第3話 おこってるんじゃないよ、ばか。

 それからもアカイロさんは宇宙船を修理して、帰るとお母さんがご飯を作っていて、夜は布団を並べて寝た。

 宇宙船はといえば、アカイロさん曰く「そろそろ飛び立てるくらいになってきた。飛び立てるだけだが……」とのことで先は長そうだった。


 いつものように街で買い出しをして、山の上まで行く道を近頃はもっぱらバスに乗るようになっていた。

 ガタガタの山道を走るバスから、景色を見ていた。何もない道だ。「ねえアカイロさん」と僕は声をかけた。「本当にもっと綺麗なところとか、見に行かなくていいの? 地球ってすごく広いんだよ」と続ける。

 次の瞬間、どうもバスが横に揺れたような気がした。

 あら、と近くに座っていた人が呟く。「地震だわ」と。


 そういえばアカイロさんは地震をすごくこわがっていたな、と思い、僕はアカイロさんに「大丈夫だよ」と笑いかけようとする。するとアカイロさんが僕の上から覆いかぶさるように抱きしめたので、いくらなんでも怯えすぎだと思い、「大丈夫だってば」と僕は言った。

 その時、バスの窓ガラスから見えたのは空だった。まるで僕らの乗るバスが空を飛んでいるようだと思い、そうではない、飛んでいるのではなく落ちているのだと正しく理解できたときに大きな衝撃があった。




 後から聞いた話によると、岩ほど大きな落石が直撃してバスを道路から押し出したのだという。バスは落下するとき二転三転して、僕は何度目かの衝撃で気を失った。




 目を覚ますと、どこからか光が射し込んでいた。キラキラと、眼前いっぱいの青い液体が輝いている。

「……トモキ?」

「あかいろさん」

「起きたのか。痛いところはないか?」

「うん……。平気だよ。バスは?」

「壊れてしまったようだ」

 バスが壊れる、ってなんか変な響きだなと僕は思った。そんなことよりここはどこなんだろう、と辺りを見渡す。


 バスの中ではあるようだけれど、もはやほとんど原型はなかった。僕の視界にはたぶんバスの屋根だろうものがすぐそこまで迫っていて、それをアカイロさんが背中で押さえている。

「この中から出る必要があるが、俺が動くと君を潰してしまいそうだ。そこから這い出て外に出られるか?」

「うん」

 僕は寝返りを打つようにうつぶせになって、何とかその場から脱出した。外から見たバスはひどい有様で、窓ガラスは全部割れてたし、元の半分ぐらいに潰れてしまって、屋根は厚紙を無理に破ったみたいに穴が開いていた。


「アカイロさん、出られたよ」と声をかけたとたん、中でグシャっと音がする。びっくりして中を覗くと、さっきまで僕がいたところから青いベトベトがたくさん滴っていた。

「アカイロさん……?」

 僕は呟きながら、屋根なのか岩なのかわからないものを動かそうとする。重くて重くて全然動かなくて、「アカイロさん、そこにいるんだよね?」と呼びかける。なんとか数ミリ動かしたところで、腕が見えた。

 手を掴むと、不意に力が入って上に乗っていたものが動く。ぐらぐらと揺れて、傾くように転がった。

 中から出てきたアカイロさんは頭のてっぺんから青いベトベトまみれで、特に右目なんか見えないほどだった。

「すごいケガしてる……」

「問題ない。俺たちは丈夫なんだ」

 そう言ってアカイロさんは膝をつき、僕の頭から膝のあたりまで優しく撫でた。本当に、壊れそうな砂糖菓子でも触るみたいに優しく撫でて、「代わりのいない君が、無事でよかった」と言った。


 それからふらつきながらも立ち上がったアカイロさんが、「俺は船に行かなければならない。君はここにいて、人を待っていた方がいいだろう」と言う。僕は慌てて「一緒に行くよ」と言い張った。

「薬を取りに行くんでしょう? 僕も行くよ。僕、全然ケガしてないもん」

「……そうか。じゃあ、行こうか。俺も君と一緒の方が幸せだ」

 僕とアカイロさんは手を繋いだ。アカイロさんはいつも通り、僕に合わせて少し右肩を落としている。


「こんなことになると思わなかった」

「そうだな」

「他の人は大丈夫かな」

「ああ」

「……守ってくれてありがとう」

「何もしていないよ。隣にいただけだ」


 ポタポタと地面に、青い液体が模様を作っていた。アカイロさんの顔を見上げると、ちょうどむかし近所の子が鉄棒から落っこちてしばらくぼうっとしていた時と同じ顔をしていた。目の真ん中があっちこっち揺れている。

