第30話:今は手を取り合って(お題:握手)
『本当は、ノア以外を背に乗せたくなどないのだが』
雨竜はいじけた子どものようにぶうぶう文句を言いながらも、わたしと、本当に武器を帯びずに丸腰でひとり進み出てきたクストスを、その背に乗せて、ふたたび空を舞った。
「若いお嬢ちゃんと空中散歩とは、役得だねえ」
『ノアに手を出したら、貴様だけ振り落としてみせる』
「はいはい、竜さまの
クストスと雨竜は険悪なかんじだ。というか、軽口をたたくクストスを、雨竜が一方的に毛嫌いしている。鞍が一人分しかなくて、クストスがわたしの肩にしがみついているのも、雨竜は気に食わないんだろう。こんなに嫉妬をむき出しにするひとだというのが、あまりにも意外だった。
それでも雨竜は、わたしが背に乗っているので、感情を天候に反映させるのをおさえているんだろう。雨足はさっきよりも弱くなり、突風に落とされる心配はない。
やがて、フェアン兵の待つ場所が見えてきたので、雨竜が高度を下げる。
蒼い巨体が降り立つと、キリムさんが駆け寄ってきて、
「お疲れさまです、ノア様、雨竜どの」
と、ほっとした様子で胸に手を当てて、それから、見なれぬ顔に、緊張の面持ちを見せた。
「えっと」
鞍から身軽に飛び降りたクストスを警戒して、剣の柄に手をやるフェアン兵に、わたしも雨竜の背から降りながら、なんとか説明する。
「帝国の隊長さんだそうです。親書をキリムさんに渡したいとか」
わたしの言い分に、キリムさんが、眉間に縦じわを作った。そうだよね、敵陣に指揮官が一人で乗り込んでくるなんて、普通考えつかない。子どもの頃遊んだ、二組に分かれる陣地取り遊びで、リーダーが前に出てくることなんてなかった。まあたまに、ふざけるのが好きな男子が、飛び出してきたりしたけど。わたしから見たら、クストスはその悪ふざけする男子だ。
でも、彼は腐っても遠征隊の隊長で、帝国皇帝の家臣だった。
「あんたが、フェアン王の名代かい」
「
緊迫した空気の中ながらも、お互いにきちんとした礼を交わす。
「なら、こいつを、ハルヴェルト王に届けちゃくれねえか」
クストスは、腰に帯びていた筒を取り出して、キリムさんに渡す。卒業証書を入れるような大きさの、黒字に銀の装飾がほどこされた筒を、キリムさんは丁重に受け取った。
「ほかの連中の思惑はどうあれ、俺のあるじは、フェアン国との平穏で対等な付き合いを望んでる。侵略して領土を拡大する帝国のやり方は、もう限界なんだって、あのかたはわかってる。それをそちらも認識しててくれねえか?」
軽々しい調子で話すけど、このひとは、とんでもなく頭のいい人だ。そして、そのあるじだという皇帝も、幼いのに、わたしよりよほど冷静にこの世界のあり方を見つめている。これが、政治というものなんだろう。
「かしこまりました。必ず、我が王に」
キリムさんが、部下に筒を丁寧に託して、その手をクストスに対して差し出す。
「今は、代理同士ですが、お互いのあるじが、いつかこうできますように」
クストスは、軽いおどろきに目をみはったけれど、すぐににやりと笑うと。
「美人さんに言われちゃ、期待せずにはいられねえな」
キリムさんと、がっしりと固い握手を交わすのだった。
「さて」
手が離れると、クストスは伸びをして、背を向ける。
「じゃあ、俺は部隊ごとこれで国に帰らせてもらうわ。守らにゃならんひとが、首を長くして待ってるからな」
「では、部隊へのお戻りまで護衛を」
キリムさんの申し出に、クストスは「いらねえよ」と、肩ごしに振り返って、歯を見せる。
「まだ完全に味方じゃねえ連中に見送られるほど、俺も警戒心が低くはないんでね。それに、一人のほうが通りやすい道を行く」
それきり彼は前を向き、挨拶がわりに片手を振りながら遠ざかる。それを照らし出すように、地平線の向こうから、太陽がのぞきはじめる。
黒雲は去って、朝が訪れようとしていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます