第2階 人生強制リスタート

  意識を取り戻した瞬間、見たこともない壮麗な天井が視界に入ってきた。

 細かく複雑に織り込まれた装飾、歴史と時間の重みを感じさせる質感。

 深味のある木の色彩と、その上に照りつける光が作り出す影のコントラストに目を奪われる。


 視線を下げると視界を占めるのは古びた本や書類の山であった。

 それらは大きな木製のデスクの上に乱雑に積み重ねられ、部屋の片隅から片隅まで広がっていた。

 部屋に充満する紙とインクの匂い、時間が積もりに積もった知識の重みが新鮮で、同時にどこか懐かしい感覚を呼び起こした。


「お、来たね」


 デスクの向こう側に座っていたのは、一人の少女だった。

 

 雪のように白い肌の上を黒い髪がなぞり、肩を滑り落ちる。

 輝く赤い瞳は知性と神秘性を併せ持ち、その魅力はどこか普通の人間とは一線を画していた。


「……君は?」

「ボクのことはナイルと呼んでくれればいいよ」


 掛けていた眼鏡をゆっくりと外し、丁寧に折りたたむと彼女は椅子から立ち上がった。


「どうして僕はこんなところにいるの?」

「君は死んだ。漂い、少しずつ無に還る魂をボクが救い上げたのさ」

「……なんで?」

「君にお願いがあるから、かな」


 ゆっくりと立ち上がり、後ろ手に手を組んでナイルは近づく。

 コツコツと音を立てながら、ゆっくりと円を描くように歩き始める。


「さっきも言った通り、君の魂は無に還るところだった」

「うん」

「そこでボクは君の体を新たに用意して、欠けた魂の補填を行った……」

 

 つまりこの体は元の体じゃないってことなのだろうか。

 魂の補填……それが簡単でないことはなんとなく察しが付く。

 

「その影響で君は全部ではないにしろ大部分の記憶を失った」

「……」

「結果、人格に影響が出て感情が希薄になっている」

 

 よくわからないが、確かに記憶を思い出そうとしても曖昧でうまく思い出すことができない。

 物の名前や、言葉は自然と思い浮かぶのだけれど。

 

 それでも、今自分という存在がここに居るのは目の前の彼女のおかげなのだろう。

 

「ありがとう……?」

「ふふっどういたしまして」

 

 ナイルが指を鳴らすと、目の前に姿見が現れる。

 

 黒髪黒目、可愛らしい顔立ちに、短めの髪型。

 人によっては女の子に見られるかもしれない。


「さてとそれじゃあ、新しい世界に旅立つ前に生きていくための能力を選んでもらおうかな」

「能力?」

「お願いする立場だからね、なるべくサポートさせてもらうよ。といってもあげる能力は1つだけ、だけどね」

 

 ナイルがもう一度指を鳴らすと、数十冊の本が地面に積まれて目の前に現れる。

 背表紙に書かれた簡略された能力名を頼りに本を開く。

 超人化から強力な専用魔法に、特殊なアイテムの生成能力と多岐にわたる。

 

「これにする」

「……へぇ、それを選ぶんだ」


 何気なく手に取った紫の革表紙。背表紙に書かれた文字は『ダンジョン創造』。

 価値のある宝やモンスターの揃ったダンジョンを造り出す能力。


「お目が高いね。なぜそれを選んだのかな?」

「なんとなく……気に入ったから?」

「……気に入った、ね」

 

 ほかにもただ強そうな能力はいくつもあった。

 それでも、なぜかこの能力だけが気になったのだ。

 

 俯いて、笑い声を漏らしたナイル。

 ナイルが顔を上げたとき、眉を顰め悲しそうに微笑んでいた顔もすぐに平静な表情に戻る。

 

「さて、能力も決まったことだし。それじゃあ君にお願いをしよう」

「わかった」


 ナイルからは色々なモノを貰った。

 叶えられることなら出来る限り、叶えたい。

 

「ボクの願いは『       』。お願いできるかな?」

「……わかった。できる限り頑張るよ」

「よかった、期待してるよ」

 

