第26話:迎えにきたぞ(お題:すやすや)
「え、ええと」
キリムと名乗ったその女性が、短剣で縄を断ち切ってくれる。自由になったけれど少ししびれる手足を振りながら、わたしは彼女を凝視してしまった。
「ああ」
わたしの視線の意味がわかったのだろう。キリムさんはくちびるの端を持ち上げて、得意気に笑ってみせる。
「お年寄りがたに若造となめられる陛下の最側近が女らしくしていると、色ボケやらなんやらと、さらに足をすくわれる原因になりますので」
それで、最初に会った時は、男性ものの執事服を着ていたのか。というか、セクハラはどこの世界でもなくならない、根深いものなんだな。早く滅びてほしい。
「色々と、つもる話もありましょうが、今はここを抜け出すことをお考えください」
彼女の言葉に、大きくうなずく。たしかに今は、キリムさんの苦労話や、ハーヴィ陛下との仲を聞いている場合ではない。兵士に守られながら、腐りかけのあばらやを出る。入口で、地面に横たわってすやすや眠っている帝国兵が、ふたり。お酒のかおりがただよっているので、キリムさんが何をしたかは、まあ大体想像がつく。
暗闇の中、キリムさんがかかげるランプの明かりだけを頼りに、走る。
だけど、どうしても不思議に思って、「あの」とわたしは思わず口を開いていた。
「どうしてわたしが、帝国に捕まったってわかったんですか? 居場所まで」
すると、キリムさんは、ちらりとこちらを見やり、わたしの腰のあたりを指し示す。そこに手をやって、いつも身につけている巾着が無事なことを確認する。
もしかして。
思い至る前に、キリムさんが、めがねの奥の目を、少しだけ、優しげに細めた。
「『呼びかけの糸』は、真実、初代稀他人の想いと、魔法を秘めていました」
そうか。飴色の糸巻きを通して呼びかけたわたしの願いは、本当にハーヴィ王に届いたんだ。すぐに行動に移してくれた彼に、感謝の念が絶えない。
「それに、あなたは、雨竜ともつながっている。彼が、あなたの居場所を常に把握して、ここまで導いてきてくれたのです」
どきり、と。胸が高鳴る。
もらったのがもうずっと前のことのように思える、雨竜の透明な牙。これがあれば、雨竜はわたしの居場所を感知できる。
それでずっと追いかけてきてくれたのか。わたしを、見捨てないでいてくれたのか。雨竜にとってわたしは、それだけの価値がある存在になれたのか。
わたしはもう、ひとりじゃない。
うれしくて、胸が熱くなって、涙がこぼれそうになるけれど。今は泣いている場合じゃない。目の端に浮いたものを、こぶしで強引にぬぐい去り、走り続ける。
やがて、帝国の砦が背後に遠ざかり、森に入る。いくつかの明かりがちらちら揺れている。それをかかげるのは、鎖かたびらをまとったフェアン兵だ。
「キリム様!」
「ご無事で!」
安堵の吐息をつく兵士たち。それをかき分けて、前に出てくる人影がある。その姿を目に映したとたん、涙腺が決壊するのを、わたしはもう止められなかった。
「ノア」
ひとの姿をしているけれど、間違えようがない。蒼い髪、水色の目の、うつくしいひと。
「迎えにきたぞ」
地面を蹴って、ほとんど飛び込むように抱きつく。ひんやりとした腕が、走ってきてほてったからだを抱きとめてくれる。
「怖い思いをさせて、すまなかった」
「わたしこそ、雨竜さまの言うことを守らないで、みんなに迷惑をかけて、ごめんなさい」
耳元でささやかれる雨竜の謝罪に、わたしはふるふると首を横に振り、涙声で返す。腕に力がこもるのが、音よりはっきりとした、許しのあかしだった。
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