第2話

 今からおよそ3ヶ月前―


 貴族界隈はにわかに騒がしくなっていた。

 この国の第2王子キルシュ・オークランドがついに妻を娶るという噂が国中に広まったのだ。


 第1王子と違って、不格好だの、不出来だの、不埒だの、不品行だの、散々な語られようをしてきたファガレス王国第2王子キルシュ・オークランド。しかし、さすがは腐っても第2王子。その地位が貴族たちにとって垂涎ものであることに違いはない。


 由緒正しき貴族から、みそっかす貴族まで。この国に年頃の貴族の娘は掃いて捨てるほどいる。城に貴族の娘たちが殺到することは目に見えていた。 


 だから、


『第一審査は書類で行う』


 そうお触れが出るのも当然のことだった。


 イブの実家であるラベイユ家もまたこの国の貴族だった。貴族といってもみそっかすもみそっかす。みそっかすに申し訳ないくらいの末端みそっかす貴族である。


 イブは、平民から奪うことを知らず、分け与えることしか能のない鴨ネギ伯爵に直談判した。


「お父様、この家で一番価値のあるものは何?」

「それは他ならぬおまえだよ」

「いや、そういうのいいんで」

「反抗期かな」


 ラベイユ伯爵は少し悩む素振りをしたあと、あぁ、と思い出したように手を合わせた。


「あれだろうね。先祖代々伝わるあのティアラ」


 なんでも、気が遠くなるほどいつかの代の伯爵が当時の女王から恩賜を受けた代物らしい。幼い頃、邸でたまに行われていたパーティーでそういえば母親が恭しく頭に載せていたな、とイブは思い出していた。


「たしかに、あれならいいかも…」

「イブ?」


 不思議そうに首を傾げる伯爵に、イブはニコリと笑いかける。


「お父様、そのティアラ私にくださいな」

「もちろんそのつもりさ。おまえは可愛い一人娘だからね」

「よっしゃあ!」


 愛娘の派手に喜ぶ姿に、伯爵の目尻もついつい下がる。


「どこかのパーティーにでも呼ばれたのかい。素敵な出会いがあるといいね」

「売るのよ」

「は?」

「だから―」


 イブの握りこぶしが勢いよく虚空を突いた。


「売ったお金で画家を買収して、この国一番の美女を描かせるのよ!」


 無駄に広いだけのラベイユ城にイブの野望が虚しく響いた。

 ティアラをつけてパーティーに出向いたところで一銭にもなりはしない。それならティアラなぞ売ったが吉吉吉。がぜんイブの鼻息も荒くなる。


「そんなことしなくてもおまえはこの世で一番可愛いのに」

「はっ! 眼科をお薦めするわ」


 イブは父親に冷ややかな視線を送った。この世にいったいどれだけ女がいると思っているのだ。もしも、本気で娘が一番可愛いと思っているのならば、目が悪いか、いい年して世間知らずかのどちらかである。せめて前者であって欲しいと思うのは娘なりの優しさだ。


 伯爵が小さくため息を漏らした。 


「どうしてそうまでして公爵夫人になりたいんだい?」


 イブにとってそれは愚問だった。

 ティアラ片手に早くも玄関を飛び出しかけていたイブは、満面の笑みを浮かべ父親を振り返った。


「もう貧乏貴族生活にはうんっざりなの!」


 その日、イブはティアラを首尾よく高値で売りつけることに成功した。


 ♢


 それからしばらく、イブの花嫁修業と釣書詐称の日々は続いた。


 趣味・特技の欄は書いても書いても書ききれなかった。


 料理、洗濯、家事全般、生け花、盆栽、カリグラフィー、そろばん1級、色彩検定1級、野菜ソムリエ、利き紅茶、森林セラピスト、水彩画、ピアノ、ダンス、乗馬、編み物、刺繍、ガーデニング、日曜大工、ウインタースポーツ、釣り、焚き火、などなどなどなど…


 一度でもやったことがあるものはイブにとって趣味であり特技だった。真実はあとから伴えば問題ない。嘘から出た実。そういうことだ。


「そもそも第一審査に通らなきゃ意味がないのよ」


 正々堂々戦って勝算があるだろうか、いやない。

 悲しいかな、イブはみそっかす伯爵の娘なのである。それだけで他の令嬢たちよりもスタート地点がはるか後方なのだ。ハンデとして多少の嘘をついてもバチは当たらないだろう。


 それに、イブはちゃんと弁えている。この作戦がうまく行き、第一審査を突破したとして、第二審査を突破することは厳しいだろう。いくら取り繕ってみせても実際に会ってしまえば、盛りすぎた似顔絵も凝りすぎた釣書もすぐに見破られるに決まっている。


 そこまで分かっていてなぜ挑戦するのか。

 身の程知らずの遥か高みを目指すのか。


 答えは簡単である。


「第一審査にさえ通ればそれだけで箔がつくってもんよ!」


 由緒正しき貴族の娘が公爵夫人に選ばれないのは赤面ものの恥となろう。しかし、イブには失うものなど端から無い。第一審査に通りさえすればイブ・ラベイユの価値は上がりこそすれ下がることはない。みそっかすより下はない。


 公爵夫人なんて滅相もない。

 これはラベイユ家より格上貴族に嫁ぐためのいわば投資。それだけなのだ。


「私ってば策士!」


 イブは腰に手を当て高笑いした。


 ――しかし、この計画があっけなく崩れ去ることを、このときのイブはまだ知らない。


 それは、イブが必要書類を送ったおよそ1ヶ月後のことだった。王家の紋章が押された封蝋の手紙。第一審査の結果が書かれているその手紙を読むなり、イブは叫び倒すはめになった。


「あ〜ドキドキする…えいっ……わ、やったわ!! 無事合格! 第二審査の日程は…え、ないっ!? は? 『イブ・ラベイユをキルシュ・オークランドの妻とする』…???!!」


 透かしてみたり、あぶり出したりしてみたが、そこにあるのは何度見ても『イブ・ラベイユをキルシュ・オークランドの妻とする』の強烈な一文のみ――


「うぇえぇっ??! ほぎゃあぁぎゃぎゃおんぎにゃぁあっ!!!」


 イブはバカになった。

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