第8話 天啓⑧
むせ返るような、桜の香りの中。僕はただ、リホを待つ。僕はリホから言われたことを思い出す。
「あなたは桜のようね。ふわふわと風に吹かれるまま。自分が散ったのは、風のせいだ、雨のせいだと、他人のせいにばかりするのね。本当に勝手だわ。まぁ、それは私自身にも言えることなのだけれど」
リホは宗教を作りたいなどと、大層なことを言うけれど、本当は僕と一緒に居たかっただけなのかもしれない。
そのことに気付くのが、あまりにも遅すぎた。
その日、僕は初めて、例の滋賀のお寺の子だという
京都の仏教系の私立中学に通うという彼は、学校帰りに
「
善治くんは悪趣味とは何だと憤慨していた。善治くんが援護を要求するが、さすがに自分も善治くんの凝視には耐えることができなかったのを思い出し、リホのほうにつく。頬をふくらませる善治くんを横目に、繊細な少年に詫びる。
「ごめんね。じっと見たりして。睨んでいたわけではないけれど、恐かったら本当にすまない」
「いえ、大丈夫です」
彼は言い、また俯き、首ばかり振るのだった。前にリホが善治くんは気が弱いから、それをいいことに幸くんが善治くんにいたずらしたのだと言っていたのを思い出した。が、しかし、どう見ても気が弱いのは善治くんではなく、幸くんのほうだろうと思ったし、もしかしたら、真実は逆なのかもしれないとも思えた。
僕は今、幸くんと二人で京都にある伏見稲荷大社を目指し、電車に乗っている。*の会のメンバーと幸くんの四人の中から二人選ぶという組合わせは、全部で六通りあるはずだが、正直、デートするには最もなさそうな組合わせだと思う。何と言っても、接点がない。なのに、何故、こんなことになったかと言うと…。
「聡明はこちらに来てから、どこかへ観光に行ったことはある?」
「いや、特には」
僕は首を振る。
「なら、ちょうどいいわ。幸に案内してもらうと良い」
「はぁ?」
何がちょうどいいのか全く解らない。それでなくても、先日、僕は幸くんを泣かしたばかりなのだ。今日だって気まずいこと、この上なしだ。
「で、聡明はどこに行きたいの」
納得いかないが、とりあえず考えてみる。
「伏見稲荷大社かな。京都駅に千本鳥居の写真があるだろう。あれが気になって」
脳裏に千本鳥居の朱色が浮かぶ。それを見透かしたかのように、リホが口を開く。
「春日大社だって、朱色じゃない」
春日大社とは、若草山の麓にある、例の鹿に乗ってやってきたという神様のお社だ。
「僕は千本鳥居が見たいんだよ。それに、観光地に住む人は、観光客じゃない。つまり、生活圏内である春日大社に行っても、観光にはならない訳だよ。それでは、ただのレジャーだ」
「屁理屈だわ」
リホは口を尖らせる。
「リホが聡明兄ちゃんに、『観光』に行け、言うたんやろ。『レジャー』は、厳密には、観光やないんやで」
善治くんはいつの間にか、僕の大学の教科書『観光学総論』を持ち出してきている。そう言えば、善治くんが興味を示したので、貸していたのだった。善治くんは該当箇所を開き、観光に纏わる語句の定義の図を指し示している。リホは教科書を受け取り、読んではみるが首をひねるばかりだ。
「で、結局、観光とレジャーでは、何が違うの」
「楽しむという目的自体は、同じだけれど、まあ、つまりは、そのでかけた先が生活圏内か否かで、決まるんだよ。前者ならレジャーで、後者なら観光」
リホは肩をすくめる。
「どうでもいい」
「僕も、どうでもいいけど」
笑い声がするので振り向くと、幸くんだった。
「女の子みたい」
頬を赤らめて言うと、リホに頭を叩かれた。ついでに、耳を引っ張られ、「この、浮気者!」と叱られる。
「で、伏見稲荷に行くんやろ? 僕も行きた…」
言い切る前に、善治くんの願いは却下される。
「無理ね。伏見稲荷って、山の中にあるのよ。善治は山登りなんかできないでしょ」
善治くんは、舌打ちする。
「この心臓が」
「大きくなったら、治るよ。治ったら、一緒に行こう」
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