第332話 故郷

 ジーナは叫んだかと思うと政庁の方に一人走り出していった。

 残されたのは俺とドミニク。

「隊長、どうします?とりあえず政庁に顔でも出しますか」

「ああ、それしかないだろう。ここで余計なことすると、今度はドミニクも一緒に1時間コースのお小言だぞ。俺はアプリコットで慣れているから何でもないが、ドミニクは違うだろう」

「ヒュ~、それだけは勘弁してほしいですね。なら行きますよ。また襲われでもすれば、隊長を守るのは大したこと無いですが、その後のお小言がありそうなので、余計なことせずに向かいますよ」

 何だか俺は余計なことをドミニクに言ったようだ。

 ドミニクは俺の手を取り、急ぎ足で政庁の方に歩き出した。

 政庁の表玄関には数人の役人がおり、その先頭に総務課長までもが揉み手をしながら俺を待っていた。

 なんだかな~、こういうのはちょっと苦手だ。

「ヘルツモドキ男爵。お待ちしておりました」

 総務課長はそう挨拶をした後俺たちを貴賓室に連れて行く。

 貴賓室では、美人の事務員が俺にお茶を出してもてなしてくれる。

「この後、副市長がご挨拶に伺いたいと。よろしいでしょうか」

「いや、ちょっと待って。副市長って、この町なら貴族でしょ。最低貴族の男爵風情が、しかも新興だときている俺が挨拶されるってちょっとまずいでしょ。挨拶が必要ならば、俺の方から出向きますから案内してくれませんか」

 俺が慌てて女性事務員にそう言うと、女性事務員の方が困っているようで、その場でフリーズしている。

「あ~あ、隊長。またやったよ。先ほど暴漢に襲われるってイベントをこなしたばかりなのに」

 え、あれってイベントなの。

 俺がドミニクの独り言に心の中で突っ込みを入れる。

 すると、ドアからノックの音がした後、直ぐに初老の紳士が入ってきた。

「すみませんヘルツモドキ卿。何やらお取り込み中の様でしたが」

「いえ、大丈夫です。それよりも……」

「ああ、順序が逆になりましたね。私がここの副市長の」

 そう言って、副市長がいきなり登場して、挨拶を始めた。

 ここは俺も大人の対応ということで、副市長に挨拶を返して、俺の方が挨拶に伺わなかったことを詫びた。

 すると副市長の方も、暴漢の件を詫びて来たので、お互いこれでチャラってことで。

 貴族って、こういった貸し借りが面倒な生き物のようだ。

 その後簡単な世間話をした後、副市長とのイベントは終わった。

 副市長が退室する際に、俺への事情聴取を警察が望んでいる様だったので、ここに警察を呼んでもらうようにお願いしたら、直ぐに担当官を呼んできた。

 面倒ごとはさっさと片付ける。

 ちょうど俺の滞在ホテルの予約を終えたジーナも帰ってきたので、一緒に貴賓室で警察との事情聴取を始めた。

 聴取される側なのだが、俺の方から持ち掛けないとなかなか進まないから、しょうがない。

 しかし、慣れない連中が慣れない貴賓室で緊張していては捗るものも捗らない。

 俺が事情聴取に来た警察官を促してはいるが、元々が小市民。

 こんな豪華な部屋では落ち着かないのは、俺も一緒だ。

 ただ、俺としては豪華さだけならば皇太子府で慣れてはいるが、あそこは余計な仕事がいつ何時降って来るか分からない魔境だというのが身に染みているから、豪華さに気を取られたことは無い。

 常に別の緊張を強いられていた。

 尤もこちらがいくら緊張していても、無理難題はそんなのお構いなく降ってきたが。

 だが、ここは本当に貴族社会の縮図のような部屋だ。

 貴族って、こんな感じの部屋でいつも仕事をしているらしく、ジーナだけは平常運転中だ。

 俺や警察官のあまりのポンコツかげんを見て、ジーナがその後リードしてくれて、どうにか事情聴取は終わった。

 なんでも俺たちを襲ってきた連中は犯行声明を持っていたので、犯行の動機は既に判明しているとかで教えてもらえた。

 なんでも俺が、帝国の秩序を乱す大悪党だとかで掣肘しないといけないらしい。

 いい加減にしてほしい。

 大悪党になれるだけの肝っ玉を持っていない、只の小市民を捕まえて、何を言うのかと少々腹立たしくなる。

 その犯行声明の中で、貴族社会において、本来国民を導いていく貴族を無視して国の方針を変えたり、また、長く続く戦争にも介入して、今までにない方法で、各地の戦場を混乱させた罪があるとか。

 全く持って心当たりがない。

 俺は小市民らしく命じられたことを最低限こなしているだけなのに、俺が貴族になったことも気に入らない様子だとかと教えてもらえたが、俺からすれば貴族でなくなる方法があるのなら教えて欲しい。

