第7話

「…こんな美味いもの生まれて初めて食べた…」


 これが、豆たっぷりの肉煮込みシチューを一口啜った男の第一声である。


 こう言ってはなんだが、世界にはもっと美味しい食べ物はいくらでもある。高級食材と高級調味料を高級料理道具で高級時間を掛けて高級調理すれば、シリオの料理より確実に美味しいものが食べられる。しかし、コスパとくればシリオの右に出るものはそういない。少なくともイブはそう思っている。


 つまり、シリオは最高に理想的な執事ということだ。


(「そして今、私が欲しいのは最高に理想的な山の管理人…」)



 不遇の地バラノスで、今1番手っ取り早くお金を稼ぐ方法は「林産業」である。だって、見渡す限り周りは山だ。そこら中に木が、キノコが生えている。それも勝手に。これらはすべてクエルクス公爵の資産なのにも関わらず、だれも使わず増やさず、ただただ眠りの資産になっている。


 なんてもったいない!!


 しかし、残念ながらイブは山のことに詳しくない。早々に誰か信頼できる人を雇わなければと思っていたところに現れた謎の人物。男の得体は知れないが、信頼はできる。なぜなら、危険を顧みず初対面のイブを助けようとするお人好しだからだ。


 クマのように見えた男は風呂に入って文字通り垢抜けた。イブより20ほど年上だろうか。ダンディズム溢れるなかなかの男前である。

 イブは、まだ中身の入っている男の皿にシチューを追い足した。


「そういえば、結局名前を教えてもらってなかったわね」

「だから、忘れた」


 男はシチューをかきこみなからぶっきらぼうに応えた。シリオがイブに困惑の視線を寄越している。シリオの目元がどこか分からないが、きっとそうだろう。まぁまぁシリオさん、そう焦りなさんな。


「私はイブ。そして彼がシリオ。私がクエルクス公爵夫人で、シリオはこの邸の執事」


 男はなんの気無しに聞いているようだったが、ふとスプーンを置いて邸の中を見回した。


「そういえばそうだったな…ここは公爵の邸…それにしては人が少ないような…」


 そのとき、窓が雨風に打ち付けられ、激しく音を立てた。それに怒ったように抗議したのは暖炉の薪だ。バチッと爆ぜて、広い邸の壁に3人の影を妖しく揺らした。


 窓枠が震える音が邸の中で間断なく響いている。沈黙に耐えられなくなったのは男だった。


「そういえば、公爵はどこにいるんだ? いまさらだが挨拶くらいした方が良いだろう…?」


 イブはハーブウォーターで喉を潤すと、グラスについたリップを指で拭った。


「気にする必要ないわ。公爵は不在なの」

「そうか……でも、そろそろ帰ってくるんだろう? もうこんなに遅い…」


 イブはまるでベルがとんでもない冗談を言ったかのようにけらけら笑った。


「帰ってくる? あり得ない!」

「そ、そうか…」


 どこかでまた雷が落ちた。今度はそこそこ近くのようだ。邸の中は、またしても奇妙な沈黙で満たされた。男は少しそわそわし始めた。


「その……他の使用人は? さっきから人の気配が全くしないんだが…」

「シチュー、もう食べないの?」


 唐突にイブは話を遮った。さっきから男の食が全く進んでいなかった。促された男は困惑気味にスプーンを再び手に取った。肉の塊を掬い、口に運ぼうとする。そして、ぴたっと動きを止めた。


「そういえば、この肉なんの肉だ? あまり馴染みのない味だったが」


 歯ごたえがあり、食べごたえがある。少しパサついているが、シチューの味がよく染みていて美味しいことには違いない。牛でも豚でも鳥でもない。ブッシュボアともマッスルディアともユニコーンラビットとも違う。


 怪訝な表情を浮かべる男の目の前で、イブは大きな肉の塊を一口で頬張ると、ぺろりと舌なめずりしてみせた。


「美味しいでしょう? いったい何の肉でしょうね」


 男の控えめな脳みそが猛烈に回転を始めた。考えることは苦手だが、野生の勘は良く働く。


 口達者な自称公爵夫人の小娘。モップ族の執事。ずっといないという公爵。広い邸にそぐわない使用人の数――


 男の視線は自然とバターナイフを捉えていた。その様子をシリオが見ていた。目の位置は分からないが確実に見られていたという自信が男にはあった。男の視線とシリオの視線が、確かにかち合った。


 突然、シリオが立ち上がった。これが早撃ち対決ならば、男はここで確実に死んでいたであろう。シリオはとても早かった。男が「しまった」と思った次の瞬間、目が眩むほどの閃光、そして爆音が邸を覆った。今日一番の落雷。邸のすぐそばだ。


 男が視界を取り戻したとき、バターナイフは元の場所から消えていた。見れば、シリオが握りしめている。その隣、イブは涼しい顔をしながらナプキンで口元を拭っていた。遠くでは雷鳴が鳴り続けていた。


 ナイフを持ったまま、シリオがゆっくり口を開いた。


「豆です」

「なに?」


 聞き返した男にシリオが頷く。


「あなたが肉だと思ったそれ。実は豆です。豆で肉を再現してみたんです」


 男は目を瞬かせた。


「なんでそんなこと」

「肉が高くて、豆が安かったので」


 ぽつりと呟くシリオの隣で、イブが勢いよく立ち上がった。


「うちのシリオすごいでしょ!! 私も最初は肉だと思ったのよ。それがまさかの豆! これ、豆なのよ豆!!」

「なんだ…びっくりさせないでくれ」


 男は背もたれに身を倒すと大きく息を吐いた。

 イブはシリオと顔を見合わせた。男のほっとした表情の意味が分からなかったのだ。シリオはパンにバターをたっぷり塗って男の皿に載せた。男は軽く会釈した。


「あぁ、すまない……え、ここ、公爵の邸だよな?」

「そうよ。なに? 疑ってるの?」


 まあ無理もない。イブだってこんな公爵邸があってたまるかと思ってはいる。

 男はぽりぽり頬を掻き、


「いや、公爵ってのは肉の値段を気にするほど金が無いのかと思ってさ」


 遠慮がちにそう言った。


 ふふん。よくぞ聞いてくれました。イブは男にスプーンを突きつけ、ビシッと決めた。


「いつまでもあると思うな公爵と金!」


 イブは貧乏貴族の小娘がどうやって公爵夫人となり今に至るか、男にこんこんと語り始めた。

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