第8話

「あぁー! もう、分かった分かった」


 男は手を振り、少女の身の上話を遮った。食べる隙すらないほどに延々と語りかけられていたので温厚な彼もさすがにうんざりしたのである。


 少女はハーブウォーターを一気に飲み干した。額には汗が滲んでいる。相当白熱したらしい。「ふぅ」と一息吐くと男に手のひらを差し向けた。


「じゃあ、次はあなたの番ね。忘れてないことだってきっとあるでしょ」


 こちらを見つめる少女のマリーゴールド色の瞳がまっすぐ男を捉えていた。これは単なる世間話ではない。向かう先は少女のゴール。そこに向かって彼は今追い詰められている。


(「まさか自分が狩られる側とは」)


 男はざんばら髪をワシワシ掻いた。話すことなどありもしない。そう言おうとした瞬間、「何でも良いから」と強い目力で押し返され、男は小さくため息をついた。


「じゃあ、つまらない生い立ちを………俺は両親を早くに亡くした。それからは母方の爺さんと暮らしてた。その爺さんが変わり者で、村の住民から嫌われてたんで、しばらくして俺たちは村を出ることになった。いくつか村を転々として、それでたどり着いたのがあの森というわけだ」

「じゃあ、ご家族はお爺さんだけってこと?」

「いや、爺さんも死んだ。どれくらい前だろう。俺が15かそこらのときだ」

「そう…」


 少女がそっと瞳を伏せた。知りもしない爺を弔っているようだ。そんな感情自分でさえもうすっかり忘れていた。興味深く少女を見ているとふいに目があった。少女は気を取り直したように質問を続けた。


「それで、仕事は何をしてるの?」

「そんなものはない」


 イブが仰々しく手を口元に当てる。


「てことは…無職?! じゃあ、お金はどう工面しているの? どうやって生活しているの?」

「どうやってって…別に金なんてなくても生活できる。森で生きてれば食べ物や飲み水には困らない。それに着るものや道具も作れる。全部森の恵みだな」

「オーマイガー!」


 そう言って、少女は両手で頭を抑えテーブルに突っ伏した。まるで男がとんでもないことをしでかしたとでもいうように。それにしても、子どもだってもう少しまともな芝居をするだろう。見事なまでの大根である。


「大変申し上げにくいんだけど、あなたがお住みになっているあの森…実は、クエルクス公爵の森なのよね」

「…そうか」

「そうなの…だからあの森に住むなら公爵の許可がいるんだけど…」


 イブがそろりと男を見上げた。男は肩を竦めてみせた。


「もらった覚えはない」

「そうよね…まぁ、あなた忘れっぽいみたいだから本当はもらってるかもしれないけど、多分無いわよね…」


 男は笑いそうになるのを噛み殺した。随分丁寧に罠まで誘導してくれるものだ。そんなやり方ではあの森に棲むどんな動物も捕まえられやしない。どうやら彼女に狩りのセンスはないらしい。

 しかし、ここまで付き合ったのだ。最後まで見届けよう。

 

「じゃあ、俺はどうしたら良いんだろう」


 そう告げた途端、「その言葉待ってました」とばかりに、目の前の少女の瞳が輝き弾けた。


「それなら、クエルクス公爵家お抱えの『山の管理人』にならない? 住まいはそのまま! もちろんお給金も貰えて、まさに一石二鳥。ね、名案でしょ!」


 少女は頬を薄桃色に染め、嬉しそうにニコニコしていた。これはあれだ。仕掛けた罠に初めて獲物が掛かったとき、あのときの気持ちと一緒だ。男はその感情を思い起こし、思わず目を細めた。外の雨はいつの間にか小降りになっている。


「なるほど。でもそれはさすがに気がひける。勝手に住みついた俺が悪い。だから、森を出ることにしよう」

「え、ちょっ、ちょっと」


 少女の顔から笑みが消え、あわあわと慌てふためき始めた。まさか断られるなんて思っていなかったようだ。少女は椅子を揺らしながら立ち上がった。


「小さいときからあの森に住んでたんでしょ? 故郷みたいなものじゃない。そんな簡単に諦めていいの?」

「人様の土地ならしょうがない。他を探そう」

「あんなにいい森、他にはないと思うけど。私も森マスターってわけじゃないから絶対とは言えないけど、あの森を超える森なんてそうそうないと思うのよねー。あ、もしかして公爵から罰されるとかって心配してる? それは大丈夫よ。ちゃんと私が説得するから! だって私公爵夫人なのよ。これでも一応。うん、一応」


