第27話:みんなをつなぐ渡し守(お題:渡し守)

「そろそろ、よろしいですか」

 こほん、と。

 咳払いをして呼びかけるキリムさんの声で、雨竜とわたしははっと現実に帰る。

 すっかりふたりの世界に入り込んでいるのを、フェアン兵のひとたちに見せつけてしまった。顔が熱くなるのを感じながら身をはなせば、周囲は微苦笑でかこまれているのがわかった。

 恥ずかしい。とても恥ずかしい。雨竜も、ランプに照らされている以外の理由で、ちょっと頬が赤い気がする。

「おふたりには、我々とともに、王都まで後退していただきます。稀他人という交渉の切り札を失っては、帝国もこれ以上は踏み込んでこないでしょう」

 キリムさんの提案に、「うむ」と雨竜がうなずく。

「ノアをこれ以上、危険な目にさらすわけにもゆかぬからな」

 雨竜の、みんなの心配はわかる。

 でも、ちょっと待って。

「それでいいんですか?」

 わたしは思わず声をあげていた。

「帝国は、雨竜さまを手に入れることを、あきらめたわけじゃないんでしょう? またいつか、ちょっかいを出してくると思うんです。そのたびに、逃げて終わり、なんて、そのうち絶対、こっちが疲弊します」

 ゼミのフィールドワークで、山に分け入る時は、熊よけの鈴を腰に帯びたりもした。

『一番いいのは、人間がかれらの領域に入らないことなんだがな。なんとか折り合いをつけるしかない』

 教授はひときわ大きく鈴を鳴らしながら、苦笑したものだ。

「帝国に、フェアンを攻めるのをあきらめさせればいいんです。そのために、大きな鈴を鳴らす必要があります」

 いきなり鈴とか言い出して、雨竜もキリムさんも、けげんそうな表情を見せる。そう、これはまだ、わたしの頭の中にしかない思いつき。でも、とっておきの作戦だと思う。一瞬目をつむり、ふたたび開くと、決意を言葉にして放つ。

「わたしが、雨竜さまの背に乗って、帝国兵のもとまで飛びます。でも、おどす為ためじゃない。フェアンと仲良くなれば、あなたたちも雨竜さまの加護が得られるよって、説得するんです」

「ノア!?」

 雨竜が驚き顔を見せる。キリムさんも、めがねの奥の目をまん丸くしている。

「侵略者に、恩恵を渡すというのですか?」

 キリムさんの危惧はもっともだ。ずっと敵だった国に、幸せのおすそわけをするなんて、フェアン国で育ったひとからしたら、天地がひっくり返ったってやりたくないことだろう。

 だけど、わたしは稀他人。異世界に転生してきたこのわたしに、役目があるとしたら、この世界では考えられない方策を持ち込んで、事態を打開することだと思う。

「わたしは、フェアンと帝国の間にある急流を、おだやかにつなぐ、渡し守になりたいんです」

 しん、と。

 場が静まりかえる。雨竜も。キリムさんも。兵士たちも。わたしの言葉を吟味して、採用すべきか、悩んでいるんだろう。特に雨竜は、アズサのことがある。わたしが二の舞を演じるんじゃないかって、心配は尽きないだろう。

 どれだけ、沈黙が流れただろう。

「……陛下がここにいらしたら」

 キリムさんが口元にこぶしをあてて、ぽつりとこぼした。

「おおはしゃぎで、あなたの提案に乗ったでしょう」

 彼女はひとつうなずき、わたしのほうを向く。

「わかりました。陛下の名代みょうだいとして、あなたの策を支持いたします。責任はすべて、後で陛下あのバカに取らせますので」

 フェアン兵たちがざわめく。でも、反対するふうじゃなくて。

「竜が飛ぶぞ!」

「陛下もここにいたらよかったのになあ」

「俺たちの稀他人は、型破りだぜ」

 と、むしろ事態を面白がっているような、ノリの良さを感じる。さすがあの王様の下についているだけあるなあ。薄く笑っていると。

「……ノア」

 心配だ、というのをありありと顔にはりつけた雨竜が、わたしの髪に触れる。この世界にはない黒髪に。

「大丈夫ですよ」

 雨竜の目をじっと見つめて、決してそらさずに、しっかりと言い切る。

「アズサと同じにはなりません。雨竜さまも、あの時のままではないでしょう?」

 はっとはじかれたように目をみはる、雨竜の頬を、両手で包みこむ。冷たい頬だけれど、それは、このひとの心まで冷たいわけはないことを、わたしはアーゼルでの暮らしで、とてもよく知った。

「ノアは、強いな」

「怖いもの知らずなだけですよ」

 おずおずとほほえむ雨竜に、照れくささをこめて返せば、彼はしっかりとうなずく。

「そうだな。われもおびえたままではいられない。ともに駆けよう、わが花嫁よ」

 水色の目に、雨をつかさどる竜らしからぬ炎が燃えたように見えたのは、きのせいだとは、思えなかった。

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