第2話 キビシー学園生活(後編)

 服を脱いで浴室に入ると、俺の頭にチョコンと乗っかってガオが一声吠えた。


「がぉ?」

「ガオ、悪いけど今は乗っからないでくれよ、お前の体重を支える力もないんだ」


 ドラゴンは人間の言葉を理解しないが、相棒の言いたいことはなんとなく理解できるらしい。

 ガオは「がぉん」と寂しげに鳴いて、それでもパタパタと天井の方へ飛んでいく。


(もういいや、はやく風呂に入って寝ちゃおう。いや、寝る前に宿題か……でも、もうそんな余裕ないや……どうせマラソンのノルマも達成できなかったし、今日は宿題もさぼるかな……)


 そうしたら、一日で二回ノルマ未達成になってしまう。

 が、もう知るもんか。今は一分でも長く眠りたいんだ!


 浴場には二人の先客がいた。

 俺と同じノルマを課せられているのにまだまだ余裕そうな龍矢と二年生に進級した佐野原先輩だ。


 とにかく、泥を流そう。

 そう考えて洗面所の方へ進む。

 が、足がもつれた。


(あっ)


 そのままスッテーンと硬いタイルの床に転んでしまった。

 頭こそ打たなかったが、ケツは思いっきり床にぶつけた。

 佐野原先輩があわてて声をかけてくれる。


「大空くん、大丈夫かい?」

「痛いです」

「ここ、滑りやすいから気をつけてね。さ、立って」


 そんな力も気力も、もうないよ。

 このままここで寝ちゃおうかな。

 風邪ひきそうだけどかまうもんか。


「もういいです。もう立つ気力も無いんです」

「ふーん、そうなんだ。じゃあ、座る?」

「そうじゃなくてっ!」


 気がつくと、俺は情けなくも涙をポロポロ流していた。

 なんで分ってくれないんだよ。もう、限界なんだ。

 どうせ、俺なんて、俺なんて……


「うん? どうかしたのかな?」


 先輩だって去年同じ地獄を味わったはずだ。俺たちがどんな目にあっているか、よく知っているくせに。


「先輩は俺がドラゴンライダーになれると思いますか?」


 気がつくと、俺は倒れたままそんなことをたずねていた。

 体はボロボロで、精神は追い詰められていた。

 心は折れかけ、夢は消えかけていた。

 そんな俺に、龍矢が先輩の代わりに冷たく言い放った。


「くだらんな。貴様はモブザコかと思ったが間違いだった。ただのゴミクズだ」


 ちくしょう。もう反論する気力すらない。


「貴様がドラゴンライダーになれるかだと? 先輩の代わりに俺が教えてやる。答えは『なれるわけがない』だ。ゴミクズはとっとと学園から消えろ! お前ごときが世界チャンプなど、ジョークにもならん」

「てめぇ!」


 さすがに我慢できず、気がつくと俺は立ち上がって龍矢につかみかかろうとしていた。


「だれがゴミクズだ! お前みたいな天才に、俺の気持ちが分ってたまるか」


 悔しいけど、この一ヶ月で思い知った。

 龍矢は天才だ。この無茶苦茶なカリキュラムを平然とこなしている。

 俺なんかとは元々のできが違うんだ。


「ゴミクズが騒ぐな」


 龍矢に身をかわされ再び転がる俺。


「痛てぇな」

「つかみかかってきたのはお前だろう。俺はよけただけだ。だいたい、立つこともできないなどとほざきながら、実際には動けるじゃないか。それなのに甘ったれやがって。ゴミクズ以外のなんだというんだ」


 くそぉ! なんでコイツにここまで言われなくちゃいけないんだ。

 いきりたって再び龍矢に飛びかかろうとした俺を、佐野原先輩がパンパンと手を叩いて止めた。


「はいはい、ケンカはそこまで。寮の中で殴り合いなんてしたら、二人ともそれこそ強制退学だよ」


 その言葉に、俺も龍矢も押し黙る。


「で、大空くん。ハッキリ言うよ。僕も高力くんと同じ意見だね。たった一ヶ月で耐えられないって嘆くなら自主退学した方がいい。どのみち一年なんてもたないから」

「……そんな」

「何? 涙を流しながら先輩に嘆いてみせれば、優しくなぐさめてもらえるとでも思った? そんな甘ったれ、ドラゴンライダーになんてなれるわけがないだろう?」


 ぐうの音も出ない。


 龍矢は「ふんっ」と鼻で笑う。


「そういうことだ。とっとと消えろ、モブ以下のゴミが」


 言い捨てた龍矢にも、先輩は忠告した。


「ただし高力くん、キミも毒舌を通り越した暴言はいいかげんあらためたらどうだ? ドラゴンライダーは国民の模範、憧れ、ヒーローでなければならない。言動は十分に自制すべきだ。キミの父上はその点でも世界チャンピオンたる自覚をもたれているはずだよ」


