第280話 配属されたおぼっちゃま士官
その後は、どうなったかは覚えていないが、気が付くと自分の事務所に来ていた。
ここは以前のようにサリーちゃんが来る人全員にお茶をふるまっているので、とにかく居心地が良い。
ショックの俺にもコーヒーを入れてくれ、俺の心を癒してくれる。
しかし、どういうもんかね。
軍隊が人の職場ではないということは理解していたが、流石にここまで鬼畜の職場だったとは予想すらしていなかった。
肉体的にきつい仕事は今までだって数々与えられていたが、今度は精神的に責めて来る。
前の職場もいい加減ブラックではあったが、ここもどっこいどっこいだ。
ひょっとして俺は今地獄にいるのかもしれない。
いや、ここに来る前から地獄に居たのかも。
前の職場に順応したから別の職場地獄を用意されただけかもしれないと最近はよく考える。
どうせ地獄にいるのなら、その地獄を楽しまないといけないと、俺は前向きに考えを変えた。
ちょうどそんなときに、ここに駐屯することになったアート大佐が訪ねて来た。
「グラスは戻っているか」
「あ、アート大佐。ええ、先ほど戻ってこられました。どうぞ中にお入りください」
「それじゃあ、遠慮なく」
「アート大佐は久しぶりですね。何をお飲みでしたっけ」
「ああ、それでは紅茶を貰おうかな。そういえばここにもあるのか、あのクッキーは」
「ええ、こちらも十分に材料がそろいますので作っておりますよ。一緒にお出ししますね」
絶対にここは戦場では無いな。
都内の喫茶店で仕事でもサボっていたのかと誤解したくなるような砕けた会話を俺は聞いていた。
「聞いたぞ、グラス大尉」
「アート大佐、お久しぶりですね。何をお聞きしたのですか」
「ああ、ブル隊長からお前がここに残ると聞いたな」
「ブル隊長??」
「ああ、すまん。サクラ閣下だ。どうしてもお前といると不思議に気が緩んで帝都時代の気分が抜けないな。ここは最前線だというのに、気を付けないとダメだな」
「何か酷い言いようなのは分かります」
しかし、サカイ大佐とは結構会っていたがアート大佐とは久しぶりだ。
アート大佐とここでお茶をするのは、ひょっとしたらサクラ閣下たちがジャングルに来た以来かもしれない。
あれ以来、俺は常にジャングルに捨てておかれたような気がしてきた。
それでも案外楽ではあったが、みんなには悪いことしたかな。
休ませられなかったような気がする。
まあ、地獄にいるのが俺だけでないから諦めてもらうしかないが、やっと街中で人並みの生活を送らせてやれると思ったのだが、さらなる地獄が待っていたとは冗談だとしても笑えない。
俺はアート大佐と久しぶりに会話を楽しんだ。
尤もアート大佐はここに遊びに来た訳ではなさそうなので、いい加減仕事の話を振ってみた。
「ところで大佐。俺に用があったようですが」
「ああ、聞いているかとは思うが、うちの連隊がここに駐屯することになった。営舎などの基地設営は以前にお前に教えてもらったから、手を借りることは無いが、どうしても手伝ってほしいことができた」
「俺の手伝いですか」
「ああ、これは連邦政府からも非公式な依頼が出ている。尤も連邦政府は調練のために施設が欲しいとだけしか言っていないが。それでな」
「ああ、あれですか。前に基地で作ったアスレチックスですか」
「ああ、それそれ。うちも大分練度が上がったが、どうしてもこの先を考えると不安でな。それにあの閣下だろう。またひどいことを言いださないとも限らない。ひょっとしたらせっかく育てた兵士と新兵をごっそり交換なんかもあり得そうだしな」
「ええ、私も以前に食らいましたから分かります」
「そうだったな。なら分かるだろう。それにあの施設はベテランでも十分に利用価値があるからどうしても欲しかった。私たちでも作れそうでしたが、どうしても使い勝手の良いのがね。だから手伝うからお願いだ」
流石に前にお世話になっていたこともあるし、うちも大量に来るのが絶対に直ぐに使えそうにないのが予想できるから、俺は二つ返事で了解しておいた。
場所の利用許可やら手伝いも貰えることから、俺にとってはメリットしかない取引になった。
アート大佐の話では明日殿下と入れ違いに色々と基地の方から補充があるからあなたの部隊にも来るかもと聞いていたが、誰が来るかまでは聞いていないらしい。
ちょうどアプリコットがここに来たので聞いてみたが、彼女も聞いていないと返事してくれた。
俺らは全員で出来たばかりの飛行場に集まり殿下を見送った。
サクラ閣下はまだここに残っているが、そのサクラ閣下から俺のところに配属される士官の第一陣を紹介された。
全員が比較的最近になり帝都からこちらに来たという少尉たち10名だ。
なんでもいい所のおぼっちゃまらしいとメーリカさんは言っていたが、本当に良家の子弟がこんなジャングルで不満を持たないかが俺にとっては不安だ。
