第5話:王都にて(お題:蛍)
フェアン国の夏には蛍が舞う。たった数日間の輝きを残して逝くかの虫は、命繋いで国を栄えさせてきた王族と民の象徴として、国旗の意匠にも用いられている。
そんなフェアン王都ヨルダにて。
宵闇の中、川べりの群からはぐれた一匹の蛍が、ふらふらと舞って、大きな建物の、明かりが灯る一室へふらりと飛びこんだ。
「おや、迷子かな」
執務机に向かって書類を書いていた青年がそれに気づき、ペンを差し伸べる。蛍はその先にとまり、淡く輝き続けた。
「はは。これでは仕事にならないな」
緑の目を細めて鷹揚に笑う青年。彼こそが、フェアンの若き王、ハルヴェルト・フェアンフェルドである。
「陛下、笑いごとではございません」
あるじとは裏腹に、神経質そうな顔に不安げな表情を宿した侍従が、眼鏡のずれを直す。
「今夜中にその書類を片付けていただかないと、今年の秋の徴税に間に合いませんゆえ」
「キリム、お前は本当に心配性だな。蛍の相手程度で遅れる書類でもあるまいに」
「陛下が財務部に一任してくだされば、春には終わっている仕事でしたので」
国の最高権力者にも引かない毒舌に、「ははっ」とハルヴェルトは笑いながら椅子の背もたれにのけぞった。
「私はフェアンの子ら全てが愛しい。自分の手が届く範囲ならば、全てこの手で。王になる時に誓ったのを、お前も聞いていただろう」
「はい。ご幼少のみぎりからおっしゃっていた与太を、まさか本当に実行されるとは思わず、このキリム、胃が酸を過剰に絞り出すほど痛みました」
「お前の毒舌も幼い頃からだな」
幼馴染であり、主従である二人は、歯に衣着せぬ舌戦を繰り広げる。大体ハルヴェルトが勝ちを譲って黙るのだが。
「そういえば」
国王は蛍の宿るペンを軽く振って、今思い出した、とばかりに従者に告げる。
「稀他人が、また訪れたようだな?」
それは問いかけの形を取ってはいるが、実質的には再確認だった。「はい」とキリムが小さくうなずいて、先を継ぐ。
「稀他人のしきたりにならって、アーゼルの雨竜のもとへ向かったと聞き及んでおります」
「異世界から訪れた娘を、有無を言わさず人外の地へ放り出す。我々は、彼女たちから見れば、極悪人だろうな」
「雨竜にも恨まれているやもしれませんね」
その言葉に王はうなずき、憂いを瞳に宿して、ひとりごとのように紡ぐ。
「いつか、私自身がアーゼルにおもむき、語り合いたいものだな。稀他人とも、竜とも」
「それこそ地位だけのお偉方が、あなた様の道楽だ、とあげ足を取る格好の材料にしますよ」
事実だ。若い王を認めていない旧い家臣は多い。
「それでも」
緑の瞳が、じっと蛍を見つめる。
「この国に降り立った以上、彼女らも我がフェアンの民だ。守りたいのだよ、私は」
その視線の先にあるのは、蛍ではなく、顔も知らぬ稀他人の娘だろうか。
真実は、ハルヴェルトの心の中にしか存在しない。
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