 少女はそれはもう喋る喋る。男は口を抑えて目を瞑った。少しからかい過ぎたかもしれないと笑いを堪えている。イブはまだ喋っていた。


「もうこうなりゃ正直に言うけど、別にあなたのためだけって訳じゃないの。私の悠々自適な公爵夫人ライフにあの森の有効活用が必要なのよ。あなたにとっても私たちにとっても良いことずくめ! よっ、世界平和! だからお願い。あの山の管理人になってください。木を伐ったり、高級キノコを狩ったり、とにかく稼ぎましょう! 私も一緒にやるから! ね、後生だから! いっそ人助けだと思って! 徳を積むと思って! なにとぞなにとぞ!!」


 さっきまでの棒演技はどこへやら。もはや策略もクソもない。ただただ必死の形相で訴えるのみ。力技にもほどがある。男はもう我慢出来なかった。弾けるように笑い出し、腹を抱えて大笑いした。


「あんた、ずいぶん変わり者だ。見てるだけで面白い」


 キョトンとするイブの隣で、男に同意するようにシリオが大きく頷いた。男は目尻の涙を拭いて、大きく息を吐き出した。こんなに笑ったのは何年ぶりだろう。そもそも人との接点自体が随分と久しぶりなのだ。


「金はいらない。どうせ使うことはないからな」


 それを聞いたイブは思いっきり眉間にシワを寄せた。


「お金は大事よ。あって困ることはないし」

「いや、いい。俺は長いことあの森に住んでるが、木こりをしたことは無い。キノコや野草の場所は知ってるし、動物も獲れるが、あんたが望むほどの仕事は出来ないだろう。それでもいいなら、金はいらない。あの森に住む権利だけくれないか」

「だ、か、ら、お金は大事なんだってば! …え、何? 管理人やってくれるの?!」


 イブがテーブルを挟んで前のめりに男に詰め寄ってきた。マリーゴールドの瞳がキラキラ輝いている。目まぐるしく変わる表情。この生き物は見ていて全く飽きない。体の上をチョロチョロする子リスみたいなくすぐったさと危なっかしさと芽生える庇護欲。


「木のことは詳しくないが、やりながら覚える。それでも良ければ」


 働くということは男にとって未知数だ。小さな頃から爺さんと二人暮し。その爺さんが死んでからは一人山に籠もっていた。だから誰かのために働いたことなど一度もない。どれだけ少女の希望に応えられるのか自分でも分からない。


 一応心配する男をよそに、イブはどこか遠くを見ていた。早くも想像上の成金生活に心ここにあらずのようだ。


「林業に関してはちょっと考えがあるの。不発でもなんとかなるでしょう…私も勉強するし! あと、お金はちゃんと払うから!」

「いや…」


 首を振ろうとする男に、シリオが先に首を振り返した。


「たいしてくれるわけでも無いんですから貰っておけば良いんですよ」

「シリオ? なんですって?」


 イブがシリオを睨んだ。おそらくシリオも睨み返し、二人は一瞬睨み合ったが、すぐにけらけら笑い出した。邸にほころぶ屈託の無い笑顔の花。


 ―仲良きことは美しきかな―


 男は遥か昔に聞いた母の言葉を思い出した。母も誰かに聞いた言葉らしかったが、病床の窓から見える村の子どもたちの姿によく、そう呟いていたものだ。そうした後は、決まって幼い彼の名を呼び、頭を優しく撫でてくれて「行っておいで」と背を押した。彼は母のそばにずっと居たかったが、子どもたちの楽しそうな声と母の優しい眼差しに誘われて、ついつい外に出ていってしまう。


 彼が部屋を出ていったあと、母はどんな顔をしていたのだろう。

 今ならきっと分かる。


(「仲良きことは美しきかなってやつだ」)


 人は一人でも生きられる。現に今までそうしてきた。だけど、なぜだろう。男は久しぶりに呼ばれてみたくなったのだ。


「…俺の名前はベル。ベル・ヘイズルだ」


 その瞬間、少女のマリーゴールド色の瞳がぱっと華やいだのが分かった。


「私の名前はイブ!」

「私はシリオです」

「あぁ。知ってる」


 イブは嬉しそうに笑い、男に手を差し伸べた。


「じゃあこれからよろしくね、ベル!!」


 ベルは少女の細っこい手を握り返した。その小さな手がさらにぎゅっと握り返してくる。小さいながらも暖かく力強い手だ。


 こうしてベル・ヘイズルはクエルクス公爵領の山の管理人になった。男が自ら掛かった罠は思ったよりも快適で心地よかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る