら、「下っ端」という立場でいじめっ子グループに属していたのは、自分では切っても切り離すことのできない仲である人が、グループの中にいたからだった。
沙織は、彼女たちのグループから抜けようとは思わなかった。むしろ守られているという感覚でいたので、意地でもグループにしがみついていくことを決めていた。そんな沙織の覚悟を知ってか知らずか、いじめっ子グループは容赦なく、沙織を冷遇し、こきつかったのだ。
いくらいじめっ子グループであっても、さすがに何度も沙織を利用しながら、彼女が去側うことがないことに気持ち悪さを感じていた。
それでも、
「首領のいうことなんだから」
ということで、「下っ端」の存在を容認してきた。
そのうちに沙織に対しての気持ちもマヒして来た。それは、自分たちが苛めている相手に対して、罪悪感を感じないように、気持ちをマヒさせてきたのと同じである。
そんな彼女と話をしていると、どうやら彼女は家庭が不安定だったようだ。
父親は会社を辞めてしまい、母親がパートをしていたが、それだけではらちが明かず、夜もスナックで勤め始めた。
父親は仕事を探すこともせず、昼間から酒を呑んだり、出かけても、出かけた時と同じ顔でしか帰ってこない。
「何が楽しくて生きてるんだろうって、娘の私が思うんだから、他の人が見たら、さぞや死んだ目をしているんでしょうね」
というのが、父親に対しての気持ちのようだ。
母親の方は、スナック勤めがさすがに堪えるのか、帰ってくるなりグッタリとしている。そんな母親を見るのは耐えられないと思っているところへ、父親はそんな母親に対して、まるで汚いものでも見るような視線を浴びせたという。
母親はやがて、沙織を捨てて、家を出ていった。どうやら、男との駆け落ちのようだ。沙織は父親と二人残されたが、相変わらずの父親は何もしようともせず、昼間から酒を呑む毎日だった。
さすがに見かねた親戚が、沙織の面倒を見ているということだが、そこには同い年くらいの女の子がいて、大切に育てられていた。
親戚の人は精いっぱいのことはしてくれているようだが、視線はまったく違った。冷めた視線を上から目線で浴びせ、沙織は惨めになるしかなかったという。それを思えば、学校でのいじめっ子グループの中での「下っ端」の方がどれほどマシかということである。
沙織の家庭がそんな状態だということを知っているのは担任だけらしい。教頭や校長がどこまで知っているかまでは分からない。
――どうせ何もできないんだから――
と思えば、学校関係者の誰が知っていようが、そんなことはまったく関係のないことだった。
そんな沙織の、
「壮絶な人生」
として話を聞いている自分の感覚がマヒしてくるのを感じた。
あすなはまだまだ世間を知らないということを痛感させられたのだ。
その話を聞いた時、自分が恵まれていると感じたが、実際にどうすればいいのか、ピンとこなかった。次の日まで考えて、その答えを自分で見つけることは無理だと判断したあすなは、
――そのうちに、答えを教えてくれる人が現れる――
と、思うようになった。
ちょうどその話を聞いた頃から、いや、それより少し前からだっただろうか、頭の中で何かを妄想することが多くなってきた。小学生の頃も、絶えず何かを考えてきたと思っていたが、すぐに忘れてしまい、何かを考えているのだが、それが何だったのか分からないままだった。特に苛めに遭っていた時などは、
――自分を苛めていた人たちに一泡吹かせるにはどうしたらいいのか――
きっと、そんなことを考えていたのだろう。
しかし、苛めがなくなってからは、そんなことを考えなくなったはずだ。しかし、ボーっとしている時間は以前と変わりないほど存在していた。その時は感覚がマヒしていたように感じていたという覚えはあるのだ。
覚えがあるということは、何かを考えていたはずである。それを何と表現すればいいのか分からなかっただけである。
沙織から、壮絶な人生の話を聞いた頃から、ボーっとしている時に考えていたものが妄想していたことだと気が付いた。
考えてみれば、すぐに分かることだったはずなのに、なぜこんな簡単なことが分からなかったのだろう?
それが思春期というものであり、思春期における妄想は、誰にでもある羞恥の感覚だと考えたことで、忘れてしまおうという意識が働いたのかも知れない。それは自然な感覚であり、あすなに限ったことではないだろう。ただ、誰にでもあるということだけに、妄想する内容も人それぞれ、基本的にまったく違うものなのだろうが、中には似たような妄想を抱いている人がそばにいるかも知れない。それを認めたくないという思いを抱いたことが、記憶にとどまることを許さないのかも知れない。
――妄想は個性であり、他の人と同じだということはないはずだ――
これがあすなの考えであり、
――でも、皆が皆妄想していれば、同じ環境にいる人の中には同じ妄想を抱かないとも限らない――
妄想は個性で抱くものだという思いを持っている反面、
――本当に自分の意志が働いて、妄想するのだろうか?
