第5話


「ここですよ」


 菫が待つ店の前で、登米とめではないもう1人の女が首を傾げた。加美かみという姓であることを、こちらもなずなは覚えていた。


「随分と質素な造りなのね」


 店の目の前で失礼だ、と思いながらもなずなは否定できなかった。彼女の言うように、確かに店の見た目は飾っていない。むしろ、地味という言葉のほうが合っている。


 だが、それでいいのだ。わざわざ豪華絢爛にする必要もない。いつだって、求められるのは外ではなく中身なのだから。


「それで、あなたたちはここに何の用が?」

「何って、もちろん占いをしてもらうに来たのよ」

「全員が?」

「ううん、私だけ」


 登米とめが手を挙げる。


「他のみんなは付き添いで来てくれたの。私たち、よく一緒にいるから」

「……そうですか」


 何の変哲もない解答だった。少しでも疑った自分がバカみたいだ、となずなは自嘲する。


「では、どうぞ」


 なずなは扉の前から外れ、彼らに歩みを促す。


「えっと……これはどうやって入れば?」

「扉を叩けばよいです。そしたら開きますよ」

「叩くだけ?」

「はい」


 不思議そうに首を傾げるも、彼女は言われた通り扉を拳で叩く。トントンッと2回。そして、手を離した瞬間、軋みながら目の前が開いた。


 扉を押したわけでも、引いたわけでもないのに。それはまるで、見えない力が働いているようだった。


 目を丸くしている彼らとは対照的に、なずなは表情ひとつ変えない。当たり前だ。何百、何千と見てきたのだから。仕組みも全て分かっている。


「どうぞお入りください」


 扉が開いた奥から、儚げで柔らかな声が届く。聴き慣れた声色に、菫は動揺もせずにいると、なずなは確信する。


 菫の指示のままに、彼らは恐る恐るといった足取りで店の中へ進んだ。最後尾のなずなは、彼らと共に入った後、気づかれないようにさりげない仕草でクイッと手首返す。すると、音もなく静かに扉が閉まり始めた。


