第5話 時計塔の街

 ――光の点が窓の外を流れていく。



 その窓を背にして今までの事をノートに書き連ねている明日美。

 銀河宇宙を旅しているかと思える、暗い海とも呼べる空間を走る列車の中は静かだった。

 ペンを走らせる小さな音を聞きながら次は何処に辿り着くのだろうという疑問が強くなっていく。


 ――やがて。

 長いトンネルを抜けたかの如く周囲が明るくなった。明日美はハッとして立ち上がる。

(着いたのか。何処に? 日本か?)

 それに応える様に窓の向こうに景色が現れた。

「……」

 見覚えのない何処かのホームだった。列車のドアが開く。明日美は荷物をまとめて出入口の前に立って深呼吸する。一歩外に出た。――ここは何処だ。

 カチ、カチと。何か聞こえると思って見上げてみれば柱に馴染みあるアナログの時計が飾られている。外が明るいので示しているのは午前九時だろう。そういえば自分も時計が欲しいなと思って見上げているとふと気が付く。どうやらここは自分の知る数字と同じものが使われている場所らしいと。

 石畳の床を歩き、石で出来たベンチを見やりながら進む。ホームは無人で誰ともすれ違う事のないまま道なりに歩いていく。カチ、コチと時計の針を背にして今度は何処に着いたのだろうと顔と目を動かす。再び見知らぬ地に着いた実感が湧き心臓が少し跳ね始める。白い門を潜りホームの外へ。



 遠い所にそびえ立つ塔が見える――。

 そして建物の群が見渡せる。レンガや石で外壁を積み上げた住宅が立ち並ぶ。丈夫そうで重厚感のある外観デザイン、窓は小さく少なめだ。四方八方に張り巡らされた石畳の通り道を歩く人々の姿が確認できる。

 建物を構成する素材が適材適所で丁寧にはめ込まれている印象。電柱などは視認されず、少し暗色気味な建造物の上には晴れ渡る空がある。気温具合からして春か秋を思わせた。

 アスファルトやコンクリートが目立つ地に立ち並ぶ木造住宅、といった日本らしからぬ光景を目の当たりに出来る。

(人だ……人だ、人が居る!!)

 明日美はホームから離れ建物が集まる街といえる場所へ入ろうとする。が、その前に傍に立っている看板に目を通す。


【時計塔のある街 アルダンテ】

 

(漢字、平仮名、カタカナが使われている……この三つを使う人々は日本人だがアルダンテ? とは何だ。聞いた事が無いな。洋名っぽいしここは日本ではないのか。日本に似た何処か別の場所なの)

 列車があの彩りの草原から動き出せば、再び明日美が居た日本に戻れるのではないかと思ったがまたもや見知らぬ場所に着いてしまっている。このまま実家からどんどん離れていく可能性は大きくなった。

 明日美は看板から目を離し街の領域内と言える場所へ踏み込んでいく。明日美は少し辺りを歩いて目を忙しなく動かした。四季を考慮した木造家屋の多い日本らしい街並みではなくどちらかといえば欧州のそれであるという印象を持った。

 ここが何処かどんな営みが為されているのか、そんな事を考えていると人々が明日美の傍を通り過ぎていった。カジュアルな服装で髪はブロンドだったり茶色だったりする。

 列車に乗ってからというもの人に出会うのは初めてだった。

(声をかけようか、でもよそ者だから警戒されないか)


 と、迷っていると明日美が立っている場所、そのすぐ傍の住宅らしき場所から戸口が開いた。中から人が現れる。反射的にそちらの方を見た明日美とその人物の視線が合った。明日美がしばし硬直しているとその人物はニコリと微笑んで声をかけてきた。

「どうしましたか? 私の家に何か御用ですか」

 ドキリとした。話しかけられた。

(日本語? 日本語だよ!?)

