第107話 ある司令官の苦悩

 ゴンドワナ大陸西部にある平原の一角に塹壕が構築され、その奥に簡易的に司令所用のテントが設けられている。

 その中で交わされている会話が、今の状況に合わず緊張感に欠けているように感じる。

「いいから、今撃っている弾がなくなったら下がってこい」

「いいんですか?司令官。先日の演習より少なくて。後で問題になりませんか?サボタージュなんて言われるのは嫌ですよ」

 時折、近くで炸裂する敵の放つ榴弾の爆発音が会話を邪魔するが、平然と会話を続け、

「いいんだ。俺らに命令されているのは、敵さんに対しての威力偵察であって、殲滅を命じられているわけではない。敵さんのやる気を確認できれば、それで終わりなんだよ。怪我をしないうちに引き上げるのがベストの選択なんだ。いいから前線にそう命じろ」

「判りました」

 ここは、すぐそばで戦闘が行われている最前線の司令所である。

 司令官付き幕僚は、今前線で敵と交戦中の部隊に対して、引き上げを命じていた。

 そう、帝国軍第3作戦軍西部正面軍旗下の1軍団の司令所用テントの中での会話だった。

 ここのところ失点続きの第3作戦軍の挽回策として、敵との戦端を開きたかった第3作戦軍司令部から威力偵察を命じられた2個師団からなる軍団を率いているのが、司令官のドースン中将である。

 彼ドースン中将の経歴は凄いものがある。

 彼は今、帝国軍において軽く5本の指に入るくらいの優秀な司令官であるが、軍の中枢には全くの縁のない閣下でもある。

 彼は平民の出で、現場からのたたき上げで今の地位についた。

 その昇進の多くが、戦地での特別昇進であって、無能な上司の後始末を一つ一つ丁寧にこなしていったら、今の地位までになっていたのであった。

 ある意味で、山猫の置かれていた状況が規模を大きくしたようなものだった。

 そんなわけで、彼は帝国で絶えることなく交わされる派閥間の権力闘争には全く興味もなく、また、どの派閥からも縁遠い存在だった。

 そのため、彼は、常に軍上層部からいいように使われ、厄介な仕事ばかりが押し付けられる。

 今回も、先日の補給港破壊の失点挽回のために、共和国との戦端を開かせる任務を負わされてしまった。

 今回の任務が下るまでには色々あったが、要は彼だけが補給港破壊の責任から完全に無縁であったため、西部正面軍としては、彼にも責任の一端を負わせることで、その挽回に利用しようとしているのだ。

 本来なら彼のような存在は、問題が起これば、その責任を一手に追わされる生贄のように扱われるのだが、今回はそうもいかなかったのだ。

 なぜなら、港における工作員殲滅の命令を受けた際に、彼が功績を挙げるのを恐れた司令部は、彼を無理やり帝都まで出張させ、彼の部隊を共和国監視のために最前線に配置したので、工作員関連については、全く関与のしようもなかったのだ。

 彼は、1軍団の司令官であり、西部正面軍での作戦においては一定の発言力を有していた。

 彼より上の人は、上官である西部正面軍司令官しかおらず、あとはせいぜい同輩の軍団司令官ぐらいなのだが、作戦決定の会議には呼ばれたことはなかった。

 でも、この件を知れば作戦中止の意見具申をするだろうことは、司令部に詰めている作戦参謀の共通の認識だった。

 自分たちの手柄を邪魔されないように、作戦そのものを彼の手の届かないところで実行しようとしたことが、港の破壊に繋がったのである。

 当然、参謀たちは、このままだと自分たちが処罰の対象になることを理解している。

 第3作戦軍司令部の連中も同じ状況だったので、第3作戦軍全体で責任を分担するべく彼に戦端を開かせる大役を押し付けてきたのだった。

 また、彼が優秀な司令官であることは周知の事実だったので、あわよくばそのまま有利に敵を排除してもらおうという、ものすごく自分勝手な、作戦とも呼べない杜撰な計画の元、彼に威力偵察を命じてきた。

 当然、良識を持ち合わせている彼は、反対の意見具申をしたが通らなかったため、通常ではありえないことだが、第3作戦軍司令部に確認まで行った。

 彼は、無謀な作戦での被害を恐れ、上部組織からの停止命令を期待しての行動だったが、そもそも命令の発信元が第3作戦軍司令部であることから徒労で終わったのだ。

 さすがにここまで来たら、命令に抗うことはできず、次善の策として、時間稼ぎもかねて、部隊に補給を命じた。

 通常よりも多く120%の補給を命じ時間を稼いだが、今度は第3作戦軍司令部から監察官を送られてきたので、渋々強硬偵察に向かったのである。

 監察官は最前線で攻撃が開始されると、すぐにここを去り安全な後方へと下がっていった。

 なので、上記の様な会話が平然と現場司令所で交わされるのだった。

「司令官、自走砲の部隊の後退が完了しました」

「被害はどれほど出たのか?」

「中破が3両、小破多数といったところです」

「人的被害はどれくらいだ?」

「負傷者は多数出てますが、みな傷は浅いです。重傷者は出ていません」

「それは良かった。予定通りだな。では、補給を済ませたら、例の補給港まで下げさせろ。

 そこで戦線を構築する。着いた部隊から順に塹壕を掘らせてろ。迎撃の準備を済ませて待機だ」

「了解しました。すぐに命じます」

「で、うちらは、前線で頑張っている部隊の回収に向かうぞ。戦車中隊をすぐに前進させろ。司令部付きを残し、残りの歩兵は後退してベースの構築だ。司令部付きは、もう少し付き合え。前線の部隊を回収したら戦車と殿(しんがり)を務めて後退だ。わかったら、作戦実行だ」

「了解しました」

 (ふ~、それにしても最近は、こんなことばかりだな。大丈夫か帝国は?今回の命令にしたって、誰が考えても異常の一言だ。補給が困難になってから戦端を開くとは、とても正気の沙汰じゃない。幸い、敵さんの方も同じような連中が多そうだから済んでいるようなものだが、以前に出会った、まともに作戦を立てられる頭の切れるのがいたら簡単にここを破られる。そういえば、最近捕虜になったと聞いたが、あんな奴を捕虜にしたというのはどんな奴だよ。ま~、今は敵に切れ者はいなさそうだが、油断は禁物だ。俺にできるのは、下がって補給路の確保しかできそうにない。できるだけ犠牲を出さずに今は廃墟となった港まで下がるしか手を思いつかない。だいたい、この威力偵察が余分だよな。)

 現場では、彼ほどでなくとも、今回の第3作戦軍司令部の方針に疑問を持つ普通の指揮官は大勢いる。しかし、責任の回避のために視野狭窄に陥っている一部の上級士官のため、普通で正常な意見が通らなくなっているのが、今の第3作戦軍司令部の置かれている状況だった。

 ゴンドワナ戦線では、まだまだ、多くの現場指揮官達の苦悩が続くのである。 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る