第6話 時計塔の街2
――。
街と呼ばれる場所の中央に建つ時計塔。
時間の共有に重きを置く人々の営みであるこの街。
明日美はひとまずこの街に滞在してみる事にした。
紹介された街の長は年齢50歳位の体の大きな人で、性格も大らかな人だった。白いシャツに肩ベルトが付いた服装で街役場の中を行ったり来たりして業務を遂行する姿は充実感に溢れている人だという感想を持った。切りそろえた髭がお洒落で、よくニカっと歯を見せて笑う。ハッハッハと周りに響く声で笑う。そういう人だった。
街に来た当日に明日美と出会い、事情を聞くと怪しいよそ者だと警戒はせずに両腕を広げて明日美を迎えてくれた。
「アスミくん。荷運びの仕事をやってみないか?」
街の長がそう提案したのは、明日美にここの地理に慣れて貰おうとしたからというのと外に出て街の人々に触れ合うのが良いと考えての事だった。明日美が良さそうですね、と言うとまずはやってみようという事ですぐさま現場に連れられた。
荷物の発着点に着く。オートバイに似た機械の前で、この使用方法を丁寧に教わる。そして実演に移る。座席に跨り練習用のスペースでバランスを保とうとしながら決められたコースを回る。初めはぎこちなかったが周りの指導と励ましもあって短時間で何とか必要な運転技量を修められた。
と思ったら、すぐさま実際に集配してみようという事になった。その仕事、ベテランの人と並んでオートバイを走らせる。大きな道の中央が自分達バイク乗りの走れるレーンらしく、その左右を徒歩の人が進むという構図は日本のそれと同じかに思えてやりやすかった。
風を切りながら暴れる前髪を気にする余裕も無くベテランの人に付いていかんとする明日美。西洋風の民家が立ち並ぶ通りを抜けて商店街へ。スタイリッシュに着こなしたマネキンの入ったショッピングウインドウの前でたむろする女性を通りすぎ、店頭で買い食いしたものを満足そうにゴミ箱に捨てる青年の傍を通過する。
(美味しそうだったな、何を食べてたんだろう)
若く激しい曲が流れる方向を反射の様に見てみるとギターらしき外観の物が店頭で売られていた。曲は店内から流れてくる。今時の若者といった風体のグループが店の前で談笑している。
――。
ベテランの人はデリーという名前らしく、白のタンクトップを着ていて年齢も30歳と若く逞しい体つきをしていた。頼りがいのあるその背中を追って結構な距離を走り。
やがてデリーの人はとある飲食店の前で停車した。
「ここだ、アスミ。積んでいた荷物を下ろして中に入ろう」
「あ、はい」
言われた通りに荷物を持って中に入る。
開店前らしく客はまだ居ない。
白いテーブルクロスを被った机が幾つも配置され、丸みを帯びた椅子達がそれに沿うように立つ。赤と黄色の絨毯が広い部屋を縦横無尽に伸びている。日本の何処にでもある洋食屋といった内装だ。美味しそうな匂いが漂っておりデリーはそちらの方へ荷物を持って歩いていった。
「やあ、いつもの物だ。ここに置いておけばいいかな」
厨房らしき場所に入りそこでコックの様な白い恰好をした人物に話しかけ、その人が応える。大きな体つきで少量の髭を切りそろえている。40代位だろうと思われた。
「ああ、デリーか。ご苦労さん、そこに置いといてくれ」
「アスミ、ここに置いてくれ。料理長、彼女は新しく集配する事になったアスミだ。宜しく頼むよ」
明日美は指示された場所に荷物を置くと慌てて前に出て頭を下げた。
「明日美です。宜しくお願いします」
「見ない顔だな……」
料理長の物珍しいものを見る目に明日美は少しヒヤリとした。折角街に問題なく滞在させてもらえそうだったが、ここで出自を追及され異世界からやってきたかもしれないという事がバレると居づらくなりそうだ。
しかし。
「よし、俺の料理の味を知らないっていうならガツンと食わせてやろう! アスミ、腹が減ったら立ち寄りなさい」
どんと、大きく口を開けて笑みを作りながら自分の胸を叩き明日美の前で力強い握りこぶしを作った腕を見せつけた。少し毛が濃いなと思いながら前衛的な料理長の言動に苦笑する明日美。
「はい、有難うございます」
細かい追及などをしない人で良かった、と思った。
豪快な料理長の経営する飲食店を後にして明日美は次々と色々な店を回った。明日美は時間を忘れてデリーの説明を吸収していった。そうしていて嫌でも解るのは街人達の生活を快適にしようという意志と動きである。
