第16話:身代わりではなく(お題:レプリカ)
「われはヒトとの直接のかかわりを断ち、このアーゼルにこもった。ヒトのあいだには、稀他人が来るたびに、われに差し出すべきだという、ゆがんだ伝承だけが残り、稀他人の花嫁のみが、おとずれるようになったのだ」
話し終えて、雨竜はおもむろに顔をふせる。わたしは、聞いた話を頭の中で反芻していた。
やっとわかった。稀他人が雨竜の花嫁になる理由も。雨竜が山を降りない理由も。アズサを忘れられないのだということも。
だけど。
「それで、いいんですか?」
白いほおを両手で挟みこんで、わたしの視線と雨竜の視線をからませる。
「何百年だか知らないですけど、そうやって閉じこもってふさぎ込んで。雨竜さまが代々の花嫁を大事にしていたのは、このすみかからわかりますけど、アズサのことを引きずっているのを知って、みんな悲しかっただろうし」
ふつふつとわき上がる熱、これは、雨竜に対しての怒りだ。
「わたしだって、いやです」
水色の目に戸惑いが生じる。それでも、わたしはわたしの想いを、このひとに伝えたい。まくしたてるように続ける。
「雨竜さま、雨の加護をフェアンにもたらしているじゃないですか。それってまだ、ひとのことを見限っていないからですよね? それに、ハーヴィ王と仲良くしようかって言ってくれた。あれはわたしがひととのつながりを断たないようにって、考えてくれたからですよね?」
雨竜は眉をたれて答えない。それが図星なのだと顕著な答えを示している。
「アズサのことは忘れなくていいです。むしろ忘れてほしくない。でも」
でも、わたしはアズサじゃない。彼女の身代わりでも、
「今は、わたしが雨竜さまのお嫁さんです。ちゃんと、わたしのことも見てください」
そう。わたしは稀他人だからじゃなくて、ひとりの人間として、心やさしくて、少し自信なさげで、どこかさびしそうな、このひとに惹かれた。一緒にいようと決めたんだ。
雨竜は応えない。今にも泣き出しそうな顔で、わたしを見つめるばかり。しとしとと、彼の代わりに空が泣いている。彼の心情に合わせて雨の形が変わるのだと、最近はわかるようになってきた。
このまま沈黙が一時間くらい続いてしまうんじゃないかと思われたころ。
「……ノアは、強いな」
雨竜の口の端に、おずおずと笑みが浮かんだ。
「われよりはるかに幼いそなたに、われは幾度心を救われたことか。そのたびに、アズサを思い出し、どれだけ済まない気持ちになっていたか」
「だから忘れなくていいんですよ!」
本当に、もとの姿の大きさからは想像がつかないくらい、自信のほどが小さいひとだな。
「わたしだって、教えてもらえないでうじうじされるより、はっきり言ってもらったほうが、居直れますから。そりゃ、全然嫉妬しないっていったら嘘になりますけど、アズサを超えるくらい立派な妻になってみせますから!」
忘れるのは楽。忘れられないのはつらい。わたしだって、「むこう」での経験で知っている。それでもひとは、前を向いて、進んでいかなくちゃいけないんだから。
雨竜のほおを挟んでいた手を離して、ひんやりした両手を握る。そして、強く言い含める。
「一緒に、探しましょう。もう一度、ひとと共にいられる道を」
雨竜の目をじっと見て、決してそらさない。わたしはアズサの分まで、このひとを見守り続けるのだと、固く誓う。
雨竜はしばらく黙り込んでいたけれど、不意にその顔が近づいて。
冷たくて心地よい感覚が、額に触れた。
「ありがとう、ノア」
耳元で、ささやく声がする。
「いつかそなたが先に逝くとしても、その日まで、われはそなたと共に、ヒトと暮らす日々を取り戻すことを、あきらめない。どうか、そばにいてほしい」
……ん? これは今さらながらのプロポーズ? ですか?
わたしのほおが熱を持つ。心臓、ばくばく言ってる。今度はわたしがうつむいて、
「……はい」
と返すのが精一杯だった。
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