という思いを抱いているのもウソではない。
妄想というのは、あすなの場合、自分のことを、
「夢見る少女」
だと思っていることで、さぞやメルヘンチックな発想を抱いているのではないかと思うようになっていた。
だから、余計に人に知られるのが恥ずかしい。自分が覚えていれば、妄想した内容を思い出して、含み笑いなどしてしまうかも知れない。
「おいおい、何ニヤニヤしてるんだよ」
と、妄想していることを指摘されると、その内容まで相手に看過されてしまうのではないかと思えてくるだろう。そうなると、恥ずかしさで、当分その人の顔を見ることができなくなる。それほど思春期の神経はデリケートなものであり、壊れやすくなっているのかも知れない。
壊れてしまうのを必死で阻止することを考える。
すると思いつくのは、
――相手に悟られないように、妄想したことを思い出さないようにすることだ――
という思いが意識となって働くことで覚えていないのだろう。
何しろ頭の中には、誰もが妄想することができるのだから、自分と同じような妄想をしている人がいないとも限らないという思いがあったからだ、
そんなあすながその頃に何を考えていたのか、今では思い出すことができる。ある時を境に思い出すことができたのだが、それがあすなが高校に入学してから少ししてのことだった。
その頃から、少しだけ、
――おや? 昨日までとは少し違う――
と感じるようになっていた。
微妙に違っているのだが、前ならこんなことに気づかなかったはずなのに、不思議だった。
しかも、感じたのは一日だけではなかった。ある日、というのを境に、気が付けば一週間が経ち、一か月が経っていた。それでも、毎日の微妙な変化を感じない日はなかった。
気が付けば、感じなくなっていた。それを感じたのは半年ほど経ってからだったが、半年経ったその前の日までは感じていたというわけではない。その日からだいぶ前のことで、どうしてそんなに長い間気づかなかったのか、自分でも不思議だった。
その半年ほどが経ったその日、何かが起こるという意識があったのは、本当だった。
――私の予感って、意外と当たるのよねーー
と思っていると、その日、学校で初めて男子から告白されたのだ。
「井上さん。誰かお付き合いしている人、いますか?」
「いませんけど」
「じゃあ、僕とお付き合いしてください」
学校では大人しく、目立たない男子だと思っていた男の子からの告白に、
――せっかく告白されたのに、相手がこの子というのもね――
という複雑な気持ちだった。
しかし、男子から告白されて嬉しくない女の子なんていないだろう。気分的には鼻高々の状態で、その日を境に、自分が大人になったという意識が芽生えたのだ。
そう思うと、半年前からの毎日自分の身に起こっていた微妙な変化というのは、
――大人になる階段――
だったのではないかと感じていた。
「大人の階段上る♪」
という曲もあったではないか。
今では懐メロに匹敵するほど古い曲だが、考えてみれば、古い曲ほど今聴けば、胸に響くものもないのかも知れない。
あすなは、その告白してきた男子に対して、
「気持ちはありがたいんだけど、今すぐお返事というわけにはいかないので、少し考えさせて」
と無難に答えた。
あすなでなくとも、誰でもが答える内容なのだろうが、そう答える人は、考え方が様々ではないだろうか。
最初から、自分の好きなタイプではないと思ったところで、本当なら断りたいけど、すぐに断ってしまったのでは、相手に悪いと思ってしまう女の子。あるいは、
「付き合ってもいいんだけどな」
という中途半端な気持ちのまま、答えることを躊躇っている女の子。
逆に好きなんだけど。すぐに返事をしてしまうよりも、焦らすことでさらに相手を自分に引き付けておこうという打算的な考えの女の子。