どの店も客に応えようとし、客は店に感謝し通貨を渡す。よりよきサービスを考案する為皆でオフィスで話し合い、サービスを受けた客がカフェなどで感想を語り合う。
同じ感情を持つ存在だと感じた。生き物だ。人の為、街の為に動かんとする。街に張り巡らされた道を走る仕事をしてみて、滞在期間の少ない明日美でさえもそれを感じ取れた。
(どうやら日本と同じく衣食住、娯楽や政治などを皆で分担して支えている様だ。日本人と同じくそれらを求めている人達なんだ。自分と同じ人なんだ)
一応セルタからも言葉でこの街はこうだと説明を受けていたが改めて実感した。
……。
――ゴオオン、ゴオオン……。
何処かからか響く音。デリーと共に道端に居た明日美はハッとして顔を上げて視線を彷徨わせる。
目に入るのはこの街で一番高い建造物の威容――。
時計塔だ。
道を歩いていた周囲の人々も立ち止まり時計塔から放たれる音を聞く。街の中央に位置していると思われるシンボルに、あらゆる街人の視線が集まっていく。
――正午を知らせる音だったらしくその後人々は昼食に繰り出す風であった。
「アスミ、さっきの店に行こう。お腹が空いただろう、そこで腹ごしらえだ。大丈夫、お金は俺が払うから。この辺りの人にもお前の事を紹介しよう」
そうしてデリーに連れられ再び料理長の店へ。客である人々は現況の報告やこれからの予定などを楽しそうに話している。店の空気は和気あいあいとしていて一体感があった。
この店の周囲で活動している人達が集まっているのだろう。ほぼ満席の空間で皆の前でデリーに明日美自身を紹介してもらった。皆が警戒する事なく迎えてくれた。明日美の席の近くの人が話しかけてきて、初めてとは思えない程に距離を近く感じさせる話し方をする。自分の仕事、家庭、その自慢や愚痴などだったがいずれにせよ楽しそうに話していた。
――時間は皆、平等だ。
――皆で賑やかな食卓を。
誰かが前に出て張るような声でそう言った。皆がそれに続き唱和する。ここらの皆で同じ時間、同じ場所で食事を摂る。おそらく他の店でも似たような雰囲気になっているのだろう。そして街全体も……。
料理は美味しかった。石肉といって、食べられる石があり火で炙るとその内部が肉の様に柔らかくなる事からそういう名がつくものが出された。それが皿に乗って出てきた時は明日美は目を瞠った。
緑々しい葉っぱに包まれた黄色い棒状のもの、おそらくは野菜の類であろうそれは鮮度が良くかじるとパキンと良い音を立てた。
主食のもっちりとした円状のパン、それにふんだんにかけられたオレンジ色のソースは程よい辛味がある植物由来の液体らしく、舌に触れると食欲が湧いた。並べられた数々の料理を感謝しながらナイフとフォークで食べ進めていく。
――ああ美味しい。来たばかりの自分が快く受け入れられて、多くの人と楽しい昼食のひと時を共に出来ているなんて。全部を回ってはいないがここは良い街だ。
昼食を満喫した後は人々に見送られながら、街の案内がてら仕事を引き続き教えてもらう。夕方になるかならないかという時刻になると時計塔からの音が響く。人々はそれに反応する。
人々は仕事を切り上げてある者たちは肩を組んで連れたって帰路に向かい、ある者はこれから始まるプライベートな時間に心躍らせながら弾む様な足取りで何処かへ行く。朝から晩まで箱詰めの残業漬けの毎日……といった雰囲気は道で立ち止まって見ている明日美には感じ取れない。
「……」
一緒に働き、一緒に食べ、また働き、終われない様ならば手を貸す。職の違いや技術の差こそあれど人々のバイオリズムは同じかに思えた。先を行くデリーが振り返って明日美を見る。立ち止まって異世界の人の活動に見入っていた明日美はその視線に気が付き慌ててデリーの元へ行った。
役場に着く。最低限の事は教わった様でデリーは励ましの言葉を、明日美は指導に対する礼を言って握手をして二人は別れた。日が沈もうとする中、セルタや街の長と合流し今日の活動を報告してから夕食に共に行く事になり。昼とは場所も人も違ったが、時間は皆平等だといって皆で楽しく食する様子は一緒だった。
――その後。
役場に紹介してもらった宿へとセルタに案内してもらっている時……。
「アスミさん。一日この街を回ってみてどうだった?」
