第4話:そっと、優しく、触れる(お題:触れる)

「どうしたんですか、雨竜さま?」

 わたしの姿を見て、心底安心した様子の雨竜に、思わずきょとんと目をみはりながら問いかける。

『いや……』

 雨竜は水色の目を一度、二度、わたしからそらして、言いあぐねていたようだが、先を続けるのを待っているわたしに観念したか、吐き出すように打ち明けた。

『やはりわれへの嫁入りなど嫌だと、山を降りようとしているのかと思った』

「へ?」

 意思とは関係なく、間の抜けた声がもれてしまう。

「雨竜さま、わたしちゃんと、ごはんの材料を採ってきます、って言っていきましたよ? 出て行くなら、嘘なんてつかないで、堂々と伝えます」

 その言葉に、雨竜はわたしにまっすぐ向き直り、見下ろしてくる。それは本当だ。このひとのもとから逃げるなら、はっきりと別れを叩きつけてゆく。そして今のわたしに、そんな気持ちはない。

 わたしは異世界に放り出された稀他人。この世界の誰にとっても『他人』。どこにも行き場はない。そんなわたしを迎えてくれるなら、相手が人でも竜でも、怪物だとしても、喜んで受け入れよう。決意の炎が胸に揺れている。

「わたしと雨竜さま、出会ってまだ数時間ですよ。まだ、お互いのことをなんにもわかってないんですよ。これから時間をかけて、ゆっくり知ってゆく段階なのに、最初からそれを放り投げたりしませんって!」

 しとしと、しとしと。静かな雨音以外には何も聞こえない、無言の時間が流れる。

 だけど。

『……そうか』

 雨竜は噛みしめるようにそれだけつぶやくと、ばさりと翼を広げ、わたしの頭上にかざす。蒼い傘になって、雨から守ってくれる。

『二度もわが雨に濡らしてしまって、すまない』

「いいえ」

 子供みたいにしゅんとしょぼくれる雨竜に、わたしは微笑みかけて、そして。はたと思い至る。

「それにしても、よくわたしの居場所がわかりましたね? やっぱりアーゼル山は雨竜さまの庭ですか?」

『それもあるが』

 雨竜が、するどい爪のついた手で、ちょいちょいとわたしが腰からさげた巾着袋を指し示す。そこには、さっき雨竜からもらった、透明な牙が入っている。つがいに渡す、離れていても居所のわかる、不思議な牙。

「ああー、なるほど!」

 得心がいった。わたしの行き先は、雨竜には筒抜けなのだ。

「なら、自信無くさないでくださいよ! 山を降りてないってわかるでしょう? もう少し、わたしのことを信じてください」

 拳を握りしめて、少し強い語調で言い含めれば、雨竜は『うう』と唸った後、『……すまない』と首をすくめた。

「でも、探してくれてありがとうございます」

 雨竜の気持ちが落ち着いたからか、雨は静かにやんでゆく。気づけば太陽が、山脈やまなみの向こうに沈みゆこうとしているのが見える。

『ふむ。日が暮れたら、このあたりは真っ暗になるからな』

 雨竜はそう言って、じっとわたしを見下ろしたかと思うと、黙り込んでしまう。また訪れた無音に、居心地が悪くなってくると。

『ノア。そ、その』

 雨竜はためらいがちに、言葉を継いだ。

『われの背に乗ってゆくか。飛びはせず歩くから、振り落としはしない。もし、そなたが嫌でなければ、だが』

「あっ、えっ、はい」

 このひとは、こんなに大きい身体なのに、なんだか自信のほどはわたしより小さいのではないだろうか。いちいち遠慮がちで、だんだんおかしくすらなってくる。

「雨竜さまこそ、嫌じゃなければ」

 わたしの答えに、雨竜の顔が、目に見えてぱっと嬉しそうに輝いた。竜の表情が人と同じかははなはだ怪しいが、わたしにはそう見えた。

『さすれば』

 雨竜が翼をたたみ、身を屈めて、頭を低める。わたしは「失礼します」と断りを入れて、その鼻先から頭の上に登り、座り込む。ひんやりとした鱗の感覚が、長靴下越しにも伝わる。

 どこかにつかまっていたほうがいいだろうか。手の置きどころを探し求めて視線を巡らせれば、ちょうど目の前に、雨竜の立派な角があったので、ゆっくりと手を伸ばし、優しく包み込むように触れて、握る。

『ノ、ノア』

 途端、雨竜が困ったような声音で身じろぎする。

『頼む。触れるなら、しっかりとつかんで欲しい。その……こそばゆいのでな』

「あっ、すみません!」

 竜の角はそんなに触覚が敏感だったのか。新しい知見に感心しながら、今度はぎゅっとつかむ。

『揺れ心地の悪さは、勘弁して欲しい』

「大丈夫ですよ。遊園地の揺れるアトラクションは大好きなので」

 笑って返せば、『あと、らくしょん?』と雨竜は知らない言葉に首をひねったが、気を取り直して足を踏み出す。

 ずしん、ずしんと。

 一歩を進めるたびに振動を伝えながら、わたしたちは、すみかの洞穴へと向かう。

 夕陽は名残惜しそうに残光を放ちながら、わたしたちの生活一日目の終わりを告げようとしていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る