第4話 彩りの草原3

 ――久しぶりに車内へと戻ってきた。中は特に変化が無い。フリーエネルギーで照明を付けてくれているらしく車内は明るかった。柔らかい光を投げかけられた静かな空間に居る事を実感すると何処となく安心感が湧く。


「おーい、おーい」

 念の為呼びかけてみるがやはり誰もいないらしく返事は無しだ。お腹が空き疲れもたまり、どうしてここに居るのか解らない自分に免罪符をくっつけた気持ちで明日美はここの設備を使わせてもらう事にした。

 車内にあったマニュアルを記した冊子を見つけて手に取る。一通り読む。

(まずは食事だ。車内にあった冊子を呼んだ所によれば、世話無しで生えてくれる植物があるらしい。それを貰おう)

 今居る先頭と思わしき車両から後続の様々な個室が設えてある隣の車両に移る。目当ての部屋、キッチンらしき場所に入る。そこには台の上に植木鉢が並んでいてそれぞれに多種多様な植物が植わっている。赤、緑、黄。食欲を興す色合いだ。マニュアル書と思われる冊子と交互に見やりながら、鉢植えの緑々とした一本を引き抜いた。

 真っすぐに茎が伸び側枝が美味しそうな葉を付けていて頂芽が果実みたいだ。明日美自身はあまり植物に詳しくはないため地球に実在するものと同じか一瞬考える。一応、鼻を近づけて嗅いだり葉の部分を舐めてみた。

「……」

 特に害は無さそうに感じる。

 マニュアルが日本人である明日美に読めるのなら、この植物は当然人間用、しかも日本人に考慮して味を決めてくれている筈。しかし日中多様な色を見せてくれたあの草の群が頭をよぎる。

(平行植物ってやつじゃないよね。食べても大丈夫だよな。だって冊子に食用って書いてあるもの。今の状況では口に出来そうなものが目の前の植物しか無いし……大丈夫だ。きっと大丈夫)

 半ば強引な願望と共に多少の腹痛を覚悟して一口葉をかじる。

 ムシャムシャ……。

(……悪くは無い。うん? これは美味しいかも。茎も食べてみよう)

 パリポリ……。

 音が小気味良い。しっかりと食べているという歯ごたえがある。

(この実の様な部分は?)

 口に入れると。

「! ……」

 甘酸っぱさが口に広がり、立ったまましばしその味に浸る。残った根っこの部分も冊子によれば食べられるそうなのでシンクの水道を使い洗ってから食べてみる。少し硬い分、栄養が溜まっていそうな気がした。

 警戒が幾らか解かれ、他の植物も食べていきどれも美味と言えた。大きな安心感があった。


(ふう。腹の方は落ち着いたな。特にすぐに腹が痛くなる風も無さそうだ)

 お腹をさすり満たされた感覚でいながら少し上を仰ぐ。日本での生活がそうだっただけに、夕食の時間となると風呂にも入っておくものだと考える。

(シャワーも借りよう)

 目当ての個室に行く。浴槽とシャワーが付いていてカビなども無く清潔な印象だった。使わせてもらうからには綺麗に使わなきゃなと思いながら、服を脱いで中に入る。栓を開きお湯が出る事を確認。丁度いい温度にしてからシャワーを浴びる。暖かくて気持ちが良くなる。

「ふう――……ああ」

 汗と汚れを落としていく。排水口に吸い込まれていく水を眺める。

(下水は完全に浄化されるらしいし水とかはフリーエネルギーで賄っている。自然と育つ植物もあるし永久機関みたいだ。よく出来た構造だよ。誰が造ったんだろ?)

