第333話 おかわいそうに

 先ほどまで、庶民特に下層に属する庶民の実態を見せられて困惑していたジーナの機嫌がまた悪くなった。

 そりゃそうだ。

 襲われたばかりだというのに、散々スラムを僅かの連れだけで歩き回り、挙句連れて行かれたのは目の前に広がる小さな空き地だ。

 帝都では観光だと聞かされていたのに、行った場所がジーナの育った町のしかもあまり見たくも見せたくもないスラムで、目的地がただの空き地とあっては、ジーナには俺の目的が分かり兼ねているようだ。

 ジーナは俺が軍に入ることを嫌がっていたことは初めから知っていたし、その原因を作ったのが自分ジーナであることも自覚しているので、俺が軍を除隊するにあたり、当てつけで連れまわしているのかもしれないと邪推すらしているようだ。

 機嫌の悪い女性のあしらい方なんか俺はついぞ教わらなかったので、知らないぞ。

 平成令和を通しての日本でも、もうひとりの人格であるこの世界で育った俺も、全く習わなかった。

 そもそもが、妙齢の女性との絡みも仕事以外にはまずなかったと断言できるし、あの促成教育された軍でも教えてもらえなかった。

 それでいて女性ばかりの隊に配属させるなんて、配属からして悪意しかなかったのだろう。

 あ、当たり前か。

 俺のことを事故で殺そうとしていたくらいだったし、職場の女性関係で胃に穴が開いて死ねばいいとすら思っていたのかも……流石にこれは無いか。

 でも、目の前にいる不機嫌の女性を前に、どうしよう。

 そんなジーナを傍で見ていたドミニクがジーナに聞こえるように俺に言ってきた。

 いや、多分ジーナに俺の気持ちを教えるためなのだろう。

「隊長、私は隊長の気持ちが分かるかな。でも、無くなってしまっては、ちょっと悲しいですか」

「いや、悲しいという気持ちは無いよ。ちょっと寂しいとは感じたが、それも一瞬だ。ここには良い思い出は無かったしね。でも、これも時代の流れかな。元々俺が居た時から、無くなる噂は絶えなかったしね」

「そうなんだ。私なんかは寂しく感じると思うけどね。幸い、帝都にあるのはまだしっかり同じ場所に合ったけど」

「ほ~、最近訪ねたのか」

「いや、傍で見ただけ。なんだか中に入り難くて」

 俺もドミニクもジーナに聞こえるように話をしていく。

 社会人になった人が育った母校を訪ねるようなものだと、暗にジーナに伝えているのだ。

 だが、貴族の子女って母校っていう感じの物はあるのか。

 ひょっとしてジーナにとって卒業した母校って士官学校しかないという落ちは無いよな。

 そんな俺らの気持ちがどうにか通じたのか、ジーナは俺に言ってくる。

「少佐。もうここですることが無ければ、ここを離れたく思います。流石に、スラムで少佐をお守りするのが私とドミニク准尉だけですと、不安がありますから」

 ジーナはスラムに二人しか護衛を連れずに入って来るなよと言っているが、ジーナさん。

 ここはまだスラムではありませんよ。

 って言うか俺はスラムにはほとんど入らなかったんだが、ジーナにとってはここもスラムの範疇のようだ。

 俺たちの様にこんな場所で育った者にとってはスラムと隣接地域との差は歴然なのだが、流石に貴族には分からないらしい。

「ああ、すまなかったな。もう気が済んだよ。もし、まだ残っていれば、挨拶だけでもしたかったんだが、流石に空き地だと俺も用は無いよ」

 俺たちはジーナが確保した宿に向かった。

 ここに来るまで、俺の記憶をたどりながら時々本当にスラムにも足を踏み入れ、とにかくいろいろと歩き回ってあの場所に行ったが、去る時は本当に直ぐに比較的治安のしっかりした場所まで出ることができた。

