第67話 誰がために少女は夢を見る〈3〉

 校舎の端にあるこの場所は夏に似つかわしくなく静かだ。蝉の音が耳に届くものの、人の声が聞こえてこない。現実から切り離されたような錯覚に囚われる。


「ほら」

「わっ」


 唐突に桃香が声を上げる。桃香の目の前には先ほど別れたはずの島崎がいつの間にか立っていた。完全に意識の埒外だったので和真も驚いてしまった。桃香の頭の上に乗せられたのは新品と思われるタオルだ。


「汚れ流せるところ流して、ちゃんと拭いて着替えろ」


 そう言って立て続けに桃香の頭の上にビニール袋を乗せた。桃香は慌ててそれを手で受け止めて膝の上に移す。それを見届けると、島崎は彼女の額にコツンと何かを当てた。


 彼が手に持っているのはチョコミントのカップアイスだった。目を見張り、桃香はそっとそれを受け取る。


「お前の荷物、クラスの女子に保健室に持ってくるよう連絡入れておいたからそっち行け。で、今日は帰って美味いもんでも食ってさっさと寝ろ」


 一方的にそう伝えると島崎はその場を後にする。呆気に取られた二人は声をかけることもできなくて、無言のまま後ろ姿を見送った。しばらくしてから桃香はふふっと笑い、変わらないなあと呟いた。


「直希君、言葉遣いも荒っぽいしぶっきらぼうだけどね、優しいんだよ」


 彼女の膝の上に乗せられたのはコンビニの袋だ。恐らく近場にあったコンビニで着替えを買ってきたのだろう。涼しそうな顔をしていたが、島崎の顔には汗が流れていた。


「……島崎とは知り合いなのか?」


 うんと桃香が相槌を打つ。膝上のチョコミントアイスを眺めながら懐かしそうに目を細めた。


「私の小学校で仲良かった友達が直希君の幼馴染みでね。だんだん話すようになって、仲良くなっていって。それからの付き合いなんだ。変わってる私のこと、馬鹿にしないでくれた」


 自分でいうさとしのような存在なのかと思うと、言葉では表せない信頼関係を感じる。そして、島崎と幼馴染みという友達ともそういった関係なのだろうと自然に思った。


「島崎君の幼馴染みの女の子ね、バレーやっててすごく格好いい子だったの。直希君と競うようにバレーしてた。夢見のことも否定しないでくれた。男の子にも怖気付かない、真っ直ぐで困ってる人を見捨てておけない子で……私の憧れだった。私、こんなのでしょ? だから中学の時、色々あったんだ。その時、その子がさ、たくさん庇ってくれて。それで……」


「……もういいよ」


 途切れ途切れになっていく言葉が苦しそうで、和真はそう言っていた。けれど、桃香は首を横に振る。


「それで、対立してた子と正面から衝突して、私の代わりに標的になっちゃって……。怪我してバレーできなくなった上に、転校しちゃったの。私、よくないことが起きるから行かないでって止めようとする夢を前に見てて。その時は不思議とその日がそうだって分かって、止めたんだ。けど、大丈夫だって言われて、止められなかった……」


 一気に話したためか、言葉が詰まる。ポロポロと大粒の涙が堰を切ったように、止めどもなく零れ落ちていく。


「私がもっとしっかりしてたら。今みたいに未来の夢を見られて止められていたら……何か違ってたのかなぁ……」


 以前抱いた違和感がようやく繋がって、腑に落ちる。

 桃香が誰かの役に立って安堵する様子も、心を汲めたらよかったのにと言ったことも、自分たちに協力したいと言ったことも。すべて一つに繋がる。


「ごめんね。今度会う時までには元気になってるから。だから……今だけ……」


 そう呟いて桃香は膝上で組んだ腕に顔を伏せる。

 堪えきれない涙がアイスのカップに零れて落ちていった。








 電話をかけるべきかどうか。

 帰宅してずっと悩んでいたところ、いつの間にか夕日も沈んで夕食時になっていた。正直あまり食欲はない。一人だったこともあって、和真は適当に飲み物で喉を潤して終わりにした。


 日中の様子を鑑みるに電話をかけるのは迷惑だろう。怒鳴られるかもしれないと思いつつも、やはりかけようと思い至ってベッドに腰掛かけ、目的の名前を探す。

 しばらくしてから呼び出しから通話に変わる。正直出てくれたことが意外だった。


『なんだ?』


 島崎の声はやはり不機嫌そうだった。和真はそれに動じることなく、静かに告げる。


「四宮からちょっとだけだけど、話を聞いた」


 訪れたのは長い沈黙だった。

 きっと触れたくない話だろう。けれど、島崎とこのままの状態でいるのは本意ではない。状況が悪化する恐れもあるが、やはりきちんと話をしたいと思ったのだ。


 このまま何も話せずに終わるだろうかと思ったところで、先ほどとは変わって落ち着いた声音が聞こえてきた。


『……あいつ、感性が変わってるだろ? だから意外な見方したり面白い物作ったりするんだけど、やっぱりそういう奴って浮くんだよな』


 まるで反芻するかのように島崎は話を始めた。


『それで中学の時は一部の女子に嫌厭されてたって感じ。それに加えて見た目で目立ってたから、男にはその時からそういう目で見られることが多くて。そういうのも含めて、面白くないって奴らから一時期嫌がらせされてたんだよ』


 桃香と島崎が話してくれたことで、少しずつ輪郭を持ち始める現実。


 だからこそ今になって分かる。島崎が以前絡んできて気にかけるような言葉をかけたのは自分のためではなく、桃香が目立つことを懸念していたからだということを。島崎は反応を期待していないのか、ただ淡々と続ける。


『お前らが何してるか俺は知らない。桃香が話さない以上詮索もしない。それにあいつ、一度やるって決めたら俺が止めても聞かねぇし。けどさ、あんま無理なことさせたくないんだわ。目立つことは特に』


 幼馴染みに頼まれてるんでな、と付け加えて島崎は口を閉ざした。しかし、それだけの理由には思えなくて、和真はつい口を挟む。


「島崎、お前さ」

『そんだけ、じゃあな』


 島崎はそれだけ言うと、有無を言わさず電話を切った。


 ほぼ一方的だったとはいえ、島崎の本意を聞けたのはよかったのだろう。けれど、それ以上に消化しきれない思いが胸につかえる。


 和真はやり場のない気持ちを抱えたまま、途切れた携帯電話を一人眺めていた。

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