第3話


 平安町。それは、平安時代を思わせる不思議な街。


 道行く人は皆、着物を纏っている。人間が担いだ籠や馬車が交通手段。陽が沈めば頼るのは提灯。


 それはまるで、その場所だけが平安時代からやってきたような有様だった。


 不思議な雰囲気を纏った店があった。黒塗りの壁に、濃色こきいろののれんが垂れ下がっている。入り口の両脇にある灯りは、着いては消えるを繰り返し、なんとも心許ない。


 目立つ店構えと、そこから溢れる気のためだろうか。その中には、一人のお客がいた。


「お願いがあるのです、菫姫すみれひめ様」


 一段上がった畳の几帳きちょうの前で、女は両膝をついて指を組む。部屋の中は蝋燭が幾重も灯り、外よりも俄然光に包まれていた。


「私の……私の主人は何処へ行ってしまったのでしょう?」

「……」


 相手方から返事はない。元より、相手の姿は布に隔てられて見えないのだ。


「もう10日ほど不在なのです。連絡も付かず、行き先も告げずに……。一体、あの人は、何処へ……?」


 女は涙を流し、顔を覆う。彼女は深い悲しみと、愛する人が消えてしまった喪失感に迫られていた。


「分かりました」


 ようやく、菫色の帷の向こう側から声がした。凛とした、少しばかり幼さの残る声色だった。


「視てみましょう」


 女はハッと顔を上げる。その瞬間、音もなく灯りが消えた。部屋は暗黒に包まれる。


 女は首を振って、周囲を見渡した。が、当たり前のように全てが真っ黒で塗りつぶされている。


 そこに、ふわっと一つの光が生まれた。それは几帳の向こう側、菫姫すみれひめの手の中から生まれたものだった。


 ぼんやりと、几帳に影が浮かび上がる。それは、あしらわれた髪飾りの気高さを感じながらも、細身の儚さを纏った影だった。


 影は右手に光を、左手に紙切れを持っている。


「さぁ、祈ってください」


 菫姫すみれひめの指示に、惚けていた女は我に返って祈りを乞う。しっかりと目を閉じ、自分の願いが聞き入れてもらえるように。


「……」


 女の祈る姿を少しばかり眺めてから、菫姫すみれひめは手の中の光に紙をかざした。すると、白紙だったその紙に、みるみる文字が浮き上がる。


「ええ……そうなのね……」


 菫姫すみれひめは、光に導かれた文字を読んでは、時折頷きを交える。


「……視えました」


 すっと彼女が手のひらを握り、手元の灯りを消すと、また音もなく、今度は部屋の灯りがついた。


「貴方様のご主人は、山の中にいるそうです」

「山……っ!?何故あの人が、そんな場所に……?」

「おそらく、貴方様のためでしょう」


 菫姫すみれひめは僅かに口角を上げた。が、女からその表情の変化は伺えない。


「貴方様は、病気を患っていらっしゃるのでは?」

「え、ええ、そうですが……」

「きっと、貴方様の病気に効く薬草を求めて出掛けらしたと、そんなところでしょう」

「まぁ、あの人が……!」


 女は口元を覆った。今度は喜びの涙が乾いた頰をつたる。


「ああ、そうだったのね……そうならそうと、言ってくれれば……」


「おそらく、明日の明け方にはお戻りになられるでしょう」

「そうなのね。ありがとう、本当にありがとうございます」


 女は命の恩人と言わんばかりの感謝を残し、自身の帰路へ向かった。



          *


「お疲れ様」


 客がいなくなった瞬間、ふっと、何もない空間から少女が現れた。まるで、今まで空気に溶け込んでいたように。


「ありがとう」


 几帳が上がり、菫姫すみれひめという名の者が露わになる。彼女は、上等の着物に簪や髪飾りで身を施した、雪のように色白い少女だった。


「体の方は大丈夫、菫?」

