第7話 天使の警告
「これでぼくはマリア・ジブリールだね」
宮殿を共に歩くマリアは、アルファに楽し気にそういった。因みにジブリールとは、中央教会が説く教えによれば、善なる神に仕える大天使ガブリエルが男性として顕現したときに名乗った名前だという。ローゼスと出会う前、天使に導かれたというアルファの話をローゼスが覚えていた結果、与えた姓だった。
「お前はそれでいいのか」
「いいもなにも、これはすでに決まっていた“未来”だよ。良いかいアルファ。世界という物語はすでに書かれた書籍のようなものだ。ぼくはその書籍の続きを“視る”ことができるんだ」
「その話は哲学的で興味深いが……」
宮殿を出ると、馬車が用意されていた。アルファは先に乗り込み、マリアに手を伸ばした。
「そこにお前の意思がないだろう」
「意思……意思、か。そんなものは世界という物語にすでに書かれているんだよ。たとえ未来を変えたと思っても、それはそう思い込んでいるだけ。すべては書き上げられているんだ」
マリアはアルファの手を掴んで馬車に乗り込む。アルファが出してくれというと、マリアは内緒話をするように耳元でささやいてきた。
「それにぼくは、君が気に入っているしね、旦那様」
アルファはどうしたものかとため息を吐いた。
◆◆◆
「かっがあ、よぐぞご無事でえええ」
「ええい、鼻をたらしながら抱き着くな! 服が汚れる!」
「わだしがあらうからいいんでずう」
アリスは生還したアルファを屋敷で迎えると抱き着き、涙と鼻水で彼の服を汚していった。彼女は任務から生還するといつもこうだ。そんなにメイドの仕事を失いたくないのか、とアルファは毎回思っている。確かに彼女の年齢でやれる仕事など限られているし、自分のところより待遇が良いとなると、などと無駄なことを考え始めているとマリアがいった。
「君が考えていること、だいたい間違ってるよ」
「なに?」
「あー、はいはい、アリスも泣き止め」
「マリア様ぁ、マリア様もよくぞご無事でー! 人相書きが出たときはもうだめかとぉぉぉぉ」
「おいひっつくな! 汚れる!」
似たもの夫婦(予定)だった。
◆◆◆
「はあ……」
大浴場がある屋敷は帝国でもめずらしい。庶民の目線なら、贅沢なことこの上ないレベルだ。そんな珍しい場所で、アルファは湯につかりながら、ため息を吐いた。ローゼスのわがままに付き合うのは慣れたものだが、さすがにここ数日はいろんなことが多すぎた。
(結婚、ねえ)
ローゼスから勧められたり、貴族連中からうちの娘を、と言われたりということはこれまでにも何度かあった。ローゼスからすれば自分の側近の家系を作って歴代の近衛にしたいというのもあるのだろう。それに対して貴族連中はもっと下種なもので、気難しい皇帝ローゼスに近づく手段として娘を差し出そうというのが見え見えだった。その様は、何度見てもアルファには愚かとしか思えなかった。
(まあ、そういった面倒事が減るなら結婚するのもありか)
親の愛を知らず、愛のない結婚をする。自分の子どもは不幸になるのだろうな、とネガティブなことを考えていると浴室に声が響いた。
「アルファ……!」
「なん、だ……って風呂に入ってくるな! 前を隠せ!」
「いいじゃないか、結婚するんだし」
アルファが振り返った先には、一糸まとわぬ姿のマリアと、メイド服を着たアリスだった。アリスはのんびりと「失礼しております」と言って頭を下げた。マリアはその後アリスを伴って洗い場に向かった。
「……まったく」
アルファは早々に湯舟からあがって脱衣場に行くことにした。後ろからマリアたちの姦しい声が聞こえてくる。アリスもアルファに仕えた当初から、現在に至るまで、彼の入浴の手伝いをすると言ってきかなかったが、そこにマリアも加わり、余計に手に負えなくなったとアルファは思うのだった。
「ち、アルファの奴は逃げたか。ならアリス! 一緒に入るぞ!」
「え、え? 服を引っ張らないでくださいー」
――バシャア!