 ショックでドギマギする明日美を不思議そうに見つめる人物。――ブロンドの髪を後ろで結っている。二十歳過ぎ位だろうと思われる。顔は日本人と外国人の中間で、明日美は美人だと思った。レディーススーツに似ている装い。丁寧な言葉で温和そうな人という印象を持った。

 様々な情報が入ってきて混乱するが、とりあえず答えなければと口を開く。

「あー、道に迷ってしまって……」

 嘘ではないどころか、もしかしたら違う世界線規模で迷っている最中である。

 ここが何処か解らない、何故ここに来たのか解らない、この街の勝手が解らない。この三つを伝えようと明日美は考えた。

 日本から来たというと異世界に来たかもしれないという話が混じって相手が混乱するかもしれないので、そこは伏せてこの辺りの事は何も解らないという事を説明した。相手の女性は深く詮索しようとはしなかった。

 まずお互い名前を名乗った後、明日美に暫くここに滞在するつもりがあるかと聞き、肯定の返事を確認すると。

「街役場に行って仕事と宿について考えましょう」

 といって、自分に連れたって歩く様に促した。


 ……女性に付いていきながら、親切な人に出会えて良かったと思いつつ街の様子を見ていく。靴屋、花屋、本屋、カフェと思わしき屋外テラス付きの建物などを眺めていく。

(どうやら日本と同じく嗜好が似通っているらしいな)

 人々は働き商売し、レストランなどで食を楽しむみたいだ。

 目の前を歩く女性は名前をセルタというらしい。セルタと名乗った女性は街役場に行く道すがら、街の機能を簡単に説明してくれた。

 ここは教育の振興や人材育成の建物……ここはスポーツ関係……ここは文化、科学技術の振興に取り組む施設……何かあったら仲介に長ける人々もいるから駆け込めばいい……。

 といった具合に身振り手振りでやってくれておりその締めに、解らない事があれば今から行く役場を訪ねてくるといいと言ってくれた。


 ――そしてその街役場に着いた。

 どっしりと幅広く構えた重厚な建物。茶色と黒を基調としており幾つも付いている窓からは、中で人が動き回っている様子が視認出来る。そして何より目を惹くのは正面上部に堂々と取り付けられた大きな、大きな時計である。

 形状は丸くアナログで一から十二までの数字を巡る大小の針が付いている。

大勢の人が入り乱れる中、広く口を開けた入り口から屋内に入る。コチ、コチ……とあの大きな時計から発せられているであろう音が耳に微かに入ってきた。

 柔らかい絨毯を踏みしめ行き交う人々に挨拶を交わしながら、迷う事の無い足取りで先を進んでいくセルタ。ガラス張りの部屋を幾つも通り過ぎる。内装は明日美個人から見てモダン的と思われた。

 お洒落なデザインの机の上に広げられた書類を囲みながら人々が何事かを話し合っている。ここで街をどの様に運営していくかを話し合っているのだろう。

(この街の営みか、そういえば時計塔のある街と看板に書いてあった。一つくらい時計が欲しいな。あ、でも時計が独特だったら列車に乗って他の場所に移動したら換装とか修理が難しくなるな)

 そんな事を考えているとセルタはとある部屋の前で立ち止まった。先に中に入り明日美を招く。中に入るとこじんまりとした応接スペースが見渡せた。

 セルタはブラインドを開けて中を明るくし、窓際に置いてあったポットを持ち備え付けのシンクで水を入れてから沸かし始める。コンセントは見当たらない。その後机から書類とバインダーを取り出し明日美に席に着く様に促す。てきぱきとした一連の動作。明日美みたくいきなりの訪問者にも動じていない風であった。

 

 両者着席し向かい合う。

「さて、タチバナさんでしたね。改めまして、私はこの役場で働いているセルタと申します。幾つか質問するから答えて頂ける?」

「はい」

「改めてフルネームで名乗って下さい」

「立花明日美です」

「タチバナ・アスミさんね。年齢は?」

 十代半ば真っ盛りだと答える。

「何処か体の調子が悪い所は無い?」

「無いです」

「何か特技はある?」

「特技……習字が得意です」

「習字ね、自前の筆とかあるんだ?」

「はい」

 次々と繰り広げられる質問に正直に答えてゆく明日美。

(習字という単語も、筆を持って行うことも知っている。やっぱり似通った世界かもしれない)

 セルタという女性は書類から目を離し明日美の目を見た。

「それじゃあ最後に聞くけどこの街で働いて生計を立てる意志はある? 旅人さんであれば必要とあらば滞在資金を援助するのだけど……この街では皆と同じサイクルで過ごしていくのが普通になっているの。仕事を分け合って負担も賃金も共にしたり、休憩や食事も一緒の場で過ごす事が多いわ」


