第81話 演者揃いて幕は上がる

 ゲームの当日、和真たちは玖島に指定された場所を訪れた。

 場所は人気の少ない渓谷公園。川のせせらぎや鳥のさえずりが聞こえる。朝早いこともあり、穏やかで喧騒とは無縁だ。


 気配を頼りに歩いていくと一匹の透明な魚が浮遊していた。連絡を受けもってくれた修司によると、あれに触れるといつもの記憶の海に渡るように仕掛けてあるらしい。朱音は振り返って四人を見渡すと改まった。


「海を渡る前に改めて確認しておきましょうか」


 話し合った結果の立ち回りはこうだ。

 和真と修司が牽制しつつ、玖島を捕らえる。玖島に直接名を挙げられている桃香、指揮統制を執る朱音は透明な魚の消去に専念し、二人をサポートするのが拓海といったところだ。


 風を操る以上、玖島は立ち回りに秀でているだろう。提案を受けたいと言ったこともあり、和真は率先して玖島を捕らえる役目を買った。


 ただ、玖島の実力について検討がつかない。実際に立ち回りを見られたのは彼と接触した数回と影にとどめを刺す直前だけだ。しかも、どれも見られたのはほんのわずか。今の今まで手の内を知られないよう動いていたのかと思うと、改めて彼の周到さを実感する。


「……無理はしないで」


 心配そうな表情で朱音にそう言われ、和真は分かったよと返すことしかできない。そんな二人のやり取りを見て修司は腕を組みながら嘆息した。


「五十嵐さん。無理をするなという言葉に対する一ノ瀬の分かったという返事は九割方無意味だと思います」


「うーん、九割五分だと思う」


「四宮に言われたくないんだけどな……」


 玖島に体当たりを食らわせた場面を思い出しながら和真は口を挟んだ。そもそも、桃香の発言は九割方という言葉の使い方から逸脱していると思う。しかし、続けて拓海が冷めた目を和真に向けた。


「俺は十割でいいと思う」

「ええ……」


 四方八方から攻め責められて和真は反論の余地もない。桃香は念を押すように修司を覗き込む。


「しっかり手網握っておいてね〜」

「俺が手綱を握っていられると思うか? 物理的に足を引っ張るならできるけどな」

「じゃあそれで!」

「おーい……」


 あまりにも言いたい放題で和真は言い返す気力もなくなってしまう。今更であるが、もう少し言動に注意した方がよかったと思った。四人のやりとりを見守っていた朱音が困ったように苦笑する。


 先ほどの様子からすると口を利かないというわけではないと感じ、和真は改めて拓海に目を向ける。物別れしてしまったあの日と変わって、彼は落ち着いた声音で言葉を紡いだ。


「和兄、俺は俺のやり方でやるよ。でも、本当にどうしようもなくなった時は俺も異能を使うから」


「……ああ」


 和真にそれを否定する権利はなく、肯定の言葉だけを返す。


「行きましょう」


 朱音の一言で皆が透明な魚に向き直る。朱音の指先が魚に触れ、いつものように波に押される感覚が体に押しかかる。


 目を開けた先に広がるのは白と青の濃淡で彩られたビル街の十字路。淡々とした色合いからかけ離れた、鮮やかな色彩が目に入る。


 玖島は上着のポケットに手を入れたまま遠くの空を眺めていた。真っ青な空を背景に無数の透明な魚を携えて佇む姿を見て、そこはかとなく粟立つ。

 人気を察した玖島は和真たちの方へ向き直った。五人を一瞥すると不敵な笑みを浮かべる。


「ようこそ。それじゃあ——始めようか」

 刹那、玖島は後方に大きく跳躍する。その判断は正しく、彼が今し方立っていた場所には立方体の空間が形成されていた。悔しそうな表情をする桃香と対照的に玖島はふっと笑う。


「まあ、そうくるよね」


 玖島は見越しているように地を割って走る結晶体を避けて駆け抜けた。追撃の疾風と囲い込もうとする空間をも軽々と躱してみせる。玖島の身のこなしは予想以上だった。焦燥を抑えつつ、和真は修司と玖島を追う。


 その間にも透明な魚が勢いよく突っ込んできた。中には狼や豹に姿を変えたものもいたが、二人は怯むことなく消失させていく。玖島を捕らえることが肝要だが、命を喰らった魚を消失させることも重視しなければならない。


「気をつけて行きましょう」


 朱音が肉薄してきた虎を青焔で焼き払い、拓海と桃香に声をかける。結晶体の波が狼の群れを飲み込み、立方体の空間が巨大な犬鷲を捉えて二つに断裂した。


 朱音たちは和真たちの後を追いながら、次々と命を喰らった魚と異形たちを消失させていく。あまり離れてしまっても有事の際にお互い対応しきれなくなってしまう。ビルの間で攻防する三者の姿を捉えながら追いかけている時だった。


