第7話 涙を貪る深窓の罅

「……喉乾いた」


 たくさんの自分の熱を含ませた絵画たち。無我夢中で描いてたせいか喉が渇く。

 一度立ち上がりキッチンへと向かうことにした。

 中に大量に用意された水入りのペットボトルを手に取った。


「っぷは」


 まだ瑠奈に見せる絵が完成していない。

 時刻を見ればもう11時過ぎだ。後数分で12時になる。

 親御さんが心配しているのではないだろうか。

 そういえば、瑠奈は風呂場にいるって言ってたよな。


「……なんで風呂場」


 透は風呂場に向かって折れ戸をスライドさせた。


「瑠奈?」


 電気が付いたままで、浴槽には彼女の姿がなかった。

 一体どこに行ったんだ? ……まさか。

 俺は怖い憶測をし、アトリエから海を見渡せる場所の扉があるのを思い出した。


「瑠奈!」


 慌てて透は駆け出す。おそらく瑠奈が行ったと思われる扉を開けると、そこには携帯を構えて笑っている彼女がいた。


「何してるんだ瑠奈!!」

「あーあ、見つかっちゃった」


 爺さんのアトリエは海岸をよく見渡せる崖がある。

 夜風が当たって、瑠奈だったらもしものことがあったら落ちてしまいかねない。


「透、知ってる? シンデレラって12時の鐘が鳴ったら魔法が解けちゃうって」

「何を急にっ」

「いつも12時前には別れてたじゃない? だからさ、私の魔法が解けちゃうの……それは嫌なんだぁ」

「何言って……本当は海にいないといけない病気じゃないんだろ!?」


 瑠奈は携帯をスッと下ろす。


「これから私は泡になる。人魚姫みたいにね」

「どういうつもりだ!?」

「透には、わからないよ」


 寂しさを瞳に閉じ込めて口角を上げる彼女の笑顔は歪だった。


「楽しかったよ、透との時間……だから、終わらせなきゃ」


 瑠奈は携帯を落とし、背中から崖へと飛び降りた。


「瑠奈ぁああああああああ!!」




 ◇ ◇ ◇



 人々は黒服を纏って瑠奈の棺桶に頭を下げていく。

 葬儀を終えると瑠奈の母親である優月さんが俺の隣の席に座る。

 

「透君、娘を助けようとしてくれてありがとう」

「……いえ」


 あの後に瑠奈を追うように海へと飛び込んだ。

 俺の体力はほぼなく、二人で水面へと出ることは不可能だった。

 瑠奈が動画配信をしていたようで、場所を特定した優月さんたちに助けてもらって病院で瑠奈は亡くなった。彼女からすれば、俺と出会ったことで瑠奈が死んだと捉えてもいいはずなのに優月さんの言葉が理解できなかった。


「どうして責めないんですか」

「瑠奈は友達ができたって喜んでたの、そんな人を責めるのは筋違いだわ」

「……でも」

「貴方のこと嫌っていなかったとは思うの……もう少し、違う形の終わりもあったと思うのだけどね」


 優月さんは持参したハンカチで涙を拭う。

 後から瑠奈の昔のことを教えてもらった。

 学生時代にいじめを受けていたこと。

 美大生になったが、交通事故で青色が見えなくなって中退したこと。

 最近はもっぱらニートで動画サイトで配信者活動をしていたこと。

 ……俺と一緒にいた時は、そんな話全然しなかった。たぶん、知られたくなかったのだろう。俺が画家を目指していると知ったから。

 一人アトリエに戻り優月さんから預かった瑠奈が配信する前に残されていた動画を見てから風呂に入った。


『透、これを見てるってことはきっと私は死んでることになるかな』


 内容は、彼女の俺への告白だった。


『透と一緒に過ごした時間、大好きだった。アイス一緒に食べるとか水遊びとかさ、とっても嬉しかったんだよ』

「俺もだよ」

『お互い好きな物の話もできて、私が夢見てた友達ってこうだ! って思いながら、気が付いたら……透のこと、好きになってた』

「……瑠奈」

『けど、透に嫉妬もしてた。私にない物持ってるのが辛くて、好きな絵が描けないでいる今が一番苦しかった……こんなめんどくさい性格だったから学校でいじめられたのかもね』

「……瑠奈っ」

『透の夢、叶ってほしいって思ってるのも本当。だからさ、もし誰かに恋をするなら絶対私みたいな奴にひっかからないでね』


 頬に、涙が伝っていた。


「……なんでっ」

『ごめんね。本当にごめんね、透。卑怯だけどこれだけは言わせて』

「瑠奈っ」

『……私、やっぱり貴方と結ばれるシンデレラになりたかったよ』

「っ!!」


 ダンっと横の壁に思いっきり拳で叩く。


「お前を、苦しめてるなんて一度も思わなかった、なんで、なんだよ……っ」


 あの日々は、俺にとって宝物だ。今だってそうだ。


「……?」


 湯気でだんだんと鏡に文字が描かれているのが見える。

 そこには石鹸を使って指で書かれたものだとわかる。


『大好き! 透っ』


 ――おそらく、瑠奈が書いたんだ。


「っふ、う、ぁああああああ……!!」


 込み上げてくる涙を堪え切れず、嗚咽を漏らしながら一人泣いた。

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