 名前を呼びかけようとしたとき、アカイロさんは大きく揺れてそのまま倒れこんでしまった。

 僕はそんなアカイロさんの肩を揺らして、「ぼく、一人で宇宙船まで行ってくるよ。薬を取って戻ってくるから、アカイロさんはここにいて」と囁く。それから立ち上がって駆け出そうとする僕の腕を、アカイロさんの手が掴んだ。


「行かないでくれ」

「でもアカイロさん、もう歩けないでしょ? 薬さえあればすぐ治るよね?」

 じっと僕を見ていたアカイロさんが、白状するように「細胞活性化剤は、もうない」と言った。


「ない……?」

「あれはこの星に不時着した際、そのほとんどがダメになってしまった。手元に残ったものも使い切った。もうないんだ」


 僕は戸惑い、混乱し、「じゃあどうして船のところに行こうとしてるの?」と尋ねた。アカイロさんは静かに「俺は帰らなければならない」と答える。

「母星に帰れさえすれば、どんな状態でも助かるだろう。星に帰るしかないんだ」

「……何言ってんの。帰れっこないよ、あんな船で。戻ろう。救急車を呼ぶよ。そりゃ、アカイロさんの星ほどじゃないだろうけど、地球の病院だってちょっとは……。アカイロさんは丈夫でしょ? 地球の病院でちょっと治療したらさ、時間はかかるかもしれないけどきっとよくなるよ」

 そうかもしれない、とアカイロさんは優しく言った。「だけど俺はここにいるわけにはいかない」と続ける。


 立ち上がって歩いて行こうとするアカイロさんを、僕はしばらくぼうっと見ていた。アカイロさん、とその背中に呼びかける。「死んじゃうよ」と呟いた。「あんなの宇宙船じゃないし、帰れっこないよ」とうわごとのように繰り返す。


 僕も歩き出した。二、三歩足を動かしてからわっと駆けだす。

「アカイロさんのばかっ。わからずや! 止まってよ、一緒に病院に行こうよ。ばか。ばか。止まらないなら絶交だよ。どうして言うこと聞いてくれないの」


 アカイロさんが立ち止まった。僕を振り返り、視線を合わせるためにゆっくり膝をつく。

 それから僕のことをぎゅっと抱きしめた。


「泣かないでくれ。仲直りしよう」


 抱きしめられた僕は、アカイロさんの肩越しに空を見た。底抜けに青い夏の空に、飛行機雲が真っ直ぐ伸びていた。

 そういえばアカイロさんはどうしてアカイロさんなんだっけと、そんなことを考える。だって血も青いし、全然赤いところなんてないのに。変なの。あなたの名前は、本当はなんていうの?


 空が青くて、まぶしくて、目から涙が溢れて止まらなかった。

「おこってるんじゃないよ、ばか」と僕は言った。


「またいつか会おう」

「ほんとうに?」

「ああ。また来るよ。今度はもうちょっといい宇宙船で来よう」

「僕も行くよ、アカイロさんの星」

「そうか。行き違いになったら悲しいから、俺が君を迎えに来よう」


 約束だよ、と僕が言うと、アカイロさんは表情を柔らかくして「ああ。約束だ」と頷いた。


 それから、僕たちは歩いた。宇宙船まで歩いた。楽しかったことをたくさん話して歩いた。

 やっぱりアカイロさんはオムライスが一番好きだったらしい。それから、“当たり”のアイスを僕があげた時のことを何度も話した。『特別なんだよ』って僕が言ったからだ。特別なものをくれたのが嬉しかったのに、お店の人に渡したらそれっきり返してくれなくて悲しかった、って言った。そんなの全然どうでもいいことなのに、アカイロさんはすごく真剣にそんな話をした。


「最初に出会ったとき、手伝うと言ってくれてありがとう。とても嬉しかったよ」

「でも全然手伝えなかったし」

「助けてもらったよ。そうだ、俺が車に轢かれた時も。迷わず駆け寄ってくれた」

「それはさ、地球ならみんなそうするよ」

「そうだとしても、俺は嬉しかった」


 手を繋いで歩きながら、アカイロさんは「俺と友達になってくれてありがとう」と言った。


 友達になってくれてありがとう、なんて変な言葉聞きたくなかった。僕がアカイロさんと友達になったのは、友達になってあげたわけじゃなくて、気づいたら僕たちは友達だったんだよ、って言いたくて言えなくて、僕はずっと下を向いていた。


