第279話 鬼
ここには何度も通っていた。
なにせ設計から施工まで俺も手伝っていたのだ。
どの部屋にも愛着がある……愛着があるが、かつてこれ程部屋に入りたくないと思ったことは無い。
この扉の向こうには、無理難題しかないのだ。
ここから逃げきれれば……逃げても無駄か。
俺は諦めてアプリコットと一緒の部屋に入った。
ここは前に師団本部を作った時の反省から、家具にもこだわった。
おやっさんの部下に木工職人かといえるような器用な人が、それも一人でなく複数居たのだ。
彼らに、ここに来てから伐採して放置していた立派な木材を渡して、大きな会議テーブルから執務机、ロッカーなどを作ってもらった。
ジャングルに生えている木を使って作ったのに、味わいある物ができた。
それらをここには置いてある。
前に師団本部で感じたあのアンバランスな感じはここには無い。
もう誰が見ても立派な執務室だ。
ここは防衛軍司令部がおかれた建屋で、この部屋にはここの司令官が入る。
誰が入るかは知らないが、かなり立派な部屋に仕上がっていた。
ここは俺のお気に入りでもあるが、今ははっきり言って入りたくない部屋の筆頭になっている。
「いい加減諦めてください」
俺の横でアプリコットが呆れたように言ってくる。
俺もさすがに諦めて、目の前に居る殿下たちに向かって敬礼の姿勢を取り挨拶を始める。
「要請により出頭しました」
「やっと来たか。逃げ出したかと心配したぞ」
いきなり殿下のジャブが飛ぶ。
「出頭が遅れ、申し訳ありませんでした」
「良いからそこに座りなさい」
なぜかここにサクラ閣下も副官たちを連れて待機している。
これはいよいよもって面倒ごとだ。
「これからの話をしようじゃないか」
殿下はこう切り出してから、この後のことについて直接説明してくれた。
ここの連邦国家と正式に外交関係を結び、条約も締結して今日から防衛軍を共同で運営することになった。
防衛軍のトップは名目上殿下となっているが、ここでの指揮官は殿下の連れて来たサード将軍だそうだ。
彼はここに来る前まで第一近衛師団の師団長を務め、サクラ閣下のお父さんの腹心でもある。
彼の指揮の下サクラ閣下のところからアート連隊が連邦軍と一緒に防衛軍を組織することになるそうだ。
また、サクラ閣下率いる軍団もそのままジャングルに留まり、敵に当たることになっている。
ここ防衛軍が完全に機能するようになれば、一挙にゴンドワナの東側を、特にジャングル内を連邦の勢力下に置くために作戦行動を取るそうだ。
期限は一年。
それまでに準備させると息巻いていた。
今まで説明された話に俺のことは一切含まれていない。
はっきり言って俺にとってこれらは前置きでしかない。
イライラを顔に出さないようにして注意深く聞いている。
「既に知っているかもしれないが、ここ防衛軍とは別にここに置く大使館勤務及びその護衛のために一個大隊を置いておく」
「ハイ、私もそこに所属するような話は聞いております」
「なら話は早い。君にはそこに置かれる大隊の副大隊長を命じる」
「副大隊長ですか。命令を拝命します」
「偉くあっさりだな。質問はないか」
「正直に言えば私の上司を知りたくはあります」
「そうだな。大隊長にはサクラ少将に兼務してもらう。ちなみに、今の君の中隊だが、そのまま中隊長も君が兼務だ」
「は? 兼務ですか。それは流石に荷が重いかと。私は素人軍人です。しかるべき人をその任に充てて頂きたく上申します」
「私もかなり考えたよ。それこそ何度もサクラ少将に相談してね。本当は君に大隊そのものを任せたかったんだが、それができない。なにせ軍では佐官以上でないと大隊長には就けないそうだ」
「私の大尉就任でも異例だと理解しております」
「いや、私は君に中佐か大佐にでもなって欲しかったんだが、フェルマンに止められたよ」
「私でも同じ意見です」
「いや、違うだろう。フェルマンが止めたのは、君は佐官にしてはいけないそうだ」
「は??理由をお聞きしてもよろしいでしょうか」