薄暗くなる中、二人で歩く。街灯が灯り飲食店の前で盛り上がる人々の前を通り過ぎながらセルタが聞いた。明日美は満たしたばかりの腹をさすりながら顔を向ける。
「はい、皆一体感があるなと思いました。来たばかりの自分にも親切でしたし良い人達、良い街だなと」
「そう、そう言ってもらえて良かったわ。時間は皆平等だものね」
「……」
(この一日で何度か聞いたスローガンの様な一句。この街で流行っているのだろうか。時計塔があるくらいだしな)
宿は日本でよく立っているホテル程大きくはなく部屋数も少ないが、内装はモダンで清潔感があった。フロントの人に話を通して宿泊料金を払ってくれるセルタに礼を言いながら、彼女が手に持つ通貨に目線が行く。
やはり見たことのない通貨だ。異世界なので当然だが。
図柄は、円をモチーフにしたもので銅貨、銀貨、金貨の三種類と白いお札だ。金貨が硬貨の中で一番価値のあり、白いお札には数字が描かれておりその数字が大きい程高価である。と、簡単な説明をセルタから受ける。
明日美の滞在が宿側に認められた。セルタは明日美に向き直り明日の予定を話す。 明日の午前10時頃に役場に来てもらい――。そこで改めて仕事を始めるにあたっての役場とのやり取りを行った後、仕事場に行ってもらうという事を口頭で確認しあうとセルタはおやすみなさいと言って手を振りながら去っていった。
柔らかなオレンジの照明で照らされた空間を歩く。人気は少なくロビーには何処となく旅人に思える、荷物を脇に積んだ人がソファーに沈みながら壁際に立てかけられた液晶画面らしきものを見ている。
(宿に泊まるという事はこの人も他所から来たのか。話しかけて回りの情報を集めてみるか、いや自分があの列車に、異世界から来たという事を聞き返される事によって突っ込まれたくはない。今はやめとこう)
宿の話を持ち掛けられた時、列車が出発してしまうかもしれないから車内で寝泊まりした方が良いのではと思ったが異世界の宿というのに興味があったし、列車は明日美が来るまで待ってくれるのではないかと何となく思ったので宿を選んだ。又は駅に行けば明日美の意志に引き寄せられる様にやってくるのではという算段もあり。
列車の事はひとまず置いておいて折角の宿を味わおう、そう思い自分の部屋の前に立つ。ここまでの通路はダークな壁が上品に光り黒と茶色の床が足音を響かせるものだった。黒ドアノブに手をかけて黒塗りの扉を押し開けると――中は。
木を基調にダークトーンの壁がアクセントになったシンプルなインテリアだ。バスも付いており、洗面所には清潔感ある白の洗面台に水色の植物が添えられていて華やかさと爽やかさが出て洗練された印象を与える。
真っ白なシーツを被るベッド……腰かけると少しこちらが跳ね返されそうだ。
「――ふう……」
ようやく一息付けた。
(色んな事があったな。まさかこの様な西洋風の街に着くとは。でも直ぐに皆と馴染めそうで良かった)
皆と同じに、共に仕事を食事をしようという雰囲気にやや急かされる感はあったが同調圧力みたく不快なものではなかった。
風呂にお湯を溜めて服を脱いで中に入る。デザインは日本の高級なホテルにある浴槽といった感じだ。心地よく温まる。たゆたう水面眺めながらこれが異世界のお風呂、水か……と思いながら少し顔を沈めてプクプクと泡を出した。
上がってから備え付けの寝巻に着替えて机にノートを広げて今日の出来事を書く。 それからベッドに後頭部からダイブする。傍にあるスイッチで消灯しベッドに体を沈める。暗い天井を見ているとぼんやりと眠気が来てスゥーッとまぶたを下ろし――うつつを手放し意識を底に落とした。
……多少の時間差はあれこの街に住む人々は時計塔の針が9時を回ろうという頃には寝床に入り寝息をたてはじめる。
街の中央にそびえ立つ時計塔の針が零時を示した。時刻は深夜、人々が寝静まった暗い街の中で、出歩くものは見当たらない。誰かが自身の体や心を取り残され孤独な夜を過ごしている事など無いように思える。皆と一緒に働いた、皆と一緒に食べ語り合った。そして皆と一緒に寝る。
誰も一人ではない。アルダンテの夜……。
時計塔の時計の針が間断なく動く、時計塔は見守るように夜闇の中でも気高い存在感を示している。
――。
翌日。
朝起きるとそこは当然ながら異世界のホテル。カーテンの隙間から差し込む光で照らされる内装。
