第309話 殿下とのお茶会のようなもの
俺、こういう場面を知っている。
いわゆる上流階級に、特にご婦人などが主催するお茶会というのに似ている。
目の前のテーブルには今入れてもらったばかりのお茶が、絶対に俺の給料では買えそうにない位に高そうなティーカップに入れられて置かれている。
それで、これが問題なのだが、主人役として目の前にいる皇太子殿下……
もうこの時点で終わっただろう。
どこの世界に、一介の尉官に茶をふるまう皇太子殿下がいるんだ。
しかも、給仕をしているのが副侍従長のフェルマンさんだ。
彼って立派に貴族だぞ。
しかもそれなりの人のはずだ。
俺よりもはるかに目上の人に給仕されるって、これ地獄以外にないから。
その証拠に隣に座ったアプリコットなんかは先ほどからピクリとも動かない。
また壊れたかな。
でも、お茶会は進行している。
いや、これをお茶会と呼んでいい物だろうか。
俺の知っているお茶会って、先ほども言ったが上流階級の人たちが集まってお茶を飲みながら談笑するものだと思っている。
間違っていないはずだ。
目の前にお茶や茶菓子が置かれており、集まってお茶を楽しむ……いや、お茶すら飲んでいない、飲めないのだ。
この状況のどこに談笑の余地があると言うのだ。
談話……そう話をする要素はあるだろう。
流石に殿下の目の前だけあって、以前にレイラ大佐としたお話し合い《尋問》のようなことは起こらないだろうと思うのだが、どこにも談笑の『笑』が無い。
唯一お茶を楽しんでいると言えるのは目の前にいる殿下だけだ。
本来、殿下と一緒にホストを演じる筈のサクラ閣下は、能面のように冷めた顔をこちらに向けている。
早く時間が過ぎて解放されることを心の中で強く念じていたら、その思いが殿下に通じたのか、殿下がサクラ閣下を軽く窘める。
「サクラ少将。君も肩の力を抜いて、お茶を楽しもうよ。せっかくフェルマンが入れてくれたお茶が冷めるよ。君たちもね。冷めないうちに飲んでみて。これ、私のお気に入りのものだ。とてもおいしい奴だから」
殿下の気さくな性格から出る気配りのおかげで少しは救われた気がする。
俺が飲まないとアプリコットは絶対にお茶を飲むことはしないだろうから、勇気を振り絞り、あの高価そうなティーカップを手に取りお茶を一口飲んでみた。
うん、俺でも分かるくらい良い香りの美味しいお茶だ。
「おいしい……ですね」
俺は思わず零した言葉を慌てて敬語に直した。
「だろう。自慢の品なんだ。しかし、サクラ少将がこんな状態ではいつまでたっても思い描いたようなお茶会にならないから、話を進めるね」
「話ですか……」
隣のアプリコットは当分使い物になりそうにないし、少しは表情が戻ったとはいえ、かなりお疲れの様子が見えるサクラ閣下の機嫌も直りそうもない。
機嫌が悪いと言う奴では無いな。
俺にも経験があるが、あれは俺が勝手に『ブラック症』と呼んでいる病だ。
相当にストレスと疲労がたまり、表情がなくなるという奴だ。
喜怒哀楽が抜け落ちるような感覚になると、かなり重症だ。
「そうなんだ。まず、君たちを帝都に呼んだ訳を説明させてほしい」
「私たちを呼んだのは大隊長のサクラ閣下なのでは」
「まあそういうことになるから。その理由は、明日ここで特別軍事法廷が開かれる」
「特別軍事法廷……ですか?」
「まあ、一般的なものでは無いから知らなくても不思議はないが、そこで君たちはいわゆる原告という奴だ」
「私たちが原告ですか。いったい、何を訴えたことに。正直身に覚えが無いのですが」
「身に覚えがない…… 相変わらず君のユーモアのセンスは私には分からない。どれについてはありすぎての間違えと言われればもう少し笑えたのだが」
そう言って、殿下は簡単に説明してくれた。
要は、俺たちに偽の命令書を渡して無理やり威力偵察に出したあの参謀を裁くと言うのだ。
ここ皇太子府で開くのは、いくつか理由があるが、まず被害に遭ったのが殿下の部隊であったことと、もう一つは一応非公開の軍事法廷だが、完全に秘密にしたくない。
できれば公開で行いたかったが、流石に国民にそのまま知らせる訳にもいかないので、帝都にいる貴族たちには噂程度が伝わるようにという配慮だそうだ。