 とにかく官庁街の方に向かって真っすぐ向かえばいい。

 官庁街から、大通りを通り、高級住宅街にある、これまたものすごく高級そうなホテルに着いた。

 いわゆるフロントのようなものが無く、執事のような人にジーナが話しかけるとすぐに部屋に通された。

 その部屋も、とにかく広い。

 前に基地の司令部を作った時のあの無駄に広く豪華な会議室を思わせるくらいの広さがあった。

 しかも、そのほかに従者用の部屋が3つもついているし、俺のために寝室も別にある。

 これはいくら何でも贅沢をし過ぎでは無いでしょうか。

 帝国の少佐って、これがスタンダードなのか。

 給料の増加分をまだ聞いていないが、いきなり一桁違うってことないよな。

 少尉の時の給料は聞いたことあったが、それほどまで貰っているという感じは無かった。

 その後の給与については一部司令部から立て替えという形で貰ったが、残額などは一切確認していない。

 実は階級が上がるとものすごく昇給していたとか。

 嬉しい誤算があったとでも言いたいのか。

 明日にでも俺の口座の残金を確認しておこう。

 でも、それにしたって、俺の金でしょ。

 これは頂けない。

 ちょっと贅沢しすぎだよ。

 請求される金額が怖い。

「少佐。 何を心配されているかは存じませんが、もう少しこういうことに慣れて頂かないと、男爵としての威厳が保てません」

「え、男爵だとこんな感じの部屋でないとダメなのか」

「ええ、そうですね。もう少しランクを落とす男爵もいらっしゃるようですが、何かしらのお役目をなさっております方なれば、これくらいは普通かと思います」

「それにしたってね~。最近の俺はジャングルの生活しか経験していなかったからね。それに比べるとあまりに……」

「でも、皇太子府のお部屋よりはランクは落ちますよ。それに、この部屋はただのスウィートです。ランク的にはこのホテルでも更にあと二つ上のランクもあります。そちらの方が良かったですか」

「いや、俺は駅のベンチでも良かったと思っていたくらいだ。 贅沢も必要だというのなら受け入れよう。俺にとっては落ち着かないが」

 その日の食事は部屋に運んでもらった。

 まあ、このホテルではそれがスタンダードのようだったが、何でもダイニングルームなどでは従者とは一緒に食事ができないそうだ。

 だとすると、俺は便所飯のような個食となってしまうことを恐れたためだ。

 だって、軍に入る前は、良く定食屋で一人飯をしていたが、それでも周りには人が大勢いたが、ここだと誰も食事をしていない部屋で、食事をするのは流石にかわいそうだ、俺が。

 それなら、他に気兼ねなくジーナやドミニクと一緒にテーブルを挟んで食べられるようにルームサービスで食事を摂ることにした。

 今の二人は、どうも男爵の随員扱いだ。

 従者とは厳密に違うそうだが、扱いは変わりがないとか。

 だとすると、今後も食事は考えないと、本当に寂しいことになる。

 そう言えば、ジャングルでも基地にいる時にはサリーちゃん辺りが一緒に食事に付き合ってくれたし、作戦中でもアプリコットが直ぐ傍にいたので、本当に一人飯はしていなかった。

 でも、軍から離れると俺には便所飯しか待っていないというのか。

 ひょっとして、俺はもう定食屋で簡単に食事を済ませるという選択肢が取り上げられたとでもいうのか。

 ただでさえあっちこっちからいじめられていたような軍隊生活から解放されるというのに、今度は国から、貴族社会というしがらみからいじめられるというのか。

 まあいい。

 どこか田舎でひっそりと貴族を忘れられる場所で生活をしていこう。

 今回の旅行もそう言う場所を探すためでもあるのだ。

「少佐。明日はいかがなさいますか」

「もうここですることもないし、帝国の端まで行こうかと考えているよ」

「え、列車でですか」

「ああ、そのつもりだが、何か」

「まさか、では無いですね。当然列車の予約はされておりませんよね」

「ああ、適当な急行列車……あ、特急じゃ無いければいけなかったんだよね。なら駅に着いた時に来る最初の特急列車にでも乗って、端に有る港町に向かおうかなと」

「分かりました」

 ジーナが諦めたような感じでそう言うと、かきこむように食事を平らげて部屋から出て行った。

「あれ、ジーナ少尉をまた怒らせましたね、隊長」

「え、何で怒ったのか俺には分からないよ。今回は特急に乗るとまで言ったのに」

「多分ですが、それも貴族社会ではダメ発言なのでしょうね。私にはわかりませんけど」

「ドミニクに分からなければ俺でもわからないよ。同じような生活をしていたんだし」

「多分、隊長にはそれが許されないんでしょうね。おかわいそうに」

 貴族に向かって、『おかわいそうに』って、それもたいがいだぞ、ドミニク。

 俺も、俺自身のこの先に希望が見てなくなってきたけど。






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