第5話 色づく咲花の礼楽

 透はさらに青系の絵の具を基本とした絵に着手した。

 それからという物、八月の暑苦しくも自分の心に詰まった熱情を筆に攫って形にした絵たちを瑠奈に見てもらうために、絵を紙袋に運んで海に見た。


「透! 見せて見せて!」

「あ、ああ」


 紙袋から取り出した絵を瑠奈に一つ一つ見せる。

 描いた絵たちはこの海岸や瑠奈をモデルにした物や、夜空を意識したものがある。

 だが一番に自分でもこだわってかけたと思うのが、海に沈む人魚の絵だ。

 この中の物なら自分でもよく描けた絵だと思う。


「……今見た中なら私が一番にいいと思ったのは、この絵」


 瑠奈は俺がこだわった絵だと感じていた人魚の絵を俺に見せる。

 深海の重苦しさと、人魚の口から零れる泡が描かれている。

 人魚のうろこも繊細に一つ一つ描き、人魚は青白い顔で目を伏せている……モデルは、実は瑠奈だったりする。彼女の特徴的な目を目を伏せることでわからなくさせているから彼女も気づくこともない。


「……でも、決定的な何かが欠けてる気がする」

「何がだ?」

「うまく言葉にできないけど、透の本音はこれだけじゃないって思う」

「俺の、本音……」


 これだけじゃない、ってなんだ? 何が足りないんだ。

 瑠奈に会うようになって、俺は前よりもいい絵を描けるようになったと思う。

 彼女の知り合いに美術の学生の知り合いがいるからと助言をされてきた。

 彼女に言われより絵をたくさん描いてきた。

 だからこそ、知りたい。

 俺の本当に吐き出したい欲がまだ、俺の絵で詰め込まれていないというのなら。俺がまだ、吐き出すのを強張って描けていないというのなら、何か、ヒントでも。


「なら、また教えろ! 俺に足りないところが何なのかっ」


 俺は瑠奈の両肩に触れる。


「俺は、来年には画家を諦めなきゃいけない。そんな時にできたこの縁を、無駄なんてことにしたくない!!」

「……わかった。明日、透のアトリエに連れてってよ」

「いいのか?」

「うん! それとお菓子買っておくこと!」

「あ、ああ」


 夜空の青が二人を包み、二人は固い決意を交わした。



 ◇ ◇ ◇



「……ここが、透のアトリエ?」

「ああ、そうだ」


 翌日の夜、アトリエに瑠奈を招いてやってきた。

 本人の希望していた物もスーパーに寄って買い揃えてある。


「で、テーマは決まってる?」

「……いや、未だにまだ模索中だ」


 瑠奈にテーマを決めて描けと言われ描いた物は何回かある。

 彼女が提示したのはタイトルをつけて描けだの、美術館に行けだの、外の写真を撮って来いだのなんだのと言われたが、なるべく瑠奈に会う時間だけは確保して絵を描いていた。

 確実に瑠奈と出会ってから絵が上手くなってきているのは自覚している。


「じゃあ透、今日描く絵は人生をテーマにしよう」

「は? なんで」

「今の透にならできるよ。これが私からの最終課題。出来上がるまで私お風呂場にいるね」

「おい、ちょっとま」


 スッと瑠奈はお風呂場へと向かって言った。

 ……やるしかない、か。

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