第15話:解かれた問いは、縁の解き(お題:解く)

「雨竜さま!」

 洞穴に戻るなり、大声をあげたわたしに、びっくりしたのだろう。雨竜は水色の目をまたたかせて、わたしを見下ろす。

『どうしたのだ、ノア。きのこも持ち帰らずに』

 雨竜の視線は、わたしが抱えた空の籠に向く。それを放り出して、わたしはこぶしを握りしめた。

「『アズサ』というひとのことを、聞かせてください」

 雨竜がひゅうっと息を吸い込んで、目をみはる。長く生きる竜でも動揺するんだな、という呑気な感想を抱くわたしと、やっぱり、と冷静に判断するわたしとがいた。

『だれから、それを』

「西の尾根の、ここのつの尾を持つ狐から、です」

『あやつか』

 雨竜が目を閉じて、ため息を吐き出す。しゅるしゅるとその蒼いからだが縮んで、ひとの形を取った。

「こうしてそなたと向き合って話したほうが、良いだろう」

 雨竜の手が、わたしの肩に置かれる、ひとになってもきれいな、水色の目は、わたしからそらさずに、まっすぐ見つめてくる。

「アズサは、最初のフェアンの稀他人。われの最初の花嫁だった」


 それは永遠の時を生きる竜にとっても、遠い昔。まだフェアンという国が、赤子のように生まれたてだったころ。

 アーゼル山のふもとに住む猟師が、川べりに倒れている少女を助けた。黒髪黒目のその少女は、自分がどこにいるかもわからない様子で、

『ととさまは? かかさまは? おねえは、どこ?』

 と泣くばかり。しゃくりあげる合間に聞き取れたのは、戦が起きて、敵兵が村を焼き、略奪し、そこから逃げる途中で、家族とはぐれたらしいということだった。


「その頃はまだ、われはヒトの里に降りて、語り合う仲であった」


 猟師から話を聞いた雨竜は、少女が、竜たちの間に伝わる、異世界からおとなう『稀他人』であると確信した。

 雨竜は少女に会い、稀他人がもとの世界に帰るすべはないことを告げると、それまで泣いてばかりだった少女は、やがて涙をひっこめて、まだ濡れたままの黒い瞳で、雨竜を見上げたのだ。

『じゃあ、あたしはあなたのそばにいる。あたしはひとり、あなたもひとり。ちょうど良い』


「われには山の仲間がいた。なにがちょうど良いのか、われにはついぞわからなかったがな」

 なつかしそうに目を細めて、雨竜は天をあおぐ。


 少女はアズサと名乗り、かいがいしく雨竜の世話をした。最初はお互い、放っておけない情みたいなものだったのだろう。だがそれが、愛情に変化するのは、必然のことだったのかもしれない。

『あたしは、雨竜さまのお嫁さんになる。そして、フェアンのひとびとと、あなたの、架け橋になる』

 孤独にふるえて泣く少女は、もういなかった。国と、愛しいひとのために凛とあろうとする女性が、そこにいた。彼女はフェアンの王とも語り合い、雨竜の加護が国全体にもたらされることを約束した。


「だが、蜜月というのは、長くは続かぬものよ」


 ある時、オルベリク帝国の前身になる王国が、フェアンを急襲した。

 アズサは王の依頼を受けて、フェアン兵を鼓舞すべく、雨竜の背に乗って、いさましく前線に飛び立った。

 だが、敵兵の放った矢が、彼女の胸をつらぬき。


 雨竜の嫁は、雷雨はげしい空を落ちていった。


 そうして、最初の稀他人の死によって、竜とひとの縁は、ほどかれてしまったのである。

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