秋の日には本を開いて

 皆さんは、秋の訪れをどこで、それとも何で感じるだろうか。

 色の変わった街路樹、半袖では少し肌寒く感じるようになった外気、店頭に並ぶカボチャモチーフのアイテム、他にも色々。


 自分なら、番組の衣装で長袖が増えてきた頃…だろうか。相変わらず情緒もへったくれもない解答だとは思うが、それが一番分かりやすいのだから許してほしい。


 ところで今は、そんな秋の日の夕方、時刻は16時前くらい。昨日の夜から今日の夕方近くまでの仕事が終わり、ようやく帰宅した所だった。およそ一日ぶりの自宅だが、そこに居るはずの幼馴染の姿はなく、呼びかけた声にも特に返答はない。沈む夕日が作る影が、明かりの無いリビングを暗く染めているばかりだ。

 まあ、買い物とかご近所付き合いとか、祐樹だって外出することは多い。今日もきっとそうなのだろう、と自室の扉を開ける。

 しかし、見慣れた自室が目に入ったその瞬間、俺は思わず足を止めていた。


 そこには、文庫本を片手に床に座り込む、同居人の姿があったからである。


「…ただいま」

「おー」


 そういえば、自分にとって秋の訪れを感じる事物はもう一つあったのだった。


 "本の虫"な同居人。

 どうやらこの幼馴染にとって、秋は『読書の秋』らしい。



 ◇◇◇



 やはり本を読み耽っている親友の邪魔にならないよう、そーっと部屋に入ることにする。さっきは一応返事を返してくれはしたが、その答えは随分上の空だった。あれは多分…というか間違いなく無意識だ。

 読書の秋、とはよく言うが、実際涼しくなってくると祐樹は本を読み出す。別に涼しくなくても読んでいるけれど、やはり過ごしやすい気温だとページを捲る手も速くなるらしい。


 荷物を適当に床に置いてから、ベッドの上に放置されていた洗濯物を片付けていく。少々皺になってはいるが、ほとんど部屋着とかだから問題ないだろう。これを見るに、乾いた洗濯物を持っていったはいいが、何気なく本に手を出してすっかり忘れてしまった…という所だろうか?

 勝手に自室に入られている訳だが、それ自体は別に気にしていない。洗濯物からもお分かりの通り、自室の掃除以外の家事はほとんど全部任せてしまっているし(偶にそれすらやってくれてることもあるし)、幼少期から互いの家を行き来していた仲なのだから、それくらいは慣れっこだ。

 ただ、祐樹の場合、本に夢中になりすぎると睡眠時間さえも削ろうとするから困るのである。本人は楽しいんだろうけど、見てるこっちからすれば毎回心配で仕方ない。


 今日はいつからここで読書をしていたのだろうか。「これ」自体は慣れたこととはいえ、今回は少々不安になる。


 俺の本棚は、祐樹の好みに合うものはあまりないかもしれないが、量だけはそれなりにある。絶大なる人気を誇る少年漫画のコミックスに、昔出演したドラマの原作の少女マンガとか小説。ハードカバーもあるにはあるけど、多いのは文庫本の方かな。ともかく、普段は本棚で大人しくしているそれらがほとんど全部、今は本棚を飛び出し、祐樹の周りで雑多に積み上がっているのである。

 祐樹の読書スピードは早い方だし、漫画も多いから不可能ではないのかもしれないけど、それにしても多すぎると思う。1時間やそこらで読み切れる量では到底ない。


 今は何に手を付けているのかと思って見てみれば、祐樹の手にあるのはアガサ・クリスティ原作『そして誰もいなくなった』の文庫本だった。数年前、それこそ駆け出しの頃に出演した舞台の原作だからと自分で購入したものなのだけど、それ以来ほとんど手をつけていなかった本の一つである。

 確か当時の自分は、何を思ったか知らないが、同じく上京していた祐樹に結末を教えてもらおうとしていたっけ。台本とか実際の舞台を見れば済む話なのに。

 まあ、その時は結局『ミステリーでネタバレなんて論外だ、自分で読め』とすげなくあしらわれてしまったけれど。


(あの話、またりたいなあ)