 もしも何の気も利いていない列車だったら困り果てて、あのカメレオンみたいな色変わり風変りの草を食んでいたかもしれない。

 体が温まった所でシャワーを止めて浴室から出る。備え付けのタオルで体を拭き服を着る。長く居る様なら洗濯とかも考えなきゃなと思いながら、先頭の車両に行ってシートの真ん中辺りに座る。


「――」

 色んな事があった。心を空にしてぼうっと列車の天井を眺める。

 ……ふと視界に動くものがあった。四つ足の形状をした明日美の文字である。浮遊しながら少し車内を彷徨った後、明日美の傍に着地した。

「ふふ……」

 手を伸ばしてそれを撫でる。

「不思議な奴。貴方は一体何なの? どうしたんだ?」

 問いかけるも答えは無い。黒い置物の椅子であるかの如く身動きしなくなる。その後も幾つか問うていたが返事は無いまま、列車の中をゆるりとした時間が流れていく。

 ――眠気が来た。明日美は列車のドアを手動で閉めて靴を脱いでシートの上に横になった。

「おやすみ」

 その一言が自分を労っているものか、文字に対して言ったか、遠く離れた実家に居るであろう両親に言ったものかは判別しづらかった。頭の中の帳が下ろされていく。重く暗い闇が包む。目を閉じ明日美の意識は沈んでいった。


 ――草原。深夜になる頃。

 真っ暗で何も見えるものが無い。魅了していた紫の光は消えており、今は漆黒を表す色合いの草々が風も無い中寝静まっているだけである。その黒の草原を観察する者は誰も居ない。





 ――意識が戻る。


 目を開けゆっくりと上体を起こす。眠る前と同じく列車の中だ。

「……」

 今何時かと思い持ち込んでいたリュックサックの中からスマホを取り出す。圏外となっており時刻の方も正確なものを表示しているとは思えない。腕時計も秒針が止まってしまっていた。

 窓の外を見る。昨日と変わらないホームが見える。乗り降りする人も車掌の姿も無い。

「夢じゃないんだ」

 寝ている間に元の場所に戻るのかもと思っていたが状況は変わっていない様だ。

 シートの上で居住まいを正す。朝と思しき時間帯の中、外の光を感じながらぼうっとする。見知らぬ所に一人。解っていたが一人。

 昨日の文字がとぐろを巻いてじっとしているのを見やる。

 ――。

 深呼吸して立ち上がる。

(あのインクで文字を書いてみよう)

 明日美は朝食も忘れ出入口を開けて外へ出る。ホームを通過して草原へ。朝の清涼な空気の匂いに満ちた草原の色は白んでいる。

「はは、今度は白か」

 何故色が変わるのかは幾ら考えても解りそうにないので置いておく事にする。風は寝ているかの如く草達に動きは無い。雪原かと思うほどの白の草原。昨日の色とりどりとは打って変わっている。

 不動で林立する草々を眠りから起こしてしまうかという印象を持ちながらかき分けて進む。一日が始まったばかりの空気を肺一杯に味わいながらこの辺り一帯の唯一の建物に向かう明日美以外にはやはり誰も居ない。

 家の前に着き一応ノックしてから入る。無人。ふうと小さく息を吐きながら机に向かう。そっと椅子に座り引き出しを開ける。紙とインクを勝手に消費してでも、もう一度文字を書いてみたい。


 ……白紙が机の上にある。昨日この上に文字を書いたはずなのだ。表面を撫でるもインクの感触は無い。痕跡がすっきりと消えている。

 本当に自分が書いたものが紙から抜け出したのだと実感する。少しの間白紙を見ていたが、ならばもっと書いてみようと気を新たにする。傍に置いたままであった愛用の筆を手に取り毛先をインクに浸そうとする。

 が、思い出した。

(もしもまた自分が書いたものが動き出したら、この部屋は再び埃だらけになるかもしれない。箒があったからあれで掃除してからにしよう)

 家の奥の方へ行き箒を取ってきて、せっせと箒を振り振り。開け放った出入口から埃をかきだしていく。何度かクシャミをしながら部屋はようやく綺麗になったかに見える。窓も開け払い、改めて着席する。