 皆で良い時間にしようと生きているの、と最後にセルタは付け加えた。


 自分が年下の同性だからかそれとも彼女の性格によるものか、少しくだけた話し方と雰囲気になっている事に気が付いた。

「いつこの街を発つかわからないので単発の仕事ならやりたいと思います」

 明日美自身、列車に乗って移動し続けた方がいいのか、この街に定住した方がいいのかわからないでいた。現在あの列車を強く意識している状態である。

 セルタはわかりましたと言い、最低限聞きたい事は聞いた風で明日美に書類とペンを渡して立ち上がった。

「ここにも同じ質問事項が書いてあるから、今答えてくれた事をここに書き記して下さい。何かあれば備考欄にどうぞ」

 明日美が記入を終える頃にセルタはお茶をトレーに乗せて持ってきた。

「出来ました」

「そう、ありがとう。これで街の長に目を通して確認してもらえば生活が不安定な人の為といって、運営が街で暮らしやすい様にと便宜を図ってくれるわ」

「……」

 明日美は差し出されたお茶を受け取り茶色い水面を見つめる。湯気が立っている。少し黙考した後に顔を上げてセルタを見た。

「セルタさん、色々と聞きたい事があるのですが」

「いいわ、何?」

「会ったばかりの私をすぐに親切に案内して下さいましたが、他にも自分みたいな迷い人はいるのですか?」

 日本では身元や経歴をきっちり調べて国民の一員にする動きがある。あらゆる意味で外からやってきた自分に対して警戒が薄いのではないかと思って聞いたのだった。 セルタは一口茶を啜ってから微笑む。

「そうね、頻繁ではないけど他所からやってくる人はいるわ。この地も広いからね、見聞を広くしたいと思って大きなカバンを背負ってやってくる人や、珍しい物を売りにやってくる商人の方なんかもやってくる事があるのよ」

 他所との交流はある様だ。明日美はこの地という言葉に反応して口を開く。

「この地、と仰いましたがここは何という国なんですか」

「国? 国があったのは昔で今は見られないわ。少なくともここら一帯は国なんてものじゃないわね、只大きな街よ。人々が様々な職について相互に助け合っていくね」

 想定外の答えに唖然とする。国というものは無いらしい。ここに来る際に見てきた景観からして閉鎖された村や街といったものではないと感じたし、彼女自身も他所からの訪問者の存在は認めている。


「……セルタさん、日本という国名を聞いた事はありますか?」

 今までは何となく想像してここは日本ではない、自分の知る地球上ではないと一応結論づけてきたが、受け答えしてくれる人も現れたので遂に核心に迫る質問を投げかけた。

 呼吸が浅くなり緊張の面持ちでセルタを真っすぐに見つめる。

 そして返ってきた答えは。

「知らないわ」

 ――。

 明日美の放つ日本語に応じられているその人がそう言った。

「…………」

 明日美の視線が徐々に下がっていく。互いに身じろぎせず部屋は静かになった。壁にかけられている時計の針の音が存在感を増し、耳から踏み入ってくるように錯覚した。


 明日美は深く呼吸した後、気を取り直して先程自分が書いた書類を手に取り、一文字を書き込んでそれをセルタに見せた。

【あ】

 それを指で示して聞いてみる。

「この文字の種類は何て読みますか?」

「あ、と読むわね」

 とセルタはさも当然だろうという感じで答えた。明日美は【い】という文字を書き足して聞く。

「いえ、そうじゃなくて……こういう【あ】とか【い】とかそういった文字をひっくるめて何と呼びますか?」

「ああ、そういう事ね。ヒラガナ、よ」

 明日美は首肯し次にカタカナで【ア】と【イ】と書いて見せた。

「アとか、イ。読みは同じだけどさっきと呼称が違います。こういう表し方をした文字達を何と呼びます?」

「カタカナね」

 即答してくれた。

 明日美は、はやる気持ちを抑えられずに矢継ぎ早に聞いていく。

【亜】【伊】と書いて見せる。

「これは何と読みます?」

「あ、い。と読むわね」

「ではこれら二つの様に表した文字達を何と呼びます?」

「カンジ、ね」

 他にも数字を書けばそれは数字と答え、アルファベットを書けばそれはアルファベットと答えてくれた。日本人が使う文字の呼び方が一致している。

 明日美は漢字と英語でそれぞれ表してみた。

【日本】【JAPAN】

「これら、何と読めます?」

「ニホン、ジャパン」

「そう呼ばれる国に心当たりは?」

「無いわよ。その国は何処にあるの?」

「…………」


 真顔で見つめ合う二人。同じ言語を話し会話が通じているにも関わらず女性のその答えに隔たりを感じさせる。いっその事、完全にお互い何を言っているのかわからない状態ならある意味あらゆる事を諦観するかもしれない。

