第2話 うっかりヨモツヘグイ案件
◇
「俺が少々血迷って攫ってしまった人間を元の山に放り出してから、三時間が経過しました」
端麗な顔をしかめ、組んだ手に額を寄せて狸は深い溜息をついた。そこでカッと目を見開いて、正面を睨みつける。
「何で戻って来てるの!」
「ボーイスカウトで山道はならしたコトあるから~」
アハハハハ、とガタイのいい赤毛の童顔が景気よく笑う。
「そこじゃない! 慣れじゃない! 普通、君を放りだした山から俺のところに戻るには境界を越えないといけないの。ただの人間が自力でそれが出来るわけがないの!」
「お前、こいつに自分のせんべい食わせただろう? どう考えてもそのせいだが?」
アニメを見ている時だ。狐がお茶とお茶菓子を狸と自分の分しか用意して来なかったため、大事なシーンで腹が減ったと青年がうるさく、つい『そこの部屋の奥の炊事場の棚におせんべいあるから好きに食べてて』などと言って黙らせた。その後、『ライスクッキ~』と言ったりなんかして、ばりぼりほうばっていた気がする。
「してた・・・・・・」
「思考能力が低下してる時に不用意なことを口走るから、うっかりヨモツヘグイ案件を生み出す。化生として反省しろ」
「反論の余地がないのが大変遺憾」
「オウ! ペルセポネだね~」
「ねぇ、ペルセポネは、一年を半分ずつあっちとこっちで過ごしたけど、君は首から上と下で、あっちとこっちで分かれない? こっちは首から上、首から下はあっちに返すから」
「失態を殺害で取り繕おうとするな」
「人間側で猟奇未解決殺人事件になっちゃうヨ! でも絶対顔面は手に入れようとするところ、ボク、キラいじゃないナ!」
抱きついてこようとする青年を忌々しげに片手で押さえ込んで、狸は狐を睨み上げた。
「てか、狐。気づいてたんなら止めてよ。なんで放置したの?」
「お前・・・・・・基本的に私たちは、あの手この手で人間を騙して、当人が意識しないうちにこちら側に引きずり込む手続きをするものだろう? 普通に考えれば、お前がそれとない素振りで食べ物を勧めたのを止める方が妨害行為だが?」
「ソウデスネ・・・・・・」
淡々とした化け物的ド正論に狸は顔を覆うしか出来ない。
「あとまあ、どうせ違うとは思ったが・・・・・・純粋にお前の顔にのる苦悶の表情が見たかった」
「そういうところだよ、この陰険が!」
「ソウダ、ソウダ! 早くここから出いけ、陰険ストーカー!」
「君もね。この図々しい押しかけホモサピエンス」
「私をそう邪険にするものじゃないだろ。これを飼うにしても、殺すにしても、許可申請手続きに私がいた方が都合がいいと思うが?」
「ナニソレ? 許可申請・・・・・・そういうのボクめんどうくさいから嫌いだヨ~。モンスター界もなんか大変そうだネ」
「君はもう少し、自分の処遇の話だというところを気にかけたりしないわけ?」
「殺処分したいのはやまやまだが、この夏にまた、川で釣り人が死んだからな。
「そこを君の権力でなんとか出来ないかな?」
「対価の支払い方法はこちらの指定で構わないな?」
「聞かなかったことにしてもらおうか」
「ワァイ! 命拾いしたみたいだぞゥ!」
上辺で微笑みあいながら交わされる会話の成り行きを、どんな神経なのかワクワクした目で見守っていた青年は手を叩いて喜んだ。
「でも陰険キツネは、そんな権力者なのカイ?」
「お前に言われるのは心外だな。口を慎め、人間」
「こいつ、性根は歪みきってるけど実力は確かで、能力だけなら神霊に格上げ手続きも可能なんだよ。してないけど」
「下手に神霊になると、毎年十月の会議に出ないといけなくなるだろ・・・・・・。さすがの私も、主神クラスに『その祭祀行為に関しては素人なので恐縮ですが、質問よろしいでしょうか?』などと絡まれたくない」
「会議のあとの酒宴もねぇ。お歴々、酒癖悪いから・・・・・・」
「いま私が代行管理してるこの山の社の神霊は、それが原因で病んだからな」
「ジャパニーズモンスター界隈、なんか思ってたより世知辛いヨ~・・・・・・」
鬱々と愚痴まじりの内情をこぼす狐と狸に、しんみりと青年は大きな肩を力なく落とした。
「まあ、ともかく、枠が空くまでは仕方ない。こいつをお前の管轄で登録しておくからな」
「不本意」
「うっかりミスの責任は取れ」
「ねぇ、君、唐突に帰りたくなったりしてない? というか、社会人ってやつでしょ? 仕事は? 困らない?」
「それなら心配いらないヨ! ボク、曽祖父が株でひと財産築いて、いまも実家は人生三回ぐらい豪遊できる資産があるから、大学に席だけおいて留学してる気楽な身の上だからネ!」
「出自に全スペックベットして生まれてきた勝ち組野郎だった! 関係ないはずなのに異様に頭にくる!」
「相続争いでどろどろに揉めてしまえ!」
「手酷い~」
口悪く化生たちに罵られ、堪えてない様子ながらも青年は顔を悲しげに歪めた。
「でもこれで心配もなくなったわけだし、ボク、心置きなくここで暮らさせてもらうヨ! あ、寝るところとかは一緒に使うおうネ!」
「床で寒さに打ち震えながら寝ろ」
にこにこと手を取る青年に、冷ややかに狸は言い捨てた。その肩をぽんと狐が抱き寄せる。
「寝床のひとつやふたつくれてやれ。お前は私が引き取ろう」
「引き取られないからね?」
ばしんと狐の手を払い退ける狸を、青年がはっと驚きに満ちた顔で見つめた。
「いきなり三人は大胆だと思うヨ!」
「いつそんな話になった、人間! 一度頭かち割って中身かき回してやろうか?」
「う~ん、わりと本気に聞こえるゥ~。けど、それはともかく、一緒に暮らすのに、人間っていうのはなんかアレだよね。ちゃんと自己紹介するヨ! ボクの名前はね、」
そこでばんっと力強い音があがった。青年の口をふさいで、狸の手が打ちつけられている。
「ひひゃい」
「黙れ、人間。名前は言わせない」
凄みをきかせて、狸が切れ長の目で睨みつける。相当痛かったらしく、さすがに本当に涙目になって青年は、赤くなった口元をさすった。
「……その目やめて。ちょっと心の柔らかいところ掴まれるから」
「本当に凝りもせず垂れ目に弱いな、お前」
「もうこれ生き様だから。いまさらどうしようもない。でも、名前は言わせない」
「なんでだい? 名前ないと困らない?」
「古今東西、同じだと思うが・・・・・・名前は一番簡易で身近な呪詛だ。名を奪えば、奪ったものが所有権を得る。こちらの界隈の常識だな」
「そしてたださえ、いまこんなに面倒なことになってんのに、名前まで聞いたら完璧に君は俺の所有物じゃん。絶対に聞かない」
「ぜひ教えるヨ!」
「いらない! 絶対に漏らすな!」
あの手この手で
本来逆なのだろうな、と助けもせず見物する狐を尻目に、最終的にあの手この手で名前を吹き込んで来ようとする青年を、術で無理やり名を言えないように封じ込めて、狸は事なきを得ていた。ひどい妖力の無駄遣いもあったものではない。
そんな収束を脇目に、狐は手続きと寝床準備のためにひとまず隣の部屋の自宅に戻っていった。
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