(ああ……異界の街の宿、その天井だ)
そう思いながら時間をかけて上体を起こす。カーテンを開けると柔らかな朝の日差しで自分の気持ちが切り替わるようだった。
窓を開ける。涼しい風が頬を撫でる。早朝の清涼な街の匂いを鼻から吸い込んだ。時刻は6時になる所だった。
硬質な質感を視界で察せる少し暗色な石造りの建物達。重厚な外観なそれらが並ぶのを支える区画。建物の間を通るは丁寧にはめ込まれた石畳の街路、その奥行きは街の各所に分岐している。
むき出しの地面が所々見られそこには茶系の葉を元気に漲らせた木々が立つ。思い出した様に石畳の隙間から少し顔を覗かせる緑の短草が通りの光景にアクセントを付けている。
昨日と同じ街並み、一度夜を迎えたモノの再び日が照らされたこの街中を街のシンボルが堂々と呼びかける。
ゴオオン、ゴオオン……。
時計塔が6時になった事を街全体に知らせる音が聞こえてくる。
するとそれを合図にしたかの様に何処からともなく人が現れ街路を大手を振って歩き始める。彼らは時間を皆と共有していて、時計塔を心の拠り所にしているのだろうなと思いながら窓からその様子を見る。明日美は顔を洗い着替えて用意してもらった朝食を食べてからホテルを出た。
役場に時間通り集合する。その後はデリーと合流し荷運びの仕事を昨日と同じように行っていった――。
昼になると街人は仕事を中断し、時間は皆平等だと唱えながら食を共にする。午後3時の時計塔の音が響くと人々はお互いを労いながら仕事を切り上げる。明日美はオートバイの様なものに乗ってあちこちに行って人と関わってきたが、和のある良い街だと結論づけた。
仕事している人達は互いに協力的であくせくせず、誰か一人が重い負担を背負い続けている様子は見られない。人との挨拶をよく交わすし単純に言われた事をこなせばいいとだけ思い続ける動きではなく、何より時間に忙殺されないホワイトな営みという印象が見ていて強い。
学校関係にも荷物を持って足を運んだがそこの子供たちは時間通りに行動し、遅刻や時間にルーズな子は居ないと見える。解らない問題があって悩んでいる子が居ればその子に丁寧に別の子が教える――といった場面も見た。
(規則正しい清く和のある学校だな……)
良い街だ――。そう思ってその日の配達を終えて宿に戻ろうと帰り道を歩いていた時。
「え……」
自分の視界の上ら辺に何か動くものがあるなと思って見上げると。
街灯の柱がしなっていた。
それを見て硬直する。風で揺れているのかと考えたが今はこの辺りは風が吹いていない様だ。勢いをつけて倒れかかってきそうな感じで右に左にとしなるので誰かに言おうと辺りを見回す。
するとカチカチという音が何処かからか聞こえてきた。
近くの足元を見る。と、石畳の一枚の床が自らを折り畳む様にしているのを見て取った。四角い自身を二つに等分する様に中央に折り目が付いている。折り目を中心にした左右の面が開いたり閉じたりして接触面を勢いよく合わせ音を打ち鳴らしている。
人間が手を叩くみたく蝶が羽を開閉するみたく……石のカスタネットみたく。
歩道の隅の石畳の一つが、カチカチと小さな音ではあるが出していたのだ……っ。
(何か……こういう仕掛けなのか? 道行く人を楽しませるとか。いやそんな訳ないか)
明日美は見慣れたオートバイが視界の端を掠めるのを見て取った。呼び止めて聞いてみようと口を開いたが言葉は出なかった。
走るオートバイには誰も乗っていない。早くもなく遅くも無いスピードで無人のオートバイは明日美の傍の道路を走っている。誰かが遠隔操作しているのではと思ったがそれにしては何もない所で自転したり不自然な動物みたいな跳ね方、ウイリーと思われる挙動をしている。
明日美の警戒と興味の視線を何ら意に介さず蛇行運転しながら無人オートバイは去っていった。
(運転している時にあんなのに出くわしたら避けきれるだろうか)
明日美は連続で目撃した奇妙な光景について誰かに聞こうと再び辺りを見回す。するとたまたま近くを通りがかった人が居たので駆け寄る。その人にいましがた見たポルターガイストの如き現象の事を尋ねてみた。
すると事も無げに、何だそんなことかという態度で答えてくれた。
「あれはネアだよ」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます