第25話 気まぐれ者たちの奇想曲〈2〉
中間試験を終えた教室では席替えが行われて、少しだけ周囲の雰囲気も変わる。
窓から二列目の中央付近の席に変わり、安藤とも席が離れたので少しは落ち着いた生活ができるかと思った矢先のことだった。
「よし、一ノ瀬。方をつけるために一つ提案をしたい」
「は?」
昼休み、相変わらず目の前に立ちはだかる安藤に和真は不機嫌さを隠さずにそう言った。しかし、全く意に介さないどころか意気揚々として安藤は提案を続ける。
「埒が明かないからチーム対抗のバスケで勝負しろ」
「それ提案じゃない。しかもなんでお前の得意なもので勝負するんだよ」
「安藤の扱い、順調に雑になってるな」
隣の席を借りている俊はパックジュースを飲みながら呆れと感心が半分ずつ混じった視線で安藤を見ている。俊自身も安藤の扱いが着実に雑になっているが、当の本人は気にした様子がない。安藤は腕を組んで何故か偉そうに提案する。
「じゃあバレー」
「却下。島崎バレー部だし現役はなしだろ。っていうか、なんでスポーツ限定なんだ」
「分かりやすいだろ? その場で勝負がついて得点で勝敗がつくって」
安藤の言い分は確かにその通りだと思う。自分の得意なものを思い返して、勝負に持っていくのは無理だよなと和真は頭の片隅で思う。代案として考えるなら、あとは小テストで競うぐらいだろうか。
しかし、いくら興味があるとはいえ、ここまで労力を費やすというのが理解できない。和真は呆れ返った表情で安藤を見る。
「というかそのやる気を別のことに使えよ」
「ふーん? 一ノ瀬は負けるの嫌なんだ?」
「そもそも俺に一切利点がない話なんだけど。その上、受ける義理も理由もない」
煽る安藤を無視して和真は正論で返す。安藤としては勝ったら五十嵐を紹介してもらうという算段なのだろうが、あいにく自分に利点がないどころか不利益しかない勝負事を受けるつもりはない。そもそも、理解を超えた事態に遭遇している中、学校生活ぐらい平安に過ごしたいのだ。静かにさせてほしい。
安藤は顎に手を持っていって考え込むように空を見上げる。
「……そうだなぁ、利点はいるよな。じゃあ一ノ瀬が勝ったら可愛い女の子紹介して——」
「いい」
「ちぇー。つまんない奴だな。そんなんだと人生枯れるぞ」
「うるさい」
誰だこいつを爽やかなイケメンと言ったやつは、と和真は心の中で不満を漏らす。
女と男では見え方が違うのかもしれないと思いつつ、そう言えば女子には人当たりがいいし気も利くんだよなと思い直す。多分、そこは見習ったほうがいい。いや、やっぱりいいと一人で自問自答する。
「じゃあそうだな、一ノ瀬が勝ったら好きな時に頼み事ひとつなんでも聞いてやるよ。勝負も好きな種目選んでいいからさ」
スポーツからは絶対外れないのな、と心の中で不服に思いながら和真は眉根を寄せる。安藤はそんな和真を見て意味ありげに笑った。
「まあ、そうはいっても他のメンツが揃わないと始まらないことだし、揃っても余裕で俺たちが勝つかも?」
その一言で和真の動きが固まる。それを見た俊があーあと溢してため息をついた。
和真は腕を組むと、睨み付けるようにして安藤を見据えた。
「そこまで言うなら、受けて立つよ」
* * *
「で、俺にそれに参加しろと?」
放課後、工芸室の片隅で事の成り行きを聞いた裕介は呆れたような顔をして和真に問い返す。
安藤に持ちかけた勝負内容は三対三のサッカーだ。以前拓海たちとやったものと同じ形式である。裕介はサッカーを中学までやっていたと聞いているし、去年の球技大会で活躍しているのも知っているので和真としては必然の選任だった。
「そんな面倒なこと受けなきゃいいのに」
「……だって、自分のことは別に何を言われてもいいんだけどさ。友達を見くびられるのは嫌じゃん」
特別秀でた人間でないと分かっているので自分に関しては見下されても別にいいと思う。けれど、友人や知人を悪く言われたり見下されたりするのは腹に据えかねる。自分のせいで見下されるのなら尚更だ。
裕介はわずかに間を空けて頭を掻きながらため息をついた。
「……まあ協力してやってもいいけど」
「本当か?」
話を聞くのも渋々と言った様子だったので、意外な返答に正直驚いてしまった。裕介は和真の反応に呆れ返って半眼で見る。
「頼んでおいて驚くなよ。それで試合はいつだっけ?」
「今度の日曜の十二時」
「また中途半端な時間だな……」
「ついでに負けた方が昼飯奢るという話になった」
「いや、おかしいだろそれ」
「へー、サッカーの試合やるんだ?」
「いや、試合というかただの勝負事というか」
そこまで言いかけて和真は口を噤む。視線を上げた先には由香が立っていた。
「っていうか、朝木……聞いてたのか」
「部活そっちのけでコソコソ話してたら気になるでしょ?」
由香はそう言って、じとーっと和真と裕介を見る。道具を広げたままでほぼ手を動かさず話し込んでいるという有様は、確かに次期部長としては看過できないかもしれない。
しばらく由香は不服そうな表情をしていたが、何か思いついたようで表情を明るくする。
「ねぇ、私も行ってみていい? なんか面白そう」
「いや、別に面白くもなんともないと思うけど……」
「これでも弟がサッカーやってるから分かる方だよ? あ、じゃあさ、お昼作ってこうか? 時間、十二時って言ってたよね?」
「それは——」
「いいじゃん、それ」
和真が全てを言うより早く裕介が言葉を被せる。彼は和真を引き寄せると由香に聞こえないよう小さく呟いた。
「巻き込んだんだから俺に巻き込まれろ。負けても安心だろ」
「ええ……」
負ける見込み考えてるのかよ、と心の中で思いながらも巻き込んでいる以上文句は言えない。コソコソとやり取りをする和真と裕介を伺いながらこそりと由香が呟く。
「じゃあ……行ってもいいかな?」
「あ、ああ。多分、大丈夫だと思う」
「よかった。ありがと!」
じゃあちゃんと作業してね、と言って由香は後輩の元へと戻った。作業をする後輩たちと楽しそうに会話をしている姿を見ながら、面倒見いいよなと和真は思う。そこで和真は今更ながらに気になったことを口にした。
「……そういえば、裕介ってなんでサッカー辞めたんだ?」
「話してなかったっけ?」
裕介も理由を話していなかったのが意外だったらしい。裕介は両の手を頭の後ろで組んで椅子の背もたれに寄りかかった。
「弟と一緒にサッカーやってんだけどさ、ただ単純に弟の方が上手くて。親も弟の方に期待しているから、俺はまあここら辺でいいかなあって」
黙ってしまった和真を見て、裕介は苦笑いを浮かべて続ける。
「あ、でも勘違いするなよ? サッカー嫌いになったってわけじゃないし。たださ、昔から伝統工芸とか好きで、職人の切子見て物を作るってやっぱすげぇなって改めて思って。今はそういうのやってみたいって思ってるだけ。親には反対されそうだけど」
ふとした話で裕介にはやりたいことがあるのだと知る。祖父の店を継ぎたいと話していた拓海と重った。
それが眩しくて羨ましい。自分は今のことに精一杯で先のことなんて考えられないなと和真は思った。
「……別にさ、お前は今やれること頑張ってるんだから、それでいいんじゃん?」
思っていることを見越したように裕介はそう言った。なんだかんだ言ってしっかりしてるよなと思いながら、苦笑いを浮かべてそうかなと和真は返した。
それより、と言って裕介は眉根を寄せて腕を組むと軽く息をつく。
「サッカーのメンバー、もう一人当てあんの?」
「……一応あるはある」
裕介のもっともな懸念に対して、和真はもう一人説得しに行かないといけないなと心の中で嘆息した。
部活の後、行き慣れた喫茶店の二人掛けテーブルに座って和真は拓海を待つ。
「ごめん、お待たせ」
そう言って現れた拓海を見て和真は安堵した。昨日よりは体の調子が戻ってきたと連絡をもらっていたが、実際会ってみたところ顔色も悪くなさそうだった。
週末は色々あったけれど、拓海なりに気持ちを整理したのだろう。まだいつも通りとはいかないものの暗い表情は表に見せない。心境は複雑だろうに、いつも通りでいようとする拓海を見て強いよなと和真は思う。
少ししてから相談事を持ちかけたのだが、案の定、拓海は怪訝そうな表情で腕を組み、和真を見据える。
「……サッカーで勝負? なんでそんなことになったの?」
「諸々事情がありまして……」
いつにない威圧感に思わず敬語になってしまう。この間の出来事で物事の機微に聡いのだと感じていたが、既に拓海はこちらの理由を察している気がする。それ故の威圧感としか思えない。
「理由話してくれないと参加しませんけど」
それを証明するように拓海は苦言を呈する。誤魔化すのは無理そうだと諦めて和真は正直に話すことにした。
「……前に定期を落として、学校まで届けてもらって五十嵐と知り合ったって話したと思うけど」
「うん」
「安藤って奴がその時から五十嵐を気にかけているというか、ずっと紹介してくれって言われていて……。それで勝負を持ちかけられました」
「つまり」
「……俺が負けたら五十嵐を紹介することになってます」
二人の間に深い沈黙が訪れる。恐らくそれほど長くない時間だろうに、この時だけはやたらと長く感じられた。
「和兄」
思ったより柔和な声が聞こえてきて和真は下がってしまっていた視線を上げる。腕を組んだまま拓海はにこやかに笑った。
「朝練しよっか?」
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