第14話

 馬の嘶きとともに、馬車が鈍い音を立て動き出す。1度動き出せばあとは軽快だ。来たときとは別の山に向かってリズムよくクエルクス公爵邸を離れていく。


「ずいぶん遅かったですね」


 馬車の中には男が2人いた。先ほどまでクエルクス公爵邸でランチを楽しんでいた黒髪の男ハロルド・チルトンと、眼鏡を掛けた銀髪オールバックのいかにもきっちりした男である。行けども行けども代わり映えのしない窓の外を眺めていた黒髪の男は、眼鏡の男をちらりと見て微笑んだ。


「なかなか美味い料理だった」

「私はここでずっと待っていたのですが」

「イブが馭者に声を掛けろとは言ったが、お前には声を掛けろと言わなかったのでな」

「そりゃあ、公爵夫人は私が来ていることを知らないのですから当たり前でしょう」

「何だ。腹が減っているのか」

「当たり前でしょう!」


 タイミングよく男の腹が鳴った。子猫のような可愛らしい腹の音に、男はさっと頬を染め、誤魔化すように眼鏡のツルをクイッと持ち上げた。可笑しそうに笑った黒髪の男が、包みをぽいっと投げて寄越す。


「土産だ」


 太めの紐を解いて開けてみれば、焼き立ての甘い香りがふわっと立ちのぼり、空腹な男の唾液腺を刺激した。さくさく食感のマーブルクッキーだ。男は、ほぅ、と感心した。


「お土産まで準備しているとは、なかなか気の利くご夫人ですね」

「いや、買わされた」

「買わされた?! あなたお金なんて持ってなかったでしょう」

「うん。来月の生活費からこっそり抜いといた。昼飯代と合わせてな。きっと今頃気がついて地団駄踏んでるぞ。釣りはいらんと言ったのに無理やり渡してきて、可哀想にマイナスだ」


 黒髪の男は釣りのコインを窓辺に並べ、声を押し殺し笑っていた。眼鏡の男は呆れたように対面の男を見やる。この男はいつも笑っている。しかし、こんなに楽しそうに笑っているのはずいぶん久しぶりではなかろうか。がぜん興味も沸いてくる。


「もしかして…のことを結構気に入られたので?」


 アメジストの瞳が驚いたようにハッと瞬き、そしてはにかむように細まった。


「また来月も名前を貸してくれ、


 ◇


 クエルクス公爵キルシュ・オークランドは噂通りの人物ではない。不格好だの、不出来だの、不埒だの、不品行だの、巷では散々言われているが、少なくとも不格好でも不出来でもない。むしろ、その逆である。


 しかし、そのことを知る者は数少ない。彼が王城に姿を現すのは皇太子であり兄である第1王子に会いに行くときばかり。公のパーティーにも式典にもほとんど顔を出すことはない。


 理由は面倒だからだ。


 彼は腐っても第2王子。第1王子に何かあれば、王位継承権は必然的に彼に移る。第1王子に取り入ることの出来なかったのろまな貴族連中が第2王子を担ぎあげたがるのも無理はない。


 キルシュ・オークランドはそういう面倒事から逃れるため、自らあらぬ噂を広め、火をつけて回っているのだった。


「兄上との約束はいつだったかな」


 キルシュの問いに、本物のハロルドが分厚い革の手帳をめくる。


「明後日です。またお小遣いをせびりに?」

「そうそう。たんまりと」

(「また、そんなこと言って…」)


 ハロルドはキルシュ・オークランドの本当の姿を知る数少ない1人だ。だから、主が毎度金をせびりに兄を訪ねているわけではないことももちろん知っている。彼は兄を見舞っているのだ。第1王子は生まれつき体が弱く、頻繁に病に伏せっている。このことを知るのは、王城でもごくわずかの限られた人間のみだ。


(「キルシュ様の方が次期王に相応しい」)


 ハロルドはずっとそう思っている。しかし、口に出したことは1度もない。それを口にした瞬間、ハロルドの首は地に落とされるだろう。他ならぬキルシュ・オークランドの手によって。


 ハロルドは物思いにふける主の横顔をじっと見つめた。


(「しかし、この結婚、もしかしたら、正解だったかもしれない」)


 跡継問題を気にして、長年身を固めなかったキルシュ・オークランドだったが、他ならぬ兄のたっての願いで、渋々結婚すると言い出したのがおよそ4ヶ月前。

 出されたのは、なるべく影響力の無い、金さえ渡せば満足しそうな弱小貴族の娘というへんてこな条件。

 それに合致したのがラベイユ伯爵家の一人娘イブ。書類審査など単なる建前である。


 ずいぶん変わり者の娘と聞いていたが、珍しく主が興味を示している。イブという存在がこのマンネリとした王位継承争いの起爆剤になるかもしれない。


 キルシュがハロルドの熱視線に気がついた。


「顔に何かついているか?」


 顔についているのは余裕ある微笑のみ。ハロルドは顔を伏せ眼鏡のツルを持ち上げた。


「いえ、私も奥方様にお会いしたかったなと。さぞ素敵な方のようで」

「やらんぞ」

「いりません」


 キルシュとハロルドは笑い合った。そしてすぐ、取っ組み合いが始まった。


「いらないとはなんだ!」

「いらないものはいりません!」


 ◇◇


 イブはただ貧乏から脱出したいだけだった。金持ちになりたいだけだった。その代償は彼女が思っていたよりも大きい。国を巻き込む一大事に、自分が関わることになろうとはこのときの彼女はまだ知らない。

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嫁入り先がクソ田舎だったので一発逆転狙います イツミキトテカ @itsumiki

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