第29話:食わせ者の思惑(お題:名残)

 帝国の陣地が近づいてくる。その間、そこから攻撃が加えられることはなかった。わたしを盾に、雨竜をおびき寄せようとしたくらいだ。まだなにか企んでいるんじゃないかと警戒しつつも、開けた場所に、雨竜は巨体を降り立たせる。

「竜だ」

「まじでいたのかよ」

「うわー、母ちゃんへのみやげ話になるな、これ」

 兵士たちのあいだから、なんだかいまいちしまらない声があがる。その先頭に立つ、赤毛の男性が片手をあげると、兵士たちはしんと静まり返った。

「ようこそ、フェアンの雨竜。そして稀他人のお嬢ちゃん」

 絶対そんな優雅な人じゃないっていう、くせのある顔をしているのに、彼はハーヴィ王並にうやうやしい礼をしてみせる。

「俺はこの遠征隊を任されてる、クストス。シャリア皇帝陛下の名代だ」

 まだ幼いという帝国皇帝の代わりなら、相当な食わせ者だろう。このひとが、わたしを捕まえる方策を考えたのだろうか。

『貴様』

 雨竜も同じ考えに至ったのだろう。のどの奥で低くうなって、牙をむく。

『わが花嫁をさらっておいて、ずいぶんと飄々ひょうひょうとしていられるものだな。このあぎとでかみ砕いてやろうか』

「雨竜さま!」

 あまりの剣幕に、思わず雨竜の背中を平手でぺちぺち叩いてしまう。わたしたちは、帝国兵と戦いにきたんじゃない。フェアンには竜の加護があるから、手出しするのは無茶だと、だから手を取り合おうと、説得をしにきたのに。

「ははっ。嫁さん想いの男は嫌いじゃないぜ」

 だけど、雨竜のおどしにも、クストスと名乗った男は一切ひるまず、笑声すらあげて肩を揺らしてみせるのだ。

「皇族に伝わる口伝くでんは、陛下から聞いてるぜ。あんたの翼」

 そう言って彼は、雨竜の右の翼を指さしてみせる。

「皮膜がひとつ、破けてる。それが、初代稀他人と飛んだ時に、うちの兵が矢を放った名残だ」

 雨竜が息をのむのがわかる。わたしもおどろいて、クストスが指刺した箇所に目をやる。たしかに、小さいけれど、翼に傷がついている。今まで気づきもしなかった。わたしは、雨竜の何を見てきたんだろう。アズサを失ったあかしを残しながら、それでもこのひとは、わたしの希望にこたえて、飛んでくれたんだ。その想いの深さに、わたしの考えの至らなさに、じんと胸が熱くなる。

「あと、稀他人をさらったってのは、濡れ衣だなあ。俺は隊長だけど、報告を受けてないが」

『なにをしらを切って……』

「『俺はなんにも聞いてねえ』。そうだな?」

 雨竜が追いつめようとうなり声をさらに発するのを制して、クストスは背後の部下を振り返る。兵士は「はっ!」と敬礼をして、はきはきと答えた。

「隊長の管轄外でそのような身勝手な行動をした者がいたならば、必ずや見つけ出して、皇帝陛下の名のもと、厳罰に処します!」

 それを聞いて、兵の中でさっと顔色を変えたのが、何人かいるのがわかった。なるほど、帝国も一枚岩じゃない、ってことか。それを暴き出すために、わたしの誘拐も利用している。このクストスってひとは、かなりの曲者くせものだ。

「というわけで」

 クストスがくちびるの端をゆがめて、両手を広げてみせる。

「戦いにきたんじゃねえってあかしに、フェアンの指揮官に会わせてくれないかね? シャリア様からあずかっている親書を、そちらのお偉いさんに届けたいんだ。もちろん、丸腰で行くからよ」

 その言い分には、わたしも雨竜も、目をまんまるくして、継ぐべき言葉を失ってしまうしかなかった。

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