第3話

「一夫多妻制の可能性も考えたんだけど違ったのよね…」


 人気のすっかり無くなったクエルクス公爵邸、その中庭でイブはシリオの焼いたクッキーをつまんでいた。


「ん! 美味しい!」

「お口に合って良かったです。はいどうぞ」


 シリオに差し出されたミルクティーにも口をつける。昨日まで、この邸の使用人が淹れていたものと同じ茶葉のはずだが、シリオの紅茶は格段に美味しい。うん、デリシャス!


 ティーカップを両手で掴み、肘をつく。行儀は悪いがシリオ以外に見る者はいない。たまにはくつろいだって良いだろう。このくらいでバチは当たりやしない。


 シリオが対面に腰掛けた。イブは窺うように上目遣いでシリオを見つめた。


「いまさらだけど、どう? やってけそう?」


 シリオはクッキーを食べる手を止めた。イブは「シリオの口ってそこなのか」と、また余計なことを考えていた。


「掃除、洗濯、料理に庭仕事。問題ありません。一人で全て対応できます」

「いや、私も半分やるけれど。当番制にしましょ」

「夫人には公爵夫人としてのお仕事があります。それは私にはできませんので」

「この状況で公爵夫人としての仕事があると思って?」


 公爵夫人の仕事とは、いわば公爵のサポートだ。


 公爵が客人を招いてパーティーを開くと言えば、使用人に指図し、料理や楽団や客室の手配を恙無く取り行い、公爵が居ない間に客人があれば、教養ある会話と隙のないおもてなしで公爵が戻るまで相手をする。それが公爵夫人の仕事だ。その他、手紙の代筆、使用人間のトラブル仲裁、土地や財産の日々の管理、それだって公爵夫人の仕事になりうると言って差し支えないだろう。


 しかし、だ。

 イブは公爵に会ったことすらない。


(「似顔絵詐欺で怒ったのよね、きっと」)


 公爵はどこかでイブの本当の姿を見たに違いない。絵の中のイブと実物のイブのあまりの似てなさぶりにそれは驚いたことだろう。しかし、王族の面子なのかなんなのか、理由は分からないが、今更結婚をなしにすることも出来なかったようだ。だから、結婚はしたが、顔も合わせないし、式も挙げない。


 そのうえ―


(「新居は私でも真っ青のクソ田舎……とんでもなく怒ってるわね」)


 クエルクス公爵ともなれば領土はよりどりみどりのはずだった。海沿いの避暑地として有名なコブス公領、貴重な鉱石の産出するデンシフロラ公領、王都近くのフィルス公領……それらの住みよく発展した地域とは真反対に位置するバラノス公領、雑木林に囲まれた、むしろ雑木林以外何もない、辺境の忘れられた土地バラノス。それがイブに用意された新居だった。


 王都から遣わされてきた使用人たちはあからさまにこのバラノスでの生活に不満たらたらであった。土地もさながら、仕える相手が聞いたこともないような伯爵の小娘となれば自分たちが蔑ろにされていると感じても不思議はない。


 だから、イブはこの邸にやってきて2日目に、名ばかりの夫であるキルシュ・オークランドに使用人を全員王都へ戻すと手紙を書き、3日目には自らシリオを雇ってきたのだった。


「あの日が私の運の尽きでした」


 最後の1つになったクッキーをおそらく見つめながら、シリオがぽつりと呟いた。「あの日」とは、イブとシリオが出逢った日のことであろう。イブはくすりと笑った。


「何よその言い方。私はちゃんと全部包み隠さず説明したじゃない。それでも良いって言ったのはシリオよ」

「それはそうですが…少し浮かれていてちゃんとした判断ができていなかったかもしれません」

「あそこで浮かれてなければ、シリオの雇い主は一生見つからなかったでしょうよ」


 その瞬間、二人の間の空気が少しピリついた。


「それは私が「モップ族」だからですか?」


 シリオの声は明らかにむっとしていた。


 ◇


「人族」と「モップ族」の関係はいささかセンシティブである。古い歴史の中で、穏やかで争いを好まないモップ族は野心的で野蛮な人族の奴隷にされていた時代があった。賢く気高いその種族をどうして人族が自分たちより下だと思ったのかはさっぱり分からない。


 しかし、それも昔の話である。


 正しい思想を持った勇気ある先人たちのおかげで、時間は掛かったものの、奴隷制度はなくなった。


 当然今では差別することは許されず、人族もモップ族もみな平等に生活を送れる、そういう社会になっている。


 ――表面上は。


 イブが執事協会に新たな執事を探しに出かけたとき、シリオは絶賛売れ残っていた。


「モップ族なんだから力仕事とかの方が向いているのじゃないかって、私も忠告したんですがね……あ、こういうのも差別になってしまいますかな。失礼失礼。ははは…」


 執事たちの情報が書かれた資料をイブに見せていた丸眼鏡の中年男が慌てたように口ひげを整えた。自分が失態を犯したモップ族の資料を、隠しでもするかのようにその上に手を置き、さっと別の資料をイブに差し出した。人族の可憐な少年の資料だった。