「うん、最近は調子がいいから」


 菫姫すみれひめならぬ菫は、柔らかく微笑む。無理をしているわけではない彼女の表情に、少女はホッと息を吐いた。


 そして、菫の隣に腰掛け、背中をさする。


「疲れてない?体の何処か痛いとか?」

「もう、大丈夫だって言ってるよ。本当に心配性だね、なずなは」

「だって、菫はいつも我慢するでしょ?」

「そんなことな……ゲホッゴホッ!」

「ほら、やっぱり」


 激しくむせる菫を、なずなは呆れたように微笑んだ。やはり、彼女は無理をしがちだ。


「ちょっと待ってて。今お茶と薬を持ってくるから」

「ゴホッ……あ、ありがと」

  

 声を絞り出すのもやっとの様子で、菫は振り返る。その額に浮かぶ玉の汗に、なずなは複雑な表情を浮かべた。


 菫姫すみれひめと呼ばれる彼女は、凄腕の占い師だ。まるで本当に未来が読めていると思わせられるほど、占ったことは全て当たる。


 しかし、菫は病弱だった。生まれつき体が弱く、こうして几帳を下ろしているのも、彼女の姿を逆に見られないためである。


 それはまるで、特別な才と引き換えに健康を失ったように見えた。なんとも皮肉なことだ、となずなは目の前の少女の運命を睨む。


 病に苦しむ彼女を世話するのは、なずなの使命でありながら胸が張り裂ける思いだった。


 せめて、人並みの健康を与えてあげられれば良いのに。そう願うも、結局自身にできることはないのだ。


「はい、これ。いつもの薬と、桔梗の花を煎じたお茶。咳止めに効果があるから」

「ごめんね……毎度……」

「もう、謝らなくていいから。菫が悪いわけじゃないんだし」

「でも……」

「あーもう!ほら、飲んで」

「うん」


 食い下がる菫に、なずなは少々強引に湯呑みを持たせる。占いの時こそ凛とした雰囲気を纏っているが、なずなの前だと気遣いがちだ。相手に気をかけすぎるところさえある。


 そんな性格の菫を世話するには、なずなのように強引な者のほうがいいのかもしれない。


「どう?」

「うん、だいぶ楽になった」


 桔梗茶をすすり、薬を飲んだ菫は、朗らかに笑った。雪のように純白だった彼女の頰に紅みが差す。


「良かった。あとはもう眠っていいよ」


 なずなは几帳の向こう側に敷いてある布団を指差した。普段は下されている帷は、四六時中敷かれている布団を隠すためでもある。


「うん、そうするね」


 湯呑みを置いた菫は、髪飾りを外して寝転んだ。彼女が自身に布団をかけたところを見て、なずなは入り口に体を向けて宙を撫でる。


 すると、街灯、蝋燭の火が音もなく消え、辺りは闇に包まれる。


「それじゃ、おやすみ」


 そう言って立ち去ろうとしたなずなを、華奢な腕が咄嗟に引き留める。


「うわっ!」


 強い力に対抗できない彼女の体は、布団の上にバサリと倒れた。引き寄せられたその耳に、温かい吐息が掛かる。


「何処行くの?」

「何処って、少し片付けをしようと……」

「だーめ。なずなもちゃんと寝ないと」 

「いや、私は大丈夫だよ」

なずなが大丈夫でも、私は大丈夫じゃない」


 不貞腐れた子供のような台詞に、彼女は仕方ないな、と菫の布団に入る。


「ねぇ、絶対狭いでしょ」

「そんなことない。むしろ、なずなの顔が見れて嬉しいよ」

「……全く」


 向かい合う2人は、何処かくすぐったそうに笑い合った。


 菫が病弱な体にも関わらず占い師として生きていけるのは、時折見せる、こうした頑固な性格が柱となっているのだろう。


「おやすみ、なずな

「うん、おやすみ」


 


 


 

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