「ああ、それを言うために君を呼んだようなものだからな。君が軍を辞めたくともやめられない戦地特別任用だが、これは尉官にだけの制度だそうだ。過去に佐官になったものが居ない訳では無い。しかし全員が任期を終えて本人の意思で軍に入隊した後の話だ。そこで話を君の場合に戻そう。佐官にすることはできる。君の今までの功績からしたらすぐにでも任命できる。しかしその場合、君は戦地特別任用の適用から外れ一般の軍人として扱われることになる」
「制度でそうなっているのなら頷ける話ですね」
「君はまだとぼけるのかね。一般の軍人は様々な理由で除隊できるだろう。君は佐官になったその日に除隊の申請を出しかねかねない」
そうか、その手があったのか。
あと数年我慢することなく佐官になれば除隊ができる。
「それを私が許すはずないだろう。サクラ少将は、微妙のようだがね。そこで私もかなり考えたんだ。ここに残す大隊の指揮は君に任せたい。しかし、それは制度上できない。君を戦地特別任用の制度内に置いての話だが。そこで、実質的に君に大隊を任せるためにサクラ少将に大隊長を兼務してもらうことにして、ここで君に実質的に大隊を任せることにした。副大隊長はややもすると副官や秘書官的な扱いを受けかねないために、君にはそのまま中隊長を兼務してもらう」
「私は今まで通り中隊を見ながら、新たに配属されてくる中隊も面倒を見ろと」
「いや、君の中隊もこの際大幅に改変されることになるだろう。改変には君の意見を十分に取り入れるから安心してほしい」
殿下はそのように切り出してからマーガレット副官に詳しい説明をさせた。
途中微妙な顔をしたサクラ閣下も補足の説明を入れて来る。
しかし内容は誰がどう聞いてもとんでもない話でしかなかった。
ここの大隊は4つの中隊からなり、総員千名にも及ぶことになるそうだ。
問題はその4つの中隊だ。
4つの中隊長すべてを俺が兼務するという。
ありえないだろう。
お前らは俺を殺す気か。
正直腹が立ってきた。
この話を聞いた時に俺は本気で共和国に亡命も考えたほどだ。
流石に4つの中隊全てを俺一人で面倒をみきれるはずの無い事はサクラ閣下たちも理解しており、俺の下に副中隊長をそれぞれつけるということだ。
何のことは無い。
俺に実質的な大隊長をさせて、それぞれの中隊にも俺のように名前と職分が異なった人を配置することで、組織を維持させるというのだ。
こんな人事、本来許されるはずが無いのだが、全てが国軍から切り離された殿下の軍団だからできる話だ。
無茶にもほどがあるが、ここまで無理をしてもここに帝国軍をある程度の勢力で置いておきたいという願望の為せる業だ。
しかもだ。
最後にサクラ閣下が言い放った言葉が俺を絶望に突き落とした。
ここに千名の部隊を作るが、配属されてくる連中に期待をするなというのだ。
彼女の推測では、サクラ閣下も味わったように新人に毛の生えたような連中しか送られてこないだろうというのだ。
それを鍛えて来るべき時に備えよとまで言い放つ。
流石に中隊を維持するには士官もかなりの人数必要だが、その話を聞いたら皆顔をそむけた。
正直こいつらに殺意を抱いた。
俺が殺されるかこいつらを殺して逃げるかの2択になった。
最後まで話を聞いて絶望に浸っている。
あと数年の我慢だ。
それだけが唯一の希望だとばかりに辛うじて一線を越えずに踏みとどまっている。
話も終盤に差し掛かり、殿下は悪びれもせずに、爆弾を落として会談は終わった。
「君の佐官への昇進は無いよ。君の昇進を良く思わない連中も多いしね。しかし、そこが付け入る油断になるんだ。君の任期終了までに将官になってもらうよ。君は幸いなことに貴族だから、やりようはあるし、今までにも直接将官になった貴族もいる。しかも、将官は陛下に認証される役職だから、そう簡単にはやめられないからね。特に貴族は、貴族の責任という奴もあるしね。難しいがこれは私が頑張るから期待しておいてくれ」
鬼だ、ここにいる人は人では無く鬼だ。
そんな人権無視を許してもいいのか。
俺はただただ項垂れることしかできなかった。
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