あすなの場合は、何も考えられず、とりあえず返事を保留にしただけだった。本来の意味での返事の仕方の正当な理由ではないかと時間が経ってからもそう感じたあすなだった。
しかし、返事を先延ばしにしたことで、今度は自分が悩むことになってしまうとは、まったく想像もしていなかった。
最初は、
「彼のような人と付き合うなんてまっぴらだわ」
という思いが強かったはずなのに、少ししてから、
「せっかく告白してくれたんだから、お付き合いしてみるのもいいかも知れない。結婚じゃないんだから、付き合ってみて相性が合わないと思ったら、さっさと別れてしまえばいいのよ」
と思うようになり、次第に、彼のことを考えている自分がいじらしく感じられるようになった。
そんな自分を客観的に見ると、
「本当は彼のことが好きなんじゃないの?」
という心の声が聞こえてきた。
すると、断ることは自分の意志に逆らうことになるのではないかと思えてきて、
「早くお返事をしないと」
というプレッシャーとが頭の中で交錯し、結局はお断りすることになった。
その心は、
「どうして私が、プレッシャーを感じなければいけないの?」
と思った瞬間、相手が誰であれ、断ることがいきなり自分の結論になってしまったのだ。だが、告白されたのは事実であり、少なからずときめきを感じたのもウソではない。そう思うと、答えを出すまでの間、自分の中で毎日のように一つの目的のための妄想が繰り広げられていたことを示していた。
もし、初恋という概念が、妄想の世界を含めることを許されるのであれば、最初はその告白してくれた彼であることに違いなかったのだ。
妄想はそれからも激しくなった。
半年前までは、妄想の内容を覚えていなかったが、今では、妄想してから次の妄想までは、忘れることは決してなくなった。妄想の周期が長ければ、それだけ印象深く妄想を覚えているということになるのである。
あすなは、その頃から、自分に男性に対して必要以上の憧れを持っていることに気が付いていた。
それは理想が高いという意味ではなく、相手が誰であれ、どれだけ自分に尽くしてくれるかという意識が強くなっていた。あすなの妄想に出てくる男性は、皆あすなに従順だったからだ。
時には、男性を奴隷のように扱っている自分がいた。相手の男性は甘んじて、あすなの命令に従っている。
「ご主人様もご命令とあらば」
皆、そう言って、あすなの前に跪く。
あすなの妄想に出てくる男は皆あすなをご主人様と呼んだ。
その頃のあすなは、妄想なのか夢なのか、区別がついていないことが多かった。
妄想であれば、見ている時は意識がある中で、別のことを考えている状態なので、ふっと我に返ると、目の前には現実が広がっている。
夢を見ている時は、普段の意識は睡眠状態であるが、出てくる内容が非現実的な時は、それが夢であることを自覚することができる。
ただ、夢を見ていると自覚できるのは、夢の内容が、妄想している時と同じ時だった。厳密にいえば、妄想している時の「続き」になるのだが、妄想も夢も、現実に引き戻された時点で、忘れてしまっていた。だから、夢の続きは、次の妄想した時に見る。その妄想の続きは、次の夢で見るということで、決して同じ夢や妄想は存在しない。継続したものだったのだ。
もし、妄想していなければ、夢の続きを次の夢で見るということはありえなかった。あすなはそこまで分からなかったが、自分が見ている夢や妄想というのは、何か一つの一貫した柱があるということなのだろう。
あすなは、夢で見たことも、妄想したことも、ある程度までは覚えている。しかし、それが継続しているというところまでは覚えていない。もし、継続を理解できたのだとすれば、その時点で、妄想するということはなくなってしまうだろう。
あすなは、自分が妄想していることに対して、どう思っているのだろうか?
最初は、妄想する時間が楽しくて仕方がなかった。
――何しろ、自分が男性を蹂躙できるのだから、楽しくて仕方がないのも無理もないことだ――
と思っていた。
つまり、他人を蹂躙できるということが楽しいというのを感じているのは、自分だけではなく、すべての人がそうなのだろうと思っていた。それが本当のことなのか、勘違いなのか分からないし、すべての人というのが、無理があると思っているのだとすれば、本当は信じていないことになる。その違いを分かっていなかったのは事実だった。
「百人いて、百人すべてが自分の考えと同じなのか、いや、一人は違うが、他の人は皆同じだというのとでは、さほど違いがない」
と思っているのだ。
少数派は、この際、あすなの頭の中から消えていた。実はその考えが、あすなを妄想に駆り立て、しかも、その妄想の中では相手を蹂躙するという、自分の中の絶対的な優位性に酔っていたと言ってもいい。
しかし、優位性はあすなだけが望んだものではない。相手の男性があすなに対して蹂躙されることを悦びと思っていなければ成立しないものだ。いわゆる「SMの関係」というものだ。
あすなは、SMの関係というのは知っていたが、実際にはどういうものなのかまでは知らなかった。普段のあすなは、異常性欲ともいえるSMの世界を覗こうとは決してしなかった。誰かが話題を振っても、
「いやよ、そんな話」
と言って、興味もなければ、汚らわしいとでも言わんばかりに露骨な態度を取っていた。
それは逆に、
「私には、興味があるのよ」
と言わんばかりであることを知っている人もいただろうが、あすなの前では誰もが、
「あすなは、SMの関係なんて世界は知らない方がいいのよ」
と言っていたことで、あすなも、興味のないふりを続けられたのだ。
あすなにとってのSMの関係というのは、
「自分が主人で、相手の男性は、自分に絶対服従の奴隷である」
という定義以外にはありえなかった。
実際SMの関係というのは、自分がご主人様で、相手が奴隷という関係以外には存在しえないと思っていたのだ。
ある日、一人で本屋に出掛けた時、あすなは、SM小説の背表紙と目が合った。まるであすなに、
「読んでください」
と言わんばかりに見えたのだ。
誰かが前に引き出して、中に戻した時に中途半端だったのか、少し背表紙が飛び出していたのは、ただの偶然だろうか。気になってしまったのは当然のこととして、本棚からその本を引き出した。
内容を見ていると、次第に自分が本に引き付けられるのを感じた。
主人公は女性だった。内容はフィクションなのか、ノンフィクションなのか分からないが、主人公は一人称で描かれていた。
主人公の彼女は、ある男性の「奴隷」として描かれていた。そして「奴隷」としての内容は、そのほとんどが性欲の奴隷だった。あすなが考えている自分にとっての奴隷というのは、性欲には関係のないもので、ただ自分に尽くしてくれる相手を蹂躙しているという意識を持つことだったのだ。
だから、考えてみれば、自分の夢や妄想に出てくる男性は、自分があすなに蹂躙されているという思いが本当にあったのだろうか? むしろ、相手に従うということが快感であると感じていたことは、「奴隷」という発想とは交わることはないと考えていた。
「でも、性欲という生々しい欲望が絡んでくると、そこには奴隷という位置づけは必要不可欠になってしまうんだわ」
と感じた。
自分の夢や妄想は、あくまでも、まだまだ未熟なもので、発展してくると、行き着く先は、性欲に塗れた
「ご主人様と奴隷」
という、SMの境地に達してしまうに違いないと感じた。
あすなは、文庫本を手に、レジに向かった。その本を自分のものにしたいという気持ちが最高潮に達したのだ。
「本を読むのに、こんなにドキドキするなんて初めてだわ」
ある程度までは、想像することができると思っている。
しかし、その本の内容は、その自分の中にある、
「ある程度」
という発想を上回る期待を抱かせてくれるに違いなかった。
自分が妄想や夢で見ていることなど、足元に及ばないような内容がその本には書かれていて、決して自分の期待を裏切ることのない内容に、読み終わった後、ショックすら受けるのではないかと思っていた。
その本は、自分の発想や妄想が最初にあって、ある男性と出会ったことで、その内容が一つ一つ達成されていくことへの満足感が快感に変わっていくことを書いていた。しかもその書き方として、深層心理の中の自分との会話という形で書かれていることが、あすなの共感を呼んだ。
――まるで私の思っていることを代弁してくれているようだわ――
自分は、まだ奴隷になったという発想をしたことなどなかったのに、本を読んでいるうちに、いつの間にか、自分が主人公になったかのような気になっていた。完全に、本に対して感情移入されていたのだった。
しかも、あすなは途中から、自分が相手の男になって、女を蹂躙している快感すら味わっているような気がしていた。
普段の妄想や夢の中では自分は相手を蹂躙しているのだ。本来であれば、主人公よりも相手の男性に感情移入してもいいはずだった。
だが自分が女であるという発想から、奴隷になる快感も本を読んでいると分かってきたような気がした。そして、奴隷になっていることで自分が何を求めていたのか、何となくだが分かってきたような気がした。
それは、男性に対しての、
「依存する気持ち」
だった。
――奴隷というのは、相手の喜ぶことを素直に感じ、行うことで相手に守られているともいえるのではないか?
あすなは、本を読み込んでいくうちに、主人公の気持ちに入り込んでいくうちに、そう感じるようになっていた。
もっともそれは、深層心理を描いている作者の術中なのかも知れないが、それでも、あすなには、依存という意識が頭から離れなかった。
あすなが、「男性依存症」になった理由の一つに、この本が影響したのは、紛れもない事実であった。
そんなあすなも二十三歳になっていた。これからあすなにはどんな運命が待っているというのだろうか……。
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