狸と狐とホモサピエンス ~ろくでなしボーイズのなしくずし事件簿~

かける

第1話 思ってたのと違う


 狸は、ひどく落胆していた。

「思ってたのと、違う・・・・・・」


 狐狸こりの類は長命を得ると人の形を持ち、人間を誑かす。それは実は時代が移ろってもいまだあることなのだが、狸はいま、そのせいで苦悶していた。


「思ってたのと違う・・・・・・!」

 細く長い指が天を仰ぐ秀麗な顔を覆う。茶色がかった蜜色の長い髪が、悲しげにさらりと肩から流れ落ちた。


 狸の人型は美しい青年であった。わりと自分でもいい線いったな、との自負もある。だが、いまはそれがどうでもいい。

 それもこれも、にこにこしながら彼を見つめる、間の抜けた緩い空気をまき散らす人間のせいだ。


「・・・・・・あのさ、君、化かされて攫われたのに暢気過ぎない? 怯えて? もっと己の状況に恐怖して?」

「うん、やっぱりキミってすごく綺麗ダヨ! ジャパニーズキモノよく似合う! その耳どうなってるの? 触っていい?」

「話聞けよ、人間」


 伸びた腕をはたき落とす。淡い黄色の溶けた切れ長の瞳が、冷ややかに一瞥するも、相好を崩した男に堪えた様子はない。


 狸は、威儀を正して自分が攫ってきてしまった人間と向き合った。

 言葉の発音の端々や見目からするに、狸の住む国とは別の国から来た人間らしい。ふわふわと短い赤茶の髪が揺れる。がっしりとした体躯のいい精悍な青年だ。しかし、とろりとした大きな緑の垂れ目が、顔立ちをずいぶん幼く見せていた。


「君は、山でうろうろしてた時に、俺に会いましたね?」

「『タヌキって本当にいたんだ! すごい! めずらし~!』って、興奮して、捕まえたい気持ちを抑えきれなかったんだよネ」

「ホモサピエンスが狩猟本能みせるとろくなことがない」

 ちっと忌々しげに舌打ちして、狸は続けた。


「で、まあ、その結果、不用意にほいほい付いてきましたね?」

「突然現れた崖から落ちた時は死んだと思ったヨ」

「んで、いまここにいますね?」

「正直言って、好みど真ん中でした」

「話を繋げる努力をしろよ、人間」


 ぐっと両掌を握りしめて迫る男に冷たく返す。太い腕を振り払って、狸は深いため息を落として頭を抱えた。


「そういうのいいの。いらないの。君は、騙された。そして崖から半死半生で落ちて、なぜかここにいる。化け物側の世界なの? 分かる? 分かった?」

「でもここ、液晶テレビがある」

「狸だって人型にもなればテレビぐらい嗜むっていうか、ほんとくつろぎ過ぎじゃない?」

 映る~とはしゃぐ巨体に狸は噛みつくも、聞いちゃいない。


「ほんと困るんだよ。そういう態度とられると、明らかに俺の失敗じゃん。もうそうなるとほら、そろそろさぁ」

「狸がまた人を誑かし損ねたと聞いて」

「ほら来たぁ! 陰険狐!」


 ばんっと勢いよく岩屋の扉を開いて、銀髪、狐耳の着流し姿の青年が躊躇もなく踏み込んできた。怜悧に整った顔立ちには、どこかぞっとする冷たい翳りと厳しさがある。


「というか、いつもながら情報早くない? 怖い。この前盗聴してた使い魔は消してやったのに」

「お前の動向については、この岩屋に無数に潜ませた呪符が漏れなく私に知らせてくれる。使い魔のひとつやふたつ、消えたところで支障はない」


「力こそパワーの物の怪の世界がだからまかり通るけど、人の世だったら普通に警察行ってからの訴訟ものだからね、それ」

 淡々と犯罪行為を仕掛けた当人に伝える、冷たく冴えた黄金色の垂れ目に、狸は言い捨てた。


「というか、誑かすのは失敗してないんだよ。成功したんだよ。ただちょっと、その後の反応が・・・・・思ってたのと違う」

「お前の顔だけでターゲット選ぶ悪癖のせいだろう。いい加減、学べ」

「だって、垂れ目が、可愛かったから・・・・・・!」


「それについていつも言うが、私も垂れ目だし、加えてお前に好意を持っているが?」

「くそ! なんで狐のくせに垂れ目なんだよ! しかも顔もいい! やだ!」

「お前も狸のくせにつり目だろ」

 悔しげに頭をかきむしる狸に、狐はただ冷静に返した。


「でもさ、ストーキングは好意とは言わないヨ?」

 さらりと流れていった平淡な一言はもとより、その前の話も聞いていたらしい青年が、笑顔でぬっと横から割っていった。

「あとお世辞にも、キミは垂れ目でも、可愛い垂れ目じゃない」

「お前もな」


「いや待った。つい垂れ目に動揺したけど、別に垂れ目だけで選んでないから。性格も重視したいから。というかそもそも俺はあれなの、天然ふわふわぽややん、みたいなタイプの垂れ目の子が怖さで『はわわわぁ』て涙ぐみながらえづくのからしか得られない栄養素が欲しくて人を化かしてるの!」