「あなたは、何故来たの?」

「その……菫姫すみれひめ様にお頼みしたいことがありまして……」

「言ってみて」

「それは……」


 登米とめはもじもじと腕を弄び、視線を泳がせる。言い出せなさそうな彼女の仕草に、ただ事ではないということに気づけない人間がいるだろうか。


「それは、何?」

「その……」


 俯いて言葉を飲む登米とめ。が、意を決したように顔を上げた。


「私の寿命を占って頂きたいのです!」

「……っ!?」


 息を呑んだのは、菫姫すみれひめの方ではない。なずなだった。


 ただ事ではない、とは思ったが、まさか自身の寿命を知りたいと思う人間はいるまい、と彼女の勝手な思い込みが覆された瞬間であった。


 しかし、その空間にて、登米とめの発言に驚きを示した者はなずな、ただ1人だった。


「分かりました」


 付き添っていた男女はもちろん、菫さえ、彼女の頼みに息を呑んではいない。まるで、予め頼み事を視てきたように。


 菫は自身の掌に光の球を宿す。同時に周囲の明かりは消え、闇が全てを包み込む。


 菫色、瑠璃色、露草色と見た目を変える光球に、彼女は細い和紙をかざす。ボワっと紙切れが燃え盛ったかと思えば、その炎は吸い込まれて文字と化す。


 眩い光の消息で、なずなはお告げが出たのだと悟る。はたして、菫が本当にその文字を口にするのか。彼女はいつの間にか震えていた。


 今まで、幾重もの占いを頼みにくる者がいた。そして、中には占い以上の物を与えられる者もいた。


 人の心を変えて恋人を手に入れた者、記憶を改竄かいざんして失敗を取り消した者、自身が嫌う性格を取り除かれた者。例を挙げればきりがない。


 人間は、時に道理に逆らうことさえしてしまう。だから、どんなことがあっても動じない、

そのはずだったのに。


 もう二度と治らない病を患ってしまったか、生まれつき体が弱いのか。いずれにしろ、想像するだけで胸が痛む。


「あなたの寿命は……」


 無意識に耳を塞いだ。本能が、聞きたくないと叫んだ。目の前の人間の寿命が、今まさに明かされそうとしている。


 だが、指の隙間から鼓膜を震わせたのは、人間の声ではなかった。


 ガラスの割れる音が響く。菫の術で生み出された光球が消える。何かが落ちる、いや、地面に叩きつけられる振動が伝わる。


 ハッと手を解いて顔を上げた矢先、視界に入ったのは三人の大柄な影だった。


「おいおい、こんなところに居たのかよ」


 低い男の声。視線こそ見えないが、それは登米とめに向けられていた。当の本人は、驚きで固まっていたが、その声を聞いてまた別の驚きを見せる。


「俺はお前をずっと探してたんだ。散々貢がせた挙句、俺を簡単に捨てて出ていったお前をなぁ」


 男はゆっくりと登米とめに近づいていく。対照的に彼女は、静かに後退する。


「それはあなたの勝手な思い込みでしょ!?私は、あなたの恋人でも身内でもないのだから!」

「あぁっ?俺がこんなにもお前を愛してるのに、関係ないっつうのか?」


 空気がビリッと震えた。


「許せねぇ……許せねぇなぁぁ!」


 男は大きく手を振りかぶる。そこには、暗闇の中でも分かる、鋭利な包丁が握られていた。


「いやぁぁぁあ!」

「危ないっ!」


 なずなが飛び出し、登米とめを抱き抱えて男から遠ざける。


「あ?てめぇ何すんだよ!?」


 男はもう、理性がなかった。感情に押し流された化け物になっていた。


「許せねぇなぁ!っちまえ!」


 男の合図で、後ろに控えていた2人の影も動き出す。どちらも、男と同じく刃物を手にしていた。


「下がれっ!」


 襲いかかる男と影を前に、大郷ともう1人の男が女を庇い、前に出る。そして、向かってくる影に、片方は回し蹴りをお見舞いする。見事に当たり、大柄な男が倒れる。もう片方は影が腕を伸ばすタイミングで背負い投げを繰り出す。床に叩きつけられた影は意識を失う。


「大丈夫か?」

「う、うん……」


 その頃、大柄の男が連れていたもう一つの影は、菫を狙っていた。


「菫、下がって!」


 なずなは影の前に立ちはだかる。騒動のせいか、几帳が倒れており、菫の姿が露わになっていた。


「菫……?」


 影は呟く。闇の中で揺らめく。それはまるで、まるで、探し物がようやく見つかったようだった。


「お前が菫姫か?」


 影が唐突に喋り出した。青年の声だった。


「……はい、そうですが」


 なずなの後ろで菫は答える。こんな状況でもなお、彼女は落ち着いていた。


 堂々と肯定する菫に、青年は喉の奥でくつくつと笑う。


「そうか、お前が、お前がそうなのか。……ははっ、そうかお前が……」


 狂ったように、青年はぶつぶつとそう言った。それも、口角を上げて。


「あははははっ!そうかお前が!やっと、やっと見つけたぞ!お前があの占い師とやらか!」

「一体、何を言って……」

「黙れっ!」


 青年は突然に咆哮を挙げた。


「お前のせいで!お前のせいで友達は可笑しくなったんだっ!」

「……!?」

「お前があいつに何かしたんだろ!?だからあいつは変なことを言って!……ああ違う、俺が可笑しいのか?俺が可笑しくされたのか?ああっ!何だ何だ……っ!」


 青年は頭を掻きむしった。爪を立て、血走った瞳が僅かな光から見える。


「ああっ!憎い!殺してやる……殺してやるー!」


 掲げた右手に刃物を握りしめて、一直線に菫へ駆け寄る。そんな青年に、なずなは臆することなく、静かに息を吐いた。


「あなたが何の恨みを持っているのか知らないけど」


 彼女は右手を伸ばし、手のひらを天に向ける。その中に、一瞬にして大きな炎が灯る。轟々と燃える、人間ほどの大きさはありそうな朱炎しゅえん


 キッと青年を睨んだなずなの瞳が、怒りの炎の色を映して真っ紅まっかに染まる。


「菫には、近づくなっ!」


 なずなは炎の手を青年に向かって伸ばした。大きな朱炎しゅえんは青年に燃え移り、その身を舐めるように広がる。


「がぁぁぁぁあ!」


 痛みと苦しみに、青年は叫んだ。バリバリと胸を掻きむしり、ただ声を絞り出し続ける。


「熱い熱い熱い熱いぃぃぃ!」


 暗闇の中でめらめらと輝く炎を、登米とめやら大郷おおさとやらの5人は、ただただ目を見開いて見つめる。


 やがて、青年は熱さに精神をやられたか、白目を剥いて床に倒れた。


「そろそろいいでしょう」


 なずなは自身の手に残っている小さな朱炎しゅえんを、パンっと手を合わせることによって消した。すると、青年を取り巻いていた炎も、ふわりと彼を丸く囲むように風が吹いて収束した。


「全く、菫を狙うなんて罰当たりな」


 なずなは嘲笑うように言ってから、腕の裾を靡かせながらその場で一回転する。彼女の周り方で、消えていた蝋燭が順番に火を灯していく。


 異様な姿に、5人は声を出すことも叶わなかった。


「さて、どうしよう」


 なずなは倒れた3人を眺め、腕を組む。


「取り敢えず、検非違使けんびいしに突きつけたら?」

「そうだね」


 菫の案に賛成し、なずなはまず青年に近づいた。


「怪我は……特にないかな。呼吸もしているし、気を失っているだけか」

「そ、その人……」


 登米とめが震えた指で青年を指す。


「い、生きてるの……?」

「うん、大丈夫だよ。体を燃やしたんじゃなくて、汚れた心を浄化しただけだから」


 確かに、なずなの言う通り、青年の服は焦げてもなく、皮膚に火傷の跡も見当たらない。見る限り、彼女の言っていることは正しいのだろう。


「で、でも、そんなこと……」

「ありえないって?」

「え、ええ。だって、そうでしょう?」

そうかもね。でも私は」


 なずなは薄く笑みを浮かべた。


「私は、菫姫すみれひめ様の用心棒だから」


 



 


 



 


 





 


 

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