第6話 リエゾン

「そ、その眼は……」


立ち上がり、閉じていた瞼を開いたアルファの右目は、マリア同様赤く光っていた。


◆◆◆


 マリアに魔力を流し込まれたとき、アルファは心地よさを感じていた。


(なんだろう、このかんじ。あたたかくて、きもちいい……っ)


 不意にアルファは右目の痛みに襲われ、両目の瞼を閉じた。その時だった、狼が飛び掛かってくるビジョンが視えたのは。彼は咄嗟にマリアを左手で抱き、上半身を起こすと右手の剣を振るった。するとまるで狼が剣に吸い寄せられるように飛び込んできて、きれいに両断された。手にする剣はマリアの赤い魔力をまとい、輝いていた。アルファは目の痛みをこらえながら立ち上がる。恐る恐る目を開いてみると、不思議な光景が広がっていた。それもそうだ。彼は右目で未来を、左目で現在を視ていたからだ。だが困惑している暇はなかった。


「どんな手品を……!」


 混乱しながらも長年の戦闘経験から冷静さを失わないアルファは、魔術師がそれを言うかと思いながら、不思議なビジョンの導くまま、襲い掛かってくる狼を切り裂いていった。赤く輝いた剣は魔力によって力を増幅させているらしく、あれほど苦戦していた狼たちを片手で屠っていく。


「そんな、ばかな……」


 狼たちが倒れていくことに脅威を感じたチースは逃げ出そうとアルファに背中を向ける。しかし狼たちを処理していくアルファにはそれすら“視えて”いた。そして身体能力に関して教祖として君臨してきたチースより、前線で戦ってきたアルファの方が圧倒的に上だ。狼たちがいなくなり安全が確認できるとマリアから手を放し、左手で鞘を引き抜いた。それで逃げるチースの頭を強めに叩くと、そのたった一撃だけで彼はいとも簡単に気絶してしまうのだった。


「やれやれ、片付いたか」


 荷物の中からロープを取り出してチースを縛り上げると、アルファはマリアを振り返った。


「……それで、なにをしたんだ?」


 アルファは自分の右目が赤から黒に戻っていることには気づかなかったが、ビジョンが視えなくなっていることには気づいていた。


「“リエゾン”」


「はあ?」


「ぼくと君は、“リエゾン”したんだ」


「だからそれはなんだと……」


「ぼくと君のキズナの勝利さ。さて、ぼくは疲れたから休ませてもらうよ」


 そういってマリアは小屋の中に入っていった。扉を閉めた彼女は、這うようにベッドに向かう。


(うう、他人に魔力を渡すのがこんなにつらいなんて……)


 その気だるさは、マリアの予想を遥かに上回っていた。できるから、やった。やらなきゃいけないと思ったから、やった。それでも、ここまでしんどいことになるなんて、思ってもみなかったと彼女は少しだけ後悔した。結局マリアはベッドにのぼることもできず、そのまま床で気を失ってしまうのだった。


◆◆◆


「まったく」


 盗られるものもないと普段から鍵のしていない隠れ家に入って行くマリアの自由気ままさにため息をつきながらも、アルファはチースを監視しながら右手を握りこみ、そして開いた。するとその手のひらに、1羽の小鳥が生み出されていた。宮廷魔術師に習った簡単な魔術だった。魔力の少ない彼にとっては1羽生み出すだけでも普段ならかなり疲れるものなのだが、まだマリアの魔力が残っているらしく、身体に倦怠感はなかった。


「鳥よ、陛下の下へ」


 簡単な手紙をしたためて小鳥に託すと、アルファは近衛騎士団の到着を待つことにした。


◆◆◆


 その後の皇帝ローゼスの動きは早かった。すぐさまチースを大規模騒乱罪で逮捕させ、アルファにはマリアを連れて“堂々と”宮殿に戻るよう命令をくだした。アルファからすればマリアの存在は秘匿すべきとは思ったが、ローゼスになにか考えがあるのだろうと、近衛騎士団と共に宮殿への道を歩んだ。 彼らの“凱旋”を、民たちは熱狂をもって迎えた。アルファと同じ馬に乗るマリアに至ってはすでに未来が視えているのか、民に手を振る始末だった。魔王の子孫という噂の流されていたマリアに対して好意的な民の姿に、アルファは首をひねりながら、宮殿への帰還を果たした。すぐに会いたいとのローゼスの意向を受け、アルファとマリアは人払いされた玉座の間に通される。


