第17話:海ははるか遠く、空ははるか高く(お題:砂浜)

 夏が本格的にやってきた。日差しは強く、目にまぶしく、雨竜が雨を降らせて太陽を隠し、あたりを涼しくしてくれるのが、ありがたい。

 こうも暑くては、きのこ鍋を煮る気にもならず、熊と一緒に釣った魚を焼き、木にっていた実を川の水で冷やしたものをそえて、軽い昼食にする。雨竜は『スティヒア』とやらを摂取してるからか、大きなからだを丸めて、わたしのそばでじっと見守っている。

「これだけ暑いと、海に行きたくなりますね」

 もとの世界のことを思い出す。大学の夏休み、ゼミの合宿で海へ行った。食材はもちろん現場で自給自足。皆で砂浜を走り回り、海に潜り、魚を釣ったり、貝を見つけたり、海藻を集めたりして、盛大にバーベキューをした。

 ああ、あの時に飲んだ缶カクテルは、いやにおいしかったなあ。

「浜辺でお酒とか飲みたいです」

『なんだと!?』

 思わずうっとりともらせば、雨竜は仰天した声を発した。

『ノア、そなたはまだ幼いだろう。酒を飲むなど、大人になってからにするのだ』

 子を叱るようにたしなめてくる雨竜に、わたしははたと思い至る。

 忘れてた。わたしはこちらの世界に転生する時、少女の姿になったのだった。もしかして、雨竜はわたしを、世間を知らない子供だと思っていたのだろうか。そういえば、雨竜のわたしへの接し方は、妙齢の女性に対するものではない気がする。

 ……まさか、こないだの、額に触れたのも、わたしがまだ手を出していい年齢じゃないと思ってるからの行為だったの? 遠慮じゃなくて!

「雨竜さま!」

 すっかり憤慨ふんがいしてしまって、わたしはほおをふくらませて雨竜を見上げる。

「わたしのこと、いくつだと思ってるんですか? 『むこう』では、れっきとした大人だったんですよ! でなければ、こんなにものを知っているはず、ないでしょう!?」

 雨竜は、鳩が豆鉄砲を食ったような顔で固まってしまう。あっ、図星だ、これ。

『そ、そうなのか、いや、しかし』

 牙の並んだ口の奥でごにょごにょとなにか言っているけれど、わたしにはわからない。

『ならば、山の食事は物足りなかったことだろう。今度、王都の遣いが来たら、酒を所望すると良い』

「やった!」

 わたしは両手を打ち合わせる。フェアンのお酒はどんな味がするのだろう。楽しみで胸がはずむ。

「じゃあ、お酒が来たら、海へ行きましょう! 雨竜さまの背中に乗って飛んでいけば、どんなに遠くてもひとっ飛び、ですよね?」

 途端。

『それはだめだ!』

 雨竜が先ほど以上に鋭い剣幕で否定の咆哮ほうこうを発したので、わたしは心底びっくりして、硬直してしまった。

『……いや、すまぬ。そなたを怖がらせるつもりはなかった』

 完全に固まったわたしを見て、雨竜は申し訳なさそうにこうべを垂れる。そして、ぽつり、ぽつりと心情を吐露する。

『だが、ヒトを背に乗せるのはできても、そのまま空を舞うのは、本当に勘弁してほしい。その、アズサが堕ちた日を、昨日のことのように思い出してしまうのだ』

 その告白に、わたしは自分の発言が軽々だったことを思い知った。

 そうだ。アズサはフェアンの旗頭として雨竜の背に乗って空を舞い、敵の矢によってその背から堕ちてしまったのだった。そのトラウマは、雨竜の心に暗い影を落としているに違いない。竜の飛ぶ高さは、ひとにとっては、死と隣り合わせの高さなのだ。以前わたしを迎えにきてくれた時、本当は、わたしを背に乗せるのも、少し怖かったのかもしれない。

「ごめんなさい」

 素直に詫びて、雨竜の蒼いからだに寄り添う。冷たい鱗が、冷静さをもたらしてくれる。

 アズサにことを忘れられない雨竜に、もどかしさを覚えはする。もういないひとの存在が、わたしたちのあいだに横たわっているのを、妬く自分がいる。

 それでも。以前のように雨竜がごまかさず、本心を語ってくれるのは、素直にうれしい。それだけわたしに心を開いてくれているのだと、浮き立ってしまう。

「じゃあ、海はいつか、ひとの姿で、馬車にでも乗ってのんびり行きましょう」

『……すまない』

 雨竜は水色の目を閉じて、穏やかさを取り戻した声音で言ってくれた。

『ありがとう、ノア』

 今はただ、彼とともに裸足で砂浜を歩き、波に足を洗われる夢に、想いを馳せよう。

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