 インクの蓋を開けて匂いを嗅いでみるが特に抱く感想は無かった。紙の上に少し零してみてじっと観察する。

 特にインクの動きは無い。

 改めて筆を取りインクに浸す。心臓が跳ね始める。そっと一文字したためる。

 立、と。

(さあ、どうなる)


 数分待ってみるが何も変化が無い。紙に文字を書きさえすれば変化は訪れるかと考えたがそうではないらしい。では昨日と同じく自分のフルネームを書いたらどうなるかと思い実践してみる。

 立花明日美、と確かに紙面に書いた。緊張の面持ちで観察する。

 まもなくして変化は訪れた。字面が揺らめき厚みが出て。

 すうっと五文字は滑り始める、平面の机の上なのにだ。紙の枠を超えて机の枠すらも超えて、滑らかな布が机から滑り落ちる様にして床に落ちた。五文字は溶けあい一本の黒い太線となって床で蠢く。

(フルネームだと動いた。同じく立花の立が入っていたのにどうして一文字の時は動かなったんだ……あ)

 開け放っていたドアから黒い文字が入ってきた。昨日の文字だ。胴の長い魚か蛇の様に動いて近づいてくる。そして今日たった今書いて動き出した文字の近くで止まった。向き合う文字達。同じものが出会うとどうなるんだろうと身を乗り出して観察する明日美。

 数秒身動きしなかったが、その後。


 がしっと、お互いに握手でもするように絡み合う。しがみつき合う。黒い体をうねうねとくねらせながら混ざり合い一体となっていく……。

 先程の両者よりも少し太くなった気がするサイズの文字になった。ピチピチと魚の如く跳ねている。

「……」

 争いださないでよかったと明日美は思った。気を取り直して他の事も試していく。

(インクも限りがあるからな、有意義に使わないと)

 どんな名前にも動きが見られるのかと思い両親の名前を書いてみた。

 ……。……。

 しかし動きは見られない。どれほど待ってみてもだ。声に出したり呼びかけてみたりしてもうんともすんとも言わない。この時明日美は書いた名前が動き出さないのを不思議がっていいのか迷った。

 色んな字を書いてみよう、そう思いなるべく自分が書いていて楽しくなるような文字を書いてみた。春、旅、穏、一、太、和。我道、真剣、悠然。

 一時間程考えては文字を書いていくを繰り返す。床に散らばる文字の書かれた紙……やがてインクと紙が少なくなってきた所で手を止めた。

 どれも動き出さない。

(何故だ。身近な人の名前に動きは無い。好んで使う文字も反応は無し。動くのは自分の名前だけだ。自分の名前が動き出したという事は、私が思い入れのある何かを文字にした時に動きが見られるのかと思っていたけど)

 明日美は席を立ち筆を持ったまま家の外に出た。


 ――緑の草原が迎えてくれた。本来こうであるべき色の。

「元に戻った」

 自分が何度か書いてみた名前が、朝の日光を満遍なく浴びる緑々しい草をかき分けて思うがまま広い草原を進む様は無邪気に見える。こんなに不思議な場所でも太陽は昇ってくるのだな、この色変わりの草原は初めからこの様に変化するものだったのだろうかなどと考えた。

 ふと本の著者はここから旅立ったのか、旅の途中でここに着いたのかと再び気になった。もしもここに民家が立ち並び商店があり仕事場があり人々の営みがあったとしたら。

 とある時期に何らかの変化が起こり、あらゆる建物が姿形を変えやがて生活の限度を超えた為に人々が離れ、老朽・崩壊・消滅する事になったのだとしたら。

 だからここの一軒家を残して、不可思議な性質を与えられた草の原が広がりを見せる地帯となるに至ったのだと想像することも出来る。

 元は違う光景が広がっていた場所だったかもしれないのだ。明日美がもっと早く来れていたのなら、遊んだり働く人々が普通に行き交う普遍的な日本の一部だと思える場所だったかもしれないのだ。

 目の前の草々の色は何ら特筆する事の無い標準と言える草らしい色だ。ここに最初に来た時とは違ったように見える。一時的にああ見せているだけであっと驚く変貌を遂げてみせるのだと明日美は心の何処かで身構えていた。


