第58話 揺らめく記憶の再演を〈3〉
そこから長いこと電車に揺られて各々自宅に戻る。電車の途中、律は一度目を覚ましたが、疲れているのかまたすぐに寝落ちてしまった。修司と同じ路線ということもあり、和真は自宅まで一緒に付き添うことにする。弟を背負い荷物まであるとなると一人では大変だろうと思ったのだ。
「付き合わせて悪いな」
「いや、そんなのは別にいいんだけど」
「う……ん」
最寄り駅に近づいてきたところで律が目を覚ました。はじめはぼんやりした様子だったが、自宅に戻る頃には目が覚めたようだった。
着いたのは七階建てのマンション。オートロック付きでエントランスは落ち着いた雰囲気だ。なんだか分不相応な場所に来ている気がして少し落ち着かない。部屋に案内されたところで修司が声をかける。
「荷物は適当に置いておいてくれ」
「ああ」
「律、ご飯は食べられるか?」
「うん。お兄ちゃんこそ、ちゃんとご飯食べてる?」
「食べてるよ」
修司は律の頭をくしゃりと撫でると、荷物を持って洗面室に向かっていった。律は修司が消えた先を心配そうに見つめていたが、やがて思い出したように和真に頭を下げた。
「あ、あの。迷惑かけてごめんなさい」
「いや、二見とちゃんと会えてよかったよ」
落ち着いたところで律は改めて挨拶をしてくれた。
律は末の弟で小学五年生らしい。まだ幼いせいだろうか、線が細く女の子とも言えそうな中性的な顔立ちだ。話を聞くと、今日は修司に会うために一人で出かけたらしい。
「それにしても、どうしてあんな奴と一緒にいたんだ?」
奥から戻ってきた修司は開口一番そう言った。律は母親には友人と遊びに出かけると言って来たらしく、修司は少し悩ましそうな表情をしている。
「えっと。玖島さんのこと?」
「ああ」
律は困ったような表情で沈黙していたが、やがて口を開いた。
「実は……その、新宿駅で迷っちゃって。そうしたらおじさんが道を案内してくれるって言ってくれて。その前にちょっとお願いを聞いて欲しいって言われてついて行ったら、駅の外に出ちゃって」
「それで?」
「なんか変だなって思った時、玖島さんが声かけてくれて追い払ってくれたんだ。お兄ちゃんとは知り合いで今日会う予定があるから、一緒に行こうかって。あ、ちゃんとお兄ちゃんとの通話履歴も見せてくれたよ。見た目で初め怖い人かと思っちゃったんだけど、いい人だよね」
告げられた内容に和真と修司は沈黙する。しばらくした後、修司は額に手を当てると言葉を吐き出した。
「律、とりあえず一人で出歩くな。それと知らない奴についていくな」
「あ、ご、ごめんなさい……」
二見苦労しそうだなと思いながら、和真は自分も前科持ちだったことを思い出す。今更ながら、あれこれ言いたくなる姉の気持ちが少し分かった気がした。修司は気を取り直すと携帯電話を手にする。
「一ノ瀬、何か頼もうと思うけど、食べたいものあるか?」
「え? なんで?」
「なんでって……。散々世話になったのに何もしないわけにはいかないだろ」
和真の返答に修司は呆れたような顔をする。そもそも押し問答の末に着替えや漫画喫茶代を払ってもらっているので、これ以上してもらうわけにはいかないと思って反論する。
「そもそも俺の分、色々払ってもらってるんだけど」
「それは必要経費だろ」
「いや、節制しろ」
その時だった。がちゃんと玄関の方から音が聞こえてきて修司が視線を向ける。それからすぐに彼は律に声をかけた。
「律、もうちょっとで風呂沸くから先入ってこい」
「え、うん……」
背中を押されるようにして律は洗面室へ入っていった。少しするとリビングの扉が開かれる。
「……おかえり」
現れたのは四十歳半ばほどの男性だ。整ったスーツ姿は少し圧迫感がある。修司の父親だと理解して和真は慌てて挨拶をした。
「お邪魔してます」
しかし、軽く会釈をされただけですぐに視線は修司に移った。その視線と表情は厳しい。
「律が来ているのか。……お前が呼んだのか?」
「ああ」
修司の返答に父親は深いため息をついて、首元のネクタイを緩める。
「事情が事情なんだ。もう少し考えて行動しなさい」
「分かってる。一ノ瀬」
「あ、ああ」
和真は修司に促されて玄関に向かう。修司が前を歩き、それについていく形でマンションを出た。
「悪いな、今日は色々助かった」
「いや……」
高瀬から話を聞いていたとはいえ、実際に家庭の様子を目の当たりにするとどう反応していいのか分からない。それから、父親がスーツ姿だったことに違和感を覚えて修司に尋ねた。
「親父さん、今日も仕事だったのか?」
「ああ。昔から仕事中心の人なんだ。今日、もう少し遅くなると思ってたんだけどな」
そう話す修司は至って落ち着いた様子だ。和真は何かを言おうとして口を噤む。上手い言葉が見つからない。
「こういうのはよくある話だろ。気にするな」
和真の様子を察してか修司はそう言った。
価値観の不一致、それから起きる家族関係の拗れ。別居や離婚などよくある話かもしれない。ただ、それが簡単に割り切れるものかと言われればそうではない気がした。
「……よくある話だからって、大丈夫なわけじゃないだろ?」
和真はそれだけ告げる。修司からは何も返ってこなかったが、それに構わず和真は続けた。
「五十嵐たちと相談してまた連絡するよ」
返事を待たずに和真はその場を後にした。一人街灯が灯る道を足早に歩く。
湿気った空気のように、じっとりとしたやり場のない気持ちが残った。
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