 こちとらなりたくて貴族になった覚えはないよ。

 ああ、腹が立ってきたが、せっかく教えてくれた警察官に当たり散らすこともできないので、一人悶々としている。

 傍では秘書役を買ってくれたジーナや護衛役のドミニクがそれを聞いて大笑いしているので、余計に腹が立つ。

 お前たちもその原因を作っていたのだぞ。

 何が原因かは分からないが、少なくとも軍務以外にない。

 ただのボイラー修理工が、知らない組織から掣肘されることは無いだろう。

 ここでの予定も全て終わったので、副市長に挨拶だけして俺たちは政庁を出た。

「隊長、これからどこに」

「少佐、この町を観光ですか」

「観光か、そう言えば言えなくもないが、俺この町で育ったんだ」

「え、少佐もこの町出身でしたか」

 俺にそう言ってきたジーナの屋敷もこの町にもある。

 と言うか、ジーナの実家であるトラピスト伯爵家は三代前まではこの町を領していたという話だ。

 国の方針で、貴族たちの領地がどんどん国へ返還されていった過程で、トラピスト伯爵家も方針に早くから従い自身の領地を国に返還したそうだ。

 その功もあって、国の要職を常に務める有力貴族にまでなったとか。

 そのために、この町には、代々領主として住んでいた屋敷があり、家族たちは帝都では無くこの町で生活をしていると話してくれた。

 なんでも身の安全を確保するためだとか。

 帝都は、庶民にとっては治安の良い街だ。

 そう、庶民にとってだけはだが、これが貴族となると、それも国の方針を左右できるくらいの有力貴族となると途端に危なくなるのだとか。

 多くのそういった貴族たちの家族は、特に子供たちは地方の町に別に居を構えてそこに住むのが一般的だとか。

 この町にも、トラピスト伯爵の寄子はもちろんの事、同じ派閥に属する弱小貴族の館がかなりあるそうだ。

 聞いていて、気が滅入る。

 ジーナの屋敷がこの町に無く素直に帝都で暮らして居れば、俺の軍隊入りは無かった筈なのだが、いまさら言っても後の祭りだ。

 そう言う意味で俺には運が無い。

「俺はこの町出身という訳では無いと思うぞ。俺は孤児だったから、この町の孤児院で育っただけだ。どこの生まれか分からない」

 (強いてあげるのなら、東京の生まれだが、今言っても通じないだろう)

「そうなんですか。私は帝都のでしたけどね」

 ドミニクも孤児だったようだな。

「もう無いかもしれないけど、生まれ育った孤児院でも訪ねてみようかと。もしあれば多少の寄付くらいはしておくけどな」

 俺はそう言いながら官庁街を離れて、下町に向かった。

 当然のようにジーナの機嫌がどんどん悪くなる。

 そりゃそうだ。 

 俺たち孤児が育てられるような所は、上品な場所では無い。

 どちらかと言うとスラムに近い。

 そうでなくとも襲われたばかりなのに、どんどん治安が悪そうな場所に向かっていく。

 それでも孤児院があった場所は完全にスラムでは無い。

 一応公的機関になるようなので、辛うじてという奴だ。

 でも、貴族や上流の人たちにとってはスラムも、そのそばもあまり変わりがない。

 そんな環境で育てば、俺たち孤児たちの遊び場所はスラムになるのが自然だ。

 俺はスラムを歩き回り、孤児院の有った場所にたどり着いた。

 孤児院はとっくに無くなっており、更地になっていたために、分からずスラムの中を相当歩き回り、やっと確信が持てる場所を見つけたのだ。

「やっぱり無くなっていたか」

「え、こんな場所に子供たちを預ける様な機関があったのですか」

 当然のようにジーナは驚いていた。

「ああ、でも考えてみればここは良い場所だよ。子供の頃から色んな悪事を見て育つから、そう言うのには耐性が付く」

「そのまま悪になるのでは」

「ああ、そういうのも少なくないけど、悪くなる奴はどこにいても悪くなる。また、気が弱く流されやすい奴は、こんな場所では長くは生きられないから、そう言う意味では厳しい場所だと思うけど、いきなり暗殺されるようなことは無いかな。口に入れる物で、常に毒殺を警戒しながら生きる帝都の貴族よりは安全かもしれないよ」

「あははは、それもそうかもしれませんね。帝都の孤児院も同じようなものでしたから」

「そ、そんな……」

「人はそれぞれだよ、ジーナ。俺に言わせればサクラ閣下の元が一番危ないと思うけどね。本当に死ぬかと思ったよ、あの時は」

「そんなこと……」

 どうもジーナは初めて下層民という実態に触れて戸惑っている様だった。




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