「陛下、騎士アルファ、ただいま帰還いたしました」


 片膝をつき、へりくだるアルファのとなりに立ったまま、マリアはただニコニコとしていた。


「おい……」


 小さな声で不敬だぞと言おうとして、ローゼスが先に口を開いた。


「ご苦労、2人とも楽にしてよいぞ。事の顛末はチースからの尋問で知っておる。そこでアルファ、今回の一件を丸く収めるため、お前に新たな命令をくだす」


「なんなりと」


「マリアと結婚せよ」


「は?」


 とうとう乱心しましたか、と嫌味をアルファが言うよりも早く、マリアが行動を起こした。今の状況に追いついていない彼に抱き着いたのだ。


「よろしくね、アルファ」


 ニコニコと笑うマリアと、それと同じ意味なのかはわからないがニヤニヤと笑うローゼスの姿に、アルファは頭を抱えたくなった。言われたことの意味すら、ある意味ちゃんとわかり切れていないこともあって、アルファは聞き返すしか選択肢がなかった。


「……陛下、なにを企んでいるのですか」


「企んでいるとは心外な。その娘を守るためだよ」


「守る、とは?」


「その娘に一定の権威を与えるということだ。その娘は侯爵家の令嬢であり、箱舟教団に誘拐され、囚われていたということにした。そしてそれを救出したのが余の騎士であるアルファ、お前だ。そう帝国全土に流布した。その美談を臣民が信じたからこそ、貴様たちの凱旋は歓迎されていただろう?」


 あの妙な臣民の歓迎ムードはそれか、とアルファは思った。臣民の好きなドラマチックな筋書きを書き、信じ込ませる手腕こそが、ローゼスの武器の1つだった。そんなことを考えながら、アルファは抱き着いているマリアを無理矢理引きはがした。


「あとは余が救出の褒美としてアルファ、貴様にマリアをめとらせれば余と貴様、そして侯爵家の後ろ盾を持つことになる、簡単には狙われなくなるだろう」


「楽観的過ぎます。それに後ろ盾を作るだけなら養子でも……」


「貴様も余もこの歳の娘を養子にする年齢ではないし、他のものに未来予知の力を知られるわけにはいかぬ」


 アルファは今度こそ片手で自分の額を押さえた。どうしてこの人はこんなに自分の頭を痛くするのか。そう嘆きたかった。そんなアルファを見たローゼスは玉座から降り、アルファの肩を抱くと、耳元で話し始めた。


「それに貴様もいい歳だ。そろそろ結婚しろ、余や貴族たちからの縁談をことごとく断りおって」


「それを言うなら陛下、あなたこそ結婚するべきでは?」


「余か? 余はいいんだ。まだ遊んでたい」


 まったく、この人は……そう言いたげに、アルファは露骨にため息を吐いた。


「な、頼むよ、余の騎士。余と貴様がよく一緒にいるから、余に男色の疑いが出て困っているのだ」


 それが本当の狙いか、と忠義を忘れて白い目を向けるアルファに対してローゼスはいたずらっ子のように笑った。この人は、幼少のころに出会ったときから変わらないな、アルファは不意に懐かしくなった。


(この笑みを浮かべて、氏素性のわからない僕を自分の騎士にしたんだっけ)


 存在を疎まれた孤独な皇太子と天涯孤独で記憶もない少年。2人の出会いは、天使の言ったとおり運命だったのかもしれない。そんなことを考えている間に、ローゼスはアルファの近くを離れ、マリアに声をかけていた。


「マリア、お主はアルファと結婚するということで良いな」


「はい、望外の喜びです。陛下」


 うやうやしくマリアは頭を下げる。どうやら反対しているのは自分だけのようだ、アルファは諦めの境地にたどり着きつつあった。


「そうかそうか、中央教会に話はつけておいた。お前たちの結婚式は近日中に行う。これは決定事項であり、すでに帝国中に布告済みである。アルファ、貴様は今日より、ジブリールという姓を名乗るが良い。爵位も男爵から子爵とする。励めよ…………子作りに」


 さすがのアルファも皇帝ローゼスを軽く睨んだ。たしかに帝国では女性は10歳から結婚できる、できるのだが、子どもを設けるには負担の大きすぎる年ごろである。ゆえにローゼスの言葉は下世話な冗談なのだろうが……、同時にアルファの一族を増やし、自分の戦力を増やそうという皇帝としての思惑も透けて見えていた。

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