「彼なんていかがですかな。執事学校卒業したてでまだ実務経験はありませんが、成績はそれはもう優秀で期待の新人でございます。実は、彼を雇いたいというお声も既に頂いているのですが、クエルクス公爵のお望みとあらば―」


(「そうやって値段を釣り上げる気ね」)


 媚を売るようにこちらを見上げる眼鏡男にイブは内心感心した。イブより背が高いというのに完璧な上目遣い。よくやるものだ。しかし、こういう人物は意外と嫌いじゃない。つまらないプライドで飯は食えないのだ。

 イブは資料の上の男の手をつまみ上げた。


「成績優秀なら、彼だってそうなんじゃない?」


 眼鏡男がさきほど覆い隠したモップ族の資料。そこには執事学校主席卒業、紅茶マイスター、トピアリーマイスター、クリーニング検定1級など華々しい経歴、特技が踊っている。イブの指摘に眼鏡男はなんとも言えない表情を浮かべ、小さく唸った。


「私の立場でこんなことを言ってはいけないのかもしれませんが…書くだけならなんとでも書けますからね」

「ぎくうっ!!」


 眼鏡男の言葉はイブの罪悪感を的確にえぐった。


「まぁ、でも嘘は書いていないと思います。テキパキしてますし、理解も早い。実務経験は無いですが、きっと悪くない仕事をするでしょう」


 眼鏡男はおもむろに眼鏡を外し、懐からチーフを取り出した。


「しかし、わざわざモップ族の執事を雇いたいなんて貴族の方はいないのです。彼だってそんなこと分かっているはずなんですがね」


 男はため息がてら眼鏡を拭いた。彼だって差別をしたくてしているわけではないのだろう。イブは資料に書かれた料金に視線を落とした。モップ族の彼と可憐な少年執事では5倍もの値差がある。それでも―本当かどうか分からないが―少年執事には雇い主がもう決まっているのだ。


 イブは水色けむくじゃら執事の資料を抜き取った。


「彼の実力が見てみたいわ。呼んできてもらうことはできる?」


 これがイブとシリオの初対面だった。シリオの資料には寸分の嘘も誇張も無かった。最初は少し緊張しているように見えたが、シリオは丁寧に確実に自身の執事技を披露してみせた。結果、イブは少しだけ色を付けてシリオを雇うことにしたのである。


 眼鏡男に見送られながらイブとシリオは執事協会を後にした。眼鏡男は口ひげをしきりに気にしながら言った。


「公爵様に怒られなければ良いのですが。公爵夫人もまだどんな方か分かりませんし」


 イブはニコリと振り返った。


「大丈夫よ。私がその公爵夫人なんだから」


 ◇


「あの人、絶対信じてなかったわよね」

「はぁ。私もここに来るまで信じられませんでしたけど」


 イブは真顔でシリオを見据えた。二人の間には変わらず緊張した空気が流れていた。


「シリオはモップ族だから、私と出会わなければずっとあそこに取り残されてたわよ」

「…」

「だって人族の1/5の値段でも今まで誰もあなたのことを雇わなかったのよ」


 シリオの何もかも諦めたようなため息が静かな庭園に妙に響いた。


「…分かっています。失礼なことを言って申し訳ありませんでした」


 その瞬間、イブのスイッチが入ってしまった。


「分かる必要ないのよ!」


 気がつけば両手でテーブルを叩きつけていた。シリオが身をすくませる。突然の大きな音でびっくりさせてしまったようだ。軽く謝り、気を鎮めようとするが、しかしムカムカは収まらない。こうなったら出しきるしかない。


「分かってないのはみんなの方よ。こんなに優秀な執事が破格の値段で雇えるっていうのにどいつもこいつもアホじゃないの!?」

「夫人…」

「シリオもシリオよ。少し色つけたくらいであんなに喜んじゃって。あなたの価値はあんなもんじゃない。分かってる? さっきだって! 私にちょっと強く言われただけで日和ってるし」

「じゃあ…もう少しお給金を高くしてください」

「いまさらもう遅い! それはそれ、これはこれ!」

「えぇ…」


 せっかく極上の執事を格安で雇えたのだ。こんなチャンスを見逃すほどイブはぼんくらではない。シリオ自身がそこをスタート地点にしてしまった。だから、それは潔く諦めてもらうしかない。


「納得いかないなら自分でもっと価値を高めていきなさい。そしたら手に入るものも自ずと増えていくはずよ」

「夫人って野心家ですよね」

「そりゃそうよ。待ってたって誰も与えてくれないもの。公爵夫人の座も、クッキーも!」


 そう言って最後の一枚をかっさらう。シリオが見るからにしゅんとする目の前で、イブは得意げにクッキーを2つに割った。片割れをシリオにずいと差し出す。


「だからシリオも遠慮してたらだめよ」


 2人は仲良くクッキーを頬張った。

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