 洗濯物も畳み終わって、なんとなく手持ち無沙汰になってしまった。今だ無心に本を読み耽っている同居人の邪魔をしたくもないし、適当にベッドでスマホをいじりながらぼんやりと思う。


 『そして誰もいなくなった』は、ちゃんと本で読んだのが一度、舞台でちゃんと最後まで見たのを足しても十回も触れていない作品ではあるのだけれど、それでも分かる。流石は名作、流石は親友のお気に入りだ。

 また演じる機会があるなら、今度は序盤で死なない役がいい。そういう役もそれはそれで楽しいけれど、すぐに退場してしまうのはつまらないから。

 黒幕というのも楽しそうだ。…ああでも、この歳で演るには少々難しいだろうか。


 そんなことを考えていれば、ふと、ぱたんと本を閉じる音が聞こえた。

 読み終わったのだろうか。顔を上げれば、同じく顔を上げたらしい祐樹と目が合った。


「…いつの間に…」

「あれ、気づいてなかった?」

「帰ったなら言えよ…」

「言ったじゃん。ただいまって」

「…マジか」


 完全に無意識だったなあ、と祐樹は自嘲するように笑っていた。

 そのまま本を戻し始めたから、それに軽く手を貸しながら、「これ全部読んでたの?」と聞いてみる。


「まあ一応。…悪いな、勝手に入って散らかして」

「それは全然いいけど。いつから読んでたのさ?俺じゃ無理よ、こんな量」

「…多分、昼前くらい?」

「昼前?ご飯食べてなかったの?」

「…茶飲んだりはしてた」


 ばつが悪いのか、言い訳するようにそう言った祐樹は目線を逸らしていた。

 いつも「飯食え」って言ってくるのは祐樹の方なのに。今日はいつもとまるで逆なのが、ちょっと面白い。


「てかさ、自分で持ってなかったっけ。わざわざここで読まなくてもいいじゃない」


 祐樹は昔から読書が好きだった。本棚に収まらなくなるからと、自分で買うことはあまりなかったようだけれど、その分小さい頃からよく図書館に通っていた。ジャンル関係無しに色々読んでいるらしいが、特に好きなのはミステリーなようで、ホームズとかクリスティとか小難しそうなのをよく読んでいたのを覚えている。『そして誰もいなくなった』も、当然のように所持していた筈だけど。


「あれか、あれなら実家に置いてきた。結構古い本だったしな」

「ああ、そういう。…それあげよっか?俺あんま読まないし」

「お前の棚に入り切らなくなったらそうするよ」


 いつの間にやら、本も全部片付け終わったようだ。立ち上がった祐樹は背を伸ばすが、ゴキゴキと小気味いいくらいの音が鳴っている。

 基本同じ体勢だったのだろうし仕方のないことだが、それでも相当な音だ。昼前くらいから、という申告はどうやら本当だったらしい。


「悪いな、飯も作ってねえや」

「別にいいよ、偶には出前でも頼む?」

「いや、あるもんで何とかなるだろ。金がもったいない」


 別に俺が払うしいいんだけどな、なんていう俺の呟きには反応もせず、祐樹は部屋から出て行った。それについて行くように、俺もリビングへと向かう。

 冷蔵庫を開けて少々考え込んでいるらしい親友を、リビングのソファの上からぼんやり眺めながら、俺は何の気なしに口を開いた。


「ねー祐樹さん」

「…なんだよ」

「本って、そんなに面白い?」

「そりゃあ…まあ、面白いな。お前の好みに合うかは分からんが」


 正直、活字を読むのはあまり得意ではない。台本は当然読むし、演技の研究に原作の小説を読むとかはあるけれど、それ以外は全くと言っていいくらいには触れることがない。頑張って読もうとしても仕事以外じゃなんとなく眠くなってくるし。体を動かしたり人と話している方が、個人的には好きだ。

 でも、祐樹を見ていると、少しだけ興味が湧いてくる。寝食も忘れるくらいに魅了される、物語という世界に出掛けてみるのも、案外悪くないかもしれないと思えてくる。


(…少しくらい、本も読んでみようかな)


 きっとまた、三日坊主になるんだろうけどね。

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