第11話 天啓⑪

 僕は奈良の大学を卒業して、高校時代からどうしても行きたかったK大学に再入学していた。しかし、高校時代にはただ、K大に行けば幸せになれるはずだと思い込むのみだったが、今は違う。明確な目的と理由があって、勉学に勤しんでいる。ミユキくんとリホは高校生、善治よしはるくんは中学生になった。相変わらず、善治くんは学校には通わず、離れにばかり居た。

 リホが善治くんのせきが止まらないと言った。もう、一週間近くになるらしい。風邪薬を飲んではいるのだが、一向に病状が回復しない。

「もしかしたら、肺炎かもしれない」

「でも、レントゲンを撮ったけれど、そうではないって」

 後に僕は大学の講義で、その病気を習うことになる。

 そして、善治くんは不幸にも亡くなってしまう。善治くんの葬式が終わって、数週間後。善治くんの離れは壊されたそうだ。そのあたりからだったろうか。少しずつ、リホの様子がおかしくなっていたような気がする。それとも、善治くんが亡くなってすぐのことだったか。判然としない。リホがあんなことをしてしまったのには、善治くんの死が影響しているのかもしれない。


 ある日。それは、佐保川の桜並木が満開になり、甘い香りを周囲に漂わせていた頃。京都駅からJR奈良駅までは、JR奈良線大和路快速で四十分ほど。近鉄だと目的地まで残り一駅か二駅というところで、大和西大寺駅で乗り換えなければならないので、僕はJRを利用するのだ。JR奈良駅を出て十五分ほど緩やかな傾斜を上ると、母校が住宅地の間にひっそりとある。これでは、奈良市民がこの学校を発見できなくとも、仕方あるまいと苦笑する。母校と同一線上の東のほうにある某国立女子大学などは、しっかりとその校舎に堂々と学校名を掲げているのに。あれくらい、大きな字で書かなくては、普段、大阪や京都で働くはいつまでたっても、存在を知ることができない。僕は廃墟同然の古い木造建築や町屋、小ぶりな稲荷神社を横目に、小さな店ばかりが並ぶラジオの流れる商店街の道を行く。道は車一台が通るのがやっとといった感じの石畳で、申し訳程度に車道の両端に歩道がある。商店街を抜けると、佐保川に突き当たり、橋の向こう側には猫の額ほどの公園がある。そこから右を向くと、若草山という名前に似つかわしくない渋い色をした小さな山が見える。秋には、東大寺や興福寺と一緒に、ところどころ紅葉した若草山を大学の校舎から眺めていたものだった。

 そこから若草山を背にして、大学側の道を歩く。元は警察の持ち物だったという古びた四号館の裏の地蔵とまだ蕾を閉ざしている枝垂桜を通り過ぎる。ところどころに、和歌の書かれた石碑がある。和歌は万葉集に載っているものだ。JR奈良線が横断するその前には、桜のトンネルがある。こちらから見ると、左に桜の幹があり、桜の枝は小道を避けるようにして、大きく湾曲し、右にある土手にその重たそうな枝を下ろす。向こう側にある樹齢百五十年の川路桜といい、よくもまあ、折れないものだと思う。JR奈良線を越えれば、向こうには、あひるや鴨がいるはずだ。きっと、薄紅色した桜の絨毯の中、気持ちよさそうに泳いでいるに違いない。

 と、薄暗い道を端正な顔した少年が踏み切りを渡ってくる。

 あの凛とした雰囲気には覚えがある。

 リホは、腰まであった髪の毛をバッサリと切り、男みたいに短い髪の毛して僕の前に現れた。見覚えのある制服を着ている。確か、幸くんの中学の制服だ。僕は怒りに燃え、リホを殴り倒す。

「リホは女だろ」

 リホは今まで見せたことがない表情をする。一切の思考が吹き飛んだような表情だった。生気が感じられない。

「馬鹿にするな。何故、僕が医学部に再入学したのか解らないのか。自分の虚栄心を満たすためではない。リホを殺して、その遺体をできるだけ永く保つためだよ」

 リホの頬を涙が伝う。冗談ではない。泣きたいのは、こっちの方だ。

「だったら、私を殺せばいい。私は初めから、聡明そうめいにそう言った」

「何なんだ。お前が、関係を結びたがらないのが、いけないんだろ。リホはもう十六歳だ。結婚だってできる。それなのに、もったいぶりやがって。リホは本当に僕が好きなのか?」

 リホは涙と鼻水を垂れ流し、絶叫する。

「好きだよ。愛している。聡明、解らないの?」

「解るものか。言葉だけなら何とでも言える。本当は最初から、僕のことなんか男として見ていなかったのだろう。よくも弄びやがったな」

 僕はボロ雑巾みたいたリホを残して、踵を返す。

「リホのことは、もう忘れる。僕のことも忘れろ」

 背後でおかしな音がした。おかしな声も聞こえた。

 リホの手には、ナイフが握られ、血塗れで絶命していた。

 僕が、リホを殺してしまったも同然だ。僕は無意識に、リホと何度も呟き、自身の×××を露出する。そう、失礼だ。死んだリホを目の前にして、性交渉を持とうとしないのは、リホに対する最大の侮辱なのだ。目の前にいるのは、僕の愛する一人の女子高生で、恋人。そのはずなのに、どう見ても男にしか見えない。目の前にいるリホは少年だ。少年を好きにしていいかと思うと、×××は素直になる。僕は少年と関係を持とうとしている。そう思った。胃の内容物が一気に、逆流する。口を手で覆う間もなく、それらは吐き出される。荒い息遣いで、僕は生前のリホの言葉を思い出す。

「聡明がどうしても、我慢できなくなったら、その時は迷わず、私を殺してね。それができなかったら、私は自分で死んでみせるから。その後は、必ず、必ず、私を抱いて」

 少年の格好に、リホに対しては感じる。

 少年と、死体と関係を結ぶことに嫌悪する。

 リホの体がまだ、温かいうちに。柔らかいうちに。そうすれば、嫌悪感を少しでも抑えられるはず。そう思って、リホの女の体を剥き出しにする。しかし、いよいよ、醜い傷口と血液とが眼前に広がって、結局、自分はリホに××できぬまま、××を垂れ流す。

 血と××と、不快な匂いがした。

 僕は自己目的化した、堕落しきった性交渉を持ちたかったのではない。リホだから、リホとでなければ、全く意味を持たなかったのだ。できることなら、僕は生きたリホと関係を結びたかった。

 この事件は、リホの家の圧力により、世間に知られることはなかった。

 ただ、桜の花びらが舞っていた。


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