第7話:会えなかった想いびと(お題:酒涙雨)

 しとしと、しとしと。

 夏の夜に、静かな雨が降る。

『ノア、寒くはないか。山の夜の雨は、ヒトの身には沁みるだろう』

 翼で傘を作ってくれながら、雨竜が心配げに水色の目で見下ろしてくる。

「大丈夫です。そんなやわな身体をしていませんから」

 実際そうなのだ。元の世界では、大学生活はフィールドワークに費やし、社会に出てからもジムに通って適度に体力づくりをしていたし、子供の頃だって、体育の成績はそんなに悪くなかった。そう簡単に風邪をひきはしない。

 更には、ひとの姿を見せた雨竜が、今は竜の姿でわたしに寄り添ってくれるから、びしょ濡れになる心配もない。竜のからだは、爬虫類を基礎にしているらしく、ひんやりとしているが、冷えるほどではない。むしろ、適度なエアコンみたいなものだ。

「それにしても」

 雨雲の立ち込める暗い空を見上げる。

「せっかく、星の川が見られるって日だったのに、残念ですね」

 そう。今日は「むこう」でいう七夕。『織姫』『彦星』とは称さないらしいが、天を流れる川にある夫婦めおと星が、一年でもっとも輝く日だという。だけど、雨竜の影響が大きいアーゼル山では、雨空が展開している。

『すまぬな。楽しみにしていただろうに』

 申し訳なさそうに、牙の間からため息を吐く雨竜に、わたしは首を横に振ってみせる。

「いいんですよ。雨の夜も、おつなものです」

『そう言ってもらえると、ありがたい』

 しとしと、しとしと。

 沈黙の落ちたわたしたちに構わず、雨はしたたり続ける。なにか、話題を見つけなくちゃ。居心地が悪くなって、そわそわし始めたわたしの耳に。

『酒涙雨、というらしい』

 雨竜の声が低く届いた。

「さい、るいう?」

 はじめて聞く言葉だ。きょとんと目をみはると、雨竜はついと洞穴の天井から見える雨空をあおぐ。

『星の川が溢れて、一年に一度の邂逅を果たせなかった夫婦の流した涙が、雨になるらしい』

 そういえば、そんな伝承を聞いたことがある気がする。七夕に雨が多いのは、元の世界では、梅雨真っ最中という気候上仕方のないこと、というものだったけれど、とかくひとは、ロマンチックないわくをつけたがるものだ。

「じゃあ、この山で雨が降るのも、雨竜さまに会えない想いびとがいる、酒涙雨ですかね?」

 軽い冗談のつもりだった。ところが、雨竜ははじかれたようにわたしの方を向くと、しばし無言に陥っていたが、不意に顔をそらして。

『……さて、な』

 呟き、それきり黙り込んでしまった。

 途端に、わたしの胸に、空にかかるものより暗い雲がたち込める。もしかして、雨竜には本当に、会いたい相手がいるんだろうか。その相手を、思い出しているのだろうか。

 それは誰? お嫁さんのわたしより、今会いたいひと?

 問いかけることはできずに、膝を抱えてかがみ込む。

 しとしと、しとしと。

 降り続ける雨音が、何故か針のように、わたしの心をしくしくと刺した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る