アリスが制止した時には、既に遅かった。
◆◆◆
場面は食堂に移り、夕食の時間。ほかに使用人がいるわけでもないのだから一緒に食べればいいものを、頑なに一緒に食べないアリスに見守られながら、アルファとマリアは食事を摂っていた。
「……なあ」
「なんだい」
「お前、そのテーブルマナー、どこで習ったんだ?」
「変かい?」
「そんなことはないが……」
「未来を“視る”ことで未来の自分が身に付ける技術を先取りすることができるんだ」
「ふうむ」
未来を本のようなものだとマリアは例えた。なら先取りするということも本に書いてあるのだろうか、なんてアルファは考えながら食事を進めていくのだった。
◆◆◆
アリスにマリアの世話と監視を任せ、執務室で溜まっている手紙に返事を書いていると、日はとっぷりと暮れ、月が顔を出す時間になってしまった。皇帝の剣として権力にすり寄ってくる者には厳しく接しなければならないが、支援者の機嫌を損ねないようにする重要性をアルファも理解していた。だから彼は結構筆まめな性格になっていた。
不意に窓に目を向ける。マリアを隠す必要が無くなりカーテンの開かれた窓からはきれいな半月が見えた。今宵の月は不思議に明るい。その明るさの理由が何なのかはわからないが、アルファ自身には思うところがあった。月が見せる明るさは幻であり、見る者の心によって変化する。だから、それを明るく感じるのなら、その月を見ている自分自身が少なからず明るい気分になっているのだろうということだ。
そんなアルファが執務室での仕事を終え、寝室に入ると、なぜか彼のベッドの上で、本を読んでいるマリアの姿があった。
「で、なんで僕のベッドで寝ているんだ?」
「ん? そりゃあ、夫婦だからさ。それに簡易ベッドは寝心地が悪いんだ。なにをされても文句は言わないからこっちで寝かせてくれ」
「そんなことを簡単に言うな」
叱りながらも、マリア用に用意した簡易ベッドがかたされていることを理解すると、諦めてアルファは同じベッドに入った。監視の必要上、別の部屋で寝るわけにもいかなかったからだ。それ以外に理由はない、とアルファは考えていた。
「灯りを消すぞ」
「うん」
灯りが消えると、マリアは早速とばかりにアルファに抱き着いてきた。甘いミルクのような匂いがアルファの鼻孔をくすぐった。彼は面倒くさくなり、もはや咎めるでもなく眠ることにした。どんな状態でも寝て起きられるのは、訓練のたまものだった。だったが、少女のぬくもりは、普段よりアルファを深い眠りに誘った……。
◆◆◆
(夢……夢を、“視て”いる)
眠りに落ちたアルファは、最初にそう思った。世界は神々しいまで光り輝き、アルファを包んでいた。不意に白い羽が落ちてきて、アルファは上を見上げた。そこには女性の天使がいた。白いカーネーションを手に持ち、優し気に微笑んでいる。
「お前は……」
「ひさしぶりね」
降り立った天使は、以前会ったときにはアルファより大きかったが、今はアルファより背が低かった。これを成長というのだが、今のアルファはそれを認識できていない。
「大きくなったわね。それと、結婚おめでとう」
「めでたくなどないだろう。愛のない結婚だ」
「ふふふ」
天使が含みのある笑みを浮かべるので、アルファは少しむっとした。
「なんだ」
「いえ、まだ自分の気持ちに気づいていないのね。まあ、それもいいでしょう」
彼女もまた、先のことを“視て”いる――なんでもオミトオシという感じがして、アルファはまたむっとする。まるで反抗期の子どものように。対して天使はひとしきり笑うと表情を引き締めた。
「今日は警告に来たの」
「警告?」
「ミカエルに気をつけなさい。彼は、わたしと違って未来を“視る”ことに対して厳しいわ」
それだけ言い残すと、天使は「また会いましょう」とアルファの頬に祝福のキスをすると天に昇っていった。同時にアルファの意識も現実にへと引き戻されていくのだった。
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