 ドンという、空気を震わせるほどの振動が朱音たちを襲う。振動と強風で思わず伏せてしまった目を開け、拓海は汗を滲ませながら心底嫌そうに呟いた。


「何が危険が少ないだよ」


 目の前に立ち現れたのは、以前相対したものと比べて二回りほど小さい竜。少し細身の竜は朱音たちを見据えると、一気に火炎を口から放射した。


 唐突に現れた大型の異形は和真たちもすぐに察知した。放たれた火炎を見て和真の目は自然とそちらに向いてしまう。


「よそ見なんて余裕だね」


 玖島が間近に迫り、和真はすんでのところで後方に飛び退る。双方距離を開けた瞬間、玖島の周囲に水が集積し、体を捕縛しようとした。しかし、玖島はわずかな体の運びでそれから逃れてみせる。和真がそばに立つと修司は眉根を寄せた。


「やっぱりあの時、始めの方から見ていたか」


 脳裏に蘇るのは影との攻防だ。つまり、和真と修司は玖島に手の内を見透かされていると言っていい。


 修司は迫り来る魚の群れを水の壁で囲い込んで一気に消失させた。和真も空から強襲してきた鷹型の異形を疾風で薙ぎ払うが、後方から聞こえてくる喧騒がやはりどうしても気になってしまう。


『一ノ瀬君、二見君。こっちは大丈夫だから気にしないで!』


 朱音の声が頭に届く。それすら見越しているかのように玖島は薄く微笑んだ。


 玖島は和真たちから距離を取り、朱音たちの方へと駆け出した。わずかに遅れて和真はその後を追い、疾走しながら前方にいる拓海に意識を集中する。


「拓海、跳べ!」


 その一言と共に拓海は上に跳躍した。薙ぎ払われた竜の尾を余裕を持って躱し、同時にその肢体に向かって結晶体の槍を複数薙ぎ払う。竜が体を戦かせて咆哮を上げる間に、猛る炎を縫うようにして玖島が桃香に差し迫る。


 桃香の腕を取ろうとして、その手は空を掴んだ。間髪入れずに玖島は右手側に跳躍する。彼が立っていたところに生じたのは立方体の空間。


「まあそう簡単にはいかないか」


 桃香は着地した拓海のそばに転移していた。彼女たちを後目に玖島は一度距離を開ける。それと入れ替わるように攻め込んできた魚の群れに朱音が炎の波を見舞った。


 地を飲み込むように迸った炎と呼応するように拓海が地面に手を当てる。炎と地が持つ熱が合わさると熱気が瞬間的に上昇し、一瞬のうちに多くの魚と異形たちを光へと帰した。


『和真君、力を貸して!』


 桃香の声が頭に響き、和真は彼女に意識を集中する。次の瞬間、十二面体の空間が竜の体を完全に覆った。一人で囲えないならば力を掛け合わせて消すまで。


「いっけえ——!」


 桃香が空間を断絶する。瞬く間に両断された竜は咆哮を上げる間もなく光となった。玖島はそれを見て軽く口笛を吹く。その足元に水が生じた。


 水は躱そうとした玖島の左肩から上腕を絡め取った。修司はそのままビルに向かって叩きつけようとする。しかし、玖島は驚いたそぶりもなく絡みついた水を断ち切り、体を宙で捻った。両足でビルの側面に着地するとふわりと地面に降り立ち、和真たちから遠ざかるように駆け出す。


 和真はすぐさま周りに目を配る。辺りに残る異形は巨体であるものの、それほど驚異を感じない。


「五十嵐、あとは頼んだ!」


 返事を聞くよりも先に和真は玖島の後を追った。それに気がついた修司が追走する。


 須臾しゅゆに過ぎていく景色。間近に迫ったところで玖島が振り返り、和真は慌てて上方に跳躍して逃れた。わずかな所作で放たれた烈風は街路のものをことごとく飲み込んで破壊していく。


 牽制にも限度があるだろうと冷や汗をかくが、頭をすぐに切り替える。和真は着地するとすぐに玖島に肉薄し、反撃とばかりに蹴りを見舞った。しかし、それは躱されて距離を空けられてしまう。


「さあ、早く方をつけないと大変だよ?」


 気持ちを見透かしたような言葉に焦りよりも苛立ちが先行する。和真が玖島に向かって風を迸らせようとした時、両者の間に水の壁が立ちはだかった。


 それと同時に玖島は体を横に反らせる。水の壁に大きく穴が空いたと同時に顔の横を青い一閃が通り過ぎていった。赤紫の髪が靡き、玖島の瞳に剣呑な光が宿る。


「文字通り水を差すねぇ、修司くん」


 烈風で水の壁を断ち切ると彼は修司に目を向けた。修司に向かって魚と複数の異形が群れをなして波の如く押し迫る。


「待て!」


 修司に向かって駆け出した玖島に和真が手を伸ばした時だった。

 玖島が急反転して和真の腕を掴む。ぐっと引き寄せられ、薄い笑みが間近に迫った。


「俺の勝ちだ」


 同時に悪寒に襲われ、和真は横目に影を捉えて総毛立つ。

 透明なクジラが口を開けて、二人を喰らわんとそこにいた。


「それじゃあ、海の底までお付き合い願おうか」

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