第6話:同じ大きさ、同じ目線で(お題:アバター)
天から降り注ぐ光が目を差して、ゆるゆると意識はうつつに戻ってくる。
今日は残業かもしれない。遅刻したらだめだ。ぼんやりと考えながらまぶたを持ち上げれば、布団ではなく、草で編んだ寝床が視界に入った。
がばりと起き上がり、あたりを見渡して、やっと事実を理解する。
そうだ。わたしはフェアン国に異世界転生して、雨竜のお嫁さんになって。
昨夜はきのこを煮込んだスープを食べた後、乾いた草を敷き詰めて、寝床に横になった途端、気を失うかのように秒で寝落ちたのだ。
『疲れただろう。ゆっくり休むとよい』
眠りの世界に落ちる寸前、雨竜が水色の目でわたしを見守りながら、やさしく語りかけてくれた記憶が、かろうじて残っている。
「おやすみなさい」も言わなかった。わたしがお嫁さん、ということは、雨竜は旦那さま、なのに。なんたる不義理な妻だこと!
両手で頭をかかえて恥ずかしさにうめくが、やってしまったことはもう覆らない。せめてきちんとおはようを告げようと、洞穴内を見渡したが、雨竜の蒼い巨体は見当たらない。
どこへ行ったのだろう。もしかして、いきなり無礼を働いたわたしを見限って、去ってしまったのだろうか。
その考えに及んだとたん、胸がきりきりと痛む。雨竜に見捨てられたら、わたしは右も左もわからないこの世界で行くあてがない。元の世界に帰る方法もまったくわからないのに、ひとり放り出されたら、さすがに生きてゆける自信はない。
さびしさの魔物はするりと心に入り込んで、ぎゅっと心臓を締めつける。
ひとりは、嫌だな。
意思とは関係なく、目の奥が熱くなった時。
りん、と。
枕元に置いていた巾着袋から、涼やかな音がして、わたしは思わず手を伸ばす。雨竜のくれた透明な牙を入れた袋。寝る前に、腰から外して置くのだけは、半分眠っている状態でもきちんとしていたらしい。
その巾着袋の中から、りん、りんと、牙が鳴いている音がする。手にすれば、りりん、と、音はより鮮明になった。
起き上がり、巾着袋を腰に据えて、洞穴を出た。きょろきょろと周囲を見渡すと、一方向を向いた時に、りりりん、と音は強くなる。
これは、この音に頼っていいのだろう。そうわかれば、心細さは吹き飛んだ。
きっとこの先に雨竜がいる。りりん、りん、りりりん。演奏のように鳴く牙にあわせて、スキップみたいな歩調で山道をゆく。やがて、白い花が咲き乱れる場所へ出ると、先客がそこにいることに気がついた。
長い蒼の髪を持つ、すらりと背の高い人物が立っている。わたしの気配を感じたか、振り返って、水色の瞳が、わたしを映し出す。
りりりり、りりりり。
牙が嬉しそうに鳴り響く。それでわたしは相手が何者かを知った。
「雨竜、さま?」
自分でも間抜けだな、と思う声がこぼれ落ちる。
「ノア」
鼓膜に重く響くのではない、ひとの声が耳に心地よく滑り込む。相手は、人形のように美しい顔に笑みを満たし、裾の長い白い衣を翻して、ゆっくりと歩み寄ってくる。
「おはよう」
「おはよう、ございます」
彼がわたしの前に立つと、予想以上に背が高い。わたしがもともとそんなに大きくないのもあるが、首を傾けて見上げる形になる。
「あの、その姿は」
やっと質問を解き放つと、「ああ」と雨竜は自身をあらためて、照れくさそうにおずおずと微笑した。
「ずっと竜の姿では、そなたを怯えさせるのではないかと思ってな。ヒトに化身したのだ」
似合わぬだろうか? と。不安げに問いかけてくる。
なるほど、これは「むこう」でいう、アバターか。『アバター』がそもそも外国の言葉で『神の化身』を語源にしているというから、まさに化身である。
「似合いますよ」
雨竜の不安を取り払うように、わたしは笑顔をひらめかせる。彼が、わたしと同じ大きさで、同じ目線で、わたしと向かい合おうとしてくれたことが、嬉しい。少し大きいけど。でも、それだけわたしに信用を置こうと努力してくれていることが、とても嬉しい。
「でも」
そっと手をのばして、白磁めいたほおに触れる。
「無理はしないでくださいね。竜の姿の雨竜さまも、神々しくて、格好よくて」
先を続けるのがちょっと恥ずかしい。でも、意を決して、言の葉にわたしの気持ちを乗せる。
「きらいじゃ、ないです」
水色の瞳が真ん丸くなり、ほおに赤みが差す。
「そ、そうか」
お互いにもじもじするわたしたち。いい歳をした竜と女が、なに、初恋の少年少女のようなやりとりをしているのだろう。
『おいおい、朝から見てらんないなー!』
いつの間にやってきたか、昨日の文鳥が、近くの木の枝にとまって、ぷるぷると首を振っていた。
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