 次々と浮かぶ疑問や思いに無理に応えようとするかの如く【ネア】という単語が思い浮かぶ。

 著者はネアが変化を起こすと書いていた。この草原が、あの文字が、変わっているのがネアという存在の影響を受けたからだというのならば……。

 ここに来た自分はどうしたらいいのだろう。

 ネアというものに対面した自分はどうすればいいのだろう。

 何故こんな場所に来ることになったのか心の底から解らない。筆を顔の前に持ってきて、微風に前髪を揺らされながらじっと見つめてみる。浮かぶのはこれをくれた恩師の顔。

「先生……」

 自分の思い入れのある行動、習字によって文字が動く事になった。今ではこの筆が自分とこの未知なる世界を繋ぎ理解が実現出来る架け橋となっているかに感じてきた明日美。しばし遠くを見通した後で家の中へ入っていった。


 家の中のインクをかき集め一日を文字を書くことに費やした。明日美は家に籠り様々な文字に思いを巡らしながらしたためていく。外では草原がやはり時間をかけて色を変えていく。緑、金、青、茶、橙、赤、紫、黒、紺、白……。

 彩りの草原の中、立花明日美は己の心と向き合いながら筆を振るった。


 ――……。

 ここにやってきて数日。したため、たまに外に出て目の保養としてその時その時の草原の色合いを楽しんだり。活発に動く自分の名前と草原を駆け回った。車内の植物を片手に本を読み。

 夜闇の中紫が光る頃、列車の中へ戻りシャワーを浴びた後夕食の植物をかじる。座り心地の良いシートに身を預けながらぼうっと天井を眺めていると膨れた腹も相まって眠気が来る。寝る。

 そういった生活を続けていたが長くは続かない。



 ――ある時目覚めると窓の外は夜みたく暗い。立ち上がって出入口へ。車内のドアが締め切られ開かない。

「出発……するの?」

 周りに呼びかけても返事は無い。代わりに窓の外で光の点が横切っていった。どうやら既に動いているらしい。何処かに向かって。

 あの家の主がいつ戻ってきてもいい様に書いて消費した紙は全て列車内に持ち帰ってきていたが、本も持ってきてしまっていた。まだ出発しないだろうと、列車の中でゆっくりと本を読むつもりだった。

 返そうにも今は何処ともわからない空間を走っている最中だ。ロックされているであろう電車の出入り口を無理やり開けて外に出るのは危険だろう。

 ポケットに手を突っ込み、お土産のつもりで草原の中で引き抜いておいた数本の草を眺める。色は白だ。


 あの彩りの草原に着いた自分にそこに住めと列車側が勧めているのかという考えがあったがそれは消えた。こうしてまた動いたという事は元の場所に、自分が元居た日本に戻っていくのではないかと予測する。

 あそこは、そしてここは自分が居た日本ではない。ネアなどという現象とは無関係の日本の地ではなく、別の場所なのだ。異世界に違いないのだと明日美は結論付けていた。揺れも無く音も無く走り続ける列車の中でこうも予測する。


 ――列車に乗り続け色んな地を渡り歩けと列車側に勧められているか。


 すると心に好奇と不安が入り混じる。

 明日美はシートに深く座り直し手を膝の上で組んで黙す。あの彩りの草原は誰も居なくなった後もいつまでも色を変え続けるのだろうかと考え想像した。自分の書いた自分の名前達は動き出してから合体してホースの様になった。それが少し離れた所でとぐろを巻いて動かないでいるのを見やると様々な考えが浮かぶ。

(私があの地に着いたのであれば何か他にやっておくことはなかったか。私がその地に着いた事に何か、何か意味があるのか。ここに着くのもここから別の所へ流れるのも運命なのだろうか。そう思うのは考えすぎだろうか)


 ……。


 思いあぐねる明日美を乗せて列車は漆黒の空間を走り続けて行く――。

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