第262話 帝国の貴族事情  

 殿下はメイドについて応接室に向かった。

 ということで、俺はなぜか殿下の執務室に取り残された。

 当然隣で、空気と化しているアプリコットも初めての経験か、使い物になりそうにない。

 幸いなことに、さほど待たされることなく、侍従の一人が俺らを会議室に連れて行ってくれた。

 一方、応接室に向かった殿下は、応接室で侍従頭のフェルマンと落ち合って、貴族院副議長のモートン侯爵とその取り巻き数人と対面していた。

「お待たせしました、モートン侯爵」

「いえ、こちらこそ先触れも無く訪問した無礼をお許しください」

「何やら緊急のご用件とお伺いしたのですが」

「はい、先ごろゴンドワナ大陸で大きな動きがあると小耳にはさみましたので、取り急ぎ訪問させていただきました」

「はて?侯爵の言われることに、あまり緊急性を感じませんが」

「いえいえ、ゴンドワナと云えば、我ら帝国貴族にとってフロンティアのような場所。そこで、敵に対して大きな成果を上げたとなれば、そろそろ帝国の領地となりましょう。さすれば、当然我ら法衣貴族にとって最大の関心は領地持ちになれるかもしれないという期待です。そろそろ耳の早い貴族連中が騒ぎ出すころです」

 その騒ぎ出しているのがお前らだろうと、フェルマンを始め皇太子府側の全員がそう思っているのだ。

「そうですか。しかし、まだ私も詳しく報告も受けておらず、そんな段階で帝都が騒がしくなるのは好みませんな。何時ぞやのような政争など起こらないようにしないといけませんね」

 殿下の言葉でわが意を得たりといった感じでモートン侯爵はがぜん力を込めて言ってきた。

「はい、帝都で貴族院を預かる身としては絶対にそのような騒ぎを起こしたくなく、事前に殿下に相談したく馳せ参じました」

「して、侯爵としては如何様にお考えですか」

「はい、領地持ちは法衣貴族全員の望みです。ここは混乱など起こさないように、過去の帝国に対する功績や、家柄、それに貴族の資質を十分に吟味して割り振るべきだと思います。当然、貴族の昇爵や領地の下賜などにつきましては帝室の専権事項とは存じておりますが、ささやかながら私どももお力になれるかと思いまして」

 要は、領地の下賜については我らにも関わらせてほしいと直談判に来たようだ。

 全く予測を外さない言動にいささか殿下もあきれた様子。

「そうですね。陛下も何かしらのお考えがありましょう。しかし、過去の事例や慣例、また帝国の法律に照らせばさほど困らないのではないかとも思います。確かこのような場合も過去にあったような……」

「ええ、軍事行動などで、領地を得た場合などに、しばしば領地の下賜はありました」

「そうですね、今回のようなケースもありましたね。例えばですが、今回のケースを考えますと、サクラ少将か、うわさで聞く最大の功績を出したグラス中尉などに下賜されるのではないでしょうか。まあ、どちらにしても陛下のお決めになる事です」