 先輩の言葉に、龍矢は苦々しい表情を浮かべた。


「ご意見は拝聴しましたよ、先輩」


 龍矢はそう言い捨てて、風呂場から出ていった。

 その後、佐野原先輩もいなくなり、風呂場には倒れたままの俺とガオだけが残された。

 ガオが心配そうに俺のお腹の上に乗る。


「がおん?」

「ガオ、お前なら分ってくれるよな、俺の気持ち」


 だがガオは「知らないよ」とばかりに背を向ける。

 相棒のお前まで、俺を慰めてくれないのかよ……

 そうだよな。

 こんな情けないヤツ、ゴールデンドラゴンの相棒の資格なんてないよな。


「お前も龍矢と契約すれば良かったのにな」


 気がつくと、オレはそんな言葉を漏らしていた。

 ガオが振り返って、キッと俺を睨む。そして、まだ小さな口で、俺の右腕に噛みつく。


「い、いたっ、やめろよ、ガオ!」


 小さいとはいえ、ガオもドラゴン。噛みつかれた腕からは少しだけど血が流れる。


「痛いってば!」


 ガオを振り払おうとして気がつく。

 ガオの瞳がとても寂しそうな涙目になっていることに。


(ガオ……)


 俺は何を言っているんだ。ガオは俺の相棒じゃないか。

 先生にシゴかれて、先輩に痛いところをつかれて、龍矢にイヤミを言われたくらいで。

 腕の痛みで、ようやく睡魔がとんでいく。

 それから猛烈な後悔が押しよせてきた。

 先輩に情けなくグチって。

 龍矢に逆ギレして。ガオにまで当たり散らして。


「俺、最低じゃん。なっさけねぇ」


 俺はそうつぶやいて、それから。


「ガオ、ごめん、俺、どうかしてた」


 相棒の赤ちゃんドラゴンに頭を下げた。


 父ちゃんと競龍会場で誓ったじゃないか。

 入試当日、母ちゃんに宣言したじゃないか。

 ガオと契約したとき約束したじゃないか。


「俺は……俺はドラゴンライダーになって、世界チャンピオンになるんだ」


 ゆっくり立ち上がった。

 俺は全部を出し切ってない。

 その証拠に、まだ立ち上がれる。


 頭から冷水をかぶった。

 あえてお湯じゃなくて冷たい水にした。

 すっと意識が戻ってくる。


(まだやれる。まだ立てる。まだがんばれる!)


 俺は龍矢にも、昇龍にも負けない。

 もちろん、ミカにも。


「ガオ、俺はもう立ち止まらない。お前と共に進む」


 ガオに噛まれた腕を洗う。痛いけど、その痛みが心地いい。

 この小さなガオの歯形は俺とガオの決意の証。

 もう、諦めないという誓いの印だ。




――翌日の午後。


 今日は昨日の大雨とうってかわった炎天下だ。

 汗をだらだら流しながら、それでも俺はグラウンドを走った。

 必要以上のスピードで、龍矢もぶっちぎって最初にゴール。

 ちょっと遅れてノルマを達成した龍矢が「ふんっ」と鼻で笑う。


「無駄な力を使うとは、とことん頭が悪いな」

「俺は決めたんだ。どんな勝負でも全力を尽くすって」


 その言葉に、龍矢は「なるほど」とうなずく。


「どうやら、ゴミクズではなくなったようだな」

「ほめても何もでねーぞ?」

「ふん、ゴミクズからモブザコに戻っただけだろう」

「てめぇ!」

「ま、お前からハッタリ元気までなくなったら本当のゴミクズだからな」


 ミカはまだ走っている。

 龍矢は木陰に腰を下ろすと、うつむいて目をつぶった。

 俺は龍矢にたずねた。


「ひょっとしていつもマラソンを早く終えて仮眠していたのか?」

「当然だ。こんな無茶苦茶なカリキュラム、どこかで休まねば耐えられるわけがないだろ」


 そうか、龍矢も色々工夫していたんだな。

 無理してマラソンを早めに終わらせてでも休憩時間を確保していたんだ。

 俺はそんなことに気づく余裕すら失っていた。


(ホント、なっさけねぇや)


 俺も龍矢の隣に座って目をつぶった。


「おい、勝手に横に来るな」

「いいだろ、言い争っている暇があったら少しでも疲れを取ろうぜ」

「お前に言われるまでもない」


 それから、三十分。俺と龍矢は木陰でぐっすり眠って。

 そのあとはまたつらい宿舎の掃除や筋トレや宿題に励むのだった。

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