第11話

 イブがクエルクス公爵家に嫁いで、早くも1ヶ月が経とうとしていた。


「シリオ、準備は出来た?」

「出来たか出来てないかと言われれば出来ました」

「話をややこしくしないでくれる?」


 イブの部屋の前に現れたシリオは、白いコックコートに身を包み、片手にフライパン、もう片手にフライ返しを持ち、コック然として佇んでいた。


「そういう夫人は…?」

「出来てないわ」

「もっと躊躇った方が良いですよ」

「だって、緊張して何も手につかないんだもん」


 イブは鏡と睨み合い、緋色の髪をあーでもないこーでもないと編んだり結んだりしながら、頬を膨らませた。ドレスは半分しか着れていない。さっきから、着た途端、何か違うと脱いだり着たりを繰り返していた。きちんとしたドレスを着るのは久々だった。このところほとんど作業着ばかり着ていたので、何が正解か分からなくなっていたのである。


 しばらくして、シリオの焦った声が遠くから聞こえきた。


「夫人ー! 馬車が近づいてきてますー!」

「もうそんな時間? ええいままよ!」


 イブは手近にあった薄紫のドレスをむんずとつかみ取り、慌ただしく着ると、髪をなんとかひとまとめにして、散らかったままの自室を後にした。


 ◇◇


「ようこそいらっしゃいました。ハロルド・チルトン」


 扉を開け、イブが出迎えたのは、一人の青年だった。その名をハロルド・チルトンという。夫であるクエルクス公爵キルシュ・オークランドから手紙が来たのは4日前のことだ。来月分の生活費を渡しに使者を送ると。その男の名がハロルド・チルトン。クエルクス公爵の付き人、いわば秘書のような人物らしい。


 イブは目の前の男を見上げて内心首を傾げた。


(「秘書って言うからもっときっちりしてるイメージだったわ」)


 イブがそう思うのも無理はない。ハロルドは長い黒髪を緩く結んで前に垂らしていたし、胸元はボタン2つ分は開いていた。全体的にゆったりとした服装で、一言で言えば、そう、軟派な雰囲気が漂っている。


 そんなことをイブが思っていると、鷹揚な笑みを湛えてこちらを見下ろす瞳とかち合った。アーモンドのように形の良い目は少し垂れていて、親しみやすさを感じさせる。アメジストを思わせる瞳の美しさにイブは思わず息を呑んだ。


「はじめまして。イブ・オークランド。……中にいれてはくれぬのだろうか?」

「はっ…えっ…も、もちろん、そのつもりですわ。どうぞお入りになって」


 客人を招き入れたイブは人知れず額の汗を拭った。ハロルドは立ち止まりあたりを観察するように眺めている。ときおり背中越しに見える整った男の横顔にイブはすっかり感心していた。


(「都会の男の人ってどえらいわね!」)


「さあ、こちらへどうぞ」


 そう言って、イブは、昨日シリオとともにせっせと準備した部屋に向かってハロルドを促していった。

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