「ええ。そうするのが慣例でしょうが、今回の場合にはいささか当てはまらないのではないでしょうか」と言ってモートン侯爵が言い始めたことには呆れた。

 過去の事例で、軍事行動で領地を得た場合と云えば、当然その領地は最前線にあり領地を得た軍を指揮するものに下賜される場合が多い。

 これは、最前線に留まり、得た領地を死守させるのが目的の措置だ。

 そもそも、帝国には領地持ちの貴族が少ない。

 その原因というのが、貴族の腐敗と、時代に合わなくなってきたことが原因だ。

 過去の帝国は、今とは違い、領地持ち貴族の方が法衣貴族よりも多くいた。

 当然国境付近には国境を守るための辺境伯も多数配置されていたのだが、共和国との戦争に全くと言って良いほど辺境伯が役に立たないことが判明したのだ。

 あっさり辺境伯領が敵に抜かれること度々で、その都度帝都から近衛を中心とした帝国軍で対処して辛うじて事なきを得てきた。

 そんな状況で、貴族の大規模反乱があったこともあり、帝国としてはどんどん貴族から領地を取り上げ法衣貴族化していった。

 かといって、全く領地持ちがいない訳じゃない。

 今の領地持ち貴族は、初代から変わらずに帝国に対して忠誠をつくし、また領地経営においても極めて優秀な者達ばかりなのだ。

 これは裏を返すと、帝室から付け入るスキを与えてこなかった貴族だけが領地を維持していると言える。

 しかし、そういう貴族ばかりになると、当然国民からは尊敬の目で見られることが多く、他の法衣貴族からは羨望の的だ。

 なので、今の法衣貴族はほぼ全員が領地持ちになることを望んでいるといえよう。

 帝国が貴族から領地を取り上げることに必死なら、領地持ちを諦めるのが普通なのだが、貴族制を敷いている関係上、稀にではあるが今でも領地の下賜はある。

 先に挙げたような軍での功績などに対して、下賜されることが起こる。

 そのたびに下賜される貴族は周りから羨望されるのだ。

 ただ、この領地の下賜も帝室の思惑があってのことだ。

 基本は全貴族の法衣化が目標なので、下賜される貴族にはある規則がある。

 といっても、気づくことのできるくらい優秀な者たちは、早々に領地持ちを諦めているが。

 要はいつでも領地を取り上げられる貴族にしか領地を下賜していない。

 もしくは自分から返納されるような場所しか下賜しない。

 先に挙げた軍人を例にとれば、最前線で軍の指揮をしていた者に下賜される。

 下賜された貴族は国境を守りながらの領地経営だ。

 駐留軍を維持することで、その経費の一部を持たなければならないし、その上での領地経営は大変だが、それでも軍に留まる限りは、帝国から軍に対する費用の負担もあるので、ある程度はどうにかなるのが普通だ。

 まあ、現場の指揮官でもあるから、ある程度はその費用の融通もできることでどうにかしているようだが。

 しかし、いったん軍から離れると、駐留軍の負担だけでも大変で、しかも駐留している軍人たちは別の指揮官の言うことしか聞かないので、負担ばかりで良いこと無しだ。

 なので、過去のケースでは、貴族が軍を退くと時を同じくして領地も返納される。

 当然ただ領地を返すばかりでなく、返納された領地に見合うだけの金品や爵位で帝国も貴族に報いるのだから、決して悪いようにはならない。

 また、領地持ちだった経験から、他の領地持ちのような尊敬をうけるのだし、今のところ例外なく返納されている。

 まさしく帝室の思惑通りだ。

 また、ごくごくまれに軍事以外にも領地の下賜があるが、この場合はほぼすべてが、帝室の思惑を理解している者に限られている。

 その多くが帝室から臣籍降下された者や、建国以来の帝室にごくごく近い者達ばかりで、帝室の必要に応じて領地を返納させられているのだ。

 尤も多くの貴族は、このような事実を理解していない。

 モートン侯爵も理解していない貴族の一人だ。

 彼は帝都にいる法衣貴族の中で、軍人でなく、また、役人でもない貴族の集まりの中心人物だ。

 帝国にいくつもある派閥の一つを率いる貴族だ。

 しかし、彼の率いる派閥は、先にも上げた軍人でも役人でもない、また実業家でもない早い話がやたら中途半端な連中ばかりの派閥だ。

 なので、貴族院では一定の力を持つのだが、帝国全体から見たら先に政争を繰り広げてきたような派閥と比べると格段に影響力は低い。

 そんな彼が慌ててここに来たのも、今回話題になったゴンドワナ東部の状況が理由だ。

 先に挙げたように、軍を指揮するものでもない彼らがゴンドワナで領地を欲したのは、グラスたちが活躍するジャングルに理由がある。

 ことゴンドワナのジャングルでは大軍の展開ができない。

 当然、戦闘らしい戦闘も起きていない。

 しかもだ。 今回の場合、グラスの趣味もあろうが、インフラの整備の手際が異常に良い。

 ジャングル開拓は、それなりに準備をしても相当に難しいし、何より費用も掛かる。

 普通ならこんな辺鄙な場所の領地など、しかも最前線の領地など欲しがる貴族などいないものだが、ここだけは条件が違う。

 周りはジャングルなので、いきなり敵に襲われる心配は無く、そのために駐留させる軍も少なく、領主にとっては負担も軽い。

 しかもだ、帝国とも、複数ある軍港で繋がり、飛行場まである。

 また、各地には軍道が既に整備されつつある。

 また、何より魅力的に見えるのが、あれほど深いジャングル内でも、サクラたち軍人はいとも簡単に2km四方の居留地を短期間に作ってしまう。

 また、営舎も、それこそ積み木でも置くような感覚で出来ている事実を知れば、もうここは開発されつくした領地にしか見えない。

 しかも新たに作られる領地なために先住者の柵もない。

 モートン侯爵の頭の中では、ゴンドワナのジャングルでは、どんな場所でも、彼のコネを使って現地の軍を動かせば簡単に領地整備ができると踏んでいる。

 だから必死で、ゴンドワナの領地に食らいつこうとしているのだ。






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