「そんな人格、人間の創作物の世界にしかいないだろうが。いつまでも幻想の概念に拘るから失敗する」

「あとさらっと言ってることが最低ですごいネ! 好き!」

「うるさいな! こちとら三百年この趣味嗜好を拗らせてるんだよ。君たちみたいなふてぶてしい中身の野郎は管轄外なんだよ」


 苛立たしげに吐いて捨てる狸の肩に、ぽんっと柔らかに狐が手を置いた。鬱陶しそうに見上げてきたその顔を、涼やかな垂れた瞳がゆるりと捉え、真っ直ぐに見つめる。


「お前が同性から好意を示されることを好まないというなら、私としては差し控えるが・・・・・・どうだ?」

 綺麗に鋭く整った顔の中で、こと目を奪う垂れた瞳が、狂おしげにゆれる。三百年拗らせた嗜好の煮凝りが、じっと静かにひたと見つめてくる。

 供給には、拗らせた趣味は逆らえない。


「くっ・・・・・・そこ、わりと、目が垂れてて顔がいいなら・・・・・・俺的には、些事」

「言質」

「イエーイ!」

「そういうとこだよ、陰険狐! てか、性別とかより、君の場合は性格! 性格の方が大問題だよ! あとなんで急速に仲良くなってんの、君ら!」


 手を掲げた狐とそれに楽しげに掌を打ちつける青年に、狸が咆える。だが、彼らにはそんなもの凪だ。


「別にお前が望むなら、『はわわわあぁ』ぐらいやってやるが?」

「やだ! 天然物がいいの!」

「そうやって己の需要を尖鋭化させるから、生きづらくなるんだぞ?」

「あと、この体格にその夢みてくれてたあたり、本当に顔しか見てなかったこと、自覚した方がいいんじゃないかナ?」


 顔は童顔垂れ目だが、青年は狐よりもがっしりと大きい。とても首から下を見ると、『はわわわぁ』しそうには見えもしない。普通の感覚ならば。


「垂れ目で顔が好みならいいというなら、いい加減すべてを委ねたらどうだ。悪いようにはしない」

「そうだよ。楽しませるヨ?」

 左右から好みの垂れ目がぽん、ぽん、と肩を抱いてくるのに、狸は首を振り振り、両手で視界を閉ざした。


「いやいやいやいや。ほだされないからね? なんか顔だけで流されるの、『性格も好きなんです』って言いたい俺の矜持が許さない!」

「そこまで地に堕ちた己が性格と嗜好を晒しておいて、いまさら性格で選んだなどといい狸ぶろうとするな。素直に『顔だけで選びました。あとは見てません』と認めろ。楽になれるぞ」

「地に堕ちたとか、平然とストーキングしてる君にだけは言われたくないんだよ。最低の烙印に抗わせろよ!」


「でも、どうせ選ぼうとしてる性格も、都合のいい幻想で大概だヨ?」

「黙れ、短命種」

「唐突に化け物ぶって線を引こうとしないでヨ~」

 寂しげに縋って、青年は狸の顔を、潤んだ垂れ目で覗き込んだ。

「でもたしかに、ボク、キミに比べれば老い先短いだろうから、変な意地張ってないで、今のうちに楽しんどいたほうがお得だヨ?」


「やだ、このホモサピエンス、短命すら武器にしてくる。怖い。あとあんま垂れ目で見つめないで、供給過多」

「さすが掟破り的手法すら躊躇わない人間は違うな。図々しい」

「いやぁ、それぐらいでないと『地球を守ろう』とか、『自然を大事に』なんて声高に叫べないっていうかァ」


「高慢! 人間、高慢!」

「少しは悪びれろ。こちらはエキノコックスで迷惑してる」

「も~う、急に動物同士で結託するゥ~。でも、それはほんとうにごめんネ?」

 ちょこんと大きな身体が首を傾げてしゅんと申し訳なさそうに、垂れた瞳をより垂れ下げる。と――狸が胸を押さえて地面に蹲った。


「なんだかいけそうな気がするゥ~!」

「油断するな。こいつは瀬戸際の抵抗がしぶとい」

 嬉々と踊る青年の声に、長年の経験者は冷静にアドバイスを送った。


「なんか君らが組んでると怖い。早急にその人間は元居た場所にお引き取り願いたい」

「え~! ボク、ここに住む!」

「居座ろうとするなよ!」

「そいつがここに住むなら、私の家をあの扉の向こうに繋げておく」

「君はさらっとストーキングから次の段階に移行しようとしないでくれるかな?」

 狸が耳の毛を逆立てるも、狐はどこ吹く風で、ぱちんと指を打ち鳴らした。


「繋げた」

「繋げた、じゃないんだよ! え? というか、そう簡単に繋げる? 普通、君でも無理じゃない?」

「お前がテレビを仕入れたり、山奥に無理やり電気を引いたり――などということにかまけて妖力をそちらに注いでいるので、気づかないだろうと下準備だけはしておいた」

「しておくなよ! こっわ! 目が垂れてなかったらもっと引いてるから、それ!」

「私が言うのもなんだが・・・・・・垂れ目というだけで、少々許容をし過ぎじゃないか?」

「許容はしてない。断じてしてない」


「でも、キミ、ストーキングに気づかない危険を冒して、なんでテレビ持ち込んだの?」

「それは・・・・・・あ、まずい。推しの出る時間」

 狸がリモコンを慌てて取って、テレビをつけた。青年がその画面に声を弾ませる。


「ワ~オ! ジャパニーズアニメ! ボクも好きだヨ!」

「今日、この垂れ目の女の子の当番回で。リアタイを心に決めてた」

「供え物でいい菓子が入ったが、いるか?」

「あ、欲しい。あと、お茶は玉露がいい」

「遠慮をしないな、お前。まあ、いい。用意してやる」


 ふわりと微笑んで、狐はそのまま素知らぬそぶりで、繋げた扉から自分の家に茶と菓子を取りに戻っていった。青年は狸の横で、これはどんなアニメなのかと興味津々に、自然な有様で座り込んでいる。


 うっかり推しのリアタイにすべてを流してしまった狸は、彼らを放置したままにした失敗を悟っていない。狸が再び己が失態に落胆するのは、三十分後のことだ。





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