「大尉は、私たち全員が使いこなせなかった山猫や、新人ばかりの隊での活躍があるから、私では十分に能力を使いこなせなかったこれらの士官も十分に使いこなしてくれることを期待している」
サクラ閣下が彼らを俺に押しつけて来る時に言ってきたことだが、完全に本音を隠してないでしょ。
『自分では使い難いからお前が使え』って言っているよね。
下手をすると『使いこなせない』では無く『使えない』の間違えかもしれない。
ただでさえ新人ばかりの隊に、こんなの寄こしてどういうつもりだ。
絶対に俺を嵌めようとする企みがあるとしか思えない。
メーリカさんだけでなくジーナやアプリコットまで渋い顔をしている。
確かに士官が足りないから喉から手が出るほど欲しかったが、彼らではないでしょ。
既に配属されたからには断れないのがタテ社会の決まりだ。
俺は、彼らを預かり、新人の訓練に使ってもらった。
それしか、使い道が思い浮かばなかった。
仮にも士官学校を出ているはずだから、俺よりも何も知らない新人の訓練くらいはまともにできるだろう。
幸いなことに俺のところではまだそういう訓練の需要がある。
そんなことをさせながら彼らの使い道を考えよう。
どうせ遊ばせておくわけには行かないし、そんな余裕は最初から俺らにはない。
それからは彼らの扱いについて、今後来るであろう新人のための教育要員としての経験を積ませるために、俺のところに居る新人の訓練を任せた。
俺は訓練を彼らに任せて、訓練施設を少しずつアート大佐の部下たちと作っていた。
最初に定番の壁から作り、平均台など色々と作り始め、最初に師団本部で作ったくらいまでの施設はできた。
この施設の運用試験として、彼らに任せていた新人を使おうと彼らが訓練しているはずの場所に向かった。
そこで俺はとんでもない光景を見てしまった。
あいつらは、新人たちを殴りつけているんだ。
俺は慌てて駆け寄り士官にまず理由を問いただした。
その理由が不敬だという。
わけわからない。
なら俺はそこから彼らの訓練風景を見ていたが、どう見ても新人の訓練になっていない。
確かに軍隊における行進は初歩の初歩だ。
それは俺でもわかるが、あいつらそれしかやっていないのだ。
行進で見世物になるくらい色々なバリエーションをしていればまだわかる。
前の居た世界ではどこぞの体育大学で行進だけで十分に金をとれるくらいのパフォーマンスをしていたのだが、あいつらはそれもしていない。
新人にただ歩かせているだけで、自分たちは何もしていない。
新人の監督すらしていないのだ。
これであいつらのレベルが分かった。
これでは使えない。
まず数日はアプリコットとケートを呼んで秘かに記録を付けさせた。
明らかに怠慢にあたるそうで、これだけで十分に懲戒処分の対象になるそうだ。
しかも俺の見ていないところで相変わらずに新人たちに暴力をふるっているのをケートが見つけて来た。
流石にケートだ。
俺の意図を理解していたためにその場では記録のみを取って俺に報告に来た。
流石に俺の命令を明らかに無視した行為だ。
前に見かけた時に、俺はあいつらにここでの暴力を一切禁じていた。
明らかに俺からの命令に対して無視した態度であり、また不要な暴力は懲戒の対象にもなる。
アプリコットが言うには集まった証拠だけで十分に処罰できるというので、俺は改めて士官たちを呼びつけ、あいつら自身からの弁明を待った。
初めは言いがかりと全く容疑を否認するだけでなく、アプリコットやケートたちの証言が偽証だと騒ぎ出した。
もういいよね。
俺は覚悟を決め、彼らに言い放つ。
「明日、師団本部に向かい軍事法廷で決着を付けよう」
そう言って、あらかじめ待機してもらった兵士に彼らを拘束してもらった。
その中で彼らの暴力を振るわれていた新人も混ぜておいたのは俺の小さな茶目っ気だ。
これはかなり評判が良かったようで、本当にあいつらは兵士から嫌われていた。
本当に大丈夫かと俺の方が心配になる。
ここは前線だ。
いざ戦闘になったらあいつらどうするつもりだったのだろう。
後ろ弾って本当に起こりそうで怖かった。
その日のうちにサクラ閣下に彼らを拘束したことを伝え、法廷の開催を要請しておいた。
ただでさえ忙しいのに面倒ごとを押し付けて本当に頭来るが、師団本部に連絡を入れた時にあっちから怒られたのには納得ができなかった。
師団本部の連中も一緒の法廷に出してやろうかと本気で考えたほどだ。
貴重な士官だったが、士官って誰でも良いという訳では無いのだということが良く分かっただけでも俺にとって価値があったのだろう。
そう思わないとやっていけそうにない出来事になった。
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