 山の上まで歩いて、そこには割れた卵よりは幾分かマシな形をした宇宙船があった。

 アカイロさんはその中に入って、青いベトベトまみれの顔で、笑った。僕に手を振って、宇宙船はなんか知らない言語でアナウンスをしていて、動き出していた。


 僕は拳を握り、「あのね」と口を開く。


「あのね、アカイロさん。僕と出会ってくれてありがとう。僕の秘密基地の上に落っこちてくれてありがとう。部品ぬすんじゃってごめんなさい。でも僕のところまで来てくれてありがとう。ぼくね、ぼく……僕も、ずっと、アカイロさんと出会いたかったんだと思う」


 宇宙船はふわりと浮かんだ。

「さよなら」とアカイロさんが言う。僕はそれを見ながら『こういう時は“さよなら”じゃなくて“またね”だよ』と言おうとしたのに、なんでだか全然言葉が出てこなくて、代わりに「いかないで」と呟いていた。

 遠ざかっていく船からアカイロさんは僕のことを見ている。僕はそれを追いかけて走って、「行かないで」と叫んでいた。


「行かないで。行かないで。行かないでっ」


 つまずいて転ぶまで走った。転んで、色んなところが痛くて、声を上げて泣いて、そうしているうちに――――僕の友達が乗った宇宙船は見えなくなっていた。



×××××



 お帰りなさい、と無機質な声が聞こえる。この船の制御システムは女の声を模していた。

「良い旅でしたか?」

「…………」

 俺は操縦桿にも触らず、その場に腰を下ろす。壁に身を預け、ぼうっと外を眺めていた。この宇宙船といったら、中から見ても笑ってしまうほどひどい。それでも俺をこの星から出すだけなら十分だろう。


「通信はできるか?」

「お届けします」

「ああ、そうしてくれ。……地球はおそろしい星だ。地球人は短慮で攻撃的だし、干渉すれば戦闘を免れまい。工学はもちろん、生物学の分野も我々が考えていたよりは進歩が見られる。もし侵略行為に動いたとして、我々では歯が立たないだろう。それに地球は定期的に土地ごと身震いするような、壊れかけの星だ。苦労して手に入れる価値もない」

「以上ですか?」

「ああ。……いや」


 船の中から、外を見下ろす。あの子が泣いている。何を言っているのかもはや聞こえないが、まるで世界の終わりのように泣いている。


「約束をした。地球人の子どもと。子どもとは言え約束は約束だ。破れば星間問題になりかねない」

「どのような約束ですか?」

「また会いに来る、と。何とかしておいてくれ。トモキというんだ……この山に降りればきっと来てくれるだろう」

「お伝えします」


 こんなことを真に受けるかどうかわからないが、上手くいけばおそらくは俺のクローンなんかが地球に飛ぶことになるだろう。いつもは自分のクローンになど興味はないが、どんなやつがいたか思いを巡らせる。大丈夫だろう。何もかも俺と同じはずだ。

 俺のクローンが地球に行き、あの子に会いに行ったら、あの子は喜ぶだろうか。また友達になってくれるだろうか。

 そう思った時、なぜだか少し『そうであってほしくない』という思いが芽生えた。厳密に言えば、『それは俺が良かった』だ。なんとも不思議だ。クローンなんだから、ほとんど俺のはずなのに。


 もう、あの子の姿は見えない。まだ泣いているだろうか。もう泣き止んでいるだろうか。アイスでも食べて、ハンバーグでも食べて、すっかり元気になっているだろうか。あの子はいつまで俺を覚えていてくれるだろうか。


 空気が薄くなっていく。俺たちの体は丈夫だし、まだ死にはしないだろう。この宇宙船は俺の生命エネルギーを燃料としている。少なくとも大気圏を突破するまでは持ちこたえなければならない。あるいはこの船が粉々になるまでは。

 空が暗くなっていく。息が苦しい。苦しいだけだ、まだ死なない。


 夢を見た。


 俺の星ではこんな研究結果がある。どんな生き物も、死ぬ前には夢を見る。痛いとも苦しいとも思わないよう、楽しい夢を見る。


 夢の中であの子が、「これあげる。特別なんだよ」と差し出してきたアイスの“当たり”の棒を、今度は決して誰にも渡さずに、俺は大切にしまった。

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