 正面で立ち止まり、微笑むナイル。

 

「ただ、ボクのお願いは世界にとっては異端だ」

「うん」

「だから、力を付けたときにボクのお願いを思い出せるようにしておくよ。もしかしたら、頭の中を覗かれるかもしれないからね」


 ナイルの顔を見ると、にこりと笑みを浮かべて頷き、また指を鳴らす。

 瞬く間に二人の間に現れたのは世界を小さくして立体的に表した、いわばジオラマのような小型模型だった。

 微妙に動いているからリアルタイムに反映しているのだろう、不思議な技術だ。


「これがマイントス大陸。君がこれから生きる世界だ」


 大陸の一部分。左下の地域が拡大され、5つの国がそれぞれの色で塗り潰されて表示された。

 ナイルが場所について簡単な説明を教えてくれる。

 

 中央に位置するのはオルトレアン王国。

 最も人口が多く、豊かな自然から取れる資源が特徴的。

 人の住みやすい、バランス良い国だ。


 そこから時計回りの方角で北東、南北、南西、北西に主要な国が位置している。

 

 北東には山に囲まれたオントラフ樹海が広がっている。

 そこにはエルフが森の奥深くにある里でひっそりと過ごしている。

 

 南北には最も領土が広いエマリオス帝国。

 各地で塹壕や砦が作られており、今でも使われているようだ。

 軍事力でいえば間違いなくトップクラス。

 大きな大陸と面しており、そこで防衛線を張っている。

 

 南西にはキリオル共和国。

 領土は一番小さく、人口も2つの国に比べるとそう多くはない。

 しかし、この国には人間よりも亜人と呼ばれる人種が多いらしい。

 様々な文化が入り混じった国だ。

 

 北西にはトラアッド神聖国。

 特殊な魔法である神聖魔法を扱うことができる聖女が国を治めるトラアッド教の総本山。


「どの辺りに送ってあげようか、どこでもいいよ」


 僕は少し考えて、オルトレアン王国に決めた。

 場所はいくつかの大きな都市のうち、首都と商業都市の間、見晴らしの良い開けた草原に決めた。

 ここなら都市と都市を繋ぐ道だからきっと、人通りも悪くないだろう。

 

「良い場所だと思うよ。じゃぁ。一人じゃいけていけないだろうし、パートナーもつけてあげるよ」

「パートナー……?」


 よし、決めた。とナイルが指を鳴らすと、その隣で現れた光の粒はすぐに形を成し、弾けて霧散すると中から人が出てきた。


「人型汎用魔道人形No.3。通称名クラリスです。マスターの元へ、只今参上いたしました」

「お、来たね。それじゃあ彼の世話を頼むよ」

「かしこまりました」

 

 短い金髪に青い瞳。

 慣れたように頭を深々と下げた彼女は近くで見ても人間のように見えるが、関節部分など一部分が人体の構造とは異なっている。

 白を基調とした黄色いラインの入った膝丈のスカートを履いており、すらりと伸びた足の先には革製のショートブーツを履いている。


「能力の使い方も教えて貰ってね。サブマスターはクラリスにしとくから」

「うん」

「それじゃあ最後の贈り物だ。名前をあげよう」

「名前……」


 ナイルは一瞬言葉を区切り、用意していたであろう名前を告げた。

 

「『ゼノ』それが君の名前だ」

「わかった」

「反応が薄いなぁ、ボクから名前を貰うなんて結構名誉なことだよ?」

「そうなの?」

「そうなの!……じゃあ行ってらしゃい。君のことは見守ってるから、新しい人生を楽しむと良い」


 そうナイルが言って、微笑みながら手を振る。

 その瞬間、何時からそこにあったのか。背後の両開きの重厚な鉄扉が軋みながら開き謎の引力でゼノを吸い込み始めた。

 ゼノはあっという間に耐えきれなくなり、吸い込まれ扉は閉まった。

 

「……あいつらの世界をぐちゃぐちゃにしてきてね」

 

 一人になったナイルは、一際楽しそうにそう言った。

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