「そこでだ。法廷が開かれる前に、事実関係をはっきりとさせたくて君の口から全てを聞きたいと思たんだ。説明してくれるよね」
「説明と言いますと???」
「君にはいつも驚かされている。いつもこちらの予測のはるか上、いや、とんでもない方向に進めてしまう為、こちらの準備が追い付かない。今回だってそうだ。ゴンドワナのジャングルを踏破するのは我々の最終目的ともいえる……が、それもほとんど今回の件で終わってしまった。そう思わないかね、サクラ閣下」
殿下に問われたサクラ閣下は、今にもつばでも吐き出しそうな苦々しそうな顔をしながら俺に向かって答えて来る。
「ハイ、殿下。あの基地を抜けると、敵拠点は少なくともあのジャングル周辺では補給に使っている港しかありません。逆に敵側から申しますと、補給用の港の防衛拠点がなくなってしまったともいえます」
「と言うことだそうだ、大尉。そこで、その基地を攻略したあたりの説明が欲しいと思っているだが、答えてくれるよね」
「殿下、あの基地を攻略したのは連邦軍のキャスター幕僚長です。それ以上でも、それ以下でもありません」
「君はその作戦に参加していなかったと言いたそうだな」
「いえ、そうは申しません。確かに基地側からの降伏を受け入れる使者とは幕僚長と一緒にお会いしましたし、何よりあの時点では、私は、いや私の預かっていた大隊はキャスター幕僚長の指揮下にありました。ですので、今回の件の責任の一切と功績の全ては私たちに無いかと。それとも殿下は今回の件の功績を御認め下さり、私を少佐にしてくださると言うのですか。以前に殿下から教わりましたが、少佐になれば恩給も貰えるし、個人的な理由での除隊も認められるとか」
「そういえば前に会った時にそんなことを教えてしまったな。わが帝国軍人は奴隷ではないからいついかなる時にも除隊の申請はできる。が、過去にある法律が成立したためにそうできない人が稀に生まれてしまうと言うだけだ。まあ、君の場合がそうだが、それも少佐になれば解放されるらしいが、そんなの私が認めるとでも本気で思っているのかね。ここまで我々をさんざんかき回してくれる君が……」
くそ~、目の前の殿下は人当たりこそブラック職場には絶対にいない部類に見えるが、本質のところで一番たちの悪いブラック上司だ。
一度に睨まれたら最後、骨の髄までしゃぶられて体液という体液全てを搾り取られそうだ。
「確かに、今回の件は公的には君の言った通り、全ての功績は連邦軍にある。それは我々も理解しているが、政治が絡むとね、こちらも本当のところを知らないといけないんだよ。だから正直に話してほしいのだがな」
「正直にも何も私は嘘偽りを殿下に、いや、殿下に限らず上司の方たちにも話したことはありませんが……」
「う~~ん。確かにそうなんだけどもね。時々君との会話には同じ言葉を話している筈なのに、全く通じないことを感じることがある。サクラ少将は感じたことは無いかね」
「いえ、ほぼ全てにおいて、大尉の言わんとしたことを理解したことはありませんでした。そのために通訳として優秀な者たちを彼のもとに置いているのですが、それも効果のほどは……」
お茶会に招いておいて、客を前に主人たちはかなり酷いことを言い始めた。
同じ言葉を話しているのに、言っていることが理解できないだと。
こっちの方が理解できないよ。
それこそ嘘偽り、ごまかし無しに報告をあげているのに。
部下を守るために一部表現を選ぶことはあるが、決して嘘を報告したことは無い。
だいたいにおいて、ブラックな職場ではこういった些細な瑕疵が後により大きな問題となるのだ。
だから俺は経験から、ごまかさずに上司には報告するようにしてきたし、これからもその姿勢は変えることは無い。
だいたい無能を理由に放逐されるようなら、それこそ望むところだ。
無理して自身の功績を大きく見せる必要も無いしな。
「まあ、このことは想定の範囲内だ。今日だけは無理してでも時間を作っておいて正解だったな、サクラ少将。彼には一々細かなことを確認していくしかなさそうだ。付き合ってくれるよね、大尉」
殿下はそういうと、後ろに控えているフェルマンさんから報告書の束を受け取った。
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