 しかしこの街の住人の一人である女性に自分の使う日本語が通じる故。ここは日本でなくとも自分の実家のある地球上の何処か知られていない場所なのではないか、という希望を持ってしまう。自分の住んでいた場所と遠く離れた、隔絶された場所にいるかもしれないとは思いたくないからである。

 目の前の整った顔立ちをした女性は身だしなみをしっかりとしているし、誠実に自分との対話に応じてくれている……そう明日美は思った。嘘や冗談を含んでいる風ではない。


 じわじわと事実が自分を包んでいく感覚がある。それに対して違和感満載、面白いという見方をする反面、不気味とも捉えた。ここは自分が居た地球上ではなく、異世界とも呼べる場所なのだという事実を完全に受け入れるには抵抗があった。

 ここは。日本人が使用する言語と同じそれが使われている、日本とは全く別の場所なのだ……そう実感した。――それでも更に聞いてみる。

「質問ばかりしてすみません。しかしどうしても聞いておきたい事ばかりなのです」

 英語を使う大国や、他にも漢字を使う国を挙げてみた。これらの国は聞いた事がありますかと聞くと。

「うーん、悪いけど知らないわね。聞いた事も無いわ」

 漢字や英語、ヒラガナ、カタカナで表現してみてもセルタは首を縦に振らない。無視できない、力を持った国々の名前を挙げてみてもセルタは全く心当たりが無いというばかりである。

「セルタさんが今使っている言語は何という名前で呼ばれていますか?」

 平仮名、カタカナ、漢字、アルファベットを使いこなしながらも返ってきた答えは。

「ワトウ語よ。ワジン語とも言うわね」

 ワトウ……ワジン。聞いた事が無かった。日本との結びつきは無さそうに感じた。

 明日美は戸惑いつつもセルタの返事によって得られた情報を整理する。一呼吸して背もたれに身を預ける。思考を一旦置いて茶を眺める。時計の針の音が再び意識で聞こえ始める。気が抜けたように一言漏らす。

「そうですか……」

「ええ……」

 セルタは明日美の希望に答える返答が出来なかった事、彼女の表情から察したのか若干申し訳なさそうにしながらお茶を啜る。


 ……。

 ――どうする。天井を見上げながら明日美思う。

 やはりここは異世界で自分の実家は、住んでいた街は遠くにあると考えていい。そして戻れるかどうかも解らない。車掌も客も自分以外誰も居ないあの列車が誰かの意図で自動的に動いているのだとしたら……あの列車の造られた背景が解れば実家に、あの地球に戻れる糸口がつかめるかもしれない。

「――……」

 セルタはカップを両手に持って姿勢良くしたままこちらの動きを待っている。

 

 明日美はしばし瞑目した後、体を起こして前を見据えて言った。

「わかりました、ひとまず聞きたいことは以上です。セルタさん、改めて言います。この街で働かせてください」

 ここに来る道すがらだったが、治安は悪くなさそうだしここで収入を得てそれでこの街を少しでも快適に歩くのだ。不思議な列車で意図せずして移動しているというこの状況の謎を解決するには、列車が停まった場所などを調べるのが良いと明日美は思った。そして列車の中に留まっていても答えは現れそうにない。



 移動する列車の目的がどうしても解らないなら。

せめて停車した場所で降りてその地を見て知り、営みがあればそれに触れていく事が――。

 あの列車と、そこに乗る事になった自分の状況を解明するのに近道だと考えたのだ。



 再び働く意志を示したが今度は重みあるそれだった。自分の状況を受け入れ謎の解決に向けて進んでいこうとし、手近な目標を定めて一歩を踏み出すという真剣な示しだった。明日美の表情を真正面から見据えてセルタはゆっくりとうなずき、お茶を飲み干すと立ち上がった。

「わかったわ。街の長に紹介して今日中に宿を、出来れば仕事も見つけられる様にするわ」

「有難うございます」

 明日美は暖かいカップを掴む。異世界に対し重い腰を起こす様に、手始めに異世界のお茶を自分に流し込もう、飲み込んでやるという気持ちでぐいっとあおった。――美味しかった。ほうじ茶に似ている気がした。

 二人は荷物をまとめ部屋を出た。明日美は好奇と緊張感を持ってセルタの後を追う――。


 (まずはこの街を歩こう。仕事をして通貨を手に入れて色んな場所を歩いてみよう)

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