第4話 海の見せる甘い波

「透の絵って透明感があるよね」

「透明感?」


 瑠奈は海でスカートの裾を持って踊っている。

 まるで水溜まりを踏み遊ぶ子供のようだ。

 透は絵を描くのをやめ砂浜で休憩していた。

 彼女に根を詰めすぎてはいけないと言われたからである。


「そ、自然体な綺麗さって奴。透の名前みたいに透き通った世界観な絵だなーって」

「……そうか」


 誰かに褒められたのは初めてかもしれない。

 瑠奈は自分の背中の方に両手を回し俺の顔を覗き込む。

 頭を掻く俺をからかうためか、ニヤッと口角を上げる。


「あれ? 照れてる?」

「うるさい」

「素直じゃないんだ―! ……親からはまだ何も言われてない?」


 普段ふざけるくせにこういう時は真面目だな、と心の中で悪態を吐く。


「来年までに画家大賞展に大賞を取らなかったら仕送りはやめるって言われた」

「……そっか。でも、透は絵を描き続けたいんじゃないの?」

「ここが潮時だと思ってる。来年落ちたら絵を描くのはやめて、アルバイトでも始める。爺さんのアトリエも母さんたちは売り払いたいらしいし」

「……そうなんだ」


 ……もうわかっていたことだ。

 夢を追うのは難しい物だって死んだ父さんの言葉だったな。


「来年になったら、透とはもう会えなくなるんだね」

「そうだな」

「だったらなおさら来年までに応募する絵を完成させないとね……透はどんな絵を描きたいの?」

「青を使うのは決まってる」

「透は本当に青が好きなんだね」

「俺の世界に、青以外いらない」

「……そっか」


 陸にいる透と海にいる瑠奈。

 たった数歩レベルの距離だというのに沈黙が二人を遠く感じさせる。 

 その空気に耐えられず、普段素直に言えない本音を零した。


「お前だから、モデルを頼んでるんだからな」

「……え?」


 瑠奈は素っ頓狂な声を出して普段の小悪魔のような態度から頬を赤らめる。

 口をパクパクさせて屋台の金魚か何かか?

 ……なんだ、この空気。


「じ、じゃ、じゃあ! 透が完成した絵真っ先に私に見せてねっ」

「当たり前だろ」


 変な空気に耐えきれなかったのは、瑠奈の方だった。いつもより瑠奈の表情が柔らかくて、なぜか自分の胸までどこかほんのりと温かくなる錯覚を無視する。


「ほら透ー! こっちおいでよー!」

「は? 何っ」

「いーじゃん! ほら!」


 瑠奈に腕を引っ張られ、浅瀬で俺と瑠奈はまるで夏に海にやって来た友人同士が潮を掛け合う感覚で俺に水を浴びせてくる。


「……この!」

「あはは、やったなー!?」


 夜の海で冷えるとか着替えとか関係なくお互いにふざけ合った。

 水飛沫が水晶のごとく煌いてはお互いの体を濡らす。

 蝉の鳴き声なんか耳に入らないほど、夢中にはしゃいだ。

 こんな時間なんて、学生の頃になんて経験したことがない。

 なぜ、だろう。この気持ちは何なんだ。

 ……瑠奈と出会ってから、知らないことばかりだ。


「ははっ」

「……っふ、ははっ」


 互いに笑い飛ばして、些細なこんなやりとりだけで充実感に満たされる。

 瑠奈と出会ってあんなに色褪せていたはずの俺の日常が、絵の具を付けた筆先で俺という人生の絵画に色づけられていくような……そんな、感覚。

 あんな出会いで、こんな縁を結ぶなんて誰が想像できよう。

 けれど、こんな日々が少しでも続けばいいと……なぜか強く願ってしまった。

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