第19話:物語のヒロインのように(お題:爆発)
雨竜は。雨竜は無事だろうか。心臓が逸る。耳の奥できいんという音がうるさいくらいに響いている。暑い以外の理由で汗がだらだら流れる。
『ノア!』
耳に慣れた声が、あせりを含んでわたしの名を呼ぶ。ばさりと羽音を立てて、蒼い巨体がわたしの前に降り立つ。吹き荒れた風に髪を吹き上げられて、思わず両腕で顔をおおってしまった。だけど、そんなことで怯んでいる場合じゃない。
「雨竜さま!」
見上げた水色の目は、険しく細められて、煙の上がった方角を見すえている。
『フェアンのヒト以外の気配がする』
雨竜の言葉に、またひとつ、どきりと胸が強く脈打つ。やはり、狐の占い通り、黒雲……帝国がやってきたのだろうか。
『そなたは、洞穴に戻り、決して外に出るでない。われがかたをつけるゆえ』
「でも!」
思わず反論の言葉が出てしまう。
「わたしは雨竜さまのお嫁さんです。妻が夫とともにあるのは、当然のことです!」
『だからだ!』
強い咆哮が放たれて、わたしはすくみ上がってしまう。
『妻を危険から守るのも、夫のつとめだ。われはそなたを、危ないとわかっている場所へみすみす行かせたくはない』
その言葉に、頭に血がのぼっていたのが、いくぶん冷静になってゆく。そうだ。雨竜はアズサのように、もうお嫁さんをみすみす失いたくはないだろう。
だけど。
脳裏によみがえる光景がある。
爆発の痕が生々しいがれきの山。救急隊が運び出す担架からのぞく、ひと、だったものの青白い手。家族の名前を泣きながら呼んでいた。あれは誰だったっけ?
『安心するのだ。すぐに戻る』
血の気の引いた顔をして黙りこんでしまったわたしに、雨竜が、打って変わってやさしい調子で言い含めて、ふたたび翼をはためかせる。蒼いからだが宙に浮き、遠ざかる。咆哮に呼応するように、はげしい雨が降り出す。
いかないで。
口の中で舌がふくれあがっているようで、そのたった一言が出ない。
『おみやげ買ってくるから』
『夏休みのない仕事は大変だなあ、姉ちゃん』
顔がぼやけて思い出せない誰かたちが、わたしに笑いかけて、車に乗り込む。だめ、行っちゃだめ。もう会えなくなる。
両手で顔をおおってうめいた時。
どおん、と。
またひとつ、空気がふるえて、黒煙が立ちのぼった。あれは雨竜が向かった方角だ。
手がふるえる。耳鳴りは増して、心臓がはげしく脈打っているのを感じる。
ここで雨竜を追うことは、悪手なんだろう。知ってる。よく読んだライトノベルでは、ヒロインがうかつな行動をしてはピンチにおちいって、ヒーローの足を引っ張る。そんな物語が、美徳のように流行った時期があった。
わたしは、そんなばかな真似をしていけないのはわかっている。
だけどそれと同じくらい、あの頃のヒロインたちの気持ちが、今ならわかる。自分にできることしか見えなくなって、自分が動かねば、という一念にとらわれてしまうのだ。
ならばせめて、わたしがへまをした時の布石を打っておくべきだろう。腰の巾着から、飴色の糸巻きを取り出す。
『呼びかけの糸』
わたしとハーヴィ王をつなぐ絆の証。それを信じて、すうっと息を吸い込むと、「ハーヴィ王」と呼びかける。
「アーゼルに、帝国が来ています。雨竜さまを守ってください」
糸巻きはしんと沈黙したままだ。効果があったのかはわからない。それでも今は、ハーヴィ王に救援要請が届いていると信じるしかない。
わたしは糸巻きを巾着に戻すと、雨の中を走り出した。
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