始まり ~触発~

第1話

 彼岸時はんぼうきに葬式が舞い込んだ坊主も、こんな重苦しい感じで枕経に向かうのだろうか。

 的を得ているのかさえ分かりにくい例えを浮かばせた彼女は、シートに背を預けながら、ここ数日にこなした依頼を、覚醒しきったオツムをフルに回して思い出していた。


 先週の三連休は、ストーカーされてる女子大生を警護しながら、伊豆観光とカーチェイス付きの大捕り物。

 4日前は、“予告された”抜き打ちテストのために徹夜。

 一昨日は、球技大会の合間を縫って、元暴力団員からの依頼を遂行した。

 レギュレイター…… 世直し屋と崇め立てられ恨まれる、裏社会の仕事もラクじゃないのは分かりきったことだ。


 今日は。 朝遅く、ギリギリまで寝れると思っていた。


 しかし、今はどうだ?

 空が白けたころだというのに、唐突に鳴り響いたスマホに起こされ、気が付けば背広を着た、むさくるしく表情の固い男たちと共に、どこかへと運ばれている。

 最悪だ。

 バスの固い座席が、非情な拷問器具に思えるほど。


 どうしてこうも、仕事が立て続けにはいってくるのだろうか。

 「―― 聞いているのか? トゥー・フェイス」

 

 名を呼ばれた彼女は、ふんわりと現実へ、その意識を呼び戻された。

 腰まである豊かで綺麗な黒髪と、淡いバイオレットの瞳のコントラストが美しい。

 その顔立ちから、スレンダーなボディ、スカートから伸びるしなやかな両脚まで、ブレザーを着ていなければ20代とも思われる程に、大人びていた。


 ややおかしな点をあげろと言われれば、彼女が乗っているバスだろう。

 ごく普通のマイクロバスではあるものの、全ての窓にスモークが貼られ、運転席との間には金網の仕切り。

 どんな車だ、と疑問に思うだろう。

 だが、スカイブルーと白のツートンカラーに塗られた外観、屋根に載っているパトランプを見れば、このバスが警察の護送車であることは一目瞭然。


 彩美の不機嫌さに拍車がかかるはずだ。


 「ごめんなさいね、太箸警視。 なんせ寝起きなもんで……」

 

 嘘であることは言うまでもない。

 気乗りしないと言わんばかりに悪態をつき、おまけにわざとらしいあくびを伸ばすと、男が車に乗ってすぐ差し出したタブレットに目を通した。


 「で、申し訳ないけど、今の状況をもう一度説明していただけます?」


 鼻につく言葉でなめた態度をとる彩美を、通路を挟んで隣の席から睨む男。

 太箸と呼ばれた30代ほどの彼は、静岡県警の警視である。

 ダンディな顔立ち、穏やかさとシリアスを内包させた鋭い眼は、俳優の舘ひろし似と言ったところか。


 ここで彼女につかみかかっても仕方ない。

 彩美は、自分たちが叩き起こして、相手なのだから。

 ため息をつき、呆れと怒りを車内に放り出した太箸は、今一度、現在進行形で発生中の事件について説明を始めた。


 「事件発生は5時ごろと報告を受けている。

  愛知・静岡両県警がかねてよりマークしていた、麻薬取締法違反容疑の男の関係先に家宅捜索に入ろうとしたところ、男が突如刑事に発砲。 立てこもってしまったんだ」


 彼女は左腕をオーバーに伸ばして、腕時計の針を覗いた。

 ただいま、午前6時31分。

 私が起きた時には既に事件発生。 どうあがいても逃げられなかったか。

 ため息交じりに天を仰ぐと、そのまま太箸警視の話を聞き続けた。


 「容疑者は、仁科 ルイ 32歳。

  名古屋で飲食店を経営している……というのは表の顔。

  半グレ集団 TEnPテンピーのリーダー。 “サン横”界隈に集まる若者に、シャブ入りジュースを売りさばいてるってのが、本来の姿だそうだ。

  今月だけで6人、栄周辺で補導されてる上に、2週間前にはドリンクを飲んで錯乱した中学生が、公衆トイレで首切って死んでる」

 

 サン横とは、愛知県名古屋市の繁華街 栄のなかでも、若者たちが大勢集まるエリアのこと。

 大型ディスカウントストア "サン・チョパンサ横"、を略した言葉で、未成年の少年少女が集まることから、薬物や売春、特殊詐欺へのリクルートなど、犯罪の温床となってしまっている。


 「どうして名古屋の人間が、浜松に?」

 「愛知県警の調べだと、ヤツの隠れ家兼卸倉庫だったそうだ。

  釈迦に説法だと思うが、2000年代、この浜松も、東京や北九州に引けを取らない程の、違法薬物の密売拠点だったんだ。

  シャブ、ハッパ、コーク、バツ。

  東京から芸能人なんかが、お忍びで買いに来ていたそうだからね」

 「県警が、総力を挙げてつぶしたんじゃ?」


 その疑問に、太箸警視は頭を掻きながら答えた。


 「の、はずだったんだけど、結局はしぶといゴキブリと一緒だよ。

  密輸ルートの何本かが、水面下で今も生きてるようでね、そいつを利用していたようなんだ。

  その証拠に、東南アジアルートで密輸した違法薬物が、あの家に隠されてる事が、捜査で分かっている。